天守へと続く石段
石積の階段 天守への道2016年1月1日撮影
多くの行楽客が行幸(みゆき)坂を上がり、
頬当(ほほあて)御門(入場券売り場の脇にある門)から入りますが、
かつて加藤清正の時代には川に設けられていた
橋(路?下馬橋?)を渡り、
幾段もの石段を上り天守へ向かったと言われています。
「特別史跡 熊本城」と刻まれた石碑や大樹の辺りにその橋(路?)があったとか。
石段にはすり減った箇所も見られるものの
幅のある大きな石で組まれています。
コロなどを駆使して運び組み上げたのでしょうか、
当時の職人の技術・労を間近に見る事ができました。
この春に起きた地震の影響で
「特別史跡 熊本城」と刻まれた石碑は回転しましたけれども
6月14日現在では立っていました。
また、頬当御門への道の一つ「行幸坂」は、14日現在立入禁止。
この坂名からも分かるように、
宮様クラスの人の通行用に明治期に整備されたとか。
城の周辺を巡る道路は生活道になっている為、
今、落石を除くなどの対応がなされ、
広場等に石垣の石が集められていました。
連日の大雨で石垣等に使われている土や石は
流れていないといいのですけどね……。