江戸後期の頃の清盛塚
清盛塚は、1680年(延宝八年)の「福原びんかがみ」に北条時貞が建立したと記されています。
大正12年、市電の道路拡張工事で北東へ11m(現在地)へ移転されました。それまでは、清盛の墓とされていましたが、移転時に塔を解体して地下を調べた結果墓でないことが確認されました。
(清盛塚説明版より)
清盛塚は、1680年(延宝八年)の「福原びんかがみ」に北条時貞が建立したと記されています。
大正12年、市電の道路拡張工事で北東へ11m(現在地)へ移転されました。それまでは、清盛の墓とされていましたが、移転時に塔を解体して地下を調べた結果墓でないことが確認されました。
(清盛塚説明版より)
訪問とコメントありがとうございました。
港・神戸の基を造ったのが清盛です。
お墓となると区画整理だからと言って簡単に移動させられないのでしょうね。