時代が熟成させた名作・・・『日本沈没』(2006年10本目)

なるほどね
映画を観終わってから一人うなずいた。

この映画の原作は1970年代初めの小松左京の同名SF小説。
そして一昨日書いたように1973年に映画化(主演は藤岡弘・石田あゆみ)
さらに1974年にはTVドラマ化された。(主演村野武・由美かおる)

たしか1973年の映画は前半はほとんど日本海溝に沈む太平洋プレートと
いった地学的な説明が大半を占めた。
要は『日本沈没』ってことが
「荒唐無稽な話ではなく本当に可能性があるんですよ」
と映画にリアリティを与えるのに必死だった印象がある。

TV版の方は毎週日本各地の大都市・名所・旧跡が地震や津波、火山噴火などで
崩壊していくのを特撮で表現するというのがウリだったようだ。

あれから33年
オレたちは現実に宮城県沖地震、阪神大震災、上越大地震など
いくつもの大地震やスマトラ沖地震の大津波、雲仙普賢岳や
三宅島の大噴火など多くの天変地異を実際に現実に見てきた。
何年か後には関東や東海、宮城県沖で確実に大きな地震が起きると
オカルト的な予言ではなく、きちんと科学的にも予知されている。

さらにはバブル経済前夜だった1970年代、「ジャパンアズNO1」といわれた
時代から構造不況、少子高齢化と日本の社会・経済情勢も大きく変わった。

1973年の旧作は「日本脱出」が大きなテーマで
祖国がなくなっても難民や流民になった日本民族が
世界各地でたくましく生きていくのを暗示したような終わり方だった。

今回の映画は最近の東アジア状況をはじめ日本に風当たりが強い国際状況、
さらには生まれた土地を追われた者が世界各地でテロリスト化している現実。
日本人はこの国土と風土を失っては日本人のアイデンティを失う。
だから「この国を失ってはいけない」といったスタンスに変わっている。

これはたぶんに神戸や上越、三宅島などで被災され故郷を追われた人たちが
仮設住宅などの生活で心の障害をもったり深い悲しみを持つことになった現実を見て、机上の空論的な理想論から現実的な見方に変わったのかもしれない。

それが完全に日本が沈没した前作とは違う結末に結びついていったのかな…。
どちらが良い悪いじゃなく時代の流れ、経験値の違いだと思う。

そんな時代の流れが
この原作の日本沈没という地学的な現象をとおして一番描きたかった
「日本人にとっての日本とは」という本質に迫れる状況を
作ってくれたのではないかと思うのだ。





柴咲コウ演じるヒロインの女性ハイパーレスキュー隊員玲子が
阪神大震災で孤児になった経験をもっているなど登場人物の背景にも
原作以上にふくらみをもたせることができて物語性を高めている。

CGを使った特撮シーンも迫力があったけど
「日本」「国」「幸福」「愛」
といったテーマに取り組んだ映画として見応えのある作品になっている。
大物俳優が多くでているけど、気を使っていろいろやらせなかったことが
オレは逆に訴えるものがシンプル化されてよかったのではと思う。
観客をスクリーンの中に引きづりこむパワーを持った映画だった。

ラストシーン近くでは泣いてる人がかなり多く、
映画館内にはすすり泣く声が多く聞かれた。
散る桜に美を感じる民族としては自然な身体反応。
それを引き出すことも邦画のエンタメとして求められる需要な要素だと思う。
オレは素直に感動できたし面白い映画だった。

『日本沈没』公式ホームページ


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