日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

がれき問題について 丸山茂樹より意見

2012-03-23 07:09:36 | 日記
がれき問題について 丸山茂樹より意見

皆 様
情報提供、有難う御座います。
一言、私見を述べます。私もこの間、岩手、宮城、福島の被災地を何回か往復していますが、最も多くの人々が緊急と望み考えているのは、生活と仕事を始めて少しづつでも普通の生活を取り戻すことです。岩手県の宮古市・重茂漁協ではこれにいち早く取り組みほぼ50%程度回復させました。ここでも勿論あちこちに瓦礫の山があり処理すべき問題ではありますが、これは緊急を要する課題ではないのです。
日常生活と生産(仕事)を阻害しているのは水揚げできるように港を修理すること、生産施設の応急処置、そのために緊急工事などの発注が遅くて、再建を諦める人が続出しています。

瓦礫問題にマスコミや政治家が集中しているのは、優先課題のすり替えのように思われます。
丸山茂樹
追伸:農協中央会のシンクタンクの雑誌『にじ』とピープルズ・プラン研究所の季刊誌に書いた拙論をご参考までに添付します。

● がれき問題に関して、いろいろ情報が流れていますので、 以下、参考情報を転送します。   
********
被災地の市町村が自ら本格的な瓦礫処理施設を建設しようとしても政府や県がさせなかったことなど・・・・
陸前高田市の例での話

http://ameblo.jp/junichi-raelian/entry-11193556785.html
そのほか:
①「瓦礫の広域処理が許されない12の理由」
(「沖縄県独自の被災地支援ビジョン策定を求める陳情書」)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1618.html
②「いのちを守る300キロの森づくり」動画
http://www.youtube.com/watch?v=gDOEs2_ONGM&feature=youtube_gdata_player

●復興をめぐる攻防―協同・共生の道か、“悪魔の石臼”か―岩手県宮古市・重茂(おもえ)漁協の復興の活動―
丸山茂樹(参加型システム研究所、日本協同組合総合研究所、客員研究員)
 
 1.重茂漁協とその特徴
 重茂漁協と言っても何処にあるどんな漁協なのか?本誌の読者で知っている方は少ないのであるまいか。そこで先ず、その概況を述べるところから始めたい。岩手県都の盛岡市から太平洋に向かって真東へ約100キロ進むと宮古市がある。人口約6万3000人。宮古港は岩手県内にある重要港湾の1つ(他に久慈港、釜石港、大船渡港)であり、漁業関連の水産加工、運送流通、造船、漁具、魚網、関連機器、商業施設、観光、行政機関などがあって周辺の中小の漁業集落の営みを支えている。    
市内に三つの漁協がある。北に超大型の堤防で知られる田老漁協、市の中央を流れる閉伊川の河口近くの宮古漁協。そして南部の太平洋に突き出した本州最東端の半島が重茂地区でここに小さな漁港8、やや大きな漁港2つを持つのが重茂漁協である。人口約1600人の純漁業の集落で漁協組合員574人、大災害を受けた昨年度(平成22年度)の事業高(購買事業、販売事業、加工事業、自営事業、指導事業の合計)は約43億2000万円(他に共済事業保有高226億7000万円)である。漁協の組合員数はごく平均的な規模であるが経営は極めて健全で1組合員の事業高は単純平均で約750万円。共済保有高の1組合員平均約3千950万円で非常に多い。(1世帯に複数の組合員がいる家庭もあり、ワカメや昆布の養殖を営む組合員は他の組合員より収入が多いので一律ではない)
重茂漁協の特徴の一つはワカメや昆布の養殖が盛んであること、ワカメや昆布の加工事業を漁協として営んでいること、また大きな漁穫のある定置網業を漁協が経営していること、生協など消費者組織と親しい関係を結び産直など多様な販売チャンネルを開発していること、などがある。つまり漁業だけでなく水産加工、貯蔵、販売事業などを多角的に行い、年間を通じて安定的に仕事を行えるようにしている。近年盛んに言われている農林水産業の六次産業化(1次×2次×3次=6次産業化)を早くから実践してきたのである。
これらの結果でもあり原因でもあるが、組合員の平均年齢が55.6歳で全国平均よりも約10歳若い。結婚して子供を育てる見通しがあるから若者は安心して漁師になれるし、嫁や婿も外からやってくる。実際に29歳以下46人、39歳以下54人、49歳以下102人の組合員がいる。水産庁の『水産白書』によると漁村の高齢化と人口減少は全国平均よりも高く、65歳以上の高齢者の割合が50%を超える漁業後背集落はこの10年間で倍増したと指摘しているけれども重茂地区ではこの傾向を見事に跳ね返してきたのである。

2.重茂漁協のコミュニティづくりと環境運動                      
合成洗剤追放・せっけん運動をやってきた人々や、青森県六ヶ所村に建設中の核燃料再処理工場の反対運動に現地で関わってきた方は皆ご存知であるが、重茂漁協は海の環境を守るために長年にわたってせっけん運動や反核施設運動を地道に続けてきた。重茂地区への峠には次のような大きな看板がある。                                       
「お願い ここでは合成洗剤を絶対に使わないことを申し合わせた地域ですから ご協力お願いします。昭和五十五年五月 重茂漁協通常総会 重漁協婦人部総会」                                                   
昨年(2010年)も女性部が中心となって全国からせっけん運動や環境保護運動の活動家・専門家を数百人集めて漁協本部のホールで「シャボン玉フォーラムin重茂」を開いている。重茂地区ではサケ、アワビの稚魚の養殖放流事業も行っていて、環境を守るための河川の浄化、植樹事業も熱心に行っている。先にも述べたが青森県の六ヵ所村の核燃料再処理施設への反対署名活動や代表団派遣など粘り強く展開してきた。                 
今年(2011年)7月末、復旧が一段落したところで新しい出発を期して漁協本部の広場で開かれたバーべキュー大会で、地域の人々や生活クラブ生協の組合員ら数百人を前に、伊藤隆一組合長はこう語った。「私達は先祖から受け継いできた素晴らしい海を子孫に引継いでゆくために六ヵ所村の核燃料再処理施設への反対運動を続けてきました。私たちに対して『漁協がそこまでしなくても良いんではないか』と言う批判もあったのですが、この度のフクシマ第一原子力発電所の事故で不幸にして私達の主張の正しさが証明されてしまったのです。」ここに協同組合運動を社会運動として実践してきた事が示されている。
 ちなみに重茂漁協の事業計画書にはこう書いてある。『「天恵戒驕―天の恵みに感謝し驕ることを戒め不慮に備えよ。この天恵戒驕は初代組合長西舘善兵翁が根滝漁舎新築記念に記したものである。私たちのふるさと重茂は天然資源からの恵みが豊富であり、今は何ら不自由はないが天然資源は有限であり、無計画に採取していると近い将来枯渇することは間違いない。天然資源の採取は控えめに、不足するところは自らの研鑽により、新たな資源を生み補う。これが自然との共存共栄を可能とする最良に手段である」。

3.復興への「重茂方式」と「岩手特区」
 さて、何故いま重茂漁協か?3.11以後、NHKの取材班がいち早く重茂に張り付いた。
復興を巡って真っ先に動き出したと言うこともあるが、しかしそれ以上に僻地の寒村ながら国や県・市など上からの指導や援助を待つことなく協同の力、コミュニティの総力を結集して動き出し「重茂方式」とも言うべき復興方式を編み出しつつあったからである。             
重茂地区も他の漁村同様に壊滅的な打撃を受けた。816隻あった船は16隻を残して798隻が失われ、家屋の全壊流出101世帯、死者50人、港湾施設、加工貯蔵施設、作業施設、定置網、養殖筏は総てが流失した。家族を失い、家を失い、船も筏も失って多くの漁師が無収入になる危機的状況を前に伊藤隆一組合長は語った。「こうゆう時こそ協同組合の精神で行かねばいかん」。先ず、生きる手立てを図ること、仕事が出来る目標を立てること、みんなで力を合わせて離脱者、脱落者を出すことなく支えあう方策を創る。被災の後、提携している生協が毎日のように支援物資をトラックで運んできた。常日頃の提携の賜物だ。
組合員は地区毎の集まり、役員会、組合員全員協議会が相次いで開いた。瓦礫の片付け、道路の修復と共に、何よりも船を確保して再生の仕事の目処をつけなくては。そこで船を確保するために被災しなかった青森、秋田、山形などの漁港へ組合員を派遣して、使っていない中古の船の確保に走り回った。まず確保した約50隻の船をどうするか?漁協連合会を通じて発注した400隻の船が少しづつ届く。これをどう配分するか?『総てを漁協で所有し、地域ごとにグループを作って共同利用する』『組合員全員が1隻づつ持てる段階がきたら個人所有に移行する』それまでは『グループ毎の水揚げに応じて分配金を支払い、船の代金は水揚げの10%を天引きして貯める』『港湾施設・加工施設などは上からの援助を待つことなく順次、計画を立て先行して実行する』・・・いわゆる『重茂方式』の登場である。
これに対し岩手県の達増拓也知事は重茂漁協から学んだと激賞しつつこう語っている。「・・・岩手における復興にとって、規模の集約・大型化、民間大資本の導入などの手法―端的にいって“TPP的”な路線は、まったく考えられません。この点は復興会議でもかなり時間をかけて繰り返し説明し、両論併記的な記述になった・・・・」「答えは現場にある…で、漁協を核にした復興という点では先駆的なワカメ養殖で知られる重茂漁協の自主的な取り組みに教えられた点が大きいのです。言うまでもなく重茂も甚大な津波被害を受けたのですが、漁協の総会で、残存した漁船を一括して確保し、お金を工面して補修を実施したうえで、操業に出られる漁業者に貸与し、漁業者はこの漁船を共同利用するという仕組みを全会一致で決め、そして早くも五月二十一日には天然ワカメ漁の再開にこぎつけているのです。・・・・」(雑誌『世界』2011年9月、達増拓也「答えは現場にある―岩手県のめざす人間と故郷の復興」)
岩手県の復興計画を見ると、基礎自治体、漁協、農協、地域企業グループの復興を県が下支えして行くこと、国の資金を必要とするがそれは上からの押し付けであってはならないこと、下記のように「七種の特区」を提唱しているが、それは国家による強制ではなく、地域自治を擁護し、大企業資本の侵入による地域支配から地域経済を守る内容である。
『七種の特区からなる「岩手復興特区」を創設することにより、岩手の迅速な復興を実現し「命を守り、海と大地と共に生きる、岩手、三陸を創造する」★まちづくり特区(土地利用手続き等の迅速化、多重防災型まつづくりに向けた財政支援等)★再生可能エネルギー導入促進特区(多様なエネルギー資源を活用した電源開発等★保健・医療・福祉サービス提供体制特区(施設の早期復旧、町づくりと一体となった体制構築、遠隔医療に推進等)
★教育進行特区(教育施設の早期復旧、教職員の配置充実化、児童生徒の居場所つくり等)
★企業・個人再生特区(早急な二重債務対策の実施、税制優遇による被災地投資の加速化等)
★漁業再生特区(漁船・施設等の共同利用、漁船建造許可の迅速化、漁港復旧等)★岩手の森林再生・活用特区(県産材の活用による災害復興、多機能海岸防災林の造成等)
                                             
4.“悪魔の石臼”―「宮城方式の特区」                           
宮城県の村井嘉浩知事は、国家資金の大規模導入と抱合わせで大企業にも漁業権を与え、大企業の誘致によって雇用の機会をつくるために「特区」を作ろうとして復興会議の答申にこれを盛り込んだ。しかしこれは、「重茂方式」や「岩手の特区」と正反対の性質のものである。彼の『宮城県震災復興基本方針』には、「単なる『復旧』にとどまらず、これからの県民生活のあり方を見据えて、県の農林水産業・商工業・製造業のあり方や公共施設・防災施設の整備・配置など様々な面から抜本的に『再構築』することにより、最適な基盤づくりを図ります」とある。彼が語るには「中小の漁港を復興するのではなく、選択と集中を行い、漁業権を外部企業にも与えて大規模な漁業や水産加工工場を誘致する。そうすれば雇用の機会も拡大する」という。これは典型的な新自由主義思想の実践宣言に他ならない。カール・ポランニーはその著書『大転換』で、ナチスの「ファシズム」とソ連の「スターリン主義」を“悪魔の石臼”と呼んだが、韓国の権寧勤氏は、全世界に格差社会をもたらす新自由主義政策を第3の“悪魔の石臼”と呼ぼう!と提唱している。村井嘉浩知事の政策はまさに“悪魔の石臼”であるが、漁民や地域の水産加工業者の抵抗に遭遇している。彼らは都市の消費者と結んで起業して出資者を募ったり、「重茂方式」に学んで共同所有方式を模索したり、可能な規模での創業を行っている。しかし、高齢化と過疎化に悩む人々の一部は、復興の道を自ら作り出せない苛立ちや諦めの中で、国家権力と大企業へお任せしようという衝動に駆られ、巨額の国家予算を伴う村井路線に引きつけられている。「宮城方式の特区」を許すか、地域の協同の力で農林水産業を復興させることが出来るか、激しいヘゲモニー闘争が繰り広げられている最中にある。

5.結び―「資源小国神話」と農林水産業
 本稿では紙数の制限もあってフクシマ原発事故に触れることが出来なかった。そこで最後に「原子力神話」と共に推進派が論拠にしてきた「資源小国神話」について触れて、農林水産業の復権への幾つかのポイントを考えることにしたい。
 原子力の安全神話は今や破綻したが、それでも「安全を確実にしたうえでやはり原発は継続する」という『日本の五賊』―政府・財界・官僚・学者・マスコミの<原子力ムラ人達>がしがみつくのは「日本は資源のない国だから輸出産業に依存するほかない。原子力産業もその1つだ」という神話である。しかし、実は資源小国論にはまったく根拠がない。           
いま世界は人口爆発と食糧危機に直面しているが、日本には莫大な耕作放棄地がある。日本は世界にまれな緑多き森林大国であるのに山林は荒れ放題で、外国の木材を大量に輸入している。世界は水不足に悩み危機的な地域も少なくないが日本は良質・豊富な水資源に恵まれている。親潮と黒潮の交わる三陸沖は世界三大漁場の一つであり、日本は海洋資源に恵まれている。素直に見れば間違いなく日本は非常に恵まれた資源大国なのだ。          
それにも拘わらず農林水産業の担い手が少なくなり高齢化して、限界集落が激増しているのは何故か?それは自然と資源を循環させつつ生かしてゆくことに価値を置くのではなく、産業資本の効率と利潤を物差しにした経済効率至上主義の「価値観」に支配されてきたからである。その価値観を転換して自然と調和した持続可能な生活と自治を価値基準に据える事である。そしてかけ替えのない自然の保全者であり食料の供給者である農林水産業の担い手に基本的な生活を保障するのだ。例えて言えば全国何処にでも学校・教師、病院・医師看護士、警察署・警官が必要であるように、全国民が自然保全者と食料生産者たる第一次産業従事者を社会全体で必要であると認める。そして全国民の基金で彼らの生活を保障するというコンセンサスをつくるのである。そうすれば、若い世代が喜んで、また誇りを持って第一次産業に従事するようになることは疑いない。価値観と政策転換である。
半永久的に放射能を出し続ける原発は廃止する。電力の独占体制を解体して、発電と送電と配電を分離する。送電は公的に管理し、発電には多様な主体が参画するようにする。政治と共にエネルギーも分権化と自治への過程を促進する。多様なエネルギー源―小型水力、風力、太陽光、地熱、海洋力、木材など地域に適した発電が行われる。中央集中化、大都市化、過密化と過疎化、人間の荒廃は改善され、地域自立の経済への道が開かれる。それが野田内閣と宮城県の村井義浩知事らが進める“悪魔の石臼”へのわれわれの対案であり、実は最初に述べた「重茂方式」「岩手特区」で既に実践されつつある道である。
(2011年11月15日、記)

● 岩手県宮古市・重茂(おもえ)漁協の復興への取組みと特長点―協同精神で漁船の共同利用制による復興と六次産業化の実践―
丸山茂樹(JC総研客員研究員、参加型システム研究所客員研究員)

1 はじめに
 2011年3.11東日本大地震・福島第1原発事故によって岩手・宮城・福島の漁業は壊滅的な打撃を受けた。漁業の復旧の目途が立たず漁民の高齢化がすすんでいる上に過去の災害や投資によって借金を抱えている人も多く、漁業及び海産物加工など関連産業から去らざるを得ない人々も少なくない。そんな中で政府当局の方針や援助が降りてくるのを座して待つのではなく、協同組合精神を結集して再建・復興の方針を決め、いち早く実践している岩手県宮古市の重茂(おもえ)漁協が注目されている。        
重茂漁協もまた他の漁協と同様に壊滅的な打撃を受けた。しかし再建への行動はスピードが速いだけでなく、まず漁協が全精力を注いで漁業に欠かせない船の確保に取組み、組合員がこれを共同利用するという独特の所有・利用方式を編み出して再起を計っている点に特徴がある。もともと重茂地区はコンブやワカメの養殖が盛んで、組合員が生産する水産物を漁協が加工・保管・販売するいわゆる六次産業化を実践してきた。それだけでなく、豊かな海の自然環境保全の活動を社会運動として地域をあげて取組み、アワビの種苗生産、サケ・マスの孵化放流などにも力を注ぎ、消費者組織との産直も続けてきた。こうした先進性が災害からの復興でも素早さと新しい方式を編み出す原動力になっている。
 そこでこの報告では復興への取組み状況と共に、これまでの重茂漁協の経営と運営、活動の歴史や特徴点についても様々な角度から報告することにしたい。

2 重茂漁協の位置と概況
 先ず重茂漁協の位置とおおまかな現況を述べる。岩手県の県都盛岡から東へほぼ1直線に約100キロ進み太平洋岸に達した所が宮古市である。市の人口は約6万3000人。早池峰国定公園内最高峰の早池峰山、陸中海岸国立公園の中でも著名な景勝地の浄土ヶ浜も市内にある。宮古港は国内海上輸送網の拠点となる政令で定められた重要港湾の1つである。(重要港湾は全国に103港、岩手県には宮古港のほかに久慈港、釜石港、大船渡港がある)。ここには漁業関連の水産加工、運送流通、造船、漁具、魚網、関連機器、商業施設、観光、行政機関などがあって周辺の中小漁村の営みを支えてきたのである。     
市内には3つの漁協がある。市の北部にあるのが田老漁協、市の中心を流れる閉伊川の河口にある宮古漁協、そして市の南部の太平洋に突き出した重茂半島をエリアとするのが重茂漁協である。半島の東端は本州最東端に位置し、魹(とど)ヶ崎灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となったことで知られているが、宮古駅前からバスで約1時間、1日に幾本もない僻地である。地区の人口は約1600人で漁協の組合員数は574人。漁協の規模としてはごく平均的であり、リヤス式海岸の入り江毎に県が管轄する漁港2、市が管轄する小さな漁港8、合計10の漁港が散在してあってその近くに集落がある。前浜の磯根資源を最も重要な産物としており、林業が多少あるとはいえ他には産業といえるものはない漁業専業の地域である。(地図1.及び2.を参照)          
今回の災害では、漁協事務所の建物は高台にあって無事であったが、家屋の全壊流出が101世帯、50名の犠牲者を出した。漁船は総数814隻あったが16隻を残して798隻が流出した。港湾施設、加工・貯蔵施設、作業施設、定置網施設もほぼ全壊、養殖筏はすべてが押し流された。組合員も漁協も生産施設も製品のストックもほぼ壊滅的な打撃を受け、ただ破壊された港と瓦礫を残しただけであり、ゼロどころかマイナスからの出発であった。
 重茂漁協の大きな特徴は、良質のワカメ、コンブの養殖が盛んであること、アワビ・ウニなどの水産物を加工・貯蔵・パッケージ・販売する一貫生産・流通を漁協として行っていること、またサケ、さば、イカなど多くの漁獲がある定置網事業をも漁協として行っていることである。またこれらの事業を持続可能なようにアワビの種苗生産、サケの孵化放流など資源管理もまた漁協の事業として行っている。そして販売活動において生協など消費者組織との産直をはじめ多様な流通チャンネルを通じて行っている。後にも触れるがこのように多角経営であること、安定的な収入を得ることができる養殖事業や定置網事業を行う事によって所得水準が比較的高いのである。
 もう1つの特徴は海の自然環境保護のために植林に努め、鮭が遡上する河川の保全に気を配り、海洋汚染の原因を作らないための合成洗剤追放―石けん普及運動を地域をあげて推進し、青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設反対運動など反原発・反核運動を進めてきた。 
これらの活動を地域社会の人々と一体となって展開することによって、美しい自然が守られ、持続可能な漁業が営まれ、安定収入が得られるということもあって結婚・子育ての未来に自信をもつ若い後継者が育っているのである。
                           
3 マスコミ報道にみる重茂漁協
 先ずはじめに「今、なぜ重茂か?」を理解するうえで参考になる新聞・テレビ・雑誌などマスコミ報道の一部を紹介することにしたい。
● 「いう時こそ助け合いが大切」(朝日新聞)                    
『漁船シェアリング』『自立再生へ宮古・重茂漁協』『50隻を共同で利用』などの見出しで次のように伝えている(2011年5月15日夕刊)。
『「誰もが予想しなかった未曾有の震災。一致して乗り切るしかない」アワビや養殖ワカメで知られる岩手県宮古市の重茂漁協(組合員約580人)。5月9日の組合員全員協議会で、集まった約400人に漁船や養殖施設の共同利用案を説明した。参加者は拍手で賛同した。漁協所属の814隻が被災。国や自治体の支援政策が決らないなか、共同利用は「多くの漁師が無収入になる危機的状況」(伊藤組合長)を乗り越えるために考えた案であった。主にアワビやウニ漁、ワカメ養殖に使う小型漁船を共用する。今回の津波で沖に逃げた漁船や、修理すれば使えるようになる漁船など約50隻を総て組合が所有。4地区に漁船を振り分け、収益は地区ごとに分かち合うという仕組みだ。また、新しく購入する船は総て組合が所有する。全員に1隻ゆきわたる数が確保できた後、個人に引き渡す。新船の代金は2013年以後の水揚げ代金から10%を天引きするから、漁船を失って再出発する漁師たちは借金をする必要がない。小野吉男さん(69歳)は、老朽化して廃船扱いにしていた小型漁船1隻を共同利用に提供するつもりだ。震災では、漁船と養殖施設7台を失った。孫と2人で年収1000万円であったが、今後どうなるか分からない。それでも「こういう時には助け合いが大切。迷いはない」と話す。・・・』
● 「何としても重茂の漁業を再生させる」(NHK)
『豊饒の海よ 蘇れ―宮古重茂漁協の挑戦』(2011年9月6日)
 暮らしが立たず漁にも出られない日々、このままでは漁業離れ、脱落者が出てしまう・・・という危機感から重茂漁協の伊藤隆一組合長の再生への努力が始まる。NHKのカメラは上京して民主党幹事長の岡田克也氏との会合に出たり、水産庁の補助金の説明会に出る姿を追いつつ、具体性、敏速性のない政治家や行政当局の話に対して「こういうのを相談倒れに倒れると言うんだ」と言い放つ伊藤組合長の言葉もとらえている。国や県の援助を期待しつつもそれを座して待つことなく、自ら進んで自助努力を重ねて何としても重茂の漁業を再生させようとする漁民たちの日々の姿を追う。震災後の3月から8月初めまでの6ヶ月間、東京の繁華街で重茂産のワカメのパックが販売され消費者の手にとられるまでを、伊藤隆一組合長を軸にして立体的に描いている迫力ある映像である。
 「何としても重茂の漁業を再生させるんだ」という強い意思。船がなければ手足をもぎ取られたに等しい・・・漁民の要請にいち早く応えること・・・修理可能な船の修復。青森・秋田など他の地域へ出かけて行って使っていない中古船を求め大型トラックで重茂へ運ぶ。これらの船を皆で共同利用する意思決定までの人々の不安や内面の葛藤・・・。400隻の新造船を漁連組織を通じて発注するところまでこぎつけたこと。先ず4隻が届き、喜びの中、浜辺で行われたセレモニー。当面の収入の道として、瓦礫の撤去や道路や港湾工事など行政当局からの仕事に積極的に従事すること。天然ワカメの収穫を漁協が編み出した「漁協による所有と組合員の共同利用」によって開始する。収穫したワカメを浜辺でボイル、茎と葉の分離作業にいそしむ女性たちの姿。エリアを4つに分けて地区ごとにチーム編成を行い、収穫に応じた公平な分配。努力した分だけ報われる個人営業に慣れた人々の、協同労働への戸惑いや葛藤・・・等など。協同を是としつつも「悪平等」に陥らない工夫・・・これらもまた映像にまとめられている。国の補正予算の遅れと金額の不十分さ。これを岩手県当局が補い素早く現地の要請に応えた事実なども報じている。                                           
重茂漁協の活動を貫いているのは、組合員に対して常に情報をオープンにし、徹底した民主的運営を行っていることであろう。復興への道筋、そのための手段・方法、何時になったら復興できるのか?組合員が抱いている不安に対して、キチンとした根拠・情報に基づく説明が、地区代表者会議、役員会、組合員全員協議会などを繰り返し行うことによって、皆んなの納得のもとに決定がなされ実行に移されている。したがって協同組合のリーダーへの信頼は厚く、組合員同士は連帯感に満ち溢れていることが映像でよく分かる。
● 「答えは現場にある」(雑誌『世界』2011年9月号)
達増拓也『岩手のめざす人間と故郷の復興』―インタビュー「答えは現場にある」―において岩手県知事は次のように話している。「船が流されただけでなく、養殖施設や加工工場なども壊滅的な被害を受けています。県内111の漁港のうち108の漁港が被害を受けている情況です。復興の核となる漁協の事務所が流失・全壊してしまっている例も多いので、まずすみやかに漁協の機能を回復させ、それぞれの地域ごとに主体性のある復興をはかっていくことに取り組んでいます。やはり「答えは現場にある」で、漁協を核とした復興という点では、先駆的なワカメ養殖などで知られる重茂漁協(宮古市)の自主的な取組みに教えられた点が大きいのです。・・・漁協の総会で、残存した漁船を一括して漁協で確保し、お金を工面して補修を実施したうえで、操業に出られる漁業者に貸与し、漁業者がこの漁船を共同利用するという仕組みを全会一致で決め、そして早くも5月21日には天然ワカメ漁の再開にこぎつけているのです。・・・私は岩手では漁協単位などで主体的な工夫を重ねて、零細であっても付加価値の高い漁業を目指していけばいいのではないかと思っています。
野田村の漁協がイトーヨーカドーとの提携で売り出しに成功しているミニホタテ、牡蠣の養殖が盛んな山田町の漁業者が売り出して人気のあった「山田の牡蠣くん」などはその1例です。「牡蠣くん」は地場産の牡蠣の燻製をオリーブオイルに漬けたもので、養殖と加工からインターネットでの販売まで行う六次産業化の先駆的な事例です。・・・岩手における復興にとって、規模集約・大型化・民間資本の導入などの手法―単的にいって“TPP的”な路線は、まったく考えられません。・・・漁業などの第1次産業はすでに高齢化しているではないかとも言われますが、例えば高付加価値の生産物を送り出すことで収入も安定している重茂などでは若い世代の漁師が多く育っています。私たちの生命を支える第1次産業で働く人々が正当に対価を得られる社会的仕組みをどう考えるのか、そこが課題なのではないでしょうか。・・・』

4 六次産業化の成果―重茂漁協の組合員の平均年齢は55.6歳
 水産庁の『水産白書』(平成23年版)によると全国各地で漁村の高齢化と人口減少が進んでいる。漁村の高齢化率は全国平均よりも高く、65歳以上の高齢者の割合が50%を超える漁港後背集落はこの10年間で倍増したと指摘している。また人口集中地区(都市)までの距離が1時間以上かかる漁業集落も全体の2割となっているともいう。
 重茂地区もいわゆる条件不利地区に属するが、若い世代の漁師がいて組合員の平均年齢は55.6歳、全国平均より約10歳も若い。より詳しく見ると29歳以下が47名(8%)、30~49歳が156名(27.2%)、50~69歳が241人(42%)、70歳以上が131名(22.9%)である。この内1世帯に父親または母親と子供の2名の組合員がいるケースも少なくないのでこれが結果的に平均年齢を押し上げている。実際には働き盛りの漁師を親や祖父母が手伝っているケースも多い。特に養殖をしている世帯では働き手が多く、年収も1000万ないし1500万円くらいある。都会のサラリーマンに劣ることはなく、家・屋敷も立派なものが目立つ。養殖をしておらずさほどの収入のない世帯でも、漁協の定置網事業への従事、加工場における作業など年間を通じて働く機会が計画的につくられているので暮らしに困ることはない。すなわち結婚し子供を育てる将来の見通しが立つから若者がこの地に住むし余所からもやってくる。婿にしろ嫁にしろ他人に雇われるのではなく、自分で決めて働き、努力と工夫の成果を我が物にできる自営業―漁業は魅力ある楽しい仕事なのだ。
                                        5 重茂漁協の各事業の概況                           
ここで重茂漁協の事業の概要(平成22年度分)を紹介することにしたい。今回の被災は大きかったがこれまでの経営が極めて健全であり、蓄積された内部留保も大きかったので致命的な打撃にはならなかった。また組合員の共済への加入も多く、養殖施設や水産物への共済の掛け率が高いので、経済的な意味の再起へのポテンシャルは高い。以下は重茂漁協の今年度の事業概要である。
(1) 共済事業(概数)
① 長期共済 本年度末保有高           116億5080万円
        支払共済金                9520万円
 ② 短期共済                      133万円
(2)購買事業 重油・ガソリン等石油類の販売高    2億4700万円
        魚網・舶用機器など資材        2億0200万円
       生活物資                 142万円
(2) 販売事業
 ①生鮮魚介藻類 取扱高合計  6億0663万円  受入手数料 1963万円    
 ②水産製品加工品  〃   13億4108万円   〃   5360万円
(4)定置加工販売(海藻)
 ①ワカメ・コンブの仕掛け品             1億8741万円
 ②わかめ。こんぶの製品              3億6607万円
(5)定置加工販売(魚類)
  ①さけ加工品                    7158万円
  ②めかぶ                      4549万円
  ③うに                       4835万円
  ④その他アワビなど                 2803万円
(6)利用事業
  ①種苗供給高                    2330万円
  ②漁港クレーン。荷捌き利用料受け入れ        1039万円
(7)定置加工販売事業
  ①自営(さけ、さば、イカ、等)         8億2157万円
  ②共同経営(   〃    )         1億6972万円
(8)さけの特別採捕事業
  ①親魚捕獲、採卵、放流実績         稚魚放流1760万尾
  ②収支実績  収入:6662万円 支出:2597万円 利益:4065万円
(9)指導事業
  ①指導事業には、教育情報、繁殖保護、資源管理、営漁指導、遭難救助、生活改善、共済保険推進、アワビ・ウニの中間育成事業、アワビ種苗生産事業が含まれている。
   指導事業の収支は△1194万円である。
注1)『重茂漁協第62年度[平成22年4月1日から23年3月31日まで]業務報告書』より)
注2)役職員体制は常勤の役員(理事)1名、非常勤の役員(理事)11名、監事4名、職員は参事1名、会計主任1名を含む25名(うち3名は信漁連へ出向)

6 重茂漁協の復興計画
 第63年度[平成23年4月~24年3月]の事業計画によって復旧・復興計画が定められた。これによると本年度中にワカメ、コンブの養殖施設の一部、ボイル塩蔵施設、主要港2箇所の集荷所、3港のクレーン、サケ・マス孵化場、19トン型の操業船1隻、定置網5統、冷食工場海水引込み工事、情報連絡施設を整備する。                 
来年度から2年にわたって引続き養殖施設、クレーン、操業船、定置漁業トラック整備、定置漁舎、6箇所の漁港の荷捌所の整備を行う。その後更に10年くらいの展望を持って中長期にわたる復興事業として、冷凍冷蔵庫関係、残りのクレーン関係、未完成の荷捌所の整備を行う。
これらによって漁業生産の復興を計りつつ、中古船の確保、県漁協連合会を通じた新造船の事業を進め、加工事業、定置漁業の回復を徐々に進める。
国や県の補助金などは時期的には遅れる見込みである。しかし養殖業を営む組合員の多くが施設・産品の共済・保険に加入しているので施設再建に当たっての資金問題は解決する見通しだ。むしろ月々の生活費が問題である。漁協では収入が元通りに回復するまでの間、組合員各自が生活費を切り詰め、市や県当局の公共工事などによる収入(日当)で補い、生活と生産の同時的回復を呼び掛けて既に実行している。
報道では再建に当たって国が50%、地方自治体が25%、合計75%の補助金を地域の漁業組織に出すと伝えられている。しかし、岩手県では更にこれに上乗せして地域の漁協や生産者グループの自己負担は実質10%にする策が講じられている、と聞いた。
可能なところから生産を開始し、生活を軌道に乗せ、施設や設備を再建しつつ消費者との連携を以前以上に強固なものにしてゆく―再建策を国家や大企業に丸投げするのではなく自主管理・自治を基本にして行政の支援をフルに活用する―基本方針を具体化したのが重茂漁協の事業計画(第63年度平成23年4月1日から平成24年3月31日まで)である。

7 協同することと競争の重要性―高坂菊太郎参事との対話
 これまで「重茂方式」による復興について紹介してきたが、計画の陣頭指揮をとる参事兼業務部長との長時間にわたるインタビューから、印象的な幾つかのお話をピックアップしたい。(写真1は、高坂菊太郎参事)
・重茂に適した船―中古の船を確保するために多くの組合員を被災していない県の港に派遣した。意外に多くの使っていない船があり、格安で分けてくれた。しかし、実際に使おうとすると、この地のワカメやウニ漁の作業がやりにくい構造・レイアウトの船が少なくなかった。それを修理・改造して使っている。新しい船の発注には造船関係者にはニーズに合わせた設計、製造を心がけるようにお願いしている。
・共済・保険金―組合員は常日ごろから共済には必ず加入しているので、この点は安心している。しかしお金がおりても20%は漁協に積み立てるように呼びかけている。施設や産品の保険金を安易に生活費に使ってしまわないようにも呼び掛けている。再生産できる体制を整えることが最も大切である。これを怠ると将来を見据えた再建策が立たないために思わぬ脱落者が出かねない。
・地域社会への貢献―過去、漁協の利益の中から宮古市に数千万円単位の寄付をしてきた。寄付金で高校生のための寄宿舎を作ったり奨学資金を出したりした。これは当漁協の初代組合長の西舘善兵さん以来の伝統である。それが出来たのは定置網のお陰でもある。高収入を得ることのできる定置網を漁協の所有とした戦後の改革が大きかった。漁協の事務所の前には西舘善兵さんの銅像と業績を称えた碑文がある。もともと教育者であり晩年を郷土の発展と人材育成に捧げられた人物である。                             
・子弟の教育の重視―昔は次男、三男は都会へ出なければならなかった。この半島の海の資源は限られていたのでそうせざるを得なかったのだが、彼らに教育を施し立派に生きてゆけるように、剰余金は市の教育費に寄付したと聞いている。それが出来たのは前にも言った定置網という共有財産があったからだ。さらに加工、貯蔵、販売事業によって収益を増やした。養殖の展開によって更に豊かになり、拡大再生産に繋げる事ができた。
・大規模合併に反対―重茂漁協は行政当局が進める合併に同意せず今日まで来ている。その最も大きな理由は合併した大規模漁協を見ると、誰もが意見を述べ合う情況にないことがハッキリしたからだ。漁業といっても遠洋漁業、沖合漁業、沿岸漁業、養殖漁業など様々であり、季節ごとの水産物の漁業権調整などは漁民同士がとことん話し合って魚種、時期、数量を決めてゆかねばならない。そうしないと海の資源は荒れてしまい持続性を失ってしまう。既得権益などというものではなく、自然と資源の保全であり、それが漁業権の調整なのだ。しかし合併して大規模になると話し合いと合意による運営はなかなか出来ない。力の大きなもの、権力があるものが決めてしまうことになる。
・協同も競争も必要―漁師はサラリーマンではない。漁でも養殖の仕事でも、同じくらいの時間働いて、同じくらいの規模の施設をもっていても努力と技量次第で収入は2倍にもなる。それが漁業です。競争して努力し技量を磨くのです。朝凪の仕事は9時~5時の仕事ではないから競争と努力と絶えざる工夫の積み重ねなんです。協同することは非常に大事だが、競争や個人の自発的な努力を妨げてはいけない。ウニやアワビの季節になると参事の私も海に出て競いながら漁をしますよ。
 事業計画書のはじめに「天恵戒驕―天の恵みに感謝し驕ることを戒め不慮に備えよ」と   
書いてある。続いて「この天恵戒驕は初代組合長西舘善兵翁が根滝漁舎新築記念に記したものである。私たちのふるさと重茂は天然資源からの恵みが豊富であり、今は何ら不自由はないが天然資源は有限であり、無計画に採取していると近い未来枯渇することは間違いない。天然資源の採取は控えめに、不足するところは自らの研鑽により、新たな資源を生み補う。これが自然との共存共栄を可能とする最良の手段である」とある。

8 地域社会と共に生きる
 重茂漁協の大きな事務所ビルの前は広場になっており、初代組合長の銅像と石碑がある。構内に県立宮古病院付属重茂診療所もあり、道を挟んで漁協直営のガソリンスタンド、直ぐ近くには宮古市役所の出張所、郵便局、バス発着場、数軒の商店もある。           
漁協事務所の3階には数百人が集える大ホール、畳の和室、料理教室が出来る大きなキッチンもある。一言で言えば重茂漁協はこの地域コミュニティの中心になっており、人々はここを拠点にして様々な活動をし、暮らしを営んでいるのだ。最近は事務所から遠くない高台のあちこちに仮設住宅が建ち被災者が住んでいるが、彼らは孤立することなく地域に溶け込んでいる。(写真2は、初代組合長の西舘善兵翁の像と碑)
 先に事業概要の中で「指導事業は赤字1194万円」とあったが、これには季刊誌「漁協」
の総代組合員たちへの配布、岩手県漁連の漁業情報の全組合員への配布、漁協女性部の活動の後援、漁協青年部の活動の後援などが含まれている。組合員が地域で活動するための情報交換、コミュニティの活性化のための活動を後押ししているのである。その一例を示すと重茂半島の入り口には次のような大きな看板が立っている。(写真3。重茂地区の入り口に立つている看板)    
「お願い ここでは合成洗剤を絶対に使わないことを申し合わせた地域ですから ご協力お願いします。 五十五年五月 重茂漁協通常総会 重茂漁協婦人部総会」
今は婦人部ではなく女性部と名前をかえた漁協の女性たちは昨年5月末、2日間にわたって全国の環境保護・合成洗剤追放・石けん利用推進運動の活動家や専門家、数百人を集めて「シャボン玉フォーラムin重茂」というイベントを開いている。漁協からの予算は270万円余。川や海を汚さないための生活スタイルを創る努力を粘り強く続け、自分たちだけでなく、全国に向かって発信し続けているのだ。
また先にも述べた青森県六ヵ所村の核燃料再処理施設への反対署名運動を展開してきた。ひとたび核燃料施設に事故が起こり、放射性物資が海に流出したら、取り返しのつかない悲惨なことになる。母なる海を守りたいという想いから行動してきたのである。
<歴史を振り返る>
ここで簡単に重茂漁協の歴史を振り返っておくと、昭和24年(1949年)の水産業協同組合法の施行の伴い重茂村に漁協を創立以来、大きな出来事の1つは昭和27年(1952年)の定置網の自営開始であった。第2に大きな出来事は昭和30年(1955年)の重茂村と宮古市の合併であったがこの時、両漁協は合併することなく、教育に必要な通学バスや学生寮の資金を宮古市に寄付している。財政的には惜しむことなく協力するが、協同組合の自立・独立は堅持している。昭和38年(1963年)区画漁業権を獲得し、この年に歴史的なワカメの養殖事業を開始した。昭和48年(1973年)高台に新事務所を建設、ガソリンスタンドも新築。昭和51年に、生活クラブ生協、群馬県民生協との取引開始。翌年にはサケマス孵化場の整備と事業開始。以後、年々施設、機械類の整備を行い、生産規模の拡大と生産性の向上を実現すると共に、協同組合自治の発展のイベントを意識的に行い、競争の原理と協同の原理を同時に調和させる試みを実践してきた。

9 まとめ―「共生社会」か、「悪魔の石臼」か?                  
2011年7月末、産直で提携先の生活クラブ生協の組合員や役職員が約100名駆けつけて「バーベキュー交流会」を開いた。これまでの復旧に一区切りをつけて、新しい再建への道を歩むために消費者と生産者が心を一つにしようというイベントであった。重茂の人々数百人が集ったが、ここでは重茂中学校の和太鼓同好会の生徒約20名が見事な演奏を披露し、これに遠く山梨県の生活クラブ組合員の主婦たち10名の和太鼓組が競演、拍手喝采を浴びた。この時期はワカメの種糸を仕込む時期である。これを終えると来年3月には収穫が期待でき実収となる。田植えにも例えられる時期の楽しい盛大なイベントであった。
 バーベキュー大会の開会挨拶で、伊藤隆一組合長は再建のためには地域が一体となって協力すること、われわれ生産者と生協などの消費者が一体となって協力すること、更に広く全国民的な連帯の中で未来を創造してゆきたい、そのためにもと・・・・「私たちは先祖から受け継いだ素晴らしい海を子孫に引き継いでゆくために、六ヶ所村の核燃料再処理施設への反対運動を続けてきました。私たちに対して『漁協がそこまでしなくても良いのではないか』という批判もあったのですが、この度の福島第1原子力発電所の事故で、不幸にも私たちの主張の正しさが証明されてしまったのです」と語り、核廃絶、地球の環境を大切にし、互いに手を携えて協同することの重要性を語った。(写真4.伊藤隆一組合長)     
人間と自然、人間と人間が共に生きる「共生社会」の道を切り拓くか。それともカール・ポランニーが「悪魔の石臼」と呼んだ「ファッシズム」「ソ連型社会主義」と「新自由主義型の格差社会」の弱肉強食の道へ進むか、今岐路に立っているように思われる。
 原子力施設のある福島でも青森でも当該漁協は漁業権を放棄している。1世帯数千万円といわれる補償金や交付金で買収されてしまったわけであるが、その背景には「漁業や農業では飯は食えない」「働き手は老齢化していてもはや継続できない」と嘆く人々や漁業はほんの片手間にしかしていない“漁協組合員”の“賛同”があったという。
 今この度の災害を機会に、漁民から漁業権を奪い、営利企業も漁業に参入できる「特区」制度が宮城県知事の村井嘉浩氏によって称えられ、県漁連の反対にも拘らず政府の復興会議の報告書にも、宮城県震災復興基本方針にも盛り込まれている。村井嘉浩路線を支持する人々は、大資本の導入によって漁業権を放棄する代わりに組合員は莫大な補償金を手にすることが出来るのみならず、大企業による大規模漁業の展開・水産加工工場の操業などによって雇用の機会が生まれ、衰退した漁村は再び蘇るであろう、との誘いに傾く。
 しかし、重茂漁協の実践は「共生社会」への道が決して夢ではなく実現可能であることを示しているのではないか?再生・復興への目途の立たない被災地の人々が今、<危機>の最中にあることは確かである。<危機>は英語で言えば<crisis>であるが、これには<分岐点>という意味もある。<危機>についてイタリアの革命家・思想家のアントニオ・グラムシはこう述べている。「危機は、古いものが死んでも、新しいものが生まれてこないという、正にこの現実の中にあるのだ。このような空白期間には多種多様な病的現象が起きるものだ」(『獄中ノート』雑録34「過去と現在」)
 協同組合陣営にとって重茂漁協は正に危機の中にあって生まれた自治と共生の復興への姿であり、事業経営であり、また地域づくりでもあって協同精神の結晶のような存在であると思う。その第1の理由は、今、求められている第六次産業化を実践し地域社会の持続可能な発展に貢献していること。第2は、協同組合の定義、価値、原則を身をもって体現していること。第3にレイドロー報告が提唱している優先すべき4つの分野をこれまた身を持って実践しているからであると考えるのである。(2011年10月29日、記)










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