【 平家物語 敦盛最後 】
一の谷の合戦で破れた平家は、海に浮かぶ船に逃れようとした。その中にいた敦盛は熊谷次郎直実に捕らえられ首を討たれる(生年17歳)。熊谷は、討った敦盛の首を包もうとしたが、錦の袋に入れた笛を見つける。
熊谷 「いたわしい。城の中で管弦をなさっておられたのはこの人だ。今、味方の東国の軍勢が何万騎かおるが、戦陣に笛を持ってきた人はおるまい。身分の高い公達は、やはり優雅なことよ」と言い、この笛の一件が熊谷が仏門に入る原因となった。
敦盛塚石造五輪塔は、室町時代後期~桃山時代にかけて製作されたと思われている。
高さ:4M。別の説では、●北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に建立したとも言われています。●敦盛供養のために建てられ、須磨寺に首が埋葬され、胴が埋葬されたのがこの敦盛塚だとも言われています。
一の谷の合戦で破れた平家は、海に浮かぶ船に逃れようとした。その中にいた敦盛は熊谷次郎直実に捕らえられ首を討たれる(生年17歳)。熊谷は、討った敦盛の首を包もうとしたが、錦の袋に入れた笛を見つける。
熊谷 「いたわしい。城の中で管弦をなさっておられたのはこの人だ。今、味方の東国の軍勢が何万騎かおるが、戦陣に笛を持ってきた人はおるまい。身分の高い公達は、やはり優雅なことよ」と言い、この笛の一件が熊谷が仏門に入る原因となった。
敦盛塚石造五輪塔は、室町時代後期~桃山時代にかけて製作されたと思われている。
高さ:4M。別の説では、●北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278~1288)に建立したとも言われています。●敦盛供養のために建てられ、須磨寺に首が埋葬され、胴が埋葬されたのがこの敦盛塚だとも言われています。