再見。
初めてこの言葉を目にした手紙には、桜のハンコが押されていた。1978年のことである。
成田闘争で逮捕された知人が、お縄となる原因となった自身の「戦闘」とその「戦果」を、ベトナム戦争のテト攻勢にたとえた文面は、検閲の手前ささやかな表現ではあったが、「どんなもんだい」とばかりに胸を張る彼の姿が見えるようだった。
その手紙の最後に添えられていた言葉が、「再見」だ。
日本語の「さいけん」ではない。中国語の「ツァイチェン」である。
「(出所したら)また会いましょう」という意味合いで使われていたはずだ。
爾来、お気に入りワードのひとつとなった。
きのう、
フランスの友人から”Bonne Année !”と題された便りが届いた。
もう2月がそこへやってこようとしているのに”Bonne Année !”とは悠長なことだと微笑みながら、久しぶりに届いた便りに目を細くした。
すぐにしたためた返信には、モネの庭の夕景を添えた。
もちろん、文章の最後は「再見」だ。
再見。
桜のハンコが押された便箋を手にしてから、40年が経とうとしている。
残念ながら、彼とはまだ会ってない。
またいつか話しをしたいものだ。
お互いに60を過ぎた今でも、彼はわたしに熱くオルグをするのだろうか。
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