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胃癌日記3

2012-05-25 19:20:19 | 闘病

                      胃 癌 日 記 3

  (四国88箇所 20番霊場 鶴林寺。大汗かいて、自転車を推して登る)

 10月29日(土)

 本日は前回の検査結果を聞く日。連れ合いに一緒に言って私の癌を見ておくか、というと、流石看護師である連れ合い、

 「まあ、見ておこうかな」

 この日は、私は歩いて、連れ合いは自転車でNクリニックの前で待ち合わせ。本日は校友会大会があり、11時からの学部の企画には参加しなければならない。そのため9時に待ち合わせ。この日も結構混んでいて、結局診察開始は10時になった。呼ばれて診察室へ入り、今日は連れ合いも一緒に来た旨言って椅子に座ると、Nドクター英語で書かれた検査結果を見せて

  (各県にある国分寺 この寺は徳島県の国分寺)

  (23番霊場 薬王寺 薬師如来がご本尊)

 「【いそ】さん。性質の悪い細胞が出ています。検査結果を見て、独断でS病院のA先生にデータを送りましたよ。この前S病院へ行ったばかりやけれど、もう一度行ってください。」

 検査報告書のCancerとCellだけは分かった。

「分かりました。先生。性質の悪い細胞て、進行性のスキルス癌ですか。」

 と聞くと、

 「そうです。紹介状を書きますのでS病院に行ってください。」

 「先生。11月4日は、T病院で年1回の能動脈のMRA(実際は3DCTだったが私が間違えていた)の検査の予約が入っているので、その日以外でお願いします。」

 と言うと、Nドクターは、

 「何を言っているんです。そんな術後の検査は少々遅れたっていいじゃないですか。やらなくてもいいぐらいですよ。」

 と、珍しく少々語気荒く言われた。かなり切迫しているのかなあ、自覚症状は何もなく、食事も美味しく沢山食べているんだがなあ、と思いつつ、ただならぬ思いも感じていた。

  (薬王寺からみ見た日和佐の町。海岸では海がめの産卵も見られる)

 Nドクターは先日の胃カメラの写真データを連れ合いに見せて説明している。私は90%の覚悟はしており、愕然となることはなかったが、『いよいよそうか』という思いがじわっと沸いてきた。Nドクターはその場でS病院のAドクターに紹介状を書いて、ファックスを入れた。

 暫くすると返信が来て、11月2日の水曜日に診察とのこと。私は、予定を入れて、午前の4時間の年休の手続きをした。午後3時には仕事で重要な来訪者の対応をしなければならない。

 この日、Nクリニックの前で連れ合いと別れ、校友大会にJRで向かっている途中に、気にするな、気にするなと心の中で言い聞かせているのに、無理無理にと言った感じで色んな思いが、これでもかこれでもかと脳の深層部をよぎっていく。

 癌で亡くした友も沢山いる。53歳で逝った大親友のM、彼は私が会社経営をしていた時に私の仕事に関わって何度も保証人になってくれた。何も言わず金も貸してくれた。そのことの責任は私の経営者としての至らなさなのだけれど、訪ねた折には彼は『またかー』と言って、無理を聞いてくれ、『まあ飯でも食っていけや』と言ってご馳走してくれた。今思い出しても涙が出てくる。そんなMが眼底の原発癌と胃への転移で亡くなっている。親友のように心を許しあった連れ合いの兄Hも50歳の若さで胆管の癌で逝った。痛恨のことだった。北海道出身のOも胃癌で50歳代前半に逝った。職場では同僚のNが一昨年、Kさんがやはり50代前半で亡くなっている。孫が学校で世話になったGさんのご主人も50代半ばで逝っている。

 そんなことが、走馬灯のように私の心に沸々と沸いてきた。

  (いよいよ高知県に入る。室戸岬にある 中岡慎太郎の銅像)

                                                        (続く)

 

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