曲がり角で 迷いながら

自分も家族も人生の曲がり角に。戸惑いの中の日々を迷いうろついています。

Yこさん、入退院騒動 いよいよ退院の日(^_^;)

2016年04月05日 | 介護

腕がサイボーグと化した実家母Yこさん。

無事ではないけれど、一応無事に退院の日を迎え、オット母Bこさんを残し、さて、いざYこさんのところへ!

と、思ったら、Yこさんから電話

「困ったことになった。○○(実家弟)は仕事でこれないし、○美(弟妻)も昼過ぎになるのに、退院させられる。今帰っても誰もいないから退院できないっていうのに、だめだっていう。」と泣きの電話。

弟夫婦が仕事で午前中は迎えに来れないというので、私が10時に迎えに行き(弟もちゃんと入院費用のほうは用意してくれてある)昼に弟嫁子さんが帰ってきたら、交代するということになっていて、ちゃんと、退院手続きには姉さんが来るからと、病院にも本人にも伝えてある。

まあ、そのためにわたくしはですね、仕事も変わってもらい、同居のオット母Bこさんのほうは途中でオットに見に来てもらうと、いろいろ算段してですね、いざ❣って時にこの電話ですわ

「とにかく、私が行くから、退院の準備をして待ってて」

と駆けつけました。

Yこの家族ですとナーススティーションに申し出ると、ほっとしたように、

「いやあ、良かったです。退院できないとご本人が言っておられて…。」

「すみません。いろいろ理解できないものでご迷惑おかけしてます。」

と看護師さんとYこさんのところに行くと、ベットの上散乱!

荷物の真ん中にで~~~んとYこさんが座り、促しても動こうとしません。

文字通りフリーズ状態。

「退院って言われても困る」を繰り返しているので、何度も「私が手続きするから大丈夫だ」と言っても、同じことを繰り返して、そのうちぶりぶりしだし、完全にお怒りモード。

私がもろもろ説明を受けている間も(Dr,看護師、薬剤師、リハビリ担当等)ご本尊はふてくされているばかり。

ベットを開けてほしいので、とりあえず、ロビーに移動してもらって、娘さんはお支払いのほうを先に済ませて、それからまた、娘さんだけナースステーションにお願いします。

と、言われたら、もうもう、怒髪天を衝く状態ですわ。

またまた、何もできない動けないとなってしまって、荷造りも何もしませんわ。それどころか、本人がベットから立ってくれないと荷造りもできない状態。とりあえず、カバンに入れられるものは入れて、カートに荷物はぶち込み、気分的にはYこさんもぶち込みたいが、残念ながらそれはできず、「とにかくいったんここを出てロビーに行くよ。」

と、それまで、平気で手も使っていたのに、三角巾がない(してないと痛くて何もできないといっていたのに、その日はしていなかった→痛くないのだよ。動けるのだよ!)と騒ぎだし、ロビーで探すよと、促して、無理やり部屋から出ました。

ふと、振り返るとYこさんが、おらんのですわ

慌ててカートを後ろ向きに持って戻ると、なんと、ナースステーション入り口に仁王立ち!

うへえ~~

と、とにかくロビーに行くよ。

な、なんとかロビーに連れ出し、ソファーに座るように促すも、座らず。

もう構わず、三角巾を探して、つるし、「とにかく先に支払いを済まさないと、予約券も出ないから、行ってくるよ。」

もしかしたら、その辺徘徊しちゃうかもしれないですけど、大型カートと、Yこさん連れてじゃ身動き取れませんから。

ぶっ飛んで行ってきました。

支払いは今診察券を自動支払機に差し込めば直ぐ済むので、直ぐに終わりました。

で、ナースステーションでまたこの次の治療の説明と、リハビリ指示書(ケアマネジャーに提出用)をもらい、それで終了。

予定よりも早く行ったこともあり、10時半には退院手続きは終わりました。

が、この後、いろいろ気に入らなかったYこさん、本格的ストライキに入ったのであります。

→ちっとも進まないYこさん、話はまだ続きます

続くのかよ~~(^_^;)

なんせ、退院手続き終わったのに、微動だにしない御仁がおるもので

 


登呂遺跡に再訪

2016年04月03日 | 近隣を訪ねて

Yこさん、騒動はちょっと置いておいて、春休みなので、マゴと登呂遺跡公園へ行って来た、お話を。

春うらら♪日も当たりすぎず風もなく穏やかな日でした。

登呂遺跡は

遺跡がそのまま広く公園になっていて、普通の公園として使えるので、子どもたちが、登呂遺跡博物館の中では雨でも、遺跡の見学や体験ができ、一日自由に遊べるんです。

もちろん、本当の稲ではないんですが、子どもは面白がって、植えたり抜いたり。

もうすぐ本物の田植えの体験もできますよ。

火起こし体験も、屋内でも屋外でもできて、屋外の弥生時代の家の中に、本物の火が囲炉裏にくべてあって、ちょろちょろの火なのに、入り口に立っただけでも暖かさを感じました。

柳の芽吹きもきれい。

今はまだ田植えをしていない田んぼには、カモが日向ぼっこ。

畦に置かれた木に遺跡の面影が。

カモは、人を恐れず、畦の上もトコトコ歩いたりして、なんとも平和な景色。

この後、もちの家でお昼を食べて、安倍川もちも食べて(ここでも囲炉裏に火が入っていたよ)おもち大好きなマゴたちは、お土産に安倍川もちを買ってもらって大満足でした。

いやあ、うちのマゴ、あまりに弥生時代にフィットしたお地蔵さんのような風体なんです。その子たちが、黄な粉もちをほおばっているのを見るのは、なんとも癒されましたぜ。

それに、昨年の春休みにも登呂遺跡で遊んだんですが、その時のことを思うと、子供の一年ってすごい成長がみられて、びっくりぽんでしたわ~~


Yこさん、入退院騒動 その6

2016年04月01日 | 介護

整形外科での入院、特に、かなりの長期の入院は、実家母Yこさん、もうもうベテランでございます。

最近では早期離床を促すため、相当の重症の人でも、歩かせたり、歩けなかったらベット上でのリハビリも強制的にさせられるのも当たり前です。

以前入院した時も、まだ傷口は固定してさらに大きな保冷材をいくつもあてがっている状態(このときは肩の手術)で、足の曲げ伸ばしをする器具を使って、寝たままの状態で、はい、今回は百回ずつと運動させられておりました。このときは自分でも積極的にやっていましたが…(あれから7年たったんですなあシミジミ((+_+)))。

右足の手術の時は、入院は手術の2日前からして、手術前に松葉杖を使って歩く練習をして、手術後、直ぐから歩行も入浴もOK。だったはずが、その時すでに認知症が出てきていたこともあり、松葉杖拒否。入院中は入浴もせず、左足もたぶん水につけることなく、ストッキングも変えないまま一カ月過ごしたことがありました。本来なら、松葉杖で退院できるはずが、入院中はずっと、車いすで過ごし、退院の前の日に強引に歩行器を使わせてみるというようなことがあり、その後のリハビリが大変でした。

そして、やっと右足の傷が癒え掛かったころ、交通事故で左足をひかれ、4カ月の入院(リハビリ病院含む)となり、認知症も進むという経過のあるYこさんです。

今回は入院は結局3日間と短期でそれはいいのですが、以前の入院の時のことを考えれば当然といえば当然なんですが、

「私は何もできない。しちゃいけないといわれている。」と歩くのはもちろん、車いすにも一人で乗れないだの、立てないだの、横になれないだの、食事も一人では取れないだの…。

デイなどでは、水は汲んでくれるし、薬も出してくれるし、杖は持って駆けつけてくれるのに、ここでは何もしてくれない(当たり前だろうが)。しかも、離れた小児科に入院ですから、何か聞いても返事が来るまで時間がかかるわけですわ。

それ以外にもとにかく、食事がまずいだの、食べさせてくれないだの、内容がどうの、こっちが食べさせている間文句しか言わないんですなあ。最近の病院食って、保温した状態で出してくれますし、ごはんの炊き具合だって、加減してもらえるし、おかずもA,Bの中から選べるんですよ。

と、言ったら、そんなこと言ったって、デイのほうがおいしい。でもデイだって最近はどうたらこうたら、文句ばかり。

いい加減腹も立ってきましてね、「文句ばかり言わないで、もっと、感謝したらどうなの。それに、なんでも自分でできるはずだよ。もうすぐ退院だから、一人で何でもできないと自分が困るでしょ。今のままなら、歩けなくなるよ。寝たきりでいいならどうぞ。でも、自分でできたほうが自分も楽でしょ?」

「だってね、先生だって、手術した後明日朝から診察があるからって私を置いて帰ってしまって、それっきり来ない。」

「昨日はだって、夜の9時だったんでしょ?終わったのが。もう、9時って寝る時間じゃないの?先生だって食事もとりたいし、家にも帰りたいでしょうし。

それで次の日に診察ってそれって今日の事だよ。今先生診察中なんじゃないの?」

「そんなことはない!私の事を忘れているんだ!もう何日も来てくれない!」

「昨日の夜、手術したんだよ。そして、今日診察日ってことは、時間的に考えたって無理でしょ?診察が終わってから見に来てくれるんでしょ?第一、無理に手術もしてくれたんだからね。そうでなかったら、10日後か2週間後になっちゃうから、先生が頑張ってやってくれたんでしょ?先生を少し休ませてやらないとね。」

「え?昨日?昨日じゃない。もっと前だ。」

とまあ、エンドレスですわ。

こっちもわかってはいるんですけどね、(時間的なことがわからなくなっているってことは)こんな言葉を思い出しました。

 

人は3回同じことを繰り返していわれると、怒りを覚える。

そして、5回言われると、殺気を覚える。

 

「忍」と思うんですけどね、にゃあかにゃか、難しいですなあ。

で、結局3日間の「忍(どちらも)」の日が過ぎ、いよいよ退院の日を迎えたわけです。

が、当然、退院の日もひと騒動もふた騒動もありましたがな。

まだまだ、続くんであります~~(今回は短期間の入院だったのに、今までの中で一番長く感じたんでありましたよ)