隊員NO.4にいなで~す(^_-)
加賀市観光ボランティア大学第14回講座「九谷焼のルーツと東谷地区を訪ねて」に参加させていただき、
上新保町にある「石川県県民の森」を訪問しました。
「石川県県民の森」は1979年に開設されました。キャンプやバンガロー・ログハウス・ケビンなどを利用した
宿泊体験や、渓流遊びができます。あたり一面には、針葉樹の森独特の、神々しいまでの冷気が漂い、
高くそびえる樹齢100年以上のスギ林や、イワナやヤマメが棲息する「清流」杉ノ水川があります。
また健脚にはうってつけの、大日山、白山、日本海が遠望できる標高560mのパノラマコースもあり、
「新保の森」では屏風岩も見学できます。
残念ながら、雪が早くに降ることから11月に入って閉鎖され、3月末までは冬休みになっています。
『山中町史』によると、ここ「石川県県民の森」は、かつて上新保村という所でした。
上新保村は、1889(明治22)年に東谷奥村の大字となり、昭和30年山中町の町名となりました。
明治22年には13戸94人が住んでいましたが、1877(明治10)年頃から過疎化が進み、
1896(明治29)年に大洪水の被害を受けたことから、政府のすすめもあり、
全住民が北海道へ移住して廃村となりました。
上新保村にあった白山神社は、無住地となったことから、杉ノ水町の吉備社に合祀されたそうです。
「新保の森」にある屏風岩には、昔この土地で暮らした人々が北海道へ移住することになった時に、
祖先の苦労をしのび、彫った蹟が残されています。また、この上新保村には一つのエピソードが残されています。
この集落の住人は元々は福井県の平泉寺に住んでいたのですが、一向一揆の時に、難を逃れるため、
現在の石川県小松市新保町の奥に移り住みました。しかし元住民とのいさかいによりそこも追われ、
上新保村に住むことになったというのです。
山がちな地形の日本では、かつて狭い土地を有効に使うため、山奥に人びとの生活拠点が置かれました。
わたしたちは、わが国の歴史をみていくとき、高度経済成長とともに、忘れ去られがちであった山村の人々の暮らしを
見つめ直す必要があります。