社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

2月23日(日)

2014年02月24日 00時15分13秒 | 2014年

  かれこれ、このブログを更新しなくなってから2ヶ月が過ぎた。気合いを入れ直して今日から再開、というわけではないのだが、先日このブログを読んでいる友人から生存確認の連絡を頂いたので、久しぶりにこのページを開くことにした。心配してくれてありがとう。

  最後の更新は昨年の12月24日。何とも意味深な日付だが、深い意味はない。特に体調を崩したとか、精神的に追い込まれているとかいう理由で更新をやめたわけでもない。ではなぜかというと、それは大きく2つの理由による。

  第1に、単純に仕事が忙しくなった。平日帰るのが遅くなり、帰ってきても入浴と洗濯等の家事を済ませたら日付をまたいでしまうようになった。更に、何だかんだで週末もほとんど出勤している。今週末でいえば、今日は完全オフだったが昨日は一日オフィスに籠っていた。今振り返ってみて初めて気付いたのだが、今年に入ってから完全オフだった休日は、今日を含めて4日しかない。だから、平日に帰ってきてからパソコンを開くことはなくなったし、週末は仕事と遊び(休日が少なくなればなるほど、逆に貴重な1日を外でアクティブに過ごしたくなるものなのだ)でほとんど部屋におらず、結局平日同様パソコンを開くことが少なくなっている。しかし、幸運にも仕事そのものはそれなりに楽しいので、体力的に不安な面はあるものの、それほど苦痛は感じていない。むしろ、ぶっちゃけ業務量的にはまだまだ余裕があるし、これぐらいのほうが張り合いがあって良い。

  第2に、プライベートでの右往左往が半端ない。しかし、それは悪い意味ではなく、むしろ前向きかつ積極的な選択の結果としての右往左往である。その内容自体は非常に一般的で誰しも(私自身も過去に)経験のあるようなことなのだが、この先の人生と言うと大袈裟なものの、少なくともこれからの5年の過ごし方を大きく左右することだろう。そのため、今はそれ以外のことへの感度が極端に鈍くなっていて、例えば景色が綺麗だとか、食べ物が美味しいとか、人との交流が楽しいという、このブログで書くような事柄への意識が希薄化している。これは、いつからかデジカメを持ち歩かなくなったことからも明らかだ(理由がよくわからないが、唯一変わらず、むしろ高まっているのは、読書への意識ぐらいである)。おそらく、このような現状は、それほど望ましいものではない。少なくとも、栄養さえ取れれば食事のメニューなんてどうでもいい、という今の私の状態は、決して幸福なものではない。しかし、今はそれでいいのだ。それぐらい、今私が右往左往している事柄には価値があるのだ。

  このような理由で、今はブログの更新をしていない。正直、書きたいことは毎日それなりにあって、頭の中で文章を組み立てたりもしている。毎日書いている時は面倒臭さを感じることも多かったが、書くのをやめてみると、その魅力に改めて気付かされるものだ。ただ、ブログを書かなくなって良かったこともひとつある。厳密には、このブログを書かなくなってというよりもプライベートでの右往左往が原因なのだろうが、食事を気にしなくなったことによって、年明けから1ヶ月で体重が6キロ落ちた。現在の数字は、ちょうど高校を卒業して大学に入った頃と同じである。ただ、おかげでスーツは全てブカブカになってしまった反面、なぜか顔がそれほど痩せないので、人からはあまり気付かれない。

  とにもかくにも、こういうわけで、ブログの更新休止はしばらく継続します。随分と長ったらしく理由を述べましたが、要するに何が言いたいかというと、ブログの更新はしていなくても、相変わらず元気でやっています、ということです。