源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

小宰相身投その1

2006-02-24 00:52:23 | 一の谷の合戦
                兵庫県神戸市 願成寺にあります。

【 平家物語 小宰相(こざいしょう)身投その1 】

通盛死亡の知らせを聞いた北の方(通盛の妻:小宰相)は悲しみで起き上がりもしなかった。14日、屋島に着こうという日の前の宵まで臥しておられたが夜更けに乳母の女房に言われた。
「誰もが湊川の川下で討たれたという。戦いに出て行こうという前夜、仮屋でちょっとお会いしたのが最後だ。妊娠したことを話したら、喜ばれて男子であってほしいと言われた。今となっては、幼い子を亡き人の形見として見たいけど、幼子を見ると悲しみは増しても、慰められることはない、死はのがれられない道です。」

乳母の女房がうとうとと寝られたすきに、船端へ出て、声を忍ばせて念仏を百篇ほどお唱えになり
「むつまじい仲のまま別れた夫婦を、かならず極楽浄土の一つ蓮の上へお迎えください。・・・南無」と唱える声とともに、海に身を投げた。

乳母の女房が目を覚まし、探したが何処にもいない、身を投げられたと思い海上を探したら、しばらくして引き上げられた。しかし、一言の返事もなされず、かすかに通っていた息も途絶えてしまった。そのままにしておけないので、通盛の鎧で包んで海に沈めた。乳母の女房が一緒に海に入ろうとしたのでひき止めた。女房は髪を切って北の方の後世を弔った。

昔から、夫に先立たれた妻は、出家するのが常であり、身を投げるのはまれである。忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえずと言うのは、このようなことを申すのだろう。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小宰相 (しずか)
2006-02-24 09:19:28
悲しい結末の話ですね。

小宰相については時子のような意思の強さを感じます。出家して一生悲しみを背負って生きるよりも死を選んだのですね。
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小宰相 (merry)
2006-02-24 21:44:55
小宰相の言葉に、「亡き人の忘れ形見として、幼い者を育てたいとは思うけれども、それを見るたびに、昔の人のみ恋しくて、物思いの数はまさるとも、慰むことは、よもやあるまい」とあります。

お腹の子どもを道連れに身を投げるとは、辛い選択ですね。
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Unknown (ラメール)
2006-02-25 00:03:25
しずかさん&merryさん

訪問とコメントありがとう。



小宰相の話は、悲しい話ですね。

通盛が相当好きだったのですね。子供よりも夫:通盛をとった。



小宰相身投げは、平家物語でも相当多くの紙面をとっています。
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