日本ユーラシア協会広島支部のブログ

本支部は、日本ユーラシア地域(旧ソ連邦)諸国民の相互の理解と親善をはかり、世界平和に寄与することを目的とする。

日本ユーラシア協会広島支部ニュース   2012年4月10日

2012-04-10 07:09:04 | 日記
 日本ユーラシア協会広島支部ニュース   2012年4月10日
【県連理事会が開催されます】4月21日13:30~ 広島市留学生会館にて

【ひろしまフラワーフェスティバル 】
5月3、4、5日に「ユーラシアの広場」参加します。場所は例年通り平和大通り西詰め付近です。お楽しみに!!

【5月5日14時「NHK東日本大震災復興支援ステージ『花は咲く』」ステージ】
このステージでは、2組の広島在住の歌手が震災への自らの取組や想いを歌と言葉で伝える予定です。カザフスタン留学生マディナ・スマイルカノワさん出演予定。演目は1、ナウリース(春の訪れを喜ぶ歌、カザフの冬は長くとても寒く、マイナス40度前後が一か月近く続きます。従って、学校は長い間休校になります。暗く長い冬は半年近くあります。被災地の人々と同じように、明るい春を喜ぶ気持ちで踊りたいそうです。)2、サウ・ジャイリャウ(きらめく夏、美しい夏 夏に対するイメージは日本と随分違っており、季節の中で一番好き。)

【第59回ロシア語能力検定試験5月27日日曜日実施 会場:袋町市民交流プラザ南棟会議室A】
受け付け期間は4月2日から5月10日です。詳しくはHPをご覧下さい。http://www.tokyorus.ac.jp/kentei/index.html


【「ザマナイ」日本語版PV(by TOMOKOさん)がアップされました。】
ザマナイ~時代よ!~日本語版PV http://goo.gl/Zz8Zv
http://www.youtube.com/watch?v=hmaaiYebx_0森住卓さんのセミパラチンスクの写真とのコラボ。放射能拡散を阻止するためにも、どうかこの歌の普及にご協力ください。いろんな事情でUPできなかったけれど、やっと載せました!とのこと。

[7月30日ローザ・リムバエワさんコンサート(18:30県民文化センター)に広島支部は後援の形で協力します。]

【カリンカ公演記録DVDとBLU―RAYが出来ました】
希望のかたはqyu015271030@at4.mopera.ne.jpまたは08055054872に連絡を。

【日本ユーラシア協会全国総会分科会報告】
2012年3月18日(日)7核廃絶・脱原発
[写真下:分科会7の真木さん(右から2人目)の報告(左熊田さん)]
(7)核廃絶と脱原発(第7分科会基調報告)福島 真木實彦

I)核軍拡競争の激化の中での核軍事技術の民間移転一原子力発電の成り立ち一
①戦後の核軍拡競争の展開
米マンハッタン計画(1942)に始まる核開発、原爆実験成功、広島・長崎での実戦使用
(45)。ソ連核実験成功(49)により米の核独占崩壊。冷戦下における核軍拡競争へ。その後、英核実験成功(52)、ビキニ水爆実験(54・3)、中国核実験成功(64)などと続き、60年代には核拡散防止が戦略的主要テーマとなる。
②核軍事技術の民間移転と目本の原発受容
一方「原子力の平和利用」の提唱('53・12アイゼンハワーの国連総会演説)を起点とする原子力発電の実用化政策はアメリカにとってはソ連との核軍拡競争が熾烈を極める中で、原子力発電で先行されたソ連に対抗し、同盟国への濃縮ウランの提供と核の国際管理機関設置(IAEAの発足57・7)による核態勢の主導権奪還が差し迫った課題となる状況の下で打ち出されたものである。原爆実験反対の世論を打ち消すべく日本への実験用原子炉提供の申し出(54・3・22〕が「第五福竜丸」被爆事件(54・3・1)直後(「事件」の発表は3・16)であったという慌しさの中で原発の日本移出が決定された。冷戦体制下の「逆コース」のもとで反動化しつつあった日本政府はアメリカのこの変化にいち早く対応する。原発導入のこの間の事情がその後の安全性無視の原発体制の起点となったという事実は確認されておいてよい。一方、核の平和利用のための国際管理が強められる中で、原発は、ソ連で初の原発運転開始(54・6)、英商業用発電開始(56・5)、米商業用発電開始(57・12)と続き、日本では、研究用原子炉(原研)初の臨界成功(57・8)から商業用原発(原電)での発電に成功(63・10)、へと続く。

Ⅱ)日本における原発受容の特殊性
①核アレルギー下の日本における原発受容
人類最初の被爆国日本が原発を受容するにあたっては、ビキニでの日本人の被爆とも重なって、原子力の「平和利用」という観点がことのほか厳しく論議された。アメリカヘの全面依存と技術的蓄積を無視した拙速性が当初から内在していたにもかかわらず、「安全性」を神話にするほどに固執せざるを得なかったこの出発点での特異性が、国内的にも際立った対抗関係を生み出した。原発を直接受け持った「電力産業」と関連原発メーカー(東芝、日立、三菱重工業など)、さらに、原子力関連学会、原発を国策と位置付けた「政府」との間に独占的でかつ閉鎖的な癒着構造が形成され、今日まで頑強に原発を守り抜くと言う特殊な構造(「原子力村」)が作り出された。
②日本における原発維持の特異な体質
何よりも先ず指摘されるのは、不安を慰撫するための「原発安全宣伝」の徹底的な展開である。行き着く先は「多重防護装置に守られた原発」という「安全神話」の一人歩きであり、それは自らの安全に対する努力をも麻痺させるほどの深刻さであった。そもそも、「放射性廃棄物」の最終処理方法も未確立のままの商業用原発の見切り発車(「トイレのないマンション」)という根本間題は現在に至るもまったく解決されていない。核処理技術のこの本質的な未熟性は「安全神話」の陰に隠されて先送りされたまま現在にまで至っている。さらに、「事故は想定外」とする判断の欺瞞性が指摘される。今回の事故では津波の大きさの予測という問題に象徴的に現れた。「想定の限度」を決めたのは「安全性」の視点からではなく、もっぱら「経済性」の視点からであった事が明らかとなった。はじめにコスト判断からする限度としての「想定」が設定されており、それを超えるのが「想定外」であったといえる。
③原発維持技術の不完全性
その上、わが国が採用した軽水炉型原発の事故対策として従来から言われてきた「止める」、「冷す」、「閉じ込める」の三行程のうち、今回の福島原発で機能したのは「止める」のみで、炉心のメルトダウンは停止中であった4号炉を除いて1,2,3号炉すべてに及んでいる。つまり、「巨大な熱エネルギー」と「放射性物質の飛散」を十分コントロールする事すらできなかったことが露呈した。米・仏の技術を借りて「冷す」ことに狂奔した実態も暴露され、これまで有効な事故対策の技術的蓄積すら十分なされてこなかったわが国の事故対応の貧しさが露呈されることになった。これらの点からみても、現在の原発維持技術がいまだ本質的に未完成であり、危険を完全にはコントロールしえない段階にあるという事実が証明されたと言わざるをえない。

Ⅲ)原爆は危険で、原発は安全か一核廃絶と脱原発の狭間に
①原発の安全神話の実相
1953年のアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」の提唱以来、とくに核アレルギーの強い日本に原発を持ち込むためには「安全」を神話にまで高めて、「原子力村」といわれる排他的で頑強な支配構造を作って原発を守り通してこざるを得なかった歴史を持っている。そこでは、原爆の「核」と原発の「原子力」は異なるといいう信仰まで動員されてきたのであった。
②原爆と原発は通底している
昨年夏、自民党政権時代のさる防衛大臣が「原発は潜在的な抑止力である」と発言したことを作家の大江健三郎氏が『朝日』の「定義集」で紹介している。核燃料サイクルの確立とプルトニュームの生産能力を日本が持つ事が実は原爆を生産する能力を持つことに通じると言ったものであり、原発は豊かな生活を保障する「経済問題」であるよりは、優れて「安全保障悶題」であることを直言したのである。原発の存在が原爆の保持につながる事が見事に言い表されているものだと言えるだろう。

【問題提起:「日ロ領土問題解決・平和条約締結促進を目指して 事態打開の方途をさぐる」日ユ協会常任理事・京都府連会長長砂實さんより提案。(第5回)次号に掲載。】
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