正法眼蔵 坐禅箴 ざぜんしん その2
崩れる予報ですが
今のところは
よいお天気です
道元さまはいわれます
インド
中国へ
仏法が伝わるというは
必ず
坐仏が ざぶつ
伝わるということである
仏祖は
必ず
ひとすじに
坐禅を
伝承してきたのだ
仏祖の光明に
照らされるというのは
この坐禅を
工夫参究することを
いうのだ
といわれます
道元さまが
いかに坐禅を
大切にされていたかが
理解できます
ブッダ その2
昨日の
ミュージカル ブッダ
とてもすばらしい
舞台でした
公演前に
ノーザン・ホース・パークで
昼食です
食べ放題です
その後
苫小牧市民会館へ
苫駒の
学生さんと
一緒に鑑賞しました
ブッダ
本日は
お檀家のみなさまと
苫小牧市民会館へ
苫駒の開校50周年記念
ミュージカル ブッダを
鑑賞しにいきます
暖かく
お天気もよさそうです
正法眼蔵 坐禅箴 ざぜんしん
本日も
よいお天気です
中国に
薬山禅師という方がおりました やくさん
ある僧が
たずねます
「兀兀地になにをか思量せん」 ごつごつち (坐禅のこと)
禅師答えていわく
「不思量底を思量す」 ふしりょうてい (思量しないこと)
僧いはく
「不思量底いかんが思量せん」
禅師いわく
「非思量」 ひしりょう
一般に
坐禅というと
「無」になること
と思いがちですが
人は
生きている間
脳が働いていますので
思量がなくなるわけではないのです
もちろん
坐禅中も
脳が働いています
道元さまは
この
「非思量」の語を
高く評価され
お釈迦さまから
36代目の
薬山禅師が
お釈迦さまの
「この不思量底を思量する」
という道理を
正しく伝えている
といわれます
思量の世界を越えた
非思量の坐禅が
仏行ということです
宇宙からの帰還 その2
おだやかな朝ですが
放射冷却現象で
札幌は
-2℃
朱鞠内は
-14℃です
アポロ15号で
月面に下り立った
ジム・アーィンは
全くの生命の無
荒涼索漠のなかに
人を打ちのめす
荘厳さと
美しさを感じた
そして
ここには
神がいると感じた
神は
月での
アーィンの
予期せぬ困難に
すべて
答えてくれた
ヒューストンに
問い合わせていると
時間がかかりすぎた
でも
「どうすればいいいのですか」
と
神に問うと
瞬時に答えが
返ってきた ・・・
同じようなことを
ラインホルト・メスナーも
体験しています
1980年8月の遠征
高度8000メートル
酸素は地上の3分の1
気温-30℃
風速60メートル
死の地帯で
メスナーは
クレバスに落ちて
脱出するのに
体力を使い切り
極度の疲労のなか
雪の中に横たわった
ふと 気が付くと
横に
少女が坐っていた
メスナーは
どうやって
下山すればよいか
少女にたずねた
すると
少女は
なんでも答えてくれた
そのおかげで
無事に
生還できた
といいます
私たちは
本当に見えるもの
本当に聞こえるもの
が
見えなくなっている
聞こえなくなっている
のかもしれません
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