社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

9月22日(月)

2014年09月28日 00時15分03秒 | 2014年

  6時起床。朝食は7時半からなので、朝の散歩に出る。少し肌寒いが、空気が澄みきっていて気持ち良い。馬たちは、もう元気に放牧地に出てきている。早起きだこと。

  昨日の芦毛ちゃんはいるかなと思ったら、朝から元気に走り回っていた。食欲も旺盛である。かわいさも全開である。

  ペンションへ戻ると、目の前の牧場で1歳の幼駒とそのお母さんが仲良く散歩していた。そのうち他の幼駒も寄ってきて、草を食んだり、かけっこをして遊んだりしている。思わず笑みがこぼれてしまう光景である。

  朝食は、自家製の野菜やイクラ漬け、鱒など、これまた美味しいものばかり。昨日の夜にあれだけ食べたにも関わらず、驚くほど食が進む。

  他の宿泊者の皆さんと一緒にオーナーさんの車に乗り、JRAの調教施設見学に連れて行って頂く。この宿の大きな魅力のひとつが、この見学ツアーだ。オーナーさんの人脈によって、普通は入れない施設を見ることが出来るのである。

  その施設までの道のりも、景色が抜群で癒される。こんな景色が毎日見られるなんて、ここで生活している人が本当に羨ましい。

  見学するのは、JRA日高育成牧場(軽種馬育成調教センター)。まずは、調教用の屋内ウッドチップコースへ。ちょうど走っている馬がいて、調教の様子を見ることが出来た。ここでは、調教タイムを全てコンピューターで管理しており、馬の調子や調教の強弱が一目でわかるようになっている。

  屋内コースの隣には、超広い調教コースが広がっている。中には、直線2,000メートルのコースなんかもあるらしい。新潟競馬場に直線1,000メートルのコースがあって名物となっているが、その倍の直線コースがあるのだから、ここがどれだけ広いかよくわかる。

  車で高台に上り、施設全体を見渡す。これだけ高いところへ上っても、施設の一番遠くは見えない。また、よく見るとわかるが、ここにはラチ(柵)のないコースがたくさんあって、「コースというのはラチで囲まれているもの」という常識をぶち壊される。確かに、よく考えてみれば、広さが十分にあれば、ラチでコースを区切る必要はないのだ。


右側の色が濃い道は馬用で、坂でも滑らないようになっている。


オーナーのMさんと一緒に。

  続いては、1周1,600メートルのダートコースへ。調教チェック用の塔に上ると、1周全体がよく見渡せる。確か、川崎競馬場は1周1,200メートルだったっけ。そう考えると、簡単には言ってみたものの、1周1,600メートルの調教用コースって、贅沢なものである。

  最後に連れて行ってもらったのは、ウッドチップの坂路コース。これまで、競馬新聞の調教情報等で「ウッドチップの坂路で○○秒」というようなものは読んでいたが、いまいちそれがどういうものなのかイメージが出来ていなかった。しかし、今回実物を見たことで、スーっと理解することが出来た。この坂路、私が思っていた「坂」よりもはるかに急じゃないか。それを見ていて、野球部の頃の練習で階段上りをさせられたことを思い出した。

  大満足で見学を終え、ペンションへ戻る。目の前の放牧地では馬たちが元気に歩き回っていて、私たちが柵のほうへ近づいていくと寄ってきて、挨拶してくれる。中には、お腹の膨らんだ繁殖牝馬もいる。あのお腹からまた新しい命が産まれると思うと、何だかとても愛らしい気持ちになる。どうか、無事に産まれますように。

  オーナーさんや他の宿泊者の皆さんと別れ、ペンションを後にする。旅行で宿泊先を発つのに、こんなに名残惜しかったのは初めてである。本当にお世話になりました。また、必ず来ます。

  車を走らせ、新冠へ。途中、休憩した場所からの農園風景があまりにものどかで、ついつい長居。こういう場所で暮らすのって、現実的には苦しい面もあるのだろうが、やはり憧れる。

  ペンションで一緒に宿泊していた方から教えて頂いた牧場「ビッグレッドファーム」へ。ここでは、事前の予約や連絡なしに、有名な種牡馬たちに会うことが出来る。事務所で受付さえすれば、牧場内を自由に散策できる上に、厩舎にも出入り自由なのだ。

  今日は、合計で10頭の種牡馬に会うことが出来た。中でも有名なのは、やはりコスモバルクとアグネスデジタルだろう。アグネスデジタルはご機嫌斜めで、私が近づくとお尻を向けて後ろ足で足踏みをして「あっちいけよー」と怒っていた。一方、コスモバルクはとても大人しくて、体を撫でてあげると目を細めて喜んで(?)いた。また、ロサードという馬もいるのだが、彼は随分とツンデレの構って欲しがりで、一見ご機嫌斜めなのかと思いきや、立ち去ろうとすると何かと気を引こうとして、撫でてくれと要求してきた。そんな素直じゃないところもかわいい。


ハイアーゲーム君(主な勝ち鞍:青葉賞、鳴尾記念など)


アドマイヤマックス君(高松宮記念、富士ステークスなど)


アグネスデジタル君(安田記念、天皇賞(秋)、マイルCS、フェブラリーステークス、香港カップなど)


ご機嫌斜めなデジタル君。邪魔してごめんよ。


ロサード君(産経賞オールカマー、小倉記念、京阪杯ほか)


ツンデレなロサード君。


コスモバルク君(弥生賞、セントライト記念、シンガポール海外GⅠほか)


なんともいえない優しい表情のバルク君。

  もっともっとたくさんの牧場を巡り、たくさんの馬たちと戯れたい気持ちを何とか抑え、帰途に就く。日高を過ぎたあたりで周りの景色から牧場がなくなると、一気に寂しさがこみあげてくる。ここには、また必ず戻って来るだろう。

  レンタカーを返却し、新千歳空港にある「松尾ジンギスカン」で夕食。よく考えたら、馬に夢中で昼食をとるのを忘れていたので、めちゃくちゃお腹が空いているのだ。そのため、通常のセットでは物足りず、お肉のお代わりをしてお腹いっぱい食べた。やっぱり、ジンギスカンは美味しい。


デザートには、花畑牧場のキャラメルミックスソフトクリーム。

  お土産を買い、新千歳21時00分発のJAL528便で羽田へ戻る。帰りの飛行機も満席。その後、羽田から実家へ帰宅。

  今回の旅行は、競走馬の生まれ故郷を見たい、という単純な動機で計画・実行した。そして、その目的は十二分に達成することが出来た。そこで感じたのは、競馬場で見てきた彼らと、この牧場で見た彼らは、本当に同じ競走馬なのだろうか、ということである。競馬場で見る彼らは、眼光鋭く、全身から汗をかいて、ピリピリした雰囲気を醸し出している。一方で、牧場での彼らは本当にリラックスしていて、無邪気で、ワガママで、ストレスとは無縁に思える。どちらが彼らの本来の姿であるかは、考える余地もないだろう。しかし、だからといって、私は競馬産業を否定するつもりはない。確かに少し複雑な気持ちもあるが、私がどうあがこうが競馬は存在するし、競馬が存在しなければあの牧場も、そして馬たちもまた、存在しなくなるのである。だから私に出来るのは、彼らをただ見守り、応援し、そして無事にレースを終えて穏やかな余生を営めるよう祈ることだけである。特に、最後の部分に関しては、引退した多くの競走馬にとって、その余生は穏やかではないと聞く。昨日と今日会うことが出来た功労馬たちのように余生を過ごすのは、ほんの一部なのである。そんな現状に対し、何が出来るのか。NPOを始めとして、数多くの団体が引退後の競走馬の生活を支える活動をしている。その活動に少しでも寄与することが出来ればと思う。今回の旅行を通して、競走馬たちの現役前、現役後の様子を目の当たりにし、そんなことを考えさせられた。


9月21日(日)

2014年09月28日 00時14分09秒 | 2014年

  6時半起床。7時半前に家を出て、京浜東北線と京急線を乗り継ぎ、羽田空港へ。今日から1泊2日で、北海道へ競走馬の牧場を見に行く。

  羽田09時30分発のJAL509便に乗り、新千歳へ。連休中ということで、前後の便も含め、新千歳行の便は全て満席になっていた。

  新千歳空港(の近く)でレンタカーを借りる。北海道で競走馬の牧場が集まっているのは、札幌や千歳から見ると南東方向、「日高地方」と呼ばれるJR日高本線沿線の海沿いの地域である。ここに、日高や新冠、浦河など、競馬ファンには有名な馬産地が連なっているのだ。新千歳から高速道路で1時間も走れば、道沿いに牧場が見えるようになってくる。

  まずは、新冠へ。新冠には、「サラブレッド銀座」と呼ばれる牧場の集合地域がある。この通りを走ると右も左も牧場という状態になる。しかも、その牧場の敷地がとんでもなく広い。

  サラブレッド銀座を進む前に、道の駅「サラブレッドロード新冠」で休憩。ハイセイコーの銅像や、この地域で生まれた名馬たちの記念碑が建てられている。三冠馬ナリタブライアンを始め、トウカイテイオー、ビワハヤヒデ、マヤノトップガンといった「超」のつく名馬たちが、ここ新冠で生まれたのだ。また、道の駅の向かいには、株式会社優駿という会社がある。完全に、競馬の街だ。

  左右の牧場の様子を眺めながらサラブレッド銀座を走り、「優駿メモリアルパーク」(優駿記念館)へ。ここでは、主にオグリキャップに縁のある展示物を見ることが出来る。また、オグリキャップはもちろん、ナリタブライアンやパシフィカスといった名馬、名牝のお墓もこの敷地内にある。

  優駿記念館に入る前に、その隣の放牧地に1頭の馬がいて、数人の競馬ファンが熱心にカメラを向けていることに気が付く。近寄ってみると、なんとその馬はマヤノトップガンだった。1995年の菊花賞に始まり、同年の有馬記念、翌96年の宝塚記念、97年の天皇賞(春)と数多くのGⅠレースを制した歴代最高峰のステイヤー(長距離を得意とする馬)である。私の中では伝説の馬なので、失礼ながらそもそもまだ生きていたことに驚いたし、今目の前にいるということが信じられず、感動で背筋がゾクゾクした。第一印象は、思ったより小さいということ。また、もう22歳のおじいちゃんだからかもしれないが、落ち着いていて優しい雰囲気を醸し出している。毛艶も良いように見えたし、充実した余生を過ごせているようで良かった。

  優駿記念館に入ると、オグリキャップ一色だった。数多くの記念品や写真の展示に、ドキュメンタリー映像の放映、数多くのファンからのメッセージを通して、「芦毛の怪物」と呼ばれた彼がいかにすごい馬だったかが伝わってくる。地方競馬(笠松競馬)から中央に乗り込んできたというのもカッコイイし、何より引退レース(1990年の有馬記念)の映像は涙が出るほど感動的だ。また、建物の裏には、ナリタブライアンの記念碑があった。ナリタブライアンに関する細かい説明は後々することになるのでここでは割愛するが、こちらもまた伝説の名馬である。

  サラブレッド銀座の途中で車を止め、牧場沿いの道を歩く。まだ子どもの馬たちが、元気に走り回って遊んでいる。私が柵のほうに近寄っていくと彼らも寄ってきて、クンクンと匂いを嗅ごうとする。なんてかわいいんだろう。これまで、私の中でサラブレッドは「かっこいい」という印象だったのだが、今回の牧場訪問でそれが一気に「かわいい」に移った。こんなかわいい様子は、競馬場では決して見られない。

  更に車で東へ進み、浦河地区へ。今日の宿泊先は、この地区にある。今回は、「ホースヴィレッジ ペンション 馬の宿」というペンションを選んだ。牧場に囲まれた立地で、部屋の窓の外も牧場。素晴らしい環境である。オーナーさんに部屋を案内して頂き、荷物を置いて、自転車を借りてさっそく周辺の牧場散策へ出かける。

  ペンションを出てすぐのところにある牧場で、芦毛の牝馬と出会う。私を見つけると一目散にかけてきて、猛アピール。頭を撫でてあげていると、隙を見ては私の手を噛もうとしてくる。それが出来ないと気付くと、今度は私のパーカーを噛んでハミハミしている。甘えているのだ。このかわいさは、完全に反則である。結局、かなり長い時間じゃれ合っていた。あまりのかわいさに、思わず柵を乗り越えて抱きつきたくなるほどだった。

  芦毛ちゃんの反対側の牧場に行ってみると、今度は複数の若駒がのんびりと草を食んでいた。こちらも私を見つけると、寄ってきてくれる。撫でられるのが好きなようで、やめようとすると首を上下して催促してくる。例に漏れず手を噛もうともしてくるので油断は出来ないが、その攻防も楽しい。それにしても、馬の肌やたてがみって、どうしてこんなに気持ち良いのだろう。馬によって若干触り心地が違ったりもするので、それもまた面白い。

  このようにして、周辺の牧場を延々と回る。周囲には何もなく、本当に馬しかいないが、馬だけで十分なのである。それだけで、いくらでも時間をつぶせる。

  ペンションに戻る前に、我慢できずにもう1度芦毛ちゃんに会いに行く。このかわいさ、たまらない。

  オーナーさんに勧められ、夕食の前に、近くにある温泉施設「みついし昆布温泉 蔵三」に行くことにする。ペンションにもお風呂はあるが、普通の家庭用なので、温泉のほうが良いらしい。思ったよりも遠かったが、やっぱり温泉は気持ち良いし、露天風呂から眺める夕日が最高だった。また、ロビーには新聞や雑誌に混ざって普通に生産馬情報誌が置いてあって、これまた普通のおばさんたちが自然と手に取って読んでいた。今更ながら、この町の人々にとってサラブレッドの存在がいかに身近なものであるのかを実感させられた。せっかくなので私も牛乳片手に少し読んでみたが、素人にとってはあまり面白さがわからないものである。

  宿に戻り、夕食。この夕食が、驚くほど素晴らしかった。自家製の枝豆に始まり、前菜、昆布のお刺身、秋刀魚、鱈のフォアグラ(肝臓)、海鮮焼と、超豪華。しかも、野菜はほとんどが自家栽培とのことで、炭火で焼いた南瓜は最高。また、鱈の肝臓は本当に濃厚で、「これぞ海の恵み」というありがたみがあった。更に、ここでは自然と他のお客さんやオーナーご夫婦との話が弾み、食べ物だけでなく「食事」を構成する要素の全てを楽しむことが出来た。


オーナーさんが所有している馬。主に大井競馬場で走っている。


鱈のフォアグラ(肝臓)


炭火で焼くと、頭も骨も美味しく食べられる。

  結局、夕食に3時間近くを費やし、9時半過ぎに部屋へ戻る。ここのオーナーは、かつてビワハヤヒデやナリタブライアンの育成をされていた方なので、宿泊棟の入口には記念の蹄鉄やジャンバーが飾られている。どちらも超のつくほどの名馬だが、特にナリタブライアンは競馬を知らない人でも名前くらいは聞いたことがあるだろう。1994年のクラシック(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)三冠馬であり、その前の朝日杯、その後の有馬記念とGⅠ5連勝を果たした馬である。その後は怪我等にも苦しめられたが、96年の阪神大賞典で先に写真を載せたマヤノトップガンとの激闘を制したことで感動を呼んだりもした。引退後すぐに病気(最終的には安楽死)で亡くなってしまったため産駒が少なく、今ではその名前や血統を見ることはないのが残念でならない。そして今、当時はまったく競馬に関心のなかった私が、そんな歴史的名馬を育てた方のペンションにいる。何とも不思議な感じがする。

  夜になると外は真っ暗だが、窓を開けていると遠くから馬の鳴き声が聞こえてくる。それを子守唄代わりにして、日付が変わる前には就寝。


9月17日(水)

2014年09月28日 00時04分37秒 | 2014年

  9月17日(水)から19日(金)まで、東京都東大和市にある中小企業大学校で、「中小企業の資金調達戦略」という研修を受けた。研修内容そのものも非常に有意義で、勉強になったが、ここでは17日(水)に西武ドームへ見に行った西武vs.日本ハムの試合について記録しておこうと思う。

  ちなみに、その前日(16日)にも、研修所に前乗りして西武ドームへ同じカードを観に行った。日本ハムは全く良いところなく敗れてしまったが、ちょっと奮発をして良い席で見たので、迫力あるプロのプレーを堪能することが出来た。

  17日の試合では、9回に稲葉選手が代打で出て来た。彼は先日、今シーズン限りでの引退を発表している。前日もそうだったのだが、彼が出て来ると、敵味方関係なく、球場全体が稲葉ジャンプに包まれる。彼がいかに愛されているかがよくわかる。この日、私はライトスタンドの日本ハム側応援席近くで観戦しており、その時には稲葉ジャンプをし、全力で応援歌を歌った。そして、彼の打球は、低い弾道で私たちに向かって一直線に飛んできた。「入れ!入れ!」。私も含め、周りの全員が手招きをしながら打球の行方を見守る。そして打球は、私のすぐ目の前に飛び込んだ。その瞬間の感動、興奮は、もはや言葉では表すことが出来ない。この瞬間、この場にいることが出来て、本当に幸せだと思った。恥ずかしながら、気付いたら思い切り涙を流していた。おそらく、選手としての彼を生で見るのは、今日が最後になるだろう。決して大袈裟ではなく、私は今日という日を一生忘れない。


まだ少し早いですが、たくさんの感動をありがとうございました。


試合後も、みんな興奮が冷めない。


ホームランボールを取った少年を囲んで。


9月14日(日)

2014年09月21日 00時19分50秒 | 2014年

  7時半起床。かなり長い時間寝たので、体調は少し回復した。しかし、相変わらず喉は痛いし体は重い。

  8時にルームサービスの朝食が来る。とても豪華なメニューで、絶好調時なら喜んで食べるところだが、少しずつしか手を付けることが出来なかった。もったいない。ごめんなさい。

  ルームサービスのお兄さんが私の体調不良に気が付いたようで、「お疲れのようですから、14時まででしたらこのままお部屋をお使いください」と、無料でレイトチェックアウトを提案してくださったので、ありがたくお願いする。これには本当に助かった。

  14時ギリギリまで部屋でゴロゴロして、チェックアウト。タクシーに乗り、ヤンゴン最大の市場「ボーヂョーアウンサン・マーケット」へ行き、お土産を物色する。体調も良くないし、あまりの広さに戸惑っていると、日本語の上手な少年(ようすけ君)に話しかけられ、案内してもらうことにする。彼はこの市場の翡翠屋に勤めていて、そこはオーナーが日本人なので、日本語の勉強をして日本用の名前(ようすけ)をもらったらしい。彼のおかげで、買いたいもののお店をスムーズに回ることが出来た。もちろん中間マージンを多少取られているのだろうが、この際別に構わない。

  その後、ようすけに誘われるがままに、マッサージ屋へ行く。1時間3,000チャット。入口が明らかに怪しい感じで、ひとりだったら絶対に入れないのだが、一か八か彼を信じて入ってみる。店内もこれまた怪しい感じだったが、マッサージは普通にまともなものだし、値段も聞いていた通りだった。ただ、ようすけも当然のように隣でマッサージを受けていて、その料金も私が払ったわけだが。まあ、かわいらしい範囲だ。何より、体調が体調なので、下手に動いたりどこかで時間をつぶしたりする手間が省けて助かった。ちなみに、彼の中間マージンがどれくらいなのかを知りたくて、最後に空港までのタクシーの手配をお願いしてみたら、「この時間帯は渋滞がひどいから」と、相場の1.5倍の料金になった。なるほど、それくらいなのね。元々の値段が安いので、全然オッケーです。ありがとう。

  ようすけの言うとおり、空港へのタクシーは渋滞につかまり、1時間半も掛かった。しかも、乗った瞬間に雨が降り出し、途中から豪雨になった。そういえば、この時期のミャンマーは雨季なので覚悟していたのだが、滞在中はほとんど雨という雨に降られなかった。その点は、恵まれていたと思う。

  空港に着いたのがフライトの約3時間前。少し早いが、とにかくあとは飛行機に乗るだけという状態までいって、休憩したかったのだ。待ち時間が長いというのは、それはそれで大変だったが、下手に歩き回るくらいなら、もう空港でずっと座っていたかった。今回も、最後まで体調万全というわけにはいかなかった。残念。次回こそは。


アイスクリームで栄養補給。

  ヤンゴン国際空港21時45分発の全日空NH914便に乗り、帰国する。フライト時間は約6時間半。今回も非常口座席で、隣も後ろも人がいなかったが、体調のせいだろうか、機内がとにかく寒くてほとんど眠れなかった。ただ、機内エンターテイメントで色々なドラマや映画を見ていたので、それほど苦痛ではなかった。特に、「Friends」があったのが嬉しかった。

  翌日、ほぼ定刻通りに成田に到着し、横浜駅行のバスに乗って帰途に就く。帰宅は9時前。今回のミャンマー旅行は、終盤こそ体調を崩してしまったが、期待以上に楽しいものだった。回った観光地も良かったし、特にバガンの夕日は一生忘れられないほど感動させられたが、やはり一番は人の温かさをたくさん感じられたことだろう。もちろん、怪しい人もいたし、悪意のある人もいた。また、「ミャンマー人は一見優しいが、ビジネスで深く関わる際には注意が必要だ」というのはバガンで知り合ったOさんの言葉で、それはおそらく真実なのだろう。しかし、私が直接関わった人の多くは、本当に素晴らしい人たちだった。それもまた、真実である。ミャンマーは、今後急速に経済発展していくだろう。次に行く機会があったとしても、今回見た姿とは全く異なる国になっている可能性が高い。しかし、ひとつだけわがままを言わせてもらうとすれば、どうか人だけは、おせっかいなくらい優しい、今のままであって欲しい。


9月13日(土)

2014年09月20日 23時26分38秒 | 2014年

  7時起床。ガーデンテラスに朝食をとりにいく。ビュッフェ形式の朝食で、モヒンガーなどのご当地料理と洋風の定番料理。景色を見ながらゆっくりと食べられるのがいい。こんなにゆったりとした気持ちで朝食をとったのはいつ以来だろうか。

  チェックアウトは12時なので、それまでバルコニーで本を読んだり、部屋でゴロゴロして過ごす。いつの間にか、観光を詰め込むだけではなく、こういう時間を楽しむことが出来るようになった。

  12時にチェックアウトし、車をチャーター。自転車では回れない遠方を回る。まずは、「タヤマンヂー寺院」へ。建物の中がとても広く、興味深い仏像もたくさん安置されている。また、構造的に風通しがよく、仏像の前に座っていると、心地良い風が吹いてきて、とても気持ちが良い。昼過ぎというかなり暑い時間帯で、外は日差しが強いにも関わらず、この中にいると涼しくて快適だ。何なら、そのまま仏像の前で寝てしまいたいくらいの居心地の良さである。


私も出来たらこうやってお昼寝したかった。それぐらい気持ちの良い空間。

  続いては、「スラマニ寺院」。ここは、バガンの中で最も内部のフレスコ画がよく残っていると言われている。事実、壁一面に描かれた絵に圧倒される。実際の仏像よりも、壁に描かれた仏像のほうが迫力があるくらいだ。また、個人的にはこの建物の外観がお気に入り。何がどうこうとうまく説明できないのだが、何となく惹かれるものがある。


なんか、ジブリ映画で見たことがあるような気がする。もののけ姫だったかな。

  続いてが今回バガンで訪れる最後の仏教遺跡、「ダマヤッズィカ・パヤー」。あいにく修復作業中で仏塔の全景を見ることは出来なかったが、やけに顔が大きくて可愛らしい仏像が安置されていて、印象に残っている。ちなみに、これまで私はバガンで「仏塔」と「寺院」という表記を混在させてきたが、おそらく本来の意味での「寺院」はなく、全て「仏塔」だったのだろうと思う。なぜなら、前にも少し書いた通り、仏塔が民衆によって管理されるそれ自体が礼拝の対象となっているものであるのに対して、寺院はお坊さんたちが管理している修行の場であるはずだから。ではなぜ表記を混在させたのかというと、それは観光ガイドブックに従ったからである。実際、ガイドブックでは「寺院(Temple)」と書かれている場所でも、現地の看板には「仏塔(Paya)」と書かれているところもあった。まあ、別にどちらでも支障はないのだろうが…。


この案内板の設置の仕方は、まずいんじゃないだろうか。

  バガン観光の最後に、「ミン・ナン・トゥ村」という現地の村を訪問する。観光地化された村で、実際に住んでいる人たちが現地の暮らしを案内してくれる。高床式の住居とか、ガスが通っていないので料理は薪で火を起こしてやるんだとか、家畜の様子とか、生活の生々しい部分を見せてくれる。また、ここではロンジーや鞄を手織りで作ったり、椰子から作った葉巻、現地で取れた銀で作った装飾品など、面白いお土産品を数多く取り扱っている。どちらかというと、私はこれらのお土産を目当てに来たのだ。しかし、予想外にこの場所そのものの観光が面白く、ついつい長居してしまった。


これが葉巻の原料。


銀の装飾品を作る職人さんたち。

  一通りの見学を終え、村の喫茶店で休憩。そこへやってきた女の子2人が私に話しかけてきて、「私たち、どっちがかわいいと思う?」と聞かれる。「どっちもかわいいよ」と答えても、「それじゃダメ。怒らないから、ちゃんと選んでよ」と笑っている。もちろん最後まで「どっちもー」と言い張っていたが、そんな現地の人たちとのやり取りをしながら時間を過ごすというのも結構楽しいものだった。言葉はあまり通じなくても、彼女たちはよく笑うし、色々と世話を焼いてくれる。


どっちがかわいいかなんて、やっぱり選べないですよね。


こんなかわいい女の子もいる。カメラを向けると、恥ずかしそうにしながらも笑ってくれた。

  タクシーで空港へ戻る。帰りの飛行機の時間まで1時間半ほどあったのだが、空港内であるにも関わらずクーラーが一切効いておらず、死ぬかと思うほど暑かった。というか、おかげで実際に体力をかなり奪われ、飛行機に乗る頃にはちょっと体調が悪くなっていた。しかも、水分補給にとソーダ(ジュース)を買ったつもりが本当にただのソーダ水だったりと、不運もあった。

  帰りは、「AIR KBZ」という航空会社を利用する。発券された航空券の座席番号が空欄なので不思議に思っていたら、バガンが始発ではない飛行機で、やってきた飛行機には既にマンダレーからの乗客が乗っていた。なるほど、確かにこれなら座席指定は出来ないか。せっかくなので、私は現地の人っぽいお兄さんの隣に座った。どうせなら、観光客よりも現地人に囲まれて時間を過ごしたい

  ヤンゴン国際空港に戻ってきたのが18時過ぎ。ニャウンウー空港の暑さとこれまでの蓄積疲労のため、かなり体調が悪くなっていた。測っていないのでわからないが、喉もかなり痛くなっていたし、おそらくこの時には結構な熱が出ていたと思う。そのため食欲も全くなく(それでも何とか機内食は食べた)、タクシーでホテルへ直行する。

  ミャンマーの最後の夜ということで、ホテルは「Belmond Governor's Residence」という超のつく高級ホテルを選んだ。その中でも良い部屋を選んだので、日本でも払ったことのない金額を支払うことになったが、その分本当に素晴らしい部屋に案内された。周囲が森のようになっていて、敷地内に池やプールがあったりする。体調さえ良ければいろいろ探検したのだが、そんな元気もなかったので、ウエルカムフルーツを食べ、ゆっくりとお風呂に浸かって、早めにベッドに入った。