久々に書きます。
私は長い間思っていた事があります。
お坊さんは、何の為に道端に立って人からの寄付を貰うのか? 食べる為だけなのか?
でもそんなはずは無いと思っていました。
日本語が疎い私は、そういう行為のことを調べると、
「托鉢」といい、
「①生活の糧を頂くこと」。
これにについて私は、お坊さんは自分で寺に入って自分の為に修行しており、
これだけでは人の為に何もなっておらず、ホームレスの物乞いと同じではないかとも思いました。
「②善行、修行の為」 意味は僧侶に施しをすることで功徳を積む。
「与える行為をするためには、相手が必要になる。
つまりその相手になる為に托鉢をしているのである」,
つまり人が天に徳を積むのを助けていることになることかと私もまあまあ納得しました。
何かまだぴ〜んと来ない話であります。
まだ色々書いてありましたが、今は置いておきます。
私の話になります。
2015年に私は、12年ぶりにNYへ行きました。
ピエール先生が始めた、映画.邦題「ステップ、ステップ、ステップ」の元にもなった
「ダンシングクラスルーム」のトレーニングを受ける為です。
「ダンシングクラスルーム」というのは、
小学生にペアダンスを通して、自然と対人マネーを身につけ、
自分のへの自信と仲間を大切にする心を養う教育プログラムです。
当時で全米や幾つかの国で既に行われていました。
あるところから日本でもやろうということになり、ピエール先生が私の名前を出したのです。
この時、私がNY行く為の費用は、何故か自費ではなく寄付で集めることが条件でした。
それで私はクラスやパーティで皆さんに訴えてお金を集め、
NYへトレーニングを受けに行く事ができました。
いつもは私が生徒さんにダンスを提供して健康や楽しみを得るお手伝いをして、
その代わりレッスン料を頂いております。
この時の寄付に関しては、NYの本部側は子供の将来の為を思って寄付を集めさせて、
講師にお金の負担をかけないようにするためではないかと思われるのですが、
聞かなかったのではっきりとは寄付で賄う意味わかりません。
でも寄付をして頂いた人々は、托鉢とまあ似た意味になるかなと思います。
私の場合は、寄付をして下さった人達は、私がこのプログラムをして子供達の役に立つ、
又は私が頑張ってやろうとしているのだから手伝ってあげようという気持ちがあったからかもしれませんが、
托鉢のように、立っててお経をあげてる見ず知らずのお坊さんに寄付をする人は多くないのではないでしょうか。
だから反対に凄く意味があるのではないかととも思うのです。
今は、街角に立ってるお坊さんを見ると、
私はワンコイン(500円)を、出来るだけ渡そうとしています。
続きます。