【 平家物語 三草合戦 】
義経が平家打倒を目指して動き出したのが1184年(寿永3年)2月。
平家は平資盛(すけもり)を総大将として三草山(兵庫県加東郡)に約3000の兵で陣取る。
義経軍は、総勢1万で民家に火を放ち、平家の陣に夜襲をかけた。平家軍は不意をつかれ敗走する。
総大将:資盛は播磨国:高砂から屋島に逃れ、師盛(もろもり)は一の谷の平家の陣に逃れた。
(兵の数は平家物語に記載の数字です。)
義経が平家に戦いを挑んだ最初の戦です。ここから、一の谷→屋島→壇ノ浦合戦へと続いていきます。
屋島の合戦と壇ノ浦の戦いはカテゴリー内からお入りください。
義経が平家打倒を目指して動き出したのが1184年(寿永3年)2月。
平家は平資盛(すけもり)を総大将として三草山(兵庫県加東郡)に約3000の兵で陣取る。
義経軍は、総勢1万で民家に火を放ち、平家の陣に夜襲をかけた。平家軍は不意をつかれ敗走する。
総大将:資盛は播磨国:高砂から屋島に逃れ、師盛(もろもり)は一の谷の平家の陣に逃れた。
(兵の数は平家物語に記載の数字です。)
義経が平家に戦いを挑んだ最初の戦です。ここから、一の谷→屋島→壇ノ浦合戦へと続いていきます。
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