隊員NO.2りかで~す(^_^)v/
11月8日(木)19時30分から加賀市民会館を会場に、加賀市観光ボランティア大学
第15回講座 「大聖寺藩いいとこつかみどり-たった1時間であなたは歴史通に-」
が開かれました。
講師は江沼地方史研究会の伊林永幸先生でした。
伊林先生は現在、大聖寺町民館長として、大聖寺町史を編さんされていて、大聖寺の
詳しいお話しをしていただきました。先生、本当にありがとうございました。
伊林先生は、今回わたしたちのために、「幕末の大名石高表」の資料を準備してください
ました。廃藩置県直前の1871(明治4)年に、わが国にあった藩は全部で270藩前後。
その中で、われらが大聖寺藩十万石は、何と表高(幕府が認定していた石高)で
53番目、実高(実際にとれた石高)で70番目で、270前後あった藩の中でも、上位ランク
だったのです。わたしたちは、お隣の金沢藩が103万石もあるので、大聖寺藩って
小さい藩だってイメージがありますが、大聖寺藩は、実は日本を代表するほど
大きな藩だったのですよ。
同規模の藩でいうと、小田原(現人口19.5万人)、弘前(同18.1万人)、
富山(同42.1万人)、大垣(同16.1万人)、高崎(同37.2万人)です。全国にあった藩の
ほとんどが、3万石以下の小藩だったといいますから、大聖寺ってすごかったんですね。
関ヶ原の戦いがあった1600(慶長5)年から1871(明治4)年までの間には、527の
藩が存在したそうです。すなわちそれは、527の城下町があったということです。
そのうち、廃藩となったのが、247藩。ですから、江戸時代にあった藩のうち、最後まで
生き残ることができた藩は、半分しかなかったことになります。
大聖寺藩って、いろんな苦難を抱えながらも、どっこい最後まで生き残った藩
なんですね。最大の外様大名加賀前田家の支藩として、大聖寺藩はどんな歴史を
歩んだのでしょうか。伊林先生から教えていただいたことをもとに、隊員NO.2りかが
レポートしますので、よろしくお願いしま~す!