源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

お局塚 小宰相供養碑(淡路島 南あわじ市伊加利)

2012-10-05 11:32:24 | 源平の史跡

10月1~2日に淡路島の源平の史跡を訪ねました。

最初は、南あわじ市伊加利にある小宰相(こざいしょう)の塚:お局塚の紹介です。

1184(寿永3)年、小宰相は、夫:通盛(みちもり)が一ノ谷の戦いで討ち死(享年32歳)にすると、鳴門海峡で船から身をなげ、夫の後を追いました。享年19歳

小宰相は刑部卿藤原憲方の娘で、絶世の美女と歌われた小野小町に例えられるほどの宮中一の美人であった。平通盛の妻。通盛は、清盛の弟:平教盛(のりもり)の息子。

平家物語巻九{小宰相身投」
通盛の家来が北の方(小宰相)の船に参って、「ご主君(通盛)は湊川の川下でお討たれになられました」と伝えると北の方は、なんともご返事もなさらず、衣をひきかぶって泣き伏された。・・・・

八島につく前の宵に、北の方は船端へ出向き、漫々とひろがる海上の月の沈む山の端を西方浄土と思われたか念仏を百遍ほどお唱えになり「南無西方極楽世界の教主、阿弥陀如来、ご本願のとおり浄土へ導きくださって、むつまじい仲のまま不本意に別れた夫婦を、かならず極楽浄土の一つ蓮の上へお迎えください」と、泣く泣くはるかかなたに向かってかきくどき、「南無」と唱える声とともに、海に身を投げお沈みになった。・・・・・人々は救出に務めたが、その甲斐もなく、北の方は息絶えた。夫:通盛の鎧を身にまとわせ海に沈めました。

※刑部省(ぎょうぶしょう) 罪人を裁く部所で郷はそこの長官。

お局塚全景

 

小宰相供養碑

 

身を投げた鳴門海峡

 



洲本から28号線で養宜上(ようぎかみ)を右に(うずしおライン)→志知→伊加利交差点(お局塚入口の標識)を右に曲がり北上して約1500mで次の参道入口の標識があります。


参道入口の小さな標識を見落とさないようにしてください。

 

お局塚の場所は山の頂上にあります。(中腹からの景色)
健脚者で約20分以上はかかります。道は舗装されてますので、
注意して登れば、車でも可能です。塚の前に駐車できます。


お局塚の地図は→こちらから 
南あわじ市伊加利

 

 

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