隊員NO.3ゆかぴで~す(^^)
6月25日(火)の課題研究の時間、片山津温泉「中谷宇吉郎雪の科学館」を
訪問し、館内を角谷主任にご案内いただきました。
『雪は天から送られた手紙である』というとてもロマンティックな
言葉で知られる中谷宇吉郎は、1900(明治33)年7月4日、片山津温泉に
生まれました。生家はかつて、今の検番「花館」の前にあって、
呉服屋雑貨の店を営んでいました。
『中谷宇吉郎随筆集』(岩波書店)に掲載されている『私の生まれた家』には
次のような記述があります。
『・・・小学時代の片山津は、片側が薬師山、今一方の片側は、柴山潟という湖に
はさまれた、一本道の村落であった。私の家は、呉服雑貨店をやっていて、・・・』
宇吉郎は幼少時代、大聖寺の親戚の家に下宿し、京逵幼稚園と錦城小学校に
通いました。そして毎週土曜日になると歩いて家に帰り、月曜日には動橋から
汽車で大聖寺に出かけたといいます。錦城小学校には、宇吉郎が5年生の時に
描いた竹の絵が残っているそうですよ。
同じく『西遊記の夢』には「・・・その頃の加賀の旧い家には、まだ一向一揆時代の
仏教の匂いが幾分残っていた。・・・老母は、仏壇の前にきちんと坐って、
朝晩お経をあげていた。・・・」とあります。
そして宇吉郎は『簪(かんざし)を挿した蛇』の中で次のように述べています。
「本統の科学というものは、自然に対する純真驚異の念から出発すべきものである。
不思議を解決するのが科学ではなく、平凡な世界の中に不思議を感ずることも
科学の重要な要素であろう。」
ふるさと加賀での幼少期、もうすでに「科学する心」を育んでいた中谷宇吉郎に、
研究者としての基礎を教えたのが、東京大学理化学研究所の恩師・寺田寅彦でした。
火花放電の研究で線香花火のさまざまな美しい形をみながら、寺田寅彦は
中谷宇吉郎に問いかけました。
『ねぇ君、不思議だと思いませんか?』
宇吉郎の「形の物理学」はこのときに始まったといえます。
「それは何?」という不思議が「それはなぜ?」へと変わったとき、
彼の「科学する心」が伸びやかに解き放たれたのです。