隊員NO.4にいなで~す(^_-)/
11月20日(火)の課題研究の時間に、「加賀の一向一揆と蓮如」について勉強しました。
講師は家山勉先生でした。
1467(応仁元)年、ついに応仁の乱(おうにんのらん)がはじまります。そしてこの大乱は1477(文明9)年
までの約10年間にわたってつづきました。原因は8代将軍足利義政のあと継ぎ争いです。それに複数の
要因がかさなって、有力守護大名同士があらそい、九州など一部の地方を除いた全国が東軍と西軍に分かれて、
血を流し合いました。この乱の影響で幕府や守護大名の衰退がすすみます。かれらは権力の座から転げ落ち、
時代は「戦国」へと突入していくことになります。
いまの石川県加賀地方は、日本の歴史の中では、比較的新しく開けた所だそうです。時代はというと、
鎌倉時代の初めから中頃だそうです。平安時代の末期ごろから鉄製の農具が安くなり、まず関東平野が
開拓されます。その後開発がすすめられた一つが、加賀平野です。いろんな所から、人々がやってきて、鉄の鍬を
使って、溝を掘ったり、水はけを良くして、新しい田んぼを開いていったのでしょう。お米の生産量も増え、
新しい諸産業もめばえます。室町時代の人口は約1500万人と、鎌倉時代の500万人に比べ、3倍になった
といいます。ですから、まさしく加賀は自分たちの力で築き上げた室町時代を象徴する新しい国だったわけです。
ところが、その自分たちが築き上げた新しい国に、室町幕府から任命されてやってきた守護大名が
「税金を払え!」とドヤ顔をします。とくに、加賀には室町幕府の直轄領(御料所)も多く、京都の動勢に振り回される
ことが多かったという事情もあったようです。ですから、加賀の百姓たちは国人・地侍を中心に
自分たちの村・「惣村」を「自衛」していこうと決意したのです。
応仁の乱の頃になると、加賀の百姓たちは政治的にも経済的にも立派に自立する力を備えていました。
講師の家山先生は、ここでわたしたちに質問をされました。
「加賀の百姓たちが、自分たちを守るために、あと一つ手に入れる必要があったのは何でしょうか?」
なかなか難しい質問で、わたしたちは答えることができませんでした。
困った顔をしていた私たちに、家山先生はやさしく教えてくださいました。
「それは、精神的な自立です。自分のことを考えてごらん。文句を言える。アルバイトでお金もある。
でも、自分自身に自信がなかったら、何にもできないよね。同じように、当時の加賀の人々に、もう一つ
必要だったのが、精神的な自立、すなわち自信だったんですよ。」
そして家山先生は、
「その加賀の百姓たちに、自信を与えたのが、蓮如というお坊さんです。」とおっしゃいました。
わたしたちには、「自信を持って生きてください」という先生の言葉がとっても印象に残りました。
この後わたしたちは三木地区会館から吉崎御坊に移動して、蓮如についてお話を伺いました。