隊員NO.7ゆっこで~す(^_^)v
実は加賀市教育委員会文化課課長の田嶋正和先生には、昨年も先輩たちが
加賀市の古墳時代のことについて教えていただいています。
そこで、今日は昨年の実高ふれ愛隊員だったちーろ先輩がレポートされた記事を
再録させていただきます。みなさん、どうぞお読み下さい!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
隊員NO.6ちーろです\(^o^)/
6月7日(木)19時30分から、加賀市観光ボランティア大学第5回講座
「加賀の古代をウオッチング-古墳は語る加賀のいにしえ-」に参加しました。
講師の先生は加賀市文化課長田嶋正和さんでした。
わたしにはちょっと難しい昔の話でしたが、おもわず「いいねぇ」と思うお話しが
たくさんありました。
わたしたち「実高ふれ愛隊」の研究テーマは「高校生が発信する加賀市の魅力」
ですが、本来「加賀」という地名は、手取川より北側(金沢の方)をさすもので、
わたしたちが住むこの加賀市を「加賀」とよぶのはおかしいそうです。
歴史学的には今の加賀市は手取川より南の中心地だったので、
「江沼=江渟(えぬ)」とよぶのがふさわしいと教えてもらいました。
そして「江沼=江渟(えぬ)」というと、なにかじめじめして当時の人びとが
住みにくかった所というイメージをもちますが、
実は「江沼=江渟(えぬ)」の語源は「与野(よね)=米」で、「米のたくさんとれる所」
すなわち”豊かな所”の意味であったとも考えられるそうです。
5世紀初めに越前国から継体天皇が生まれました。なぜ北陸から天皇が
招かれたかというと、朝鮮半島とつながる先進的な文化が当時の北陸に栄えていた
ことが大きな理由です。
継体天皇のおばあちゃんは江渟(えぬ)の人です。
加賀市二子塚町にある「狐山古墳」や加賀市富塚町の「富塚丸山古墳」は
今の加賀市に「江沼=江渟(えぬ)」の強大な権力者がいたことを物語っています。
田嶋先生からは、その他にもたくさんのことを教えていただきました。
加賀市のお隣「小松」の由来は「高麗(こま)の津(つ)」であること、
白山に祭られている神様「ククリヒメ(菊理媛)」の由来は「コクリ=高句麗」で朝鮮半島
と関係あること、加賀市にある「黒崎」や「黒瀬」という地名は、「黒鉄(くろがね)」と
通じていて、「江沼=江渟(えぬ)」は鉄文化が栄える先進地域であったこと、などです。
(今でも黒崎海岸に冬に行くと海岸は砂鉄が混ざっていて真っ黒に見えるそうです。)
この講座で、わたしたちが住む加賀市(江沼=江渟(えぬ))のいにしえの歴史を
知ることができました。田嶋先生、ありがとうございました!!