源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

明石市 平忠度塚

2006-02-14 01:48:05 | 一の谷の合戦
明石市にある忠度塚       忠度腕塚               忠度塚

【 忠度最後その2 】
一の谷で敗れた薩摩守忠度が、敗走して両馬川(明石市)に来たとき、源氏の岡部六弥太につかまり討たれた。その亡骸を埋めたところと言われています。


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3 コメント

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Unknown (やっちゃん)
2006-02-14 08:46:35
どちらが勝っても負けても死者はつきもの。 哀れ腕、胴、別々でもその地の人はちゃんと弔い、こうして今の世に残されている。



名前の知れた人だから塚が残されているのだと思いますが、そうではない人は成仏出来ずに居るのではないでしょうか?
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忠度最期 (merry)
2006-02-14 11:25:58
忠度だけでも、こんなにたくさんの史跡があるのですね。驚きです。

大河ドラマには登場しなかったのが残念ですね。

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Unknown (ラメール)
2006-02-14 11:56:59
やっちゃん&merryさん

神戸は、穏やかな天気です、春が近づいてきた感じを受けます。

訪問とコメントありがとう。



忠度は、神戸と明石の2ヶ所に、同じような腕塚があります。一の谷の戦いの状況から見たら、明石の方が本物かと思われます。

一の谷で敗れた平家は、西に逃げたそこは明石市になり両馬川がありそこで討たれた。今は、両馬川はありませんが。

やっちゃんの言われるように無名の人は、まとめて埋葬されてしまったのでしょうね。戦いで恩賞を受けるには大将クラスを射止めないと認めてもらえなかったのでしょう。

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