朝イチで紹介していましたが、
来年2月25日のコンサートチケットは
もう売り切れてしまったかもしれません。
ほんの少し聴いただけでも
強く心を揺さぶられました。
以下日本コロムビアのウエッブサイトより
佐村河内守 さむらごうち まもる 1963年9月21日-
被爆者を両親として広島に生まれる。4歳から母親よりピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなし「もう教えることはない」と母親から告げられ、以降、作曲家を志望。中高生時代は音楽求道に邁進し、楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを独学。17歳のとき、原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症。高校卒業後は、現代音楽の作曲法を嫌って音楽大学には進まず、独学で作曲を学ぶ。
1988年、ロック歌手として誘いを受けたが、弟の不慮の事故死を理由に辞退。聴力の低下を隠しながらの困難な生活が続く中、映画『秋桜』、ゲーム『バイオハザード』等の音楽を手掛ける。1999年、ゲームソフト『鬼武者』の音楽「交響組曲ライジング・サン」で脚光を浴びるが、この作品に着手する直前に完全に聴力を失い全聾となっていた。抑鬱神経症、不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り止まない頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続ける。
2000年、それまでに書き上げた12番までの交響曲を全て破棄し、全聾以降あえて一から新たに交響曲の作曲を開始。同年から障害児のための施設にてボランティアでピアノを教える。この施設の女児の一人は、交響曲第1番の作曲にあたり佐村河内に霊感を与え、この作品の被献呈者となった。2003年秋、『交響曲第1番《HIROSHIMA》』を完成。
作品について
全ての聴力を失う絶望と、絶え間ない耳鳴りという苦しみの中、佐村河内守が完成させた《交響曲第1番》。
アカデミズムに背を向け、独学で作曲を学んだ彼が作り上げたこの作品は、中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチ等、ロマン派シンフォニストの系譜を受け継ぐ長大なシンフォニーです。
被爆二世である佐村河内の出自が反映された自伝的作品でありながら、「闇が深ければ深いほど、祈りの灯火は美しく輝く」という作曲者の言葉に象徴されるように、あらゆる苦しみを越えて、希望を見出そうとする人間の普遍的な心情に深く通じる真実の音楽が、聴く者の心を、深く揺さぶらずにはおきません。
最終楽章、苦しみと闇の彼方に、希望の曙光が降り注ぐ--。「現代に生まれた奇跡のシンフォニー」待望の初録音です。