崇神天皇

2022-02-16 09:10:25 | 写真

日本書紀は50余年前、興味を持った書物です。

講師(今思えば超有名教授)が大きな黒板に、古代天皇の倭名を書き出していたのが、興味を持った始まりでした。

それはそれとして、今回の投稿には、少し関連があります。

崇神天皇6年とうろ覚えですが、この年の記事に、天照大神と倭大国魂神を皇居の外で祀ることになった。

ここに、豊鍬入姫命、太田田根子命(ホケノ山古墳は見学した)、倭姫命(垂仁天皇の時代・伊勢神宮)とか言うワクワクするような人物が登場してきます。

学生時代に思ったのは、天照大神と倭大国魂神(大国主命)の仲が悪く、皇居の外に出して祀ったと考えていた。

神話の世界でありますから、あたらじとも遠からじと言うか、楽しい想像の世界であって現実とは違うので、争いにならなければ想像は勝手かと思います。

前置きはこのぐらいで、その天照大神が祀られた先、倭笠縫邑。

これも長年どこにあるんだろうと思っていました。

記紀に興味を持ったにしては、情けない話なのですが、麻雀はしっかり頭に入っていましたが、勉強はこんなものでした。

今年の一月に所用で、上越、北陸、奈良、大阪と写真を撮りながら歩いてきたのですが、その写真の中に、倭笠縫邑が写っていました。

意識していたわけではないので、今まで発見できませんでした。

箸墓からすぐ近く、三輪山の左にある神社でした。

お参りしたいと思って尋ねた場所ではなく、たまたま観光案内の記事を見たら、あったので、ついでにと言うことで参拝したようです。

この写真が証拠です。

写真中央の白い杭を拡大すると「皇大神宮聖蹟 倭笠縫邑」「檜原神社」と墨痕鮮やかに記されているのです。

この写真を撮った時は、神社職員?の位置が悪く、写真としては気に入りませんでしたので、軽く見ただけでした。

境内からは二上山が見えます、トンボも偶然ですが写っています。

この下の写真は、以前投稿したものですが、まさか倭笠縫邑とは気づいていません。有名な山辺の道としての記念写真でした。

これが天照大神を祀った社です

右側の鳥居を見て、「あれ!もしかすると」と気づきました。

そして、問題の垂仁天皇3年の記事にある元伊勢籠神社

天橋立の根元にありました。

雪が降っているのですが、分かりにくいかもしれません。

今回、主目的であった、上越の家の購入(冬に住むつもりはあまり無かった)は断念せざるを得ず、残念だったのですが、疑問に思っていた倭笠縫邑、元伊勢籠神社がわかったのでよしとする事にしました。

上の写真は、豊鍬入姫命あるいは太田田根子命の墓?と言われる「ホケノ山古墳」,奥が「箸墓古墳」後ろに三輪山があります。

「ホケノ山古墳」脇の「国津神社」には豊鍬入姫命の墓ではないかと描いてありました。

 

 

 

 


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