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大腿骨頚部骨折から1年…。(せきずい損傷者の場合)

2014年05月20日 | その他

昨年2013年の5月に左脚の大腿骨頚部を骨折してから1年になります。

大腿骨頚部骨折(せきずい損傷者の場合)
(2013年6月15日記)

おかげ様で、ここ和歌山市で、体力、気力ともにずい分回復してきました。

ただ、やはり今でも、骨折した箇所の鈍い痛みがあり、その痛みから来る顔の右半分の発汗や血圧の変動は続いています。

血圧は、デジタル血圧計ですが、低い時には「最高血圧値50前後-最低血圧値35前後」といった数字が出たりします…。それでいて、お腹を壊した時などは最高血圧が200前後にまで上がったり…。でも、まあ血圧変動は骨折以前からも時々ありましたが、その値の範囲が広がったかな、といった感じです。

左側臥位(左に横向き)も数カ月前からできるようになり、少しずつその時間を伸ばし、今では約1時間ほど左向きの状態でいられるようになりました。1時間くらいすると、同じく顔の右半分から汗が噴出し始めます。
この一年間、お尻の右側に二度床ずれが出来ました(今も治療中)が、これも予想していたことです。

骨折した箇所は、せきずい損傷者のように以前からも歩行できなかった人の場合、手術はせず、そのままがよい(保存療法)ということで、接合することはありません。通院も必要ありませんでした。大腿骨の頭部は壊死し、頚部の骨折部分は擬軟骨のような状態だと思われます。左脚は、多少短くなりました。

今月に入り、たまに大阪等へ遠出をするなどして、自分の体力を試しているところです。
今後とも、あまり無理をせず、この骨折した左脚の大腿骨頚部と、うまく付き合っていこうと思います。



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4 コメント

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近況 (群青)
2014-05-24 13:07:30
Isshinさん、こんにちは。
和歌山のご療養生活の模様が分かりました。
先日も和歌山城にお出かけ。猫たちがなついている模様も楽しく拝見しました。
左脚大腿骨頚部の鈍痛が続いているんですか。
それにしても、左臥せなど動かせているご様子なので、少しホッとしました。
大阪まで遠出されているなんて、凄いですね。
一年程前に、元TCA(東京ケアギヴァーアカデミー)の先生だった平出所長さんに南武線沿線の現職介護士、Mさんを引き合わせていたんですが、彼らはその後も連絡とりあっている模様でした。
居眠りアテは、膝と腰を痛めた後はラブホテルの清掃等の従業員になってしまいまして、残念です。
しかし昨夜、NHKで、日本在留の外国人や在比日本国籍のフィリピン人(・・?)が日本国内の介護に有望だという番組みをやっていました。
自分の身近では、もう余りツテが無くなってしまいましたが、NHKの番組みが、外国人介護職への理解に繋がるといいなァと思いました。
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『日本の介護 誰が担う』? (Isshin)
2014-05-26 16:39:00
群青さん、こんにちは。

ネットでチェックしましたが、多分NHKの首都圏ネットワークの「プロジェクト2030」という番組ですよね。『日本の介護 誰が担う』というタイトルの…。和歌山では放映されなかったでしょう。
EPAで来日しているフィリピン人女性とインドネシア人男性のトピックがありました。受け入れ先の施設の話とともに…。
https://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/archive/130523/index.html

自分自身は、EPAによる受け入れについては、関心は持っていますが、以前ほど熱が入らなくなりました。ずっと群青さんとブログ等を通じてこの件に関して続けてきたやりとりの通りです。
群青ブログの以下の記述(4/13)にほぼ同感です。
http://ameblo.jp/gunjyo01/entry-11821505611.html

近い将来、介護の分野で外国人の手を借りなければ、超高齢化社会の日本は立ち行かなくなるのは目に見えています。以前のフィリピン人専従介護者に助けてもらっている、今の自分自身の和歌山市での生活も、いつまで続けられるか分からない不安定なものです。

介護の分野で外国人をどのように受け入れるか、現政権下でもそういった話が出ているようですね。自分自身も、特に個人がどういった形でプライベートで家庭に受け入れられるか等、考え、いろんな思いを巡らせててはいますが、答えがなかなか見つかりません。
フィリピンに関して言えば、世界中の各地でPrivate Caregiverとして受け入れられていますが、その受け入れ先の家庭が、まず裕福であり、またフィリピン人を受け入れられるだけのキャパシティ、理解し合えて信頼し合えるといったようなキャパシティを持ち合わせているケースでの成功例が多いようです。14年間余のフィリピンでの生活の中で、いろいろなケースを耳にしてきました。日本でも、そういったケース(個人の雇用契約によるフィリピン人介護者の受け入れ)が今後出てくることと思います。ハードルは高いと思いますが…。

昨日は、日帰りで奈良に仏様の姿を拝みに行ってきました。「紀州路快速」にはお世話になっています(^^;)。
ご返事が遅れてしまい、すみません…。こちらのブログはなかなかアップできませんが、今後ともよろしくおつき合い下さい。
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ご無沙汰してます (だいき)
2014-08-19 20:50:31
マニラで初めてお会いし、3年前にバギオに車椅子でお伺いした者です。
お元気ですか?
私はミンダナオ付けとなり家族はみんな東京に戻りました。
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だいき君…。 (Isshin)
2014-09-21 21:46:09
Mさん、ブログにメッセージ、ありがとうございました。

ミンダナオ島でのミッション、大きなお仕事でご苦労も少なくないのでは、とお察しいたします。
東京に戻られたというだいき君、ご家族の皆様も、お元気ですか?

私の方は、7月に心機一転して、和歌山市から調布市へ移りました。
転居にあたり、調布市のNPO法人日本フィリピンボランティア協会・JPVAにサポートしていただきました。
私のこれまで15年間のフィリピンとの関係を大切にするために、日本国内であればここしかない…、という選択でした。

昨年5月の大腿骨頚部骨折後、フィリピンに戻ることを諦め、日本でこれまで何とかやって来ましたが、日本の介護事情は厳しい…。介護体制の面では、やはりフィリピンは楽でした。・・・

(7月20日)
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