隊員NO.1いぶで~す(^_^)v
先日、わたしたち「実高ふれ愛隊」の顧問の先生が東京に出張されて
東京都台東区谷中にある大聖寺出身の儒学者・大田錦城(1765~1825年)の
お墓の写真を撮ってきて下さいましたので、ご紹介します。
大聖寺といえば、「錦城山」「錦城中学校」「錦城小学校」そしてかつては「錦城寿司」とか
「錦城タクシー」など、「錦城」と切っても切り離せない縁があるところですが、
この「錦城」という名前はすべて江戸時代後期に活躍した大聖寺出身の儒学者・大田錦城の
「錦城」という名前にちなんでいるそうなのです。
何でも今の「錦城山」も本来「古城山」とよばれていたそうです。それが大田錦城のような
子どもを育てたいという願いから、「大聖寺小学校」の名を「錦城小学校」と改称し、
その学校の裏にある山だったことから、「錦城山」と呼ばれるようになったのだそうです。
おもしろいですね。
大田錦城は『九経談』という本を世に出し、その名を世間に広めました。そして
わが国の考証学の第一人者として、今でもその名を知られる人物なのです。
彼は1765(明和2)年に大聖寺新町で大聖寺藩医樫田玄覚の七男として生まれました。
幼いときから「神童」と称され、郷里での勉強に飽きたらず、儒学を志し20才の時に
江戸に出たそうです。三河吉田藩の漢学教授役として11年仕えたほか、晩年には
加賀藩に300石で迎えられ、儒学を講じたといわれています。
先生は大田錦城のお墓がある谷中一乗寺の方に「大田錦城の墓がこのお寺にある
由来は分かりますか?」と尋ねられたそうですが、はっきりとしたことは分からないとの
ことだったそうです。
東京の谷中・根津・千駄木というエリアは現代的な古本屋が建ち並ぶ静かな人気スポット
です。谷中からJR日暮里駅へと続く道沿いには、歴史を感じさせる風景が広がっていて、
「とっても素晴らしかったよ」と先生はおっしゃっていました。
加賀市の皆さん、東京スカイツリーもいいですが、一度谷中を訪ねて「大田錦城」のお墓も
訪問して下さいね!近くには大聖寺藩ゆかりの史跡もいっぱいあるそうですよ!