社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

6月2日(土)

2012年06月03日 21時40分09秒 | 2012年

  11時起床。こんなに朝寝坊したのはいつ以来だろう。

  夕方から友人と出掛け、まずは釣り堀へ。釣りを始めるまでは2人でぺちゃくちゃとおしゃべりをしていたのだが、始まった途端にほとんど無言になる。お互い、浮きに集中して喋る余裕がないのだ。これほどひとつのことに集中する機会もなかなかない。結局、1時間で2人合わせて15匹を釣り上げた。たまにはこういう遊びも悪くない。

  続いては、近所の中学校が使用しているグラウンドで、久しぶりのキャッチボール。最初は投げ方を思い出せずにボールが縦横無尽に飛び回ったが、一度感覚を取り戻すと想像以上にうまく出来るもので、塁間ぐらいまでは無理なく投げることが出来た。終わってすぐに右肩に結構な痛みが走ったことで、自分の身体の劣化を痛感させられた。

  夕食は、「がってん寿司」へ。私はこれまで1度も入ったことがなく、てっきり100円寿司だと思っていたのだが、実際には本格的な部類の回転寿司だった。席に案内される時の大袈裟過ぎる歓迎ムードは案内されるこっちのほうが恥ずかしくなるが、お寿司の味は美味しい。ちょうど朝〆の平目を板さんが目の前でさばいてくれて食べたのが、とても美味しかった。


金目鯛(左)とブリ(右)。


朝〆平目。

  その後、銭湯で汗を流してから、22時前に帰宅。せっかくなので夜更かししようと思ったが、結局0時前には眠くなって布団に入ってしまった。キャッチボールで相当体力を消耗したのだろう。体力、落ちたな。


6月1日(金)

2012年06月03日 18時44分30秒 | 2012年

  6時起床。すぐに大浴場で汗を流し、身支度を整えてチェックアウトの準備を整えてから朝食へ。バイキングだったので、思わず食べ過ぎてしまった。

  7時過ぎにチェックアウトし、大島港07:20発のフェリーで気仙沼へ戻る。

  大島港から、トヨタレンタカーのお店まで、20分ほど歩く。昨日見て回った地域とは反対側(港より南側)を歩いたのだが、こちらもまた甚大な被害を受けていた。

  レンタカーを借り、北を目指す。まずは、陸前高田へ。ここの風景は、おそらく一生忘れることが出来ない。気仙沼や後から訪れる大船渡には津波被害を免れた地域があり、今はきちんと街として機能しているのだが、ここは街そのものが津波によって消滅してしまっている。カーナビがなければ、そこが陸前高田の市街地であると気付くことすらできない。あまりに何もかもが流されてしまっていて、どこが道なのかもわからず、かつて駅のあった場所には瓦礫が積み上げられている。かろうじて残っている建物も、柱という柱に赤いバツ印が付けられている。道を通る車はトラックばかりで、地元の住民の姿は一切見られない。車から降りてあたりを見回すと、何だか全く別の世界に来ているような感覚で、寒気がしてくる。ひとつの街をこんな姿に変えてしまう津波の恐ろしさを、まざまざと見せつけられた。


陸前高田市役所


このすぐ先に、陸前高田駅があったはず。

  北上を続け、大船渡へ。あくまで陸前高田と比べればの話だが、ここは復興が進んでいるように見受けられた。道を走る普通乗用車も多いし、プレハブ商店街も賑わっている。もちろんまだまだ復興への道のりは長いのだろうが、先ほどの光景が衝撃的過ぎたため、少し安心させられた。


大船渡線の完全復旧への道のりは、まだまだ長そうだ。

  来た道を引き返し、気仙沼まで戻る。復興商店街と同様、プレハブ小屋で作られた「復幸マルシェ」に立ち寄り、少し休憩。ソフトクリームを食べながら、しばらく人々の様子を眺める。観光客の姿も所々に見られるが、地元の方々も多く、順調に街の日常に溶け込んでいることが伺えた。震災以降、どこの商店も地域事業者の減少によって地元民の利用が減少しているそうだが、やはり重要なのは私のような観光客ではなく、地元の人々がどれだけ訪れるかだろうと思う。

  再度、南町紫市場を訪問。今度は、「揚げたてコロッケ屋」で、その名の通り揚げたてのコロッケパンを頂く。昨日の「あさひ鮨」の向かいにあって、昨日から気になっていたお店なのだ。ちょうど目の前で揚げあがったところだっただけあって、本当に熱々でおいしい。値段が安く、採算を取るには一体何個売らなきゃいけないんだろうと心配にもなるが、人気も高いようなので、これからも頑張って欲しい。

  続いて、港からすぐ近くにある「復興屋台村」へ。飲食店や地域の地場産品を扱うお土産屋などが集まる、これまでの商店街やマルシェより観光客向けの施設である。その中から、「まるずわいがに」という珍しい蟹を扱ってる「かに物語」というお店に入り、新作メニューだという「蟹ピラフ」と定番の「ビスク」を注文。まるずわい蟹というのは、アフリカの海に生息する蟹だそうだ。知名度はあまりないが、味が濃くて身に弾力があり、美味しい。蟹の殻で出汁をとったというビスクも、濃厚で癖になりそうな味だ。このお店ではもちろん、このお店を経営する株式会社カネダイからも通販でこの蟹が買えるらしいので、蟹好きな母のために今度一度注文してみようかと思う。

  レンタカーを返却し、駅へ戻る。レンタカーの店舗は海岸からキロ単位で離れているのだが、それでも津波の浸水被害で車が全てやられてしまい、約2ヶ月の間営業出来なかったらしい。私を駅まで送ってくださった店員さんも、自宅の被害状況を見に自転車を走らせている時に目の前から来る津波に遭遇し、急いで引き返すという体験をされたそうだ。今は何事もなかったかのように見える地域でも、当時は大きな被害を受けていたということである。

  少し時間があったので、駅前のホテルの喫茶店で休憩。勧められるがままにケーキセットを注文。もう旅も終盤だ。

  気仙沼駅14:26発の快速スーパードラゴン号に乗り、一ノ関へ戻る。車内では完全に爆睡し、気付いたら一ノ関に着いて扉が開くところだった。

  新幹線の切符を1時間半後発のものに変更し、一ノ関駅周辺を散策する。これぞ田舎のターミナル駅という感じののどかさが良い。

  駅前にある食事処「松竹」に入り、名物のソースかつ丼を食べる。ソースかつ丼といえば福井のイメージが強いが、一ノ関も有名らしい。入るなりいきなり、元気な女将さんから「水とお茶、どっちがい~い?」と聞かれ、その後も訛り全開で色々と話しかけてくれたが、半分ぐらい何を言っているのかわからなかった。しかし、笑顔が印象的な愛らしい女将さんである。肝心のソースかつ丼は、福井がサクサクであるのに対して、こちらはしっとり系。しかも、キャベツが入っている。ソースは薄味のものが多めに入っていて、ソースご飯にキャベツとカツが乗っているという感じだろうか。ちょっと好き嫌いが分かれそうな感じもするが、私にとっては大当たり。これは、一ノ関名物というだけのことはある。お店や女将さんの雰囲気も含めて、「名物」の名にふさわしい。

  一ノ関駅17:06発のはやて110号に乗り、大宮へ。乗車後すぐに定番のアイスクリームに舌鼓を打った以外は、ただただぼーっと窓からの景色を眺めていた。

  大宮駅から京浜東北線に乗り、19時半過ぎに実家へ戻る。この2日間、被災地を回ってみて感じたのは、津波被害が想像をはるかに超えて壮絶だということと、それにも関わらず復興に向けて歯を食いしばっている人たちがたくさんいるということである。彼らの心の中には悲しみだけでなく、確かに希望がある。ありきたりの表現になってしまうが、本当に、心から、頑張って欲しいと思う。そして、私もまた、この経験をもとに災害対策について真剣に検討すると同時に、被災地のために何が出来るかを考え、出来ることを実行に移していこうと思う。

  深夜、友人の家へお邪魔し、ご飯を食べながらおしゃべりをして、3時過ぎに帰宅。

 


5月31日(木)

2012年06月03日 17時40分03秒 | 2012年

  5時起床。身支度を整え、6時前に家を出る。本郷台から乗るこの時間の京浜東北線は、さすがにガラガラだ。しかも、東京までずっと空いていた。

  東京駅07:16発のはやて101号に乗り、一ノ関へ。東北新幹線は仙台以北空いてくるイメージがあるのだが、この列車ではむしろ仙台から人が増え、しかも一ノ関で多くの人が降りた。おそらく、平泉へ行く人が多いのだろう。

  一ノ関からは、大船渡線の快速スーパードラゴン号に乗り、気仙沼を目指す。名前からしてどんな列車なのかと思いきや、普通のキハ100系で少し拍子抜けした。一ノ関から気仙沼までは約1時間20分。ひたすら山間部の田園地帯を走る。これといった絶景こそないものの、心落ち着く風景が広がっていた。なお、大船渡線は震災以降完全復旧には至っておらず、気仙沼より先は未だに不通となっている。

  気仙沼駅前の観光案内所でレンタサイクルを借り、気仙沼港を目指す。駅周辺には特に被災を感じさせるようなものはなく、復興が順調に進んでいるように思われるが、港近くのある地点を境に、景色が一変する。1階がぺしゃんこに潰れた建物、2階までが空洞化したビル、ぐにゃぐにゃに折れ曲がった歌碑、沈んだままの乗船用桟橋。さらに先へ進むと、土台だけが残ってかろうじて建物が建っていたことが伺える広大な土地に、廃車の山、廃墟と化した住宅、そして海から数百メートルも内陸へ流された大型船。その地域一帯の建物はほとんど全てが流されてしまったため、はるか遠くまで見渡すことが出来てしまう。これまで何度も各種報道で目にしてきた光景だが、いざ目の当たりにすると本当に圧倒される。背筋が凍るとは、こういうことをいうのだろう。

  昼食は、気仙沼の復興の象徴のひとつとして有名な「南町紫市場」へ。この商店街も津波で壊滅的な打撃を受け、震災直後は大半の商店主が店を畳む決意をしていたのだが、独立行政法人中小企業基盤整備機構などの支援を受けて、プレハブ商店街として再建された。具体的には、中小機構がプレハブを建設して市に貸与し、市が各商店主に無償で転貸しており、少額の管理費が掛かりはするものの、無理なく商売を再開させることが出来たそうだ。ちなみに、内装や設備は自費で負担するそうだが、そこにも多くの補助があったらしい。

  いくつかの飲食店の中から「あさひ鮨」を選び、「復興スペシャル」を注文。気仙沼名物のふかひれが入っているのが特徴だ。カウンターに座り、大将とおしゃべりをして、先に書いた商店街復興の背景を伺った。その復興に際しては、商店街でNPO法人を立ち上げたそうで、大将がその理事長だった。運良く、再建の中心人物から話を聞くことが出来たわけである。もちろん、お寿司も美味しかった。これからも、更なる復興に向けて頑張って欲しい。

  再度プレハブ商店街を散策し、マッサージ屋「元気」に立ち寄る。最近は首と肩の凝りがひどいので、せっかくだからこの商店街でマッサージを受けようと思ったのである。客は私1人だったので、30分のマッサージとその後のサービスで頂いたケーキを食べる時間、マッサージ師さんからいろいろと震災当時の話を伺った。彼女は当時、海から数百メートルのところの川沿いにある船員保養所で働いていて、地震のあとしばらく建物の外で他の人々と話をしていたが、遠くから波がやってくるのを見てすぐに建物の3階へ上がり、難を逃れたらしい。しかし、建物は壊滅的な被害を受けて事業継続の見込みが立たず、現在のマッサージ師の仕事に就いたとのことだった。その他にも、津波で沿岸部の重油タンクが流されて湾内に流れ込み、湾全体が炎に包まれたという話や、被災前の町の様子を写真で見せてくれたりした。

  レンタサイクルを返却し、タクシーで船乗り場に移動。15:20発の大島行フェリーに乗る。湾内の沿岸部は森のように木々が生い茂っているのだが、所々で海辺の木が変色していた。先ほどの話のとおり、本当に海が燃えたんだということがひしひしと伝わってくる。

港は未だにこういう状態。


大島に到着。

  港まで車で迎えに来て頂き、「休暇村気仙沼大島」にチェックイン。夕食の時間まで2時間ほどあったので、周辺の散策に出かける。この大島も津波で大きな被害を受けたようで、近隣の砂浜には廃車や瓦礫の山が出来ていた。しかし、自然に溢れた物静かな島は、歩いているだけで心が癒されるような気がする。

  夕食は、刺身の舟盛を中心としたコース料理。刺身はもちろん、ふかひれ釜飯が美味しかった。

  夕食後は、ゆっくりと入浴。あまり広くはないが、やはりゆっくりと湯船に浸かると体が軽くなる。その後はテレビを見ながらゆっくりと過ごし、翌日も早いので23時前には就寝。