アイ!サラマッポ in バギオ

フィリピン人介護者のケアを受けながらの、フィリピンでのインディペンデント・リヴィング…、心の赴くまま、ここに記します。

フィリピン人ケアギバー(フィリピン人介護士・Filipino Caregiver)

2013-09-15 12:00:00 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

個人の雇用契約でのフィリピン人ケアギヴァー(Caregiver・介護士)に、日本の就業ビザを…。 (On June 17, 2012)

フィリピン人看護師・ケアギヴァー(介護士)の現状…フィリピン・バギオ発 (On June 22, 2012)


フィリピン人看護師・ケアギヴァー(38) in アイ!サラマッポ in フィリピン


フィリピン人ケアギヴァー(ケアギバー・介護士)と看護師の関連記事 Filipino Caregiver & Nurse

2012-11-20 11:18:12 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

フィリピン人ケアギヴァー(介護士)と看護師の関連記事です。↓

フィリピン人看護師・ケアギヴァー(32)

In アイ!サラマッポ in フィリピン Ay! Salamat po in The Philippines (Dec. 2009~)

 

フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)(22)

In 『アイ!サラマッポ in バギオ』 Ay! Salamat po in Baguio (Nov, 2008~Sep. 2009)


個人の雇用契約でのフィリピン人ケアギヴァー(Caregiver・介護士)に、日本の就業ビザを…。

2012-06-17 10:17:55 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 現在、私は、フィリピンルソン島北部の高原都市バギオ市で、フィリピン人ケアギヴァー(介護士)や看護師等のサポートを受けながらロング・ステイを続けています。

『リボーン・ライフ in バギオ』 -Reborn Life in Baguio- バギオに戻っての新ブログです。2011年7月~2012年5月

バギオの朝焼け -The glow in the morning sky in Baguio- On Mahler's 151st Birthday

バギオ - Wikipedia

 マニラ、ダバオ、バギオと3ヶ所を巡りながらのフィリピンでのロング・ステイも、去る3月で14年目に入りました。

 が…、今後は、「個人の雇用契約でのフィリピン人ケアギヴァー(介護士)・Filipino Private Caregiverに日本就業ビザ」が発給される日が来ることを願って、そのために自分に何ができるかを探っていくつもりです。

 カナダ、アメリカ、オーストラリア、そしてイギリスをはじめとするヨーロッパ・・・、フィリピン人ケアギヴァー(介護士)受け入れの欧米先進国や、中東、アジア諸国などもそうしてきたように…。

 その背景には、フィリピンが、今世紀に入って、そのホスピタリティ豊かな国民性と、英語が第二母国語である利点を生かして、「ケアギヴァー・Caregiver」(介護士)を養成して世界のケアギヴァーを必要としている国へ送り出す、また、海外からの多少ケアを必要とする退職者等をフィリピンへ呼び込む(移住)、といった国家の一大プロジェクトを始めた…という事情もあります。


フィリピンのトップ女優「Sharon Cuneta(シャロン・コネタ)」主演のドラマ・フィルム『Caregiver(ケアギヴァー)』(2008年)

CAREGIVER with Sharon Cuneta


 超高齢化社会で介護の手が足りない日本も、フィリピン人ケアギヴァーを、個人の雇用契約でも受け入れてきた国々に見習ってほしいと思います。

 そして、いつの日か、必ず・・・。

-Isshin


※日本では、就業ビザのほかに、就労可能な「在留資格」があります。
 日本で就労することができる在留資格(または在外公館でのビザ)の総称を、俗に「就労ビザ」と言います。

 

フィリピン人看護師・ケアギヴァー(介護士)の現状…フィリピン・バギオ発
(June 22, 2012)


ブログは、アイ!サラマッポ in フィリピン -Ay! Salamat po in The Philippines- にて継続中です。


2012年介護福祉士国家試験(第24回)に外国人(インドネシア人)が初挑戦!(1月29日)

2012-01-27 12:38:38 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

2012年介護福祉士国家試験(第24回)に外国人(インドネシア人)が初挑戦!
(アイ!サラマッポ in マニラ -1月23日)


 明後日1月29日(日)、第24回介護福祉士国家試験に、日本との経済連携協定(
EPA)で来日している外国人介護福祉士候補者が初めて挑みます。

 今回受験する外国人は、2008年8月(北京オリンピックの前日)に来日したインドネシア人介護福祉士候補者第1期生etc.の96人です。

 

経済連携協定(EPA)に基づいて、2008年度からインドネシア、2009年度からフィリピンより受け入れている看護師・介護福祉士候補の数は1300人余り…。

 日本で働き続けるには、看護師は3年以内、介護福祉士は4年以内に国家試験に合格しなければなりません。看護師は毎年の受験が可能ですが、介護福祉士の国家試験受験の場合は「3年間の実務経験が必要」という条件があり、外国人介護福祉士候補者にとっては、実質的には1回しか受験できないということになります。日本人でも合格率50%前後の難しい介護福祉士国家試験に、インドネシア人介護福祉士候補者第1期生の何人が合格するか…。期待と不安の中での、介護福祉士国家試験外国人初受験です。結果が出るのはまだ1ヶ月以上先でしょうが…。

 たった一度の受験後、不合格者は、インドネシアに帰国となります。本当にこんなのでいいのかなあとつくづく思います。

 ちなみに、同じくEPAを通じて来日している外国人看護師候補者では、日本人の90%が合格する看護師国家試験に、これまで19人の合格者が出ています。2009年度は合格率1%(インドネシア人2人・フィリピン人1人)、2010年度には、難しい医療用語にフリガナをつけるなど外国人受験者への配慮がされましたが依然として合格率はわずか4%(インドネシア人15人・フィリピン人1人)…という実情です。

 

 

(参考)

フィリピン人看護師・ケアギヴァー

15記事in 『アイ!サラマッポ in マニラ Ay! Salamat po in Manila (Dec. 2009Jun. 2011)

 

フィリピン人看護師・介護士(Caregiver

20記事 in 『アイ!サラマッポ in バギオ』 Ay! Salamat po in Baguio (旧ブログ Nov, 2008Sep. 2009

 


インドネシア人介護奮闘記「ボクがそばにいますから」(NHK)を見て。

2009-08-20 18:05:15 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 昨日19日の午前中、NHKワールドで、「ボクがそばにいますから~インドネシア人介護奮闘記~」という25分間のドキュメンタリー番組を見ました。
 
日本とインドネシア間で結ばれたEPA(日尼経済連携協定)により、昨年の8月に来日したインドネシア人男性「チェチェップさん」と「ヘンリーさん」の介護現場での奮闘ぶりが映し出されていました。
 
その時に来日したインドネシア人の介護福祉士候補者の約100人が、1年経った現在、24都府県51の受け入れ施設で研修(仕事)をしながら、日本語と、3年後の介護福祉士国家試験に向けての勉強をしています。
 
23歳の二人が働いているのは、佐賀県多久市の特別養護老人ホームで、入所しているお年寄りは80人、その平均年齢が86歳で認知症の方が多いとのことでした。でも、当然ながら一人ひとり症状が違いますから、ケアの仕方、接し方も違ってくるでしょう。
 
お年寄りとのコミュニケーションは、日本人でも難しいでしょうが、体が不自由で認知症がある場合など、彼らにとってはまさに手探りの、困惑の日々だと思います。日々の勤務交代の際の申し送りも「ハヤスギテ、ワカリマセン…。」と。
 
現場では「寝させてください。」と「起こしてください。」を繰り返すお年寄りに、「一体どうしたらよいのだろう…?」とぼう然と思い悩むチェチェップさん。「できることなら、言われるようにしてあげたいけど…。」そこに付きっきりでいられる訳もありません。
「インドネシアには、お年寄りのためのこのような施設はない…。」と言います。認知症のお年寄り自体がほとんどいない、ということですから、慣れない異国での初めて経験する介護は、さぞ大変なことでしょう。そうした事情は、イスラム教徒(インドネシア)とキリスト教徒(フィリピン)という違いはあっても、国内事情はフィリピンと似通っています。
 
家族を養うために、自分の将来のためにと、意を決して応募した彼らでしょうが、母国の家族、祖父母のそばにいて孝行ができない、というジレンマを抱えながら、目の前の、彼らを必要としているお年寄りたちに、「不安を取り除いてあげたい、家族のつもりで接したい…。」とあたたかく接しようとする純真な二人です。二人とも、お給料の半分以上はインドネシアの家族に送金しているそうです。
 
施設側としても、渡航費と滞在費を負担し、13万円の月給を支払う上に、日本語や、一度きりのチャンスである3年後の国家試験にパスしてもらうために、できるだけのサポートをしているようでした。でも、施設側にしても、お年寄りの生命を預かっているのですから、二人に早く仕事に慣れてほしいと期待する半面、不安を抱えながらの見切り発車だったのでしょう。その一方で、お年寄りとの接し方を見て、「忘れていた何かを教えられる」と言う日本人スタッフの言葉も耳に残りました。
 
チェチェップさんが、「ボクのなまえ、おぼえましたか?」と何度も伝えようとした挙句、「ケチャップでいいですよ。」と笑うと、お年寄りが「ああ、チェチェップ!」と…。(^^
 
そして一言、「ボクがここにいますから、安心してくださいね。」

 さて、こんな美談の後で何ですが、こちらは、ジェンさんの抜けた後、8月に入って2人の介護の応募者にO...On the Job Training-見習い期間の介護の練習)を提供してきましたが、その2人ともそれぞれに思ってもみなかった(ここではありがち…)出来事が起き、専従介護者と日本人の友人とも相談の上、O...をそれぞれ中断しました。ジェンさんの存在の大きさを改めて感じています。
 でも、まだまだ余裕、余裕…(^^;)。


外国人看護師、日本での明暗が…。

2009-07-29 20:38:00 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今朝のNHKニュース「おはよう日本」で、久しぶりにインドネシア人看護師の近況を伝えるニュースがありました。去年8月に来日したインドネシア人看護師たち、夢と希望を抱いて渡った日本での生活ももうすぐ1年です。ほとんどがイスラム教徒…、いろいろな意味で新しい環境、日本社会へ適応するのは大変だったことでしょう。
 受け入れ先の病院、医療現場での研修に入ってから半年以上…。しかし、日本の看護師資格のないインドネシア人看護師に与えられる仕事は、食事介助やリネン交換といった、日本の看護師の補助的なものです。来日中のインドネシア人看護師は、3年以内に日本の看護師国家試験(日本語)に合格できなければ帰国せざるを得ない、というのが、現在までの日尼間(日本・インドネシア間)のEPA(経済連携協定)合意です。看護師は、3度受験のチャンスがある訳ですが、去る2月の試験では合格者はゼロでした。(介護福祉士候補者は、4年間滞在できますが、3年間の実務経験が受験条件の一つである介護福祉士の試験を受けるチャンスは、4年目の1度だけです。)
 ニュースでは、一人のインドネシア人女性看護師が取り上げられていました。まだ表情に明るさはあるものの、一方でその寂しげな表情も印象的でした。私には、慣れない国で過ごす寂しさ以上に、看護師としての自分と、研修中とはいえ看護師とは程遠い仕事しかできない自分とのギャップを感じながら、現実をどう受け入れるか、彼女なりに葛藤しているように見えました。しかし、彼女をもっと不安にさせているのは、残された2度の看護師試験に合格できる可能性が極めて低いことを、1度目の受験で彼女自身が知り、「きっと合格して日本の看護師に…!」という意欲すら失いかねない、ということでしょう。研修であっても勤務は勤務、疲れて、日本語や看護師の専門用語を勉強するのに十分な時間もない中、不安と焦りだけが募っていくことでしょう。

    

 それでも、ギリギリのところで彼女を支えているのは、看護師としての彼女のプライド、母国で期待して待っている家族への思い…といったものなのでしょう。自国で、4年間看護課程で学び、難しい看護師国家試験に合格、その後、正看護師として3年間以上、病院での実務経験を持つ人たちですから…。
 今後、外国人看護師や介護福祉士候補者に対して、何らかの対策が取られることを待ち望んでいるのは、本人たちだけでなく、受け入れ先の病院や介護施設等の現場や、周囲の多くの関係者の方々もそうだと思います。

 そのニュースの中では、日本の医療現場で正看護師として働くベトナム人女性の姿も取り上げられていました。彼女は、インドネシア人看護師とは対照的に、自信を持って堂々と日本の病院での勤務をこなしているようでした。日本の国家試験をパスし、日本の医療現場で正看護師として働いているベトナム人が、もう「56人」もいると知り、大変驚きました。そこには、政府のEPAを通しての受け入れとは全く違う、AHPネットワーク協同組合(アジアン・ヒューマン・パワー・ネットワーク)という民間の「現地の事情を知り、周到に準備されたプログラム」の中で育て上げられたベトナム人看護師たちだったのです。圧倒されそうなインパクトのある映像でした。

 http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/9792.html (参考)

(NHK視点・論点「ベトナム人看護師とEPA・人の移動」-2008617日)

…さて、フィリピンでは、先週末に6月の看護師国家試験の合格者が発表されましたが「合格率100%」という大学が2校、ネグロス島ドュマゲッティ市の「セント・ポール大学ドュマゲッティ校」(112人全員)とマニラ・ケソン市の「フィリピン大学(国立)」(61人全員)でした。そして合格率「99%」の大学が5校、バギオ市の「セント・ルイス大学」(SLU)もその一つでした。303人の受験者のうち299人合格…、すごい合格率ですが、不合格だった4人は肩身の狭い思いをしていることでしょう。バギオ大学(UB)の合格率は20%台だったそうです。厳しい世界ですね…。大学が、卒業生の受験資格の条件を設けて(成績上位者のみ受験させて)合格率を上げようとするのも仕方がないような気もしますが…。

 http://www.boardexamresultsph.com/top-nursing-schools-june-2009

(フィリピン看護師国家試験の合格率上位の大学)

 それにしても「看護課程」を選んだものの、経済的な理由などで中退する人たちも少なくなく、「4年間」を修了、卒業することさえ難しいのに…。

 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3

(ブログ内の関連記事:カテゴリー「フィリピン人ケアギヴァー・介護士」)

※インドネシアとのEPA(経済連携協定)に基づき、今年11月に来日予定のインドネシア人看護師・介護福祉士候補者(第2陣)が約370人であることが27日明らかにされたようです。インドネシアとのEPAでは、去年と今年の2年間に看護師候補者400人、介護福祉士候補者600人を上限として受け入るという合意でしたが、最終的に6割以下にとどまりました。仕方ありませんね…。
 フィリピンもインドネシアと同じ内容ですが、来年はどれくらいの看護師・介護福祉士候補者が来日できるでしょうか…。


外国人看護師・介護福祉士候補者日本受け入れに当たっての論点は…。

2009-06-06 15:25:22 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 外国人看護師・介護福祉士候補者を日本へ受け入れるに当たっては、その話がマスコミで騒がれ始めた頃から、各方面で様々な意見があり、論議を呼んできました。
 
そんな中、昨年8月のインドネシア、今年5月のフィリピンと、合わせて500名近くの看護師と介護福祉士候補者が入国、見切り発車といった感じでスタートを切った日本での研修ですが、現在までに、はっきりしている問題点を3点、自分なりにまとめてみたいと思います。

  日本の資格試験に合格できなければ、自国へ帰らざるを得ないということ。
  外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れ希望機関が、当初の予想よりもかなり下回っていること。
  政府当局のこの件に関する理念が見えにくく、基本姿勢もはっきりしていないこと。

   候補者は、来日後6か月間の日本語、日本の看護・介護の導入研修の後、受け入れ先の病院や特養老人ホーム等での研修兼実務に入る訳ですが、看護師は3年目、介護福祉士候補者は4年目に、それぞれ日本の資格試験(日本語)に、一度だけ受験のチャンスが与えられます。
 
日本語研修を提供している団体等からの働きかけもあり、試験問題の漢字に振り仮名をつける、等の対処策も検討されているようですが、メディカルの専門用語が多く、日本人でも合格するのはそれほど容易くない資格試験に、インドネシア人、フィリピン人の候補者が合格できるだろうか、という点です。かなり難しいのは明らかで、フィリピンでも「日本行き」を敬遠する大きなネックとなっています。
 
そして、その一度の試験機会の不合格者は帰国しなければなりません。
 
そこで浮かんでくるのは、低賃金労働の温床との批判が根強い「外国人研修・技能実習制度」で、いろいろな問題をはらんでいるこの制度の二の舞にもなりかねない(マイナス面で)ことも懸念されます。候補者たちにとっては、せっかく受け入れ先の病院や施設で積んだ経験が、将来生かされることなく、やっと流暢に話せるようになった日本語を使う機会も失われることでしょう。そして、研修を提供してきた受け入れ先の病院や施設にとっても、「せっかく日本に馴染み、仕事も覚えたというのに…。」とダメージを被ることになり、仲良くなったお年寄りとの涙のお別れシーンが、今から目に浮かぶようです。

② 来日後6か月間の研修、滞在費用は政府(国)が負担しますが、その後は、実務、研修に入る病院や施設等の受け入れ機関が、彼らの日本語教育等の研修費や賃金(看護助手・介護助手並みの)を負担することになります。
 
が、看護師は3年間の内に実質一度、介護福祉士は3年の受け入れ機関での実務経験の後、資格試験に挑む訳ですが、受け入れ機関側もそのハードルがかなり高いものであるという認識は十分持っているのでしょう。ちょうど周囲の環境や仕事現場にも慣れ、スタッフや入所者とも信頼関係ができ始めた頃に手放さざるを得なくなる可能性が大きく、受け入れに積極的になれないのは当然です。言葉の壁による、主に入所者とのコミュニケーションの難しさも心配されるでしょう。
 
それよりも、昨年来の金融危機、不景気により失職した人たちを雇用する方が、よりスムーズで、少なくとも将来の保証のない外国人よりも長期雇用も期待できるでしょう。
 
逆に、今回フィリピン人受け入れを表明した機関が、どういった感覚で決断したかを知りたい気がします。ここ2~3年、資格試験までに、政府当局が何らかの施策の見直しをするのを期待されているのでは、とさえ思えてきます。外国人を「一時的に…」「ボランティアで…(受入れ側が)」受け入れようといった機関はまずないでしょうから。

③ 超高齢化を迎えている日本では、十数年後(2025年)には、人口の4分の1、つまり4人に1人が65歳以上となり、今の2倍の介護職員が…、そして毎年7~8万人の増員が必要になるとの政府の見通しがあるそうです。
 
でも、それは今になって出てきた話ではなく、ずいぶん前から言われてきた話です。そんな状況の中で、数年前からアジアの国とのFTA(自由貿易協定)により、IT技術者と共に「看護師・介護士」という人的資源を受け入れる話が出てきたのですが、それは外務省主導で行われ、厚労省は「若者や女性の雇用機会を奪いかねない、労働条件の低下につながりかねない…。」などと、むしろ外国人看護師・介護士の受け入れについてはあまり乗り気ではなかった、ということもいまだ尾を引いているかのようです。
 
今回の外国人看護師・介護福祉士の候補者受入れは、果たして経済交流の一環としてのものなのか、または「3K職」と言われ、離職率の高い職種の人手不足を補うためのものなのか。
 一時的なものなのか、将来ある程度長きに渡って受け入れるものであるのか…など、政策としてまだ定まっていない感を受けます。医療・介護現場での状況や経過を見ながら、臨機応変に対応されていく、ということであればよいのですが…。
 
この案件は、外国人労働者受け入れ政策の大きな突破口、転換点であったはずですから…。
少子化傾向が続く中、超高齢化社会の日本を誰が支えていくのか、外国人労働者をどのように受け入れ共存していくのか、中長期的な視点で考えて行かないと、近い将来、問題はより深刻化すると思います。

 
 今日もグリーン・バレーは雨模様。コンドミニアムのリビングの窓もいつも雨に打たれてこんな暗い感じです。
早く、青空が広がって、この窓が開け放たれる日が来てほしいものです。


フィリピンの看護師事情-明日からバギオでも看護師国家試験が・・・。

2009-06-05 19:16:01 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 ここグリーン・バレーは、今日も朝から暴風雨。強い雨がザンザカザンザカ、そして時折ピューッととても強い風が吹いています。南西季節風、低気圧の影響らしいのですが、2日火曜日のお昼過ぎからの雨も今日で4日目です。

 そんな中、あす、あさっての今週末、フィリピン看護師国家試験に約8万人が挑みます。毎年、この6月初めと12月初め(去年は11月末)の2度、看護師の資格試験があります。6月の試験は、看護課程のある大学は、合格率をアップ、その大学のイメージをアップさせるために、新卒業生の上位5割しか受験させないことが多いそうです。3年前の6月には、試験問題漏えい事件が発覚、アメリカはその時の合格者を受け入れないと表明、かなりの混乱と、フィリピンの看護資格試験への信頼が失墜した事件でした。
 では、残りの5割の卒業生は?というと、12月の国家試験に照準を合わせて「リビュー・センター」と呼ばれる予備校で復習をした上で受験が許されるのです。通常、試験前2か月間ほど、そのリビュー・センターで集中して復習、試験対策が行う人が多いのですが、その受講料もばかにならず、大学側とタイ・アップしたビジネスにもなっているようです。
 ただ、昨今は、看護師国家試験の合格率も40%台に抑えられており、年々合格するのが難しくなっていると聞きます。医師などフィリピン国内でちゃんとした身分を持つ高収入の人たちが看護課程を履修し(通常2年)、看護師として欧米へ渡るケースも後を絶ちません。3年前には、約千人の医師が看護師として海外に流出したということでした。アメリカへ看護師として働きに行けば、フィリピンで看護師として働くより、はるかに高収入が望めるからです。
 ちなみに、フィリピン人看護師の国内での初任給は、都市部でも約1万円~1万4千円です。アメリカへ出れば、最低でもその20倍にはなるのです。
 
ここバギオ市は、マニラ、セブ市とともに、北部ルソン島の試験会場ですから、近隣から多くの受験生が集まり、今晩はどこのホテルも受験生でいっぱいでしょう。というか、むしろ再受験者(Re-taker)は、やはり2か月前にはバギオ入りし、友人同士でアパートや家を借り、リビュー・センターに通いながら試験に備える、といった人が多いのです。バギオはマニラやセブが盛夏(サマー・シーズン)である4、5月も涼しいため、勉強するのにもよく、有利なのだそうです。バギオ市は、韓国人を筆頭に、海外から(日本からも)英語留学するのに、気候の面のみならず、環境や治安的にも絶好の場所のようで、いわば学生の集う学園都市とも言えそうです。
 
今、ウチでケアの練習に入っている正看護師は、バギオの南西、バギオから約2時間のパンガシナン州出身ですが、正看護師であっても病院に空きがなく、バギオ市に仕事を探しに来たのでした。今同居している同窓生の親友は、これまで3度受験してパスできず、明日は4度目の挑戦となるそうです。その彼女とともにバギオへ来たのは2か月以上も前ですから、今ウチに来ている正看護師の女性は、その間ずっと仕事を探し続けていたらしいのです。彼女は、1年間の病院勤務経験があるということでしたが、それはボランティア・スタッフとしてで、交通費など支払われた経費は月に約2千円だったそうです。バギオ近郊の病院で、非常勤で働いていた未資格の看護課程卒の女性は、月給約3千円でした。バギオ市にはコール・センターも多く、英語が流暢に話せる看護課程卒の人は、一時的な仕事としてその仕事に応募する人も多いと言います。
 
前回、2日前の記事にもありますが、7~8年前は、フィリピン人看護師の優秀な人材の海外流出により(これまでに少なくとも約30万人のフィリピン人看護師は海外へ出たといいます。)、将来フィリピンには優れた看護師がいなくなる、と心配されました。そして2002年には「海外の看護職従事に申請するにはフィリピン国内での実務経験2~3年を義務づける」法令改正もなされました。ところが、私が2年前に日本からマニラに戻って来ると、新聞の求人欄でケアギヴァー(Caregiver/介護士)募集の広告に、多くの正看護師が応募してきたのです。もちろん、未資格の看護課程出の人、6か月間のケアギヴァー養成課程を終えた人の応募者の方が多い訳ですが、以前は見向きもしなかった正看護師の人の応募者も多かった、ということです。つまり、都市部では、今は看護師過剰の状態で、海外に出る前に国内の病院で実務経験を積むことさえ難しくなっているのです。
 
現在は、国内の医師不足が深刻化しており、地方へ行けばそれはより顕著だそうです。

 ところで、先日、実家に戻ったジェンさんでしたが、「またしばらくバギオに戻ってもよい。」との連絡がありました。ジェンさんは、今年の12月の看護資格試験を受けるつもりだそうですが、やはりリビュー(復習)は欠かせない、と言います。また、前回は間に合いませんでしたが、日本の介護福祉士の候補者に応募する残された条件である「TESDA(テスダ・技術教育技能開発庁)のケアギヴァー認定証」をバギオ市で取得し、来年度の募集に向けて準備したい、という希望もあるようです。サウジへ行くなら、日本の方が…という話も、きっと家族の間で出たのでしょう。こちらにとってもうれしい申し出ですが、もう少し状況を見て判断したいと思います。


2009年度の、フィリピン人看護師・介護福祉士候補者受入れ人数

2009-06-03 12:18:05 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 日比経済連携協定(JPEPA)に基づいて、日本で看護師や介護福祉士を目指すフィリピン人候補者のうち、5月10日の273人に続いて、第2陣として先月末に10人が日本に入国しました。これで、今年度(初年度)これまでにフィリピンから受け入れたのは、計283人(うち看護師93人)ということになりました。
 5月11日の厚労省の発表によると、介護福祉士候補の190人の受け入れ先は、28都道府県の特別養護老人ホームなど92施設で。看護師候補93人は23都道府県の45病院で、うち2病院は介護福祉士候補者も受け入れるそうです。
 
このほか、日本の介護福祉士養成校で国家資格を取得できるコースでは、最大50人が10月に来日する予定です。
 
第2陣の10人は、日本語能力が認められ半年間の日本語研修が免除された人たちで、第1陣の273人とは別に、日本の生活や介護に関する約1週間の研修を受けた後、すぐに今月10日から5都府県の特別養護老人ホームなど9施設で働き始めるそうです。
 
日本語が話せる!というフィリピン人で、真っ先に思いつくのは、日本では「タレント」、フィリピンでは「エンターテイナー」と呼ばれる。通称「ジャパユキ」さんです。「ジャパユキ」という言葉には、フィリピン国内外で一種独特の偏見や差別的な響きがありますが、このEPAによる介護の人材受入れが人々の話題になり出した数年前から、「日本」を経験し「日本語」もある程度話せるジャパユキさんたちですから、「ケアギヴァーとして日本に戻ろう。」と、真剣に6か月のケアギヴァー課程(Caregiver Course)で勉強を始めた人たちは少なくありません。この第2陣の10人の中にも、そういう人がいるかもしれません。
 
が、そうだとしても大変狭き門です。フィリピン国内では、不確かな情報ばかりが先走り、それに乗っかり、淡い(?)希望を打ち砕かれた人たちがどんなに多いことか、と思います。
 
また、受入れに関して、フィリピンサイドの調整・選考機関であるフィリピン労働雇用省海外雇用局(POEA)が、日本の国際厚生事業団(JICWELS)による最終面接に至るまでにどういった基準で数千人の応募者を10分の1の人数にまで絞り込んだのか、明らかにしてほしいものだと思います。募集要件を満たしている応募者から「先着順で…」といった話も聞きます。
 
インドネシアの例を見ても、来年度と合わせて「1000人」という看護師・介護福祉士候補者をフィリピンから受け入れるのは、今の日本の経済状況、この案件に関する政府・当局のあいまいな態度からしても、まず難しい数字でしょう…。ひょっとしたら、今年度の「283」という人数を下回りかねない、と思います。

【日比政府間の自由貿易協定(FTA)の中で、史上初めて看護師百名・介護士百名という「人的資源」をフィリピンから受け入れるという基本的な合意がなされたのは二〇〇四年一一月のことだった。法務省による、フィリピン人エンターテイナー(ジャパユキさん)の法的規制が始まったのと同じ時期だ。二〇〇四年末の法務省の人身取引対策行動計画に沿って、二〇〇五年には二度にわたって省令が改正され、ジャパユキさんたちの日本入国要件は厳格化、その数は著しく制限されることになった。
 
さて、そのFTAの合意により、事実上海外からの看護師と介護士の受け入れが解禁されたことになる。超高齢化が進む日本の社会の中で、介護を必要とする人は今後ますます増えていくだろうが、フィリピンの人には「お年寄りの一人暮らしがまったく想像できない、信じられない。」という。街を歩けば妊婦に当たる?ほど、ヤングパワーあふれるフィリピンに、日本は介護というサポートを期待するのも自然な流れだと思う。しかし、その際、フィリピン人介護士を安い労働力としてとらえるのではなく、頼れる仲間としてどう育て、共存していくか、という視点に立つことが必要となるだろう。(中略…)
 
しかし、そのFTAでの基本合意の後、フィリピン国内では、「あなたも日本語を勉強して日本へ行こう!」などとだまして金儲けをたくらむ悪徳リクルーターが横行し、多くの被害者が出るといった事態が起きてきた。それは、正確な情報が伝わりにくい、また出稼ぎ大国フィリピンの実情を逆手に取った許しがたい行為なのだが・・・。事実、看護師や介護士の養成学校はダバオでも大流行で、そのほとんどは海外へ行くための手段としてその課程を選んだ人たちである。私の介護者募集の広告を見て電話をかけてきた人の中にも、「なーんだ。海外行きじゃないのか・・・。」とプツッと電話を切ってしまう人もいるほどだ。
 
現在、フィリピンの人口八千万人の約一割に当たるフィリピン人が、海外で就労中であったり実際に居住したりしている。そして、国内の有能な若者のほとんどは、移住とまでいかなくとも、海外での就労を希望する、国外脱出志向がとても強いのだ。大家族の多いフィリピンでは、家族の一員の誰かが、また親戚をも含めると最低一人は海外にいる、といっても過言ではないほどだ。しか<し、海外へ渡るプロセスはそれほど容易ではない。たとえば、海外で評判が高く需要の多い看護師でも、二〇〇二年に制定された法律により、免許取得後二、三年のフィリピン国内での病院勤務が、海外の病院で働きに出るための必要最低条件となった。フィリピン国内の看護師不足を解消するための苦肉の策である。そして、社会人としても自立している優秀な看護師は、地方にはとどまらずまずマニラへ出る。それが、海外へ働きに行くための近道の一つなのだ。】
☆拙著『アイ!サラマッポ~フィリピン人介護者と生きて~』(20088月発刊)☆
 下巻第4章「ダバオ市にて」より抜粋

 
<写真> 日本フィリピンボランティア協会・JPVAの在宅介護の実習生受け入れ
    (2004年7月 ダバオ市にて 読売・山田氏撮影)
 

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/kikaku/057/main.htm

(読売新聞・山田氏の記事-2004年8月)

http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3

(このブログ内の関連記事)


フィリピン人看護師と介護福祉士候補者が日本入国-母の日に

2009-05-10 22:03:38 | フィリピン人看護師・介護士(Caregiver)

 今日は「母の日」…。(感謝-サラマッポ!)

 当初の日程通り、今日の午前のマニラ-成田便で、フィリピン人看護師と介護福祉士候補者が日本に入国しました!
 日比経済連携協定・EPAでの合意(2006年9月)では、「2年間で1000人・内訳は看護師400人に、介護福祉士候補者600人」を受け入れるという内容でしたが、今年の最終選考時には「看護師200人」「介護福祉士候補者250人」という枠になりました。が、それも、日本側の受入れ施設が予想より大きく下回り、今回入国したのは約270人(273人?うち看護師78人?)ということです。
「看護師は3年以内」「介護福祉士候補者は4年以内」に、日本の国家資格を取得しなければならない、つまり、日本語の、しかも専門用語の多い国家試験に、一度のチャンスでパスしなければならない、という厳しい条件です。パスできなければ否応なくフィリピンに「帰国」となります。

 フィリピン人看護師・介護福祉士候補者の受入れの経緯については、このブログの中でも何度か取り上げてきました。
 http://blog.goo.ne.jp/isshin3_ph/c/1ae6f2406bb8beed3975d057ca1e19c3

 私は、初め日比間の自由貿易協定・FTA協議の中で話題となり始めた2003年初め(フィリピンの新聞の記事を見た時)から、ずっと気になっていた事柄です。一時は、その合意事項の批准をめぐって、フィリピンでは批准反対の声が大勢でした。
 
看護学部の学生が、白衣姿でPrevent us from being abused-私たちを、日本でアビュースされることから守って(防いで)…!」といったプラカードを手に、EPA批准反対を訴えて、ケソン市で集会を開く(2007年9月30日)、などといった事態も起きました。「be abused」は「虐待・酷使される、粗末に扱われる」といった意味です。日本語の国家試験合格や研修を義務付けた同協定を「国家資格を取得するまで日本人看護師の補助をさせられる。」とか「フィリピン人看護師をプロとしてではなく、商品と見なしている。」などと批判、上院に批准を見送るよう訴えたのです。協定の中の「有害廃棄物の日本からフィリピンへの無関税輸出」という内容に関しても、フィリピン国内ではかなりの反発があり、結局、最終的に批准されたのは、2008年の10月8日深夜のことでした。(協定の発効は12月。)
 
この、FTA(EPA)による人材の受入れという画期的な内容について両政府間で論議され始められたのは、フィリピンが初めての相手国でした。それから数年…、ようやくお互いが納得できる合意に至り、いわば何年越しかの恋(初めは相思相愛だった?)が、昨年来の世界的な経済・金融危機により、ずい分日本国内での事情が変わったため、お金がかかり、現場指導にも負担がかかり、また、せっかく育てても3~4年後には、そのほとんどが帰国せざるを得ないであろう外国人看護師・介護福祉士候補者を受け入れよう、という施設や病院が減るのは、自然な流れでしょう。失職した日本人を雇用した方が、受入れ側にとってはよりスムーズに、そして長期雇用も期待できるでしょうから…。

 数千名という多くの応募者の中から選ばれ、今日、日本入国を果たしたフィリピン人看護師と介護福祉士候補者は、母の日に最大の親孝行ができたのではないかと、フィリピンの家庭事情をある程度知る私には…、うん、そう思えてなりません。
 
6か月間の日本語研修等を終えて、実際に医療・介護現場に入るのは10月末から11月上旬…。今年の、初めての日本での「クリスマス」が、彼ら、彼女らにとってどういったクリスマスになるのか、期待感を持って見守りたいと思っています。

 今日は日本各地で真夏日の記録的な暑さ…。初めて成田に降り立ったフィリピン人にとっても、マニラに引けを取らないくらいの猛暑に、さぞ驚いたことだったでしょう。今夜は、思い切り泣いて、明日から、一日も早く「日本」に馴染んでくれることを祈ります。

Good luck sayo!」(あなた方に幸あれ!)

<写真> バギオ市Lourdes Grotoの聖母マリア像

…「100段の階段」(下の写真)を上りつめた所に、この像があります。ちなみに、スロープも整備されていて、私もそこまで行くことができます。(訂正-「110段だそうです。…5月11日)
 

<関連記事>

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090510-OYT1T00672.htm?from=navr