正法眼蔵 大修行 だいしゅぎょう その3
朝焼けがきれいです
老人が
百丈禅師の
「因果にくらまさず」
の答えで
狐の身を脱したあと
禅師が
本堂の
後ろの山に行くと
そこには
一匹の
狐の死骸がありました
禅師は
その死骸を
亡僧の儀礼に従って ぼうそう=僧侶の死
火葬し供養しました
道元さまは
百丈禅師の
「因果にくらまさず」
という
一転語は いってんご=人を悟りに導くことば
山河大地が さんがだいち=大自然
その姿をもって
示してきた
一転語である
といわれます
この
公案の
落ちず
くらまさず
狐に堕す
狐から脱する
などの
ことばにとらわれていては
何もわからない
ということでしょう
真実を
見
聞かなくてはならない
ということでしょう
それが
大修行であるのです
正法眼蔵 大修行 だいしゅぎょう その2
中国
百丈懐海禅師が ひゃくじょうえかい
説法をする席に
一人の老人がいました
禅師が問う
「あなたは何人か」
老人が答えて
「私は人間ではない
むかし迦葉仏のときに (かしょうぶつ=お釈迦さまの前の過去七仏)
かつてこの山に住職していた
そのとき
ある僧がたずねた
大修行を悟ったものも
因果の道理に落ちますか
その僧に
因果に落ちず
と答えた
その結果
私は
500生の間
狐の身におちたのです
いま
禅師に問う
大修行をさとったもの
因果の道理に落ちるか
私のために
代わって答えてください」
禅師は
答えていわく
「因果にくらまさず」 (因果の道理から逃れられない)
その答えによって
その老人は
狐の身から脱した
道元さまはいわれます
この問答こそが
大修行 (因果の道理にとらわれないこと)
そのものなのだ
正法眼蔵 大修行 だいしゅぎょう
ただいま
広間にて
上映会が
できるよう
遮光カーテンを
取り付けています
大修行とは
さとりと
修行が
一つであることを
悟ることです
因果の法則に
とらわれないこと
をいいます
この巻は
百丈野狐 ひゃくじょうやこ (百丈禅師ときつね)
の公案をとりあげています こうあん
以前
永平寺の
宮崎禅師さまから
この話の
講義を受けたことがあります
そのときは
むずかしくて
まったく
理解できませんでした
小欲知足
ようやく
暖かくなってきました
昨日は
地球環境を考える
シンポジウムに
参加いたしました
人類が
自ら
つくりだした
環境問題
待ったなしのところまできています
いま
すべての国が
すべての企業が
すべての個人が
真剣に取り組んでいかなければならない
問題です
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