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人生そのものがフィールドワーク。

2月13日(月)⇒14日(火)⇒15日(水)(娘の誕生)

2018年02月24日 11時17分31秒 | 2018年

  2月15日の0時34分に、私たち夫婦に第一子が誕生した。女の子である。今回は書き方を少し変えて、出産までの経過を時系列に記録しておく。


■2月13日

19時14分
妻からLINEで「夕方からお腹に張りが出てきたけど、陣痛かどうかはまだわからない」と連絡が入る。

23時00分
妻と電話で話す。「前駆陣痛っぽい感じはあるけど、まだまだ病院に連絡するようなタイミングではないねー」という感じ。

■2月14日

02時07分
妻から電話。「陣痛らしきものが10分間隔くらいであるので、一度病院に行って見てもらう」とのこと。

03時26分
妻からLINEで「前駆陣痛(このまま収まる)か本陣痛かわからないが、とりあえず朝まで入院することになった」と連絡。

04時38分
妻からLINEで「モニター検査の結果、本格的な陣痛には程遠いが、一応朝にもう一度検査するらしい」と連絡。

07時05分
妻からLINEで「痛みが強くなってきた」と連絡。この時点で私も病院に向けて出発。

09時25分
私が病院に到着。陣痛は約10分おき。子宮口は1センチ位開いているとのこと。ここから付き添い。この頃は妻にも余裕があり、私も専用アプリを使って陣痛の間隔を計ったり、軽く腰をさすったり、2人でウトウトしたりして過ごす。

※ここから先は時間感覚もおかしくなり、記憶も定かでないので、少し曖昧な記録になる。

15時00分頃
妻の陣痛がどんどん強くなってきて、陣痛が来るたびに強く腰をさすったり、お尻を押したりするようにして痛みを逃がす。でも、子宮口は3センチも開いていない。助産師さんが痛みの逃がし方や呼吸法などについて詳しくアドバイスをしてくれた。

20時00分頃
この頃になると、妻の陣痛を痛がる様子が見ていられないほどになってくる。陣痛が来るたびに全力でお尻を押し、習っていた呼吸法を維持するよう手伝う。子宮口は7センチくらいなのでまだ少し早いのだが、これ以上経つと移動が大変になるかもしれないとのことで、分娩室へ移動する。ここからは、助産師さんもほとんどずっと一緒にいてサポートしてくれた。

21時40分頃
陣痛の痛みがとんでもないことになっていることが、妻の様子から嫌というほど伝わってくる。目の前で妻が拷問を受けているが、何も出来ない感覚。ただただ妻の手を握り、ありったけの力を込めてお尻を押す。しかし、陣痛の間隔が少し空いてきてしまい、一度準備室へ戻ることになる。準備室に戻ったところで、助産師さんから「旦那さんは少しでいいので眠ってきてください」と言われ、一旦妻の病室へ戻る。しかし、横になっても全然眠れない。

22時30分頃
私が戻った時には、妻は弱気になってきていた。私が一緒にいなかったせいだと自己嫌悪。妻の「もう無理!」という言葉を聞いて、助産師さんに「今からでも帝王切開にしてくれませんか」と依頼。しかし、子宮口の開き具合も良い(10センチ)から、もう少しなので頑張ってみましょうと言われる。そして、再度分娩室へ移動。少しずついきみ始める。

23時30分頃
いきんでもいきんでもなかなか赤ちゃんが下りてこない。助産師さんが吸引分娩が出来るかどうか相談しようと医師の先生を呼んでくれたが、まだそれが出来る状態ではないとの診断。また、その診察そのものがかなりの激痛らしく、のた打ち回る妻。ここから1時間、とんでもない激痛に耐え、汗だくになりながら妻はいきみ続けた。私は、助産師さんの指示を受けながら、いきみやすいように妻の足の裏をつかみ、いきむタイミングに合わせてお腹のほうに引っ張るという行為をただただ繰り返す。しかし、妻のいきむ力が強すぎて、私が全力で引っ張っても足はなかなか動かない。この頃には、妻だけでなく私も汗だく。

■2月15日

00時20分頃
どう考えても妻の体力は限界を超えている。このままだと本当に死ぬんじゃないかという不安が頭から離れなくなる。しかし、ここで助産師さんから「あと1回とは言えないけど、もうあと数回で出て来ると思うから、頑張ろう!」と言われる。そして、ここからは医師の先生も常駐に。会陰切開も確かこの時にしたのだと思う。以前の私はこの会陰切開というものが怖くて怖くて仕方がなかったのだが、いざその時にはそれどころではなくなっていた。妻も、そこに関しては全くのノーリアクション。ここまでの苦しみに比べたら、そんなものは何ともないのだろう。

00時34分
ついに、ついに、赤ちゃんが出て来る。生まれてきた我が子の姿を見た瞬間、自分でも驚くほど大量の涙が溢れ出てきた。そして、これもまた驚くほど自然に、妻に向かって心から「ありがとう」という言葉が出て来た。この時の妻の表情、助産師さんやお医者さんからの「おめでとう!」の声、そして赤ちゃんの初めての泣き声は、一生忘れないと思う。

00時40分頃
妻の出産後検診のため一旦病室に戻って、親族に連絡。ちょっと寝ようかとも思ったが、アドレナリンが出まくっていて全く眠くない。

01時00分頃
分娩室に戻り、妻と赤ちゃんと対面。この時の最初の感想は「よくこんな大きなものが出て来たな」というもので、「かわいいな」はその次だった。投薬や経過観察のために、ここから2時間ほど分娩室で過ごす。元気な赤ちゃんと、無事に生きている妻を見て、心から安堵する。そして、ずっと寄り添ってくれた助産師さんに、心から感謝した。妻が点滴を受けている間、赤ちゃんの手を握ってみたり、匂いをかいでみたりする。ミルキーのような甘い匂いがした。

03時30分頃
妻と一緒に病室へ戻り、妻はベッドで、私はソファで横になる。私は45時間くらい、妻はそれ以上に眠っていなかったので、さすがにこの頃になると睡魔がやってきた。ここからも妻は1時間ごとに検査があったりしたのだが、一応これにて出産の流れは終了となる。

 

 

  ここからは、「出産で大変だったのは妻であって、それに比べたら夫である私の感じた大変さなんかはくそみたいなものだ」という圧倒的な真実を一旦置いておいて、出産に立ち会った私が感じたことを書いておきたい。

  まず率直に言いたいのは、立ち会いは地獄だということ。自分の一番大切な人が目の前で拷問を受けているのに、自分に出来ることは何もないという状況が延々と続くのだ。腰をさすったり、お尻を押したり、汗をふいたり、水分補給をしたり、呼吸を整えたり、励ましたり等々、今改めて文字にしてみれば、”やること”はそれなりにある。しかし、「妻がこれだけ苦しみながらも頑張っているのに、俺に出来るのはこんなことしかないのか」というあの無力感は本当にたまらないものだった。

  では、次の機会があっても立ち会いはしないのかというと、結論から言えば、間違いなく立ち会う。しかしそれは、「赤ちゃんが生まれた瞬間の感動がすごくてー」なんていう理由ではない。「1度立ち会ってしまったから」である。今回、出産後に妻から「あなたが一緒にいて励ましてくれなかったら最後まで頑張れなかったと思う」と言われた。その時私は素直に嬉しかったが、一方で「これで『次回は立ち会わない』という選択肢は消えたな」と思った。1度立ち会って、妻から「立ち会ってくれて良かった」と言われたのに、次は立ち会わないなんてありえない。妻がもう1度あのチャレンジをする覚悟を決め、そのために私の立ち会いがほんの少しでも役に立つのなら、夫として逃げるわけにはいかないだろう。もし逃げてしまったら、そこで夫婦関係にひびが入るんじゃないかと(かなり本気で)思う。逃げるにはもう遅い。逃げるなら、最初の出産の時から逃げなければならなかったのだ。ちなみに、だから私は妻に「次は帝王切開にしない?」と提案している。妻も「うん、出来ることなら私もそうしたい」と言っている。もちろん、帝王切開には帝王切開のリスクや大変さがあるのだろうが。

  次に、妻に対しては、本当に心から「ありがとう」という気持ちになると共に、今まで誰にも抱いたことのないレベルで尊敬の念を抱いた。巷でよく言われている「母は強し」という言葉の意味が、実感をもって理解できたような気がする。そしてその実感は、これからも繰り返し感じながら、強くなっていくような気がしている。一方で、私は「強い母」にはなれないかもしれないけれど、それとは別の形で子どもの幸せに寄与できるような父親像を模索していこうと思う。まだ、それがどういうものかはわからないけれど。とりあえずは地道に、おむつ替えを完璧にマスターするところから始めましょうか。

  続いて、病院の皆さん、特に助産師さんに対しては、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。他の病院がどうなのかわからないので比較は出来ないが、今回お世話になった助産師の皆さんは本当に全力で妻を支えてくださった。冷静でありながら温かく、時には励まし、時には落ち着かせ、熱心にサポートをして頂いた。仕事柄、今まで私は様々な業種の方々と接する機会を持ってきたが、助産師という仕事にはまた格別の素晴らしさがあると思う。出産後の授乳や沐浴、抱っこやお世話の仕方などのアドバイスもたくさん頂いたし、退院の際には「わからないことがあったらいつでも電話してね」と優しく微笑んでくださった。私たちにとっては、天使のような存在だった。本当に本当に、ありがとうございました。

  最後に、出産まで里帰りしていた妻を支えて下さり、出産後も面倒を見てくださっている妻のご両親とお婆さん、私の両親をはじめとしてずっと気にかけてきてくれた家族や親族、友人たち。それに、「仕事なんかなんとでもなるんだから奥さんのことだけ考えろ」と言って仕事をフォローしてくださった職場の方々。みなさんのフォローがなかったら、今こうして無事に子どもを迎えることは出来ていなかった。本当に、ありがとうございました。

  娘の名前は「千鶴」に決めた。前々からほとんど決めていて、出産後の分娩室で妻と再確認し合って、すぐに決まった。まあ、生まれる前から私が勝手に「ちーちゃん」と呼び続けていたから、半ば強制的だったのかもしれないけれど。


1月23日(火)

2018年02月23日 23時28分12秒 | 2018年

  11時起床。昼前から少しお散歩に出る。目指すのは、駅前のTSUTAYA。本来は外出を自粛すべきところだが、さすがにDVDでも観ないと時間が潰れない。

  道の雪はだいぶ解けはじめている。それでも、雪景色の中を歩くのは楽しい。

  大量のDVDを借り、自宅へ戻る。どんどん雪は解けている。

  今日の食事は、缶詰のみかん、アジアン料理屋さんからデリバリーして頂いた生春巻き、フルーツサラダ、蟹の揚げ物。食べたいものを食べ、寝たい時に寝て、あとはひたすらDVD鑑賞という生活。


1月22日(月)

2018年02月23日 22時54分55秒 | 2018年

  昨日、若干微熱(37.3度)があったので薬をもらっておこうと休日診療の病院へ行ったら、インフルエンザの陽性反応が出た。いやいや、ちゃんと予防接種したし!熱も微熱だし!と思ったのだが、お医者さん曰く「予防接種しても罹ることはあるし、予防接種をしてたから高熱が出ていないんでしょう」とのこと。なるほど。

  朝一で会社に電話をしたら、なんと上司もインフルエンザに掛かったという。そういえば、金曜日にゴホゴホしてたっけ。また、他の部署でも発症があったそうだ。これは、間違いなく職場内でウイルスが蔓延している。

  というわけで、今日からしばらく予期せぬ形でのバカンスとなった。予定していた仕事を同僚に代わってもらったり、延期できるものは延期したり、自宅で出来る作業はデータを送ってもらったりと、結構バタバタ。ただ、熱が高くない分、身体のだるさはほとんど感じないので、それほど苦にならない。

  今日は朝から雪が降り始め、時間が経つにつれてどんどん積もっていった。今日会社に行かずに済んだのは、正直ラッキーだ。

  深夜になって雪が止んだので、外へ出てみる。なかなかの積もり具合である。


1月20日(土)

2018年02月23日 22時29分00秒 | 2018年

  9時起床。午前中、宅配で弟からベビーベッドが届く。甥っ子が産まれた時に私たちの親からプレゼントされたもので、今回そのお下がりを頂いた。思っていたよりも大きい。

  昼前に家を出て、会社へ。会社の入っているビルの隣に教会がある。普段はあまり意識することはないのだが、今日はいつもと違う経路で歩いていたら、その教会がやけに美しく見えた。こんなに存在感のある建物だったのか。そういえば、前々から一度ここの礼拝に参加してみたいと思っていたんだった。日曜日に関内へ来る用事があれば、次こそは参加してみよう。

  18時過ぎに仕事を終え、蒲田へ戻る。夕食は、「カフェドコバ」のマカロニグラタン。冷凍食品でないきちんとしたグラタンを食べたのはいつ以来だろう。

  20時前に帰宅。通販で購入した自宅用クリーニング溶剤「ハイ・ベック」が届いた。さっそく、説明書に従ってコートとスーツを洗ってみる。全自動で洗うわけではないので普通の洗濯に比べれば手間が掛かるが、仕上がりは期待以上だった。汚れは確実に取れているし、生地の手触りが明らかに良くなった。そして、一番心配していたシワもほとんどついていない。クリーニング屋さんの営業時間に合わせて出しに行ったり受け取りに行ったりするのが大変だったので、これは本当にありがたい。


1月19日(金)

2018年02月23日 22時07分31秒 | 2018年

  7時起床。日中は、オフィスで事務処理。

  15時過ぎに会社を出て、車を借りて津久井方面へ向かう。今日は仕事の終わり時間から考えると帰りの電車がなくなる可能性があるので、自力で帰れるように車を選んだ。

  横浜町田インターチェンジから東名高速に乗る。道路は空いているし、夕焼けがとても綺麗だ。

  海老名周りで圏央道に入り、厚木PAで休憩。ここで、早めの夕食をとることにする。フードコートに入っている「B-1グルメ賑わい屋」のメニューの中から、兵庫県加古川市のB級グルメ「加古川かつめし」を注文。牛かつの丼ぶりにデミグラスソースが掛かっている。ソースの酸味が結構あるので、ハヤシライス牛かつのせ、といったイメージだろうか。

  相模原ICで高速を降りる。渋滞を恐れて早めに出発したのだが、びっくりするほど道路が空いていたので、約束の時間までかなり余裕がある。そこで、以前に今日の訪問先のお客さんからおすすめされた「さがみ湖プレジャーフォレスト」のイルミネーションを観に行くことにした。現地に到着すると、駐車場には普通車だけでなく大型バスも連なっており、人気の高さが一目でわかった。そして実際に場内へ入ってみると、圧巻の景色が広がっていた。広い敷地を存分に使ったスケールの大きなイルミネーションの数々。一周見て回るだけでもかなり大変だ。また、巨大なクリスマスツリーや音楽に合わせて点滅する光のショーもあり、思わず息をのんだ。これはすごい。来て良かった。ただ、周りがカップルだらけで、スーツ姿で1人で歩く私はかなり浮いていたが。

  20時から支援先の会合に出席し、終わったのは22時半過ぎ。終電に間に合うかどうか微妙な時間だ。やはり、車で来て正解だった。

  帰りも厚木PAに立ち寄り、同じく「B-1グルメ賑わい屋」で秋田県横田市の「横手やきそば」を食べる。この時間の夜食は不健康だとわかりつつも、食べたくなってしまう。

  蒲田でレンタカーを返却し、0時半過ぎに帰宅。