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その道キケン/リクルート元社員側が逆転敗訴=「先天的要因」と過労死認めず―東京高裁

2010-10-14 02:03:45 | ニュース
2歩進んで3歩下がる。










リクルート元社員側が逆転敗訴=「先天的要因」と過労死認めず―東京高裁(抜粋)
時事通信 10月13日

リクルート元社員(当時29)=がくも膜下出血で死亡したのは

「過重な労働が原因だ」として

遺族が国に労災認定を求めた訴訟の控訴審判決が

13日、東京高裁であった。


<井上繁規裁判長>
「先天的な血管の脆弱(ぜいじゃく)性が要因」
→労災と判断した一審東京地裁判決を取り消し、請求を棄却


一審判決は「リクルートでは労働時間の過少申告が行われていた」と認定したが


<井上裁判長>
「過少申告するかは個人の考え方などによる」
「(石井さんの過少申告を認めず)業務実態が過重だったとは言えない」

 







労災と判断した一審判決とは?










13年目にして認められた過労死― 仕事の犠牲になった息子のために母は闘い続けた(抜粋)
WEBマガジン[KAZE]風

「リクルートで働いていた息子の死は過労が原因だ」

と10数年にわたって訴え続けてきた母親の主張が

ようやく裁判で認められた。

今年3月25日東京地裁は

「過重な業務が死亡原因」として

それまで労災と認定しなかった国の処分を取り消した。

デジタル編集の激務のなかで倒れた彼の“過労死問題”は

本誌で2004年6月から06年6月まで2年がかりで詳しく連載した。

今もなお違法な労働環境が蔓延する日本の企業社会のなかで

今回の判決のもつ意味は大きい。










「判決の意味は大きい」

とのことだったが…。

(大変、長いので、ここからは大きく抜粋します。全体を確認したい方は下記へ)

http://kaze.shinshomap.info/special/18/02.html










<3月25日判決 白石哲裁判長>
「主文。中央労働基準監督署長が原告らに対して平成12年3月31日付けでした労働者災害補償保険法による遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す」
「くも膜下出血で亡くなったのは、リクルート社による過重業務により、基礎疾患が急激に悪化したためであることは明らかです。ゆえに、業務と疾病には因果関係が存在すると判断しました」


<弁護団長を務める玉木一成弁護士>
「ふつう、判決の理由は説明してくれません。たくさんの傍聴者があったおかげだと思います。国を相手にした行政訴訟は、100かゼロ。勝つか負けるかしかありません。そのなかで、今日の勝訴判決は画期的です。過労死については裁判所の考えも進んでいますし、新しいデータも蓄積されています。よい判決が出て本当によかったです」


<母>
「みなさんに支えられ、ここまでやってくることができました。あの子が亡くなってから、会社の方たちからは『自分の興味のおもむくままに勝手に仕事をして、残業も好んでやっていた』と言われ続けてきました。でも、裁判所は『過重な業務が死亡原因』と認めてくれました。一番、嬉しいのは偉の名誉回復ができたことです。それができないままでは、あの世にいって息子と会えないと思い続けてきました。老いの一徹かと…」


原告と弁護士らは残したメモ書き、企画書、メールの送受信記録などの発掘を続け

何度も見返し

少しでも仕事のつながりのあった人間に連絡を取っていった。

「今もリクルートと仕事のつながりがあるので、裁判とはかかわりを持ちたくない」と拒む元社員も少なくない中で

かつてリクルートで働いていた者たち何人かの協力を得ることができた。

中には面識すらない者もいた。
 

<母はかつてこう話したことがある>
「東京の地で、どんな風に生きていたのか。どのような仕事をしていたのか。なぜ、死ななくてはならなかったのか。それが知りたい。でも、リクルートは表面的なことしか教えてくれない。だから裁判を起こすしか方法がない。お金が欲しいわけではない。あの子の命と引き換えのお金などいらない。ただ、真実が知りたい」
 

<過労死までの経緯1>
①リクルートの社員だった彼が29歳で亡くなったのは、13年前の暑い夏
②北海道で生まれ、北大を卒業した後にリクルートに入社
③入社時の社員総会では新入社員の一人として代表挨拶を務めるなど優秀で、かつユニークな人物だったという
④身体に異変が起きたのは、入社から4年目のこと
⑤96年4月、『週刊B-ing』編集部から、『Digital B-ing』(現在のリクナビ NEXTの前身)に配転となる
⑥『Digital B-ing』は、求人広告に加えて雇用に関連するニュースや特集記事を掲載した ウェブサイト
⑦ここで課せられた使命は、アクセス数を伸ばすために、コンテンツの充実などを盛り込み全面リニューアルすることだった


<当時の状況>
①今から13年前、インターネットは普及し始めたばかり
②関連する情報は少なく、ホームページ制作ソフトも未熟なものであり
③担当者は膨大な時間をかけ苦労しながら作業をこなすという時代


<過労死までの経緯2>
①こうしたなかで紙媒体からウェブ媒体に移り
②慣れないコンピュータ用語や操作方法を独学で学ぶとともに
③新しい連載や特集記事をスタートさせるという環境に投げ込まれた
④配転から2ヵ月後にはサイトの全面リニューアルを行い
⑤以降、毎週水曜日の画面更新に向け仕事をこなしていった
⑥仕事は質、量ともに過重だった
⑦コンテンツ制作に加え、画面の編集作業、HTMLを打ち込むコーディング、画面のアップ作業から販促グッズの作成まで、たった一人で担わされていた
⑧(原告の主張によれば)6月11日から7月10日の間の時間外労働は92時間


<過労死までの経緯3>
①8月に入ると、仕事の外部スタッフや友人に頭痛や吐気を訴えるようになった
②これは、くも膜下出血の前駆症状と考えられるが
③当時、その認識はなかったと思われる。
④そして8月の末、自宅として使っていた会社の寮でくも膜下出血の発作を起こし
⑤朦朧とする意識の中で自ら救急車を呼び、都内の総合病院に運ばれた
⑥旭川に住む母が病院から一報を受け、辿り着いた時には既に意識はなく
⑦翌日の早朝に脳動脈瘤の再破裂を起こして脳死となり、4日後に永眠


家族や友だちはもちろんのこと

上司も同僚も涙を流した。

告別式の模様はビデオに録画されているのだが

そこでの上司や同僚による弔辞からは人間味あふれる惜別の情とともに

「彼がいかに愛される青年であり、優秀な人物であったか」

ということが伝わってくる。


「なぜ、息子は死ななくてはならなかったのか」

旭川に暮らしている母は

「東京で息子が何をしていたか」

が全くわからない。

29歳という若さでくも膜下出血を起こしたとなれば

まず「過労」を疑った。

それを会社に確かめようとすると

リクルートは手の平を返したように冷たくなった。


<当時の人事担当者の回答>
「仕事が好きで、凝り性なので、自分の意志で長い時間働いていた。残業が多いのは、ある意味で能力のないということでもある(といった意味合いのこと)」


言外に

〈リクルートは労災とは考えていない。ゆえに、申請をすることは不当である。協力はできない〉

といった含みがあった。


「好き勝手に仕事をしていて、死んだ」

と言われたままでは犬死のようなもの。

息子の名誉をはらしたい〉と考えた。

とはいうもの証拠がない。

手帳や取材ノートなどがあるはずだが、自宅にはなかった。

リクルートに問い合わせたところ、返ってきた言葉は

「少し前に社内で引っ越しがあり(所属部署が異なる階へ移動した際、引っ越し業者に作業を依頼した)、段ボールが一箱無くなってしまった(ので、そこに入っていたかもしれない)」

最後まで使用していたコンピュータに入っていたはずの記録についても

会社側はその存在を明らかにはしなかった。


判決とその意味について考えてみたい。

まず注目したいことは

被告である国の

「リクルートは『社員皆経営者主義』を社訓とし、自由な社風であった」

という主張と

それに対する裁判所の見解である。

この主張をもう少しわかりやすく言い換えるとすれば

〈経営者と労働者という対立は、もはやない。一人ひとりが経営者的意識を持ちつつ、自由に働き、その範囲で自己責任を問う。ゆえに残業を強制させるといったことはありえず、労災ということにはならない〉

ということになるだろうか。

しかし、裁判所はこの主張を受け入れず

業務実態を踏まえた上で

「リクルートにおける労働には社員を過労死させる危険が内在しており、それが現実化したために亡くなった」

と判断した。

「自由な働き方」
「自己責任」

などの言葉が盛んにもてはやされる風潮のなか

本質を見ることの大切さを考えさせられる。

もうひとつは

「リクルート社がタイムカード上の労働時間を過少申告させる実態があった」

と認定した上で

「タイムカードの記載以外にも、休日出勤や平日の持ち帰り仕事を自宅でこなしていたと推認でき、業務は過重だった」

と認めたことだ。


<判決>
①亡くなる直前1ヵ月の労働時間を39時間
②6ヵ月平均でも月56時間と認定
③これは、行政が基準とする平均月80時間をかなり下回る
④しかし、労働時間を過少申告させ、いわゆるサービス残業や持ち帰り仕事をさせていた社内実態があると認め
⑤『週刊B-ing』編集部、『Digital B-ing』編集部を通じて、業務が過重だったとして死を過労死であると判断


「タイムカードで記録されていない労働時間」

についても

「本人がこなしていた仕事の成果を分析した上での判断」は

労働行政に一石を投じたといえる。

さらに、くも膜下出血と長期休暇の関連についても

興味深い判断を示した。


<発症直前10日間にわたる夏休み>
①被告は「十分な休養ができたはず」と業務が原因ではないと主張
②しかし、判決はこれを否定
→発症の4週間ほど前から頭痛などを友人に訴えていたことに着目

「(頭痛などは)くも膜下出血の前駆症状というのが自然である。過重労働によって前駆症状を発症するに至っており、10日間にわたる夏期休暇等によっても回復することがなかったとしても不自然とは言えない」


<腎機能に軽い持病>
被告は「亡くなったのは持病が原因」と主張

「血圧も、脂質も、治療を要する程度には至っていない。脳・心臓疾患により(病院を)受診したり、受診の指示を受けたりした形跡はなく、日常業務を支障なくこなしていた」
「リクルート社における特に過重な業務の遂行により、自然の経過を超えて急激に悪化した」


さまざまな持病を抱えている労働者は多いが

たとえ何らかの持病があっても

「過重な業務がなければ悪化しなかった」

とした判決の意味は重い。


母と息子の13年が伝える悲しい出来事から何を学ぶのか。


<平成18年度 過労のために身体や精神を病む人数>
①過労死(脳・心臓疾患)の労災申請 938件(前年度に比べ69件(7.9%)増加)
 →このうち、労災が認められたのは355件(前年比25件(7.6%)増)
②精神障害等による労災申請は819件(前年に比べ163件(24.8%)増)
 →うち請求が認められたのは205件(前年比78件(61.4%)増)


いずれにしても

この数字は氷山の一角にすぎない。

ましてや裁判を起こす人間はほんの一握りである。


<過労死をはじめ数多くの労災裁判を手がけてきた玉木弁護士>
「一方に、家さえ持てず貧困に苦しむ人たちがいる。奴隷以下の条件で働かされている人たちも少なくない。そして、正社員はぎりぎりの状態で長時間働かされる。ここ数年、過労死に加え、精神的な疾患を発症して相談にくる人が非常に増えている。今の社会、そして会社のあり様は根本的にどこか間違っている」

(判決について)
「病気で医者にかかっていたわけでもなく、夏休み以外は休みをとることもなく、ふつうに生活し、仕事をこなしていた29歳の青年が突然に亡くなる。勤務実態をみれば、労働時間は長く、徹夜勤務の日もある。家に持ち帰って仕事もしていた。しかも責任の重い仕事を一人で背負っていた。となれば、業務が過重だった以外に原因はみつからない。しかし、こんな当たり前のことが認められるまでに亡くなってから13年もかかるとはどういうことか」

 
なお、国は

控訴期限が迫った4月7日

判決を不服として控訴し

舞台は高裁に移された。











結果

「どんでん返し」。



「経営者と労働者という対立は、もはやない。一人ひとりが経営者的意識を持ちつつ、自由に働き、その範囲で自己責任を問う。ゆえに残業を強制させるといったことはありえず、労災ということにはならない」



「経営者と労働者という対立は、もはやない」



ここまではある程度

肯定できる。



「対立」

ではないかもしれない。



しかし

「一人ひとりが経営者的意識を持ちつつ、自由に働き…」

これは

「詭弁」だ。



そもそも

企業内にあって

「取締役」ですらないものが

「経営者たりうる」はずがない。



リクルートの卒業生たちに

「経営者感覚をもった逸材が多い」

ということはあるかもしれない。



しかし

それは

「卒業生」だ。



企業内にあっては所詮

「いろいろな制約」

にしばられた存在。



過労死した「優秀な」彼が最後に手がけていたのは

「ウェブサイトのアクセス数を伸ばすために、コンテンツの充実などを盛り込み全面リニューアルすること」。



彼は

リニューアルし

その後

コンテンツ制作
画面の編集作業
HTMLを打ち込むコーディング
画面のアップ作業
販促グッズの作成

これを

「一人で」

やっていた。



いかなる「優秀な人材」であろうと

「一人でこなす仕事でない」のは

すぐに分かることだ。



経営者とは何か?



「会社に対して利益をもたらすために、自らの意思で仕事をする人」

である。



となれば、まず

「タイムカード」

は不要である。



さらに

「自らの仕事に対し、それなりの権限を持っている」はず。



となれば

「経営者」が瑣末な業務に追われるのは

「会社の損失である」という判断から

「自らの人事権を用い」

正社員

少なくとも

バイトを用いることで

「経営判断に集中できた」はずである。



それではなぜ

「彼は死んだのか?」



「人事権」もなく
「自らの勤怠すら自由にならなかった」からだ。



人事権もなければ

自らの仕事内容すら自由にならない彼が

なぜ

「経営者」のように

「自分の意思で業務ができた」

と判断できるのか?



詭弁以外の何物でもない。



「経営者的意識」を持つことは大切だが

「会社で働かされている」限りは

「自由に働く」なんてことは

「夢物語」だ。



さて

フツーの会社員が

「過重な労働」を強いられた場合

できる選択はなんだろう。



①文句を言って、変えてもらう
②「無理です」と言って、仕事の人数を増やしてもらう
③他の人に助けてもらう
④がんばる


①は

実力がすごくて

「会社も文句を言えない」ような人ならナントカ

しかし

「フツーの会社員」の場合

回避できたとしても

「×」がつくかもしれない。





やる前からこんなこと言ったら

まちがいなく「×」。



手がけてからでも

「マイナス」は避けられなさそうだ。



③他の人に助けてもらう



これはいいが

「成果主義」がはびこる今では

「人を助けてる暇はないかもしれない」。







ジ・エンド。



過労死決定だ。



ほら

「逃げ場がない」。



そもそも

「成果によって値踏み」されている立場では

逃げ場なんかないのだ。



今回の事例でも

「君には期待してるんだ」とか
「君ならできる」なんて

甘言を弄して

「がんじがらめ」にしてたのかもしれない。



その業務を

「一人でできるか否か」を判断するのは

上司もしくは会社の仕事。



しかし

「できる」もしくは

「やらせる」

と判断すれば

その先は

「こいつはできない」
「拒否した」

っていう評価になる。



「業務指示を拒否する」ことが

プラスになるはずはないわけで

「マイナスになろうが拒否できるだろう」

というなら

それは確かに「自由」かもしれない。



部下には

「拒否権なんかない」。



にもかかわらず

今回の判決

「過少申告するかは個人の考え方などによる」。



こういう考え方をしてる限りは

「サービス残業」

がなくなることはないだろう。



誰が好き好んで「サービス」するんだよ。



過重な仕事をさせて部下が死んでも

「サービス残業で申告をしていない場合は会社に責任はない」

という今回の判決。



ということは

「サビ残」で死んだら

「本人犬死」
「会社丸儲け」。



会社ってものが

「貪欲に利益を追求するという種類のもの」である限り

こうなるのは

「当然の帰結」だ。



「覚悟をもって拒否できる人ばかりではない」

ということを考えれば

「長時間労働を強いたと判断できる場合は罰する」

などのように

「強制的な懲罰」とする以外

過労死は回避できない。



まあ

今回の判決を見る限り

過労死は

「国を挙げて大量生産体制に入った」

ということだろうな。



日本は

真の意味で











「自由な国」になったと言える。
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