隊員NO.4まこで~す(^_^)v
わたしは6月15日(土)に行われた加賀市観光ボランティア大学第6回講座
「北国街道の宿場町・動橋とチハカ山 -ササユリと動橋ブラ散歩-」で、
北国街道の宿場町の面影を残す動橋町を散策しました。
藩政時代、大聖寺藩の北国街道沿いには月津・動橋・大聖寺・橘という4つの
宿場町がありました。その中でも山代街道との分岐点であったここ動橋は
とても栄え、本陣(橋本家)・中屋・粟屋・十兵衛宿など数多くの旅籠が並んでいた
そうで、いまもその面影がいたるところに残っていました。
また動橋は明治期まで水運の拠点として栄え、小松市の安宅から柴山潟を通って、
北海道の鰊粕が輸送され、肥料商として活躍した家も多かったそうです。
「動橋(いぶりはし)」っていう地名は読み方が難しくて、
北陸本線・富山県のJR「石動(いするぎ)駅」とならんで、地元加賀市の人以外は
ほとんど読むことができないそうです。
「動橋」という名前の由来は、金沢市出身の江戸時代の測量技術者・土屋又三郎が
記した『加越能大路水経』(1714年)という地誌に
「此橋昔は一本木にて架たり。人渡れば動く故いぶり橋と云」とあり、古くは丸太橋で
渡ると揺れ動いたため、いぶり橋になったといわれています。
またインターネットを調べたら(「Yahoo知恵袋」より)、「動(イブリ)」とは
「火の神(正式には火山女神)」の意味に通じ、「橋(ハシ)」は川を渡る橋ではなく
「カジ=鍛冶」の音変化であり、「動橋」の語源は遥か古代、弥生期からあって、
「火と鍛冶の信仰」地域だとする説も紹介されていました。
町の中心には動橋宿の本陣をつとめていた「橋本酒造」があって、
町の観光の拠点になっています。
みなさん、お時間がありましたら、是非動橋の町を散策してみてくださいね!!