今こそ、反ファシズム統一戦線を
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パライソメッセージ 20150718 N0.43
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自公連立の安倍政権は、安全保障関連法案を、世論の圧倒的な批判や反対にもかかわらず、『民主主義の本道』などと嘯きながら、絶対多数の議席を占める国会の衆議院平和安全法制委員会で15日、そして16日には衆議院本会議で自公単独での強行採決の暴挙に出た。あえてこの法案を戦争法案というが、戦争法案が憲法に違反するということは、圧倒的多数の改憲論者も含めた学者や法律家、専門家にとどまらず複数の元法制審議委員などが指摘している。また、戦争に反対する国民の声は先の戦争体験者はもちろん、若者、女性・ママ友も高齢者もあらゆる層で連日全国各地で高まり、自公・安倍政権に対する抗議と怒りの声はうねりのように大きくなっている。問題は、『民主主義の本道』などと嘯いてそういった国民の声を無視あるいは高圧的に圧殺して、主権在民と立憲主義を踏みにじり国会での強行採決によって独裁的に戦争法案をのごり押しを狙う自公連立・安倍政権の動きである。
これではナチスドイツが全権委任法を梃子にファシズムを推し進めてきたのと同じではないか。彼らファシストは最初優しい言葉と美辞麗句で「平和・安全」や「富国・国益」を言い、国民を戦争に駆り出すための仕組みを構築していく。そのプロセスでファシズムは民意をまったく無視しそして敵視し、反対勢力を徹底的に弾圧し言論の自由を完全に圧殺してしまう。国民は戦争に駆り出され、人格を破壊され、善良な父が、息子が、恋人が実際に殺し殺されることを強要する。ナチスドイツでは「反共法」日本では「治安維持法」が敷かれ、苛烈な思想弾圧が行われ、その対象は共産党員だけではなく自由主義者、平和主義者、宗教家、思想家などありとあらゆる心ある人々に向けられたのではなかったか。戦時のマスコミは嘘ばっかりの大本営発表をたれ流した。今日の安倍親衛隊議員による『マスコミ懲らしめ放言』や百田氏の『沖縄のマスコミは潰さなあかん』発言は、戦前のマスコミ弾圧をほうふつさせる。ファシズムへのプロセスはナチスドイツも戦前の日本軍国主義も同じで、ファシズムはひたひたひたと押し迫ってくる。
私たちは一昨年『特定秘密保護法』の採決強行というファシズムへの予鈴を聞いている。昨年施行された同法は今般の戦争法案強行採決とシンクロしてくる。そして広範な国民の整然とした抗議活動に対しても『テロ』呼ばわりし、挑発とアジテーションを仕掛けつつ猛然と国民に牙を向けてくる可能性も現実にありうることだろうし、十分な警戒が必要だろうと思う。
今日の自公・安倍政権の民意無視と立憲主義破壊いく末には、私は間違いなくファシズムが待ち受けていると思う。強引なやり方の帰結は強行採決という究極の民主主義破壊となり、この一連の自公連立政権の強権に対して各界・各層の多くの人たちが警鐘を乱打している。野党議員はもとより、矍鑠たる少なくない自民党長老・現職議員のみならず公明党・創価学会の長老、現職の議員、維新の議員でさえ心ある政治家は反対している。憲法擁護の方は当然としても改憲論を主張されておられる多くの学者、政治家、文化人なども安倍政権のやり方に反対している。国民の怒りはかつてないほどに大きい。『無気力』や『ゆとり世代』などと揶揄され何かというと『自己責任』を押し付けられる若者も戦争に反対して大きなウェーブを巻き起こしている。女性も立ち上がり、戦争に反対するママ友が声を上げ女性週刊誌でも戦争法案に反対する骨太の記事が書かれている。多くの宗教者も先の戦争の痛苦の経験と反省を背負い、自公・安倍政権の民意の無視と立憲主義の破壊に抗議している。
国会では、まだまだ参議院委員会、参議院本会議と議論は続く。自公・安倍政権がファシズムの台頭期の歴史をなぞらえるのであれば、私たちも歴史の教訓を学ばなければならないと思う。私は、今こそ“反ファシズム統一戦線”を築いていくべきだと思う。自公・安倍政権は強行採決をも『民主主義の本道』などと嘯いている。ここでいう民主主義とは小選挙区制で得た圧倒的多数の議席のことを言っているのだろうが、そもそも自民党の絶対支持率(投票率×得票率)は20%に満たないのは周知のこと。党利党略によって得た虚構の多数が彼らの言う民主主義なのだ。
“反ファシズム統一戦線”といっても勇ましく聞こえるが“実力組織”ではない。全国各地で大きなうねりとなって巻き起こっている抗議のデモは“新しい民主主義”を象徴している。しかし、現在の日本で政治を変えるには選挙というプロセスを踏まなければならないし、このことは小選挙区制の制度疲労を修復しなければならないが、それであっても代議制民主主義そのものは今後も劇的には変わらないだろうと思う。私は、そういった“新しい民主主義”をバックグラウンドにして、良い世の中、なによりも平和な世の中を作るために“統一戦線”つまり連帯してアクションを起こさなければならないと思っている。そのために一番頑張ってもらわなければならないのは政党だろう。私は、戦争法案に反対する全ての政党が党利党略を捨てて、【主権在民】【立憲主義擁護】の二点の政策一致でいいから“反ファシズム”をスローガンに連帯して国会解散、総選挙に持ち込んでほしい。“反ファシズム対自公”の構図で、候補者も場合によっては各党員でなくても、平和を愛する若者、女性・ママ友、等広範な人たち、さらには自民党の重鎮や現職議員、公明、維新の現職、OBでもいい。【主権在民】【立憲主義擁護】を共有できる人物を擁立して“反ファシズム”で一本化し選挙戦を闘う。そのことによって、私は制度疲労の小選挙区制が幸いして自公・安倍政権のファシズム志向政治を政治の世界から完全に退場に追い込むことは、先の絶対支持率を見ても十分に可能だと確信する。それが今の自公・安倍政権にとっては最も“恐ろしい”ことだろう。
今こそ“反ファシズム統一戦線”をみんなで真剣に具体的に作っていくべきだ。
==イソじいの「一押しBOOK」==
題名:『資本主義の終焉と歴史の危機』
著者:水野和夫 1953年生まれ。日本大学国際関係学部教授。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国際戦略室)を歴任。
出版社:集英社新書 2014年3月19日第1刷発行、2014年6月17日第7刷発行
内容:
新書版ではあるが、歴史の事実を誠実に捉え今日の資本主義に対する真摯なサジェッションの著書である。ピケティの問題提起が剰余価値の分配に対する『規制』と社会的な公正を丁寧な実証で述べている、いわばジャスタイス(正義感)を持ったポリシーを論じているとするなら、本書は新書版とはいえよりマクロな視点でのサジェッションだろう。共通しているのは『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ(大洪水よわが亡き後に来たれ)』の新自由主義が資本主義社会の終焉の姿であるということ。ただ、ピケティはポスト新自由主義のバッファを提案しているが、本書では資本主義終焉後のバッファの提案はない。
内容として資本主義の萌芽から、地域的・空間的な拡大と行き詰まり、生産の次には資本の【自己増殖】の行き詰まり‐バブルの崩壊や挙句のリーマンショック‐、電子・金融空間の創造、利益の先取り‐未来に発生するであろう利益の先食い‐行き詰まり、弱者からの利益の収奪‐『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ』‐の新自由主義の行き詰まり、といった強欲な資本の営みを、アメリカ、新興国、日本、西欧のそれぞれでの特徴を紹介し論述している。
『自分さえ良ければ』『今さえ良ければ』のモラルハザードの新自由主義はまた、格差の大拡大や弱者いじめや自己責任論をはやし立てる。本書はそれらに対して『自戒』も込めて冷静に告発している。
イソの評価:★★★★☆
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