数年前、日本に帰省しているとき、
新幹線を途中下車して
岩手県花巻市にある宮沢賢治記念館に行くつもりだった。
当日の朝、起きるといきなり「ゴンッ」という咳が出て、
マジ?と熱を測ったら37度5分くらい。
レールパスの期限があったので、
なんとしても出発しなければならなかったものの、
無理はできないってことで花巻に寄るのは断念。
そして、数年経つけれど、
宮沢賢治記念館にはまだ行っていない。
この「注文の多い料理店」は、
最初の「序」の言葉がとても好きです。
こんなにわかりやすくてやさしい、
心震える言葉があるでしょうか、
と思えるくらい。
最後の日付と名前にリアリティがあります。
序
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、
宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、
みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、
ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風のなかに、
ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、
どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、
わたくしはその通り書いたまでです。
ですから、これらのなかには、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがつきません。
なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしにもまた、
わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、
これらのちいさなものがたりの幾きれかが、
おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。
大正十二年十二月二十日 宮沢賢治