社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

5月29日(水) これぞトースト。

2024年05月31日 08時02分07秒 | 2024年

 6時起床。

 朝食はソイプロテイン。

 今日は娘の授業参観で妻がお休みなので、私は普段より1時間ほど早く家を出る。

 7時半過ぎに新橋に到着し、「珈琲大使館」で2度目の朝食。

 バタートーストとアイスコーヒーを頂く。

 ふんわり厚切りの食パンにたっぷりバターが塗られている。喫茶店に期待するトーストのあるべき姿だと思う。

 8時過ぎに出勤。授業参観には行かないにしても、いつもより早く帰れるように前倒しで仕事を始める。

 ノンストップで仕事をしてから、休暇を取って14時過ぎに退社する。

 菊名まで戻り、「そば香」で遅めの昼食。

 鴨焼きが美味しい。脂ののった鴨肉にはねぎとわさびがよく合う。

 お蕎麦は冷やしとろろにした。

 明日の健康診断を意識したチョイスだったのだが、予想以上に美味しいとろろそばだった。

 15時半過ぎに帰宅。ほどなくして妻と娘も帰宅する。娘は授業参観をとても頑張ったようである(日直だったらしい)。次は私も参加が許されるだろうか。

 早めに入浴を済ませてから夕食。先に蒸し野菜をたくさん食べる。

 鶏の照り焼きが美味しかった。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 明日は健康診断で胃カメラを飲むので、21時以降は何も食べられない。水分補給もほどほどにということなので、早めに眠ることにする。

 23時前に就寝。


5月28日(火) 釈然としない。

2024年05月30日 08時02分07秒 | 2024年

 6時半起床。

 朝食はソイプロテイン。

 娘を登校班の集合場所まで見送ってから駅へ向かう。今日は一日雨予報だが、娘が学校に着くまでは降らなそうだ。

 9時前に出勤。

 大学時代の4年間お世話になった先生は仏様のように温厚で、長年師事していた先輩からしても「怒っているところを見たことがない」と言われるような方だったのだが、そんな先生が唯一怒りや不満を表現するときの言葉が「釈然としない」だと聞いたことがある。具体的な内容は忘れてしまったが、私も1度だけ先生が「釈然としないですね」と苦笑いされている場面に出くわしたことがあり、自分に向けられた言葉ではないにも関わらず「出た…」と背筋を正したことをよく覚えている。

 社会人になった私は、先生を真似てこの「釈然としない」を使うようになった。私は先生のような人格者には程遠いので怒りや不満はすぐに言葉や態度に出してしまうのだが、それでも理性が勝っている時にはこの言葉で乗り越えることがある。今日はその「釈然としない」が久しぶりに口から出た。「いや、絶対おかしいよ!」と憤る先輩の横で、「そうですね、釈然としないですね」と微笑む。あまりに自然と出たので自分でも驚いた。その流れで「僕が偉くなったらすぐにひっくり返しますよ」と言いそうになったが何とか飲み込んだ。私もそれなりに大人になった。

 そういえば、「釈然としないですね」のあと、先生はどういう対処をされていたのだろうか。

 昼食は「能登治」で鴨南蛮を食べる。

 定時で退社し、放課後キッズクラブへ娘をお迎えに行く。ちょうど宿題&読書タイムの終盤だったようで、娘を含めみんな静かに机に向かっている。そんな中、トイレに行くと言ってサボっていたらしい男子ペアがしっかり先生にバレて叱られていたのが微笑ましかった。

 風はかなり強かったが、学校から帰っている間は雨がやんでいてくれたので助かった。

 帰宅してすぐに雨が降り出す。窓や雨戸に当たる雨の音がすごい。

 入浴を済ませてから夕食。

 妻が作ってくれた豚肉・卵・きくらげなどの炒め物が美味しい。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 明日は娘の学校の授業参観&保護者会が開催される。「お父さんに観られるのは恥ずかしいからお母さんだけに来て欲しい」という娘の希望で私は欠席する予定だが、「来ないで」と言われると行きたくなるのが人の性である。

 日付が変わる頃に就寝。


5月27日(月) 小田原に住みたい。

2024年05月29日 18時02分07秒 | 2024年

 6時半起床。

 朝食はソイプロテイン。

 娘を登校班の集合場所まで見送ってから駅へ向かう。しかし、会社へ向かうわけではない。当初は今日が祖母の納骨の予定だったので休暇を取っており、日程が変わってもせっかくなのでそのまま休むことにした。

 東京駅へ出て、「COFFEE LOTUS」(珈琲ロータス)へ。

 フレッシュフルーツヨーグルトとアイスコーヒーを頂く。ヨーグルトのトッピングには自家製ソース(林檎)を選んだ。

 朝から旬のフルーツを満喫する。オレンジ、マンゴー、グレープフルーツが特にみずみずしくて美味しかった。

 東京駅へ戻り、10:00発の特急踊り子5号に乗って小田原へ向かう。

 結構揺れる。比較的新しい車両なので、おそらく線路の問題だろう。東海道線の線形はそれほど悪くはないはずなのだが。

 鶴見-横浜間では横須賀線を走る成田エクスプレスとデッドヒート。時刻表上はこちらのほうが3分早く横浜駅に着くはずなのだが、実際にはわずかな差だった。早着ということは考えにくいので、こちらが若干遅れていたのかもしれない。

 東京からぴったり1時間で小田原に到着。

 お散歩がてら、かまぼこ通りを歩く。

 「CAFE&RESTAURANT やまじょう」に到着。

 店内は空いていると思いきや、ほぼ全てが予約で埋まっており、私が最後の1席だった。遂に山上蒲鉾店直営の美味しさが注目されてきたか。

 後から続々とお客さんがやってきて、待ちも発生するほどになった。観光客らしきグループや地元のサラリーマン、常連のお姉さま方など、客層も多岐に渡っている。

 私の今日のお目当てはこれ。新商品の「いわしとトマトのパスタ」である。実はこのメニュー、本格開業直前のプレオープン時に一瞬だけ提供されていたことがあるのだが、「まだお客様に提供できるレベルにない」と正式な開業時にはメニューから消えていた。それがブラッシュアップされ満を持して登場するということで、山上蒲鉾店のいわし商品(つみれや唐揚げ)が大好きな私は本当に楽しみにしていた。

 飲み物はアイスコーヒー。ここまで歩いてきて喉が渇いたので、先に提供して頂く。

 本日のスープは、私の大好きないわしつみれのスープ。いわしそのものの味が存分に楽しめる。青魚が好きな人は、悪いことは言わないので一度このスープを飲んでみて欲しい。

 サラダには炒った伊達巻が振りかけられており、野菜たちに香ばしさを添えている。

 待ちに待った「いわしとトマトのパスタ」が登場。

 いわしの旨みが凝縮されている。トマトの酸味も良い引き立て役になっており、抜群に美味しい。さすがとしか言いようがない。

 デザートは、小田原産レモンとディルとレアチーズケーキ。ディルというのはハーブの一種で、消化促進・整腸作用があるそうだ。

 レモンとハーブの爽やかな味である。湘南ゴールドのソースを付けると濃厚な酸味が加わって更に美味しさが増す。これも次回も必ず注文すると思う。

 いわしとトマトのパスタは定番商品になるのかと思いきや、トマトが美味しい時期だけの季節商品とのこと。少なくとも6月いっぱいは食べられるそうなので、その間にもう1回は食べに来たい。

 帰りは青物町商店街を通る。ここにお目当てのお店がある。

 野澤作蔵商店。山上さんもそうだが、前職時代にお世話になった会社さんである。

 卸問屋さんだが、小売スペースもある。

 私はここで販売されている地元の柑橘を使用したチョコレートが大好き。今日は片浦レモンと小田原みかんのチョコレートを2枚ずつ購入した。ただ、今週の木曜日に健康診断があるので、食べるのはもう少し我慢しなければ。

 ドロップも買ってみようと思ったが、今日は品切れだった。

 久しぶりに来て改めて思うが、やはり私は小田原という街が好きだ。

 城下町ならではの伝統や格式があるし、魅力的な老舗企業・店舗も多い。一方で若者や新しい文化も共存しており、適度に活気がある。これまでに何度か妻にも言ったことがあるが、将来は小田原に住みたいとかなり本気で考えている。新幹線を使えば新橋まで40分だし、妻の職場までの所要時間も今と変わらない(何ならちょっと近くなる)。娘の進路次第だが、案外遠くない将来に実現可能かもしれない。

 帰りは新幹線でワープする。

 所要時間は15分。席に座って景色を眺めていたらあっという間である。

 14時過ぎに帰宅。在宅勤務中の妻を邪魔しないよう静かに休憩する。

 16時から歯医者へ。歯のクリーニングをして頂く。珈琲の摂取量が増えてから着色汚れが気になっていたのだが驚くほど綺麗になり、家でのメンテナンス方法についても詳しく教えて頂いた。

 17時前に帰宅。妻は仕事、娘は読書をしている。

 早めに入浴を済ませてから夕食。昨日仙台で買ってきた手焼き笹かまぼこを焼いてみる。最初は楽しそうに焼いていた娘だったが、すぐに飽きて結局は妻が魚焼きグリルで焼いてくれた。

 焼きたての笹かまぼこはふっくらしていて、はんぺんのように柔らかい。

 カレイの煮付けやポテトサラダなど、豪華な夕食になった。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 日付が変わる頃に就寝。


5月26日(日) 祖母を見送る。

2024年05月29日 08時02分07秒 | 2024年

 6時半起床。

 とりあえずプロテインでタンパク質を補給する。

 身支度を整え、8時前にホテルをチェックアウトする。

 石巻駅の近くにある「パン工房ふぃーる」へ朝食を食べに行く。

 売り場に並んでいたフレンチトーストと焼きたてのクリームパンを取ったあと、カフェメニューもあることに気付いてクロックムッシュを注文する。

 アイスコーヒーの氷がクマさんになっていて可愛い。

 クロックムッシュはチーズたっぷりでとても美味しかった。付け合わせの玉ねぎのピクルス(マスタード和え)との相性も抜群である。

 フレンチトーストとクリームパンはデザート感覚で。さすがにお腹がパンパンだが、どちらも美味しかった。

 自家製ジンジャエールを追加注文し、少し休憩。

 葬儀の集合時間まで余裕があるので、「みやぎ東日本大震災津波伝承館」へ行ってみる。

 この伝承館は石巻南浜津波復興祈念公園の中にある。3.11の津波で大きな被害を受けた南浜地域が再整備された場所である。昨日訪問した門脇小学校もすぐ近くにある。

 公園内には保育園(門脇保育所)の跡地も保存されていた。ここも門脇小学校同様、事前の訓練の甲斐あって職員・園児全員が迅速に避難することが出来た。やはり事前の備えが重要なのだ。

 伝承館の館内では、東日本大震災の詳細が展示パネルや映像資料で解説されている。

 解説員さんもいらっしゃる。ご自身もこの地域(南浜地区)で被災された方で、展示からだけではわからない具体的なお話を聞かせて頂いた。被災者として恐ろしい体験も数多くの苦労もされたのだと思うが、「あの時、私たちにはこういう認識の甘さがあった」「住民の間でも防災意識に大きな差があって、それが命を分けた」と冷静に振り返っていらっしゃったのがとても印象的で、同じことを繰り返さないためにという強い想いを感じた。

 時間の関係で全ての展示を回ることは出来なかったので、もう一度来たい。

 次に来た時には海辺まで歩いてみようと思う。

 電車で到着する両親と弟、甥っ子を石巻駅までお迎えに行く。

 葬儀の開始時間まで少し余裕があるので、先に早めの昼食をとることにする。

  カフェ「IRORI」に入る。

 私は朝食のパンがまだまだ存在感たっぷりなので、アイスコーヒーとキャロットケーキにしておく。

 菩提寺へ移動し、(父方の)祖母の本葬・初七日・四十九日・百日法要と納骨をする。叔父家族や従兄弟家族も大集合しており、思っていたよりも大所帯だった。大勢の子どもや孫、曾孫たちに見送られて、祖母も喜んでくれているのではないだろうか。

 全員車で仙台までと思っていたのだが、鉄道好きの甥っ子の「仙石線のハイブリッド気動車に乗りたい」という希望があったので、石巻駅まで送り届ける。おじさんも一緒にハイブリッド気動車に乗りたかった。

 仙台まで戻ってレンタカーを返却し、お土産屋さんめぐり。せっかくなので石巻の蒲鉾屋さんで笹かまぼこを買い、奮発して牛タンも大人買い、妻の希望のずんだ餅も無事に手に入れた。

 ずんだ餅を買うついでに、今流行っているらしい「ずんだシェイク」なるものを飲んでみることにする。

 美味しいは美味しいが、私には甘すぎてたくさん飲むのは少しきつかった。

 仙台駅16:34発の東北新幹線やまびこ148号に乗る。

 宇都宮を出たあたりで早めの夕食。仙台駅で購入した駅弁「伊達のかきめし」を食べる。

 売り場の写真に比べると牡蠣の大きさが若干寂しいような気もするが、味は美味しい。

 19時過ぎに帰宅し、すぐに入浴。2日間で結構日焼けしており、腕や首がピリピリする。

 お土産に買ってきた「粟野蒲鉾店」の笹かまぼこを食べる。

 このお店だから美味しいのか笹かまぼこ全体がそうなのかはわからないが、思わずおかわりしたくなる味である。

 洗濯を済ませ、娘を寝かしつける。

 チーズ笹かまも食べてみる。

 チーズもしっかり濃い味だが、笹かまそのものの味も負けていない。

 ここ2日間の写真を整理したり、持ち帰った各所のパンフレットを振り返ったりしてから、日付が変わる頃に就寝。


5月25日(土) 石巻・震災遺構 ②

2024年05月27日 23時30分00秒 | 2024年

 ①からの続き。

 

 石巻の中心部に戻り、大川小学校と同じく石巻市の震災遺構として保存されている「石巻市立門脇小学校」を見学する。ここは被災した校舎の一部を展示しており、隣接して建てられた観察棟から中の様子を見ることが出来る。

 石巻市の震災被害。

 体育館も展示スペースになっている。

 津波被害にあった消防車と市の公用車が展示されている。

 門脇小学校は1階に津波が押し寄せた。逆にいえば2階から上には届かなかったが、延焼した家屋が流されてきて1階の校長室に直撃し、そこから火が燃え移って校舎全体が炎に包まれた。津波火災である。そうか、ただ高いところへ避難(垂直避難)すれば安心というわけではないのかとハッとさせられる。

 1階の校長室。津波と火災両方の被害を受けている。2週間後に控える卒業式のために用意されていた卒業証書は金庫に保管されており、奇跡的に水にも火にも侵されることなく無事に卒業生へ手渡されたそうである。

 2階の教室。先述のとおり津波は届かなかったが、火災の影響で窓ガラスは割れ、天井まで黒焦げである。

 机と椅子は木の部分が燃えてなくなっている。

 右手の壁に掛かっていた黒板も燃え、剥がれて床に落ちている。

 

 海から門脇小学校までは1キロ足らず。地震発生が14時46分で、津波到来は約1時間後の15時45分だった。

 門脇小学校では、震災前から保護者も参加する形で地震・津波を想定した実践的な避難訓練を実施していた。

 また、1年生から6年生までを地区ごとに分けて学年を超えて一緒に活動する「たて割り活動」を実施しており、上級生が下級生の面倒を見る文化が醸成されていた。

 地震の揺れが収まった後、一旦校庭に避難した児童たちは、大津波警報の発令後、これまでの訓練通りに学校の裏にある日和山への避難を開始した。津波が小学校に到来したのは避難が完了した30分後。学校管理下にあった児童275名全員が助かった。

 当時の教職員の方々のインタビュー動画を見たが、やはり事前の計画・訓練の重要性と、子どもたちが共に助け合う習慣を持っていたことがポイントだったようだ。

 当時児童だった方々のインタビューからも、恐怖を感じながらもやるべきことはわかっていたことが伺える。児童同士が自主的に助け合う様子も随所に見られ、靴をなくし裸足で歩いていた下級生を6年生の女の子がおんぶして山を登っていたりしたそうだ。

 児童たちの避難完了後も、一部の住民は小学校に避難して来ていた。当初は津波を避けるために校舎の屋上へ避難していたが、燃えながら迫って来る家屋を見て方針転換し、児童たちと同じく裏山へ逃げるという選択をすることになる。

 先述のとおり、1階の校長室にぶつかった家屋から火が移り、防火扉が閉まっていた一部の区域を除き校舎全体に火の手が回った。

 実際に燃えた防火扉が展示されている。

 机も椅子も、木の部分は完全に燃えてなくなっている。

 黒板って燃えるの?というのが率直な感想だった。

 完全に燃え尽きた黒板は床に落ちた。

 津波と津波火災から逃れるため、住民たちは2階の窓から外へ出て裏山へ渡った。住民誘導のために残っていた学校関係者が教壇を持ってきて橋としたことで、お年寄りでも何とか渡ることが出来たそうだ。教壇を橋にすることを思い付いた方がインタビューで、「普段なら絶対に重くて持てなかったが、火事場の馬鹿力で何とかなった」と語られていた。

 1階から避難する方もおり、同じく教壇をハシゴ代わりにして壁を越えたそうだ。事前の準備とその場の機転により、多くの人の命が救われた。

 震災後に多くの被災者が暮らした仮設住宅も展示されていた。

 一見すると快適な居住空間のようにも思えるが、実態としては薄い壁で仕切られた長屋形式なのでプライバシーがそこまで確保されているというわけではなく、ストレスの溜まる環境だったそうである。

 実際に被災者の方が暮らしていた仮説住宅の壁が移設・展示されている。

 ここに「暮らし」があったという事実が急激に現実味を帯びてくる。

 この銀杏の木も津波と火災の被害を受けて焼け焦げた。しかし、その後根元から新しい木が生えてきてここまで大きくなったそうだ。

 最後に、『記憶を紡ぐ』という企画展示がとても印象に残ったので、少し長くなるが特に印象に残ったものをいくつか転機しておく。石巻市の学芸員さんが被災された方々から聞き取った話をまとめたものである。

『耳が聞こえないということ』

ドンッ!と突き上げられて
次にグラグラグラッ!と3分近く大きく揺さぶられる
物が落ちてくる ガラスが割れる
何が起きたのか理解できないなかで恐怖心との闘い

音のない状態で
突然 そんな状況に置かれたら
あなたはどうしますか
避難しますか
避難できますか

想像してみてください

音が分からないと…
防災無線での避難のよびかけに気付かない
目からの情報が頼りなのに
地震の影響で停電し、テレビが映らないと…
全く情報がつかめない

だから、大津波がきていることも知らずに
家にいて犠牲となった 障がいを持つ人たちの存在を

あなたは知っていますか

 

『裸の人』

車が流されていくのを
ただ、呆然と見ているしかなかった

地面を這うように、スーッと流れてきたその液体は
次の瞬間 数メートルの高さの津波となった
咄嗟に、近くの建物に駆け込んだ
何が何だかわからなかった

命だけは助かった
生き残った者は
次の日から、生き抜くための日々が待っていた

津波に押しつぶされた家屋の残骸と泥の山を
棒を突き刺しながら地面を確認し
釘を踏まないように慎重に歩いた

途中、裸の男性が目に入った
亡くなっていた
この時は助けるとか、そんな気持ちの余裕は皆無で
心の中で手を合わせるのが精一杯
ただただ、目をそらした
なぜ裸だったのかとそれだけは心に引っかかっていた

津波にのまれた人は
洗濯機に入れられたようにかき回され
天地がわからなくなったと話していた
ある人の息子さんは
ご遺体がみつかったとき服を着ていなかったという

場所も表情も仰向けに亡くなっていた状況も
忘れることなどできない
人が死ぬとはそういうことなのだ

 

『長靴と歌』

その日 私は長靴をはいた

雨は降っていなかったけれど
きみどり色の長靴をはいて保育園に行った

保育園の近くには川があって
毎日のように土手を散歩した
川辺でカニをつかまえたり
木の実をつんでみんなで食べたり
そういう時間がずっと続くと思っていた

大きな地震が来た
お昼寝のときだった

天井から土埃が落ちてきて ぎゅっと目をつむった
隣にいた弟も目が痛いと言っていた

避難するために外にいたらお母さんがやって来た
私のたちの無事を確認すると
先生に「山に逃げて」「あとで行くから」と声をかけて
海沿いの仕事場に戻って行った

保育園のみんなと車で山の上の高校に避難した
山への道は渋滞していた

夜になってもお母さんは来なかった

次の日
泥だらけのお母さんが迎えにきた
津波にのまれそうになったことは後で知った

津波を見ることもなく 無邪気だった私たちは
卒園式で歌うために練習していたうたを歌った
お母さんは泣いていた
みんなのお母さんも泣いていた

何日かして 家まで歩いて帰ることになった
その時 あの朝に履いてきた
きみどり色の長靴が役に立った

不思議だね
どうして長靴を履いたんだろうねと
お母さんは優しくほほえんだ

 

 気付いたら閉館時間の17時だった。状況も大きく異なるので単純比較をするつもりはないが、震災遺構となっている2ヵ所の小学校を訪問し、事前の備えの重要性を痛感させられた。

 今日の宿泊先「石巻アパートメントホテル」にチェックイン。

 震災後、復興にあたって建設業従事者の宿泊先が不足していると知ったオーナーが建てた長期滞在用のアパートホテルである。現在は通常のホテルとして稼働している部屋と一般住宅として賃貸されている部屋が混在しているようである。一般的なアパートの造りで、バス・トイレ別だし寝室も3部屋あってかなり広い。ただ、私からすると他人のお宅にお邪魔しているようで、狭くても普通のホテルの部屋のほうが落ち着く。あと、シンプルに防音性が低い。

 荷物を置き、夕食に出掛ける。ちょうど女川行きの石巻線気動車を見ることが出来た。

 夕食は、寿司屋「すし寳来」を予約しておいた。店頭には「本日予約で満席」と書かれている。

 飲み物はウーロン茶にして、まずはホヤ酢を頂く。三陸地方はホヤの名産地である。食感も味付けも絶妙でとても美味しい。

 くじらのお刺身。脂がのっていて馬肉のような美味しさである。

 お寿司はおまかせでお願いした。まずは真鯛。1貫目でこのお店は間違いないとわかる。

 あわび。コリコリしているイメージが強いが、ここのあわびは柔らかさもあって味がわかりやすい。

 幻の海老とも言われているぶどうえび。しっとりしていて噛むとじゅわっと甘さが広がる。

 お汁も美味しい。

 マグロ。これは娘が大喜びする味だ。

 アジ。旬の鯵は本当に美味しい。

 天然マスの酢〆。鱒を酢で締めるというイメージはあまりなかったが、サーモンにレモンをかける感覚だろうか。

 白魚。私の大好きなぷちぷち食感とかすかな苦みがたまらない。

 うには自分で盛り付ける。

 まずはそのままで食べてみる。濃厚で甘い。

 上手に盛り付けられた。単独で食べるよりも軍艦のほうがより味を濃く感じる。

 毛ガニの味噌和え。かにみその香りが味を引き立てている。

 しゃこ。今まで食べてもあまり印象に残らなかったネタだが、これは驚くほど美味しかった。

 穴子。ふんわりした舌触りと香ばしい味が絶妙である。

 鉄火巻きでおまかせコースは終了。せっかくなので、もう少しだけ追加する。

 ホシガレイ。幻のカレイと言われている高級魚である。日高地方で食べる松川カレイに匹敵する味だが、こちらのほうが若干身が締まっているように感じる。単なる個体差かもしれないが。

 最後に赤貝。最後の1貫まで圧巻だった。

 時刻はまだ18時半過ぎ。喫茶店でデザートでもと思ったが、このあたりの喫茶店は18時までに軒並み閉店してしまう。

 しばらく駅周辺をお散歩してから、スーパーで飲み物と夜おやつを購入。

 19時過ぎにホテルへ戻り、入浴を済ませてからおやつタイム。スーパーで買ってきたレモンパイ、クラフトジンジャエール、ずんだ豆乳はご当地を意識して。

 早めにベッドに入り、スマホで今日撮った写真を眺めながら防災について考える。石巻は沿岸部だけでなく、内陸の市街地でも至る所に「津波到達点」の印があった。震災時もその後も津波の映像は繰り返し目にしてきたが、現地に来ると圧倒的な現実感が襲ってくる。娘がもう少し大きくなったら、今日訪問した場所を一緒に回って防災についてしっかり話をしたい。

 23時前に就寝。