大輪田の泊りに近い清盛史跡NO2です。
18薬仙寺、17清盛橋、14清盛塚を紹介します。。
18薬仙寺
寺の名は、後醍醐天皇が隠岐国から帰京の際、兵庫津福厳寺(現・門口町)に宿泊した際、この寺の霊水を服薬用に差し上げたことから名づけられたといわれる。境内に「後醍醐天皇御薬水薬師出現古跡湧水」の碑がある。
福原遷都の際、清盛の別邸である萱の御所に、後白河法皇を幽閉したので、牢の御所とも言われています。
霊水の源泉
17清盛橋
薬仙寺と清盛塚を結ぶ位置にある橋です。
橋の欄干に下右の源平合戦に関する絵が貼られています。
14清盛塚・清盛供養塔・琵琶塚
清盛の遺骨を埋葬した清盛の墓と信じられていた十三重の塔でしたが1286年に建てられた供養塔である事が判明した。琵琶塚は、もとは前方後円墳でしたが、平家物語の琵琶の名手「平経正(敦盛の兄)」と結びつけ琵琶塚と呼ばれるようになりました。
琵琶塚の文字は明治35年に彫られ、清盛像は昭和43年に建てられました。
十三の塔 琵琶塚
対立したり、なかなか一筋縄ではいかない
人のようでしたね。
福原遷都の際は、清盛の強引さに反発して、
伊豆で決起した頼朝に肩入れしていたようです。
そこで、福原に連れてきたが、清盛の別邸である萱の御所に幽閉したので、そこを牢の御所と言ったようです。
歴代の天皇のなかでも、そんなに度々幽閉されたのは後白河くらいでしょうね。