主の平和 

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日本語英国教会 2014年12月のニュースレターから

2015年01月11日 | 日記
以前、ある人に尋ねられました。「教会は関係ないでしょうけれど、やっぱりクリスマスをやるのですか?」と。微笑ましくもなり、苦笑いしそうにもなりましたが、後で「クリスマスは教会こそ、キリスト教こそ本家本元ですよ」と言ってあげたほうが良かったかなと思いつつも、日本がキリスト教国でない一面を感じさせられました。
十一月に入るやイルミネーションが点され、ラッピングペーパーはクリスマスデザインに変身し、流れる音楽はクリスマス・キャロルです。その間、教会ではイルミネーションも点されず、キャロルも流れずですから、世間から見れば、世の中がクリスマスを終えそうになった頃、教会は後を追いしてクリスマスをしていると思われても仕方ないのかも知れません。
クリスマスの起こりは、イエス様のお誕生にあります。しかし、当時は大々的でなく、綺麗な飾りも音楽もありませんでした。プレゼント交換も、ディナーショーもありませんでした。ごく一部の人々以外誰には、気にも留められていませんでした。大都会エルサレムではなく、当時は名も無きベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中でのことでした。辺りは暗闇に覆われ、ヨセフとマリアの心中を察すれば、どれほど心細かったことでしょう。東方から遠路やって来た三人の学者たちの贈り物の中には、死者の葬りに用いる没薬がありました。幼子の誕生という喜ばしい出来事の中に、すでに「死」がほのめかされていました。しかし、それは単に肉体の「死」に止まらず、神と人のために生き、ご自身を命がけで献げる生き方を貫かれ、その先のご復活に通じるものでした。
加えて思いますに、産声をあげられたイエス様が飼い葉桶の中でなさった最初の行為は「微笑み」であったのではと。「微笑み」はお金もかからず、学歴、経歴も要りません。誰にでもでき、醸し(かもし)出せます。そして、周りをも温かく、穏やかにさせてくれます。私たちに授けられた素晴らしい賜物の一つです。自分自身を、誰かを、もしかしたら世の中さえも変えてくれる素晴らしいものです。そして思いますに、微笑みは喜びを、喜びは感謝を、感謝は行動を生み出すものではなかろうかと。        
香蘭女学校チャプレン 高橋宏幸司祭から

  以下は同学校のチャプレンコーナーのサイトに記載されている、「キリスト教の基本にある心」から引用したものです。

• 違いを否定したり、恐れるのでは無しに、違いを受け入れ、認めていく中で、自らを見出し、他者を理解していくこと
• 授かりものとしての命、即ち生きることを支え合い、分け合うこと
• 自らに与えられている賜物を、捧げ合ったり、分け合ったり、還元すること
言葉を換えて言うなら、「あの人も大変かも知れないけれど、私だって大変なのだ!」という発想や、生き方から、「私だって大変だけれども、あの人も大変だから・・」という視点を、各々の生き方の中に整えていく点にあると言えましょう。

チャプレンとして生徒達を支えている高橋司祭のお働きを覚えてお祈りください。

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