日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース 20171003

2017-10-03 15:01:17 | 日記
【日本ユーラシア協会広島県支部連合会理事会】次の要領で開催されました。
日時 2017年9月19日火曜日10時 場所 呉市
次回県連理事会は12月6日水曜日14時より 広島市留学生会館

【2017年9月10日ボルゴグラードの日が開催されました。】9月10日13時より紙屋町シャレオ中央広場で開催されました。今年は姉妹都市締結45周年記念としてロシア・ボルゴグラードより3名の若手音楽家(ピアノ、フルート、声楽)を迎えてのコンサートが加わりました。また「カリーナのダーチャ」のロシア風お菓子「パフラバ」が好評でした。

[ボルゴクラード市長からのメッセージ]
広島市長 松井一實 様
                               ボルゴグラード市長 アンドレイ・V・コソラポフ
 拝啓
 今年も貴市でボルゴグラードの日が開催されるにあたり、ボルゴグラード市民を代表し、貴殿ならびに広島市民の皆様に謹んで御挨拶申し上げます。
 今年は両市の関係において、姉妹都市提携45周年という重要な節目の年を迎えています。姉妹都市提携後、両市は絶えず拡大、強化を続ける協力の絆で結ばれ、新たな興味深い事業や取組を数多く実施してきました。
 今年も多くの親善交流が実施されていますが、9月には特に活発な交流が予定されていることを嬉しく思います。ボルゴグラード歴史博物館ならびに旧日本銀行広島支店において、両市の市民生活の最も華やかで明るい場面を切り取った写真展が開催きれることになっており、輝きや活気、そして暖かい心で満ちた両市の様を示す展示となるでしょう。
 同時に、ボルゴグラード市の青少年たちは、市民に愛され、人気のあるイベントである、日本語、日本文化の祭典、第5回「日本の玉手箱」の準備を行っています。
 こういった事業は、間違いなく両市間の親善の絆を強化するものとなるでしょう。
「ボルゴグラードの日」の関係者の皆様に心より感謝申し上げ、この催しが広島の暮らしの中で活気あふれるイベントになるように願っています。
  最後に、「ボルゴグラードの日」が参加者の皆様にとって素晴らしい催しとなることを祈念するとともに、貴殿のご健勝ならびに広島市と広島市民の皆様のますますの御発展を祈念いたします。
                                           敬具

【ぺあせろべ2017のご案内】
 2017年10月29日日曜日10時~16時
 広島市基町中央公園 フードフェスタ会場西隣にて
【広島留学生会館祭】
2017年11月5日日曜日
広島市留学生会館 広島市南区西荒神町1-1

【国際交流フェスタ】今年の国際交流協力の日は11月19日日曜日に行われます。10時~16時。
広島国際会議場前緑地帯(世界の屋台)、地下1階(バザー)。

【ロシア語能力検定公開試験】第70回試験は10月7日8日に実施されます。

【無言館展示会】戦没画学生異例美術館 無言館開館二十周年記念 残された絵画展
2017年9月16日~11月19日
呉市美術館

【サハリン(樺太)旅行  炭本遵さんより戴いた旅行記 7回目。】
7日目    2015年7月1日(水) 晴
 終日ドリンスク(旧落合ユジノサハリンスクの北43km)へ日帰り旅行 専用車運転手+ガイド付 ホテル出発9:30ドリンスク(旧落合人口2万人)チェーホフ作家記念館通過、宮沢賢治の世界と紹介される。オホーツク挽歌 詩群
 *宮澤賢治は、1923年7月31日から8月12日にかけて、北海道を経由してサハリン(樺太)まで至る一人旅を試みている。この旅行の直接の目的は、樺太の王子製紙に勤務している先輩を訪ねて、農学校の教え子の就職を依頼することであったが、じつは賢治にとってもっと深いところでは、前年11月に亡くなった妹 とし子の魂の行方を探そうとする旅でした。この旅行 のあいだに、『春と修羅〔第一集〕』の「オホーツク挽歌」の章に収められている諸作品と、現在は『同補遺』に分類されている関連草稿がスケッチされました。以下 略 資料抜粋  チェーホフ胸像写真撮る、韓国人の経営するホテル内で休憩、ドリンスク駅、線路側、旧日本人村、1925・1926裕仁皇太子時代に橋の竣工式に出席。ロシア軍人墓地、日本人墓地があり 追憶の碑には以下の文字が刻まれていた。
 この碑は戦前後落合町で亡くなられた日本人の在りし日を偲び、その御霊のご冥福をお祈りすると共に、日本とソ連の永久平和を願って建てられたものです。この碑の制作費は落合関係者多数の募金で賄い、土地の提供整理等はドリンスク市F.I.シエドレンコ市長とG.ロマノフ第一書記の御協力を得ました。この碑は札幌市内で製作し、第4回サハリン平和交流の船(一九八八年九月一二日稚内港―ホルムスク港)で運搬は行いました。
 一九八八年九月一五日 建立 日本とソ連の永久平和を願ってこの墓地に参拝する。 
 栄浜の砂浜でガイド・運転手等と*琥珀・昆布を拾う、白鳥湖で野草を拾い部屋で生け花として飾る、ユジノサハリンスクに戻る、ホテル16:40着
 夕食は日本人経営の「*ふる里」で最後の晩餐会を私が主催し(ガイド・運転手4人で)日露友好と感謝のため祝杯をあげる。晩餐会は18:00頃からはじめたと記憶している。
 *樹液が樹皮からにじみ出て、硬くなったものが樹脂、木の皮が裂けたり、枝が折れたりして出てきた樹脂が、地面に落ち。土にだんだん樹脂がたまり、ある地層の中で数百万年、数千万年の間にじっくり化石化すると琥珀になるというわけ。樹木の繁茂時代があったことが想像される。資料抜粋
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