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正法眼蔵 坐禅箴 ざぜんしん
本日も
よいお天気です
中国に
薬山禅師という方がおりました やくさん
ある僧が
たずねます
「兀兀地になにをか思量せん」 ごつごつち (坐禅のこと)
禅師答えていわく
「不思量底を思量す」 ふしりょうてい (思量しないこと)
僧いはく
「不思量底いかんが思量せん」
禅師いわく
「非思量」 ひしりょう
一般に
坐禅というと
「無」になること
と思いがちですが
人は
生きている間
脳が働いていますので
思量がなくなるわけではないのです
もちろん
坐禅中も
脳が働いています
道元さまは
この
「非思量」の語を
高く評価され
お釈迦さまから
36代目の
薬山禅師が
お釈迦さまの
「この不思量底を思量する」
という道理を
正しく伝えている
といわれます
思量の世界を越えた
非思量の坐禅が
仏行ということです
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非思量。
またまた難しい言葉ですね
無念無想である。あらゆる雑念が無くなって、心が澄み切っている状態と説明されている方がいらっしゃいました。
人間ですから煩悩が無くなるわけではないのでしょうが、
それに振り回されないために執着を減らすことはできて、
非思量の境地に入れるのですね
思いめぐらすことにとらわれなくなると、
坐禅の最中に物音などがあっても、心の動揺がなく脈拍の乱れもなく、心の平安が保たれるようになるのでしょうか。
坐禅と自己が融合一体となる。
素晴らしい世界なのでしょうね