答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「ジャガイモがゴロゴロ入ったカレーと三方良しの公共事業」理論提唱者の現在地

2018年06月15日 | 三方良しの公共事業

誰よりも「執着する人」であるわたしが、『執着しないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ)を読む。

本人的には、なんの不思議もない。ないどころか、むしろ当然だ。「執着する人」だからこそ「執着しないこと」を目指すからである。

 

執着しないこと
アルボムッレ・スマナサーラ
中経出版

 

・・・・・・・・・・・・

 肉料理を食べると、自分は幸福を感じる。それは、「肉」だからではありません。「好きなもの」「食べたいもの」を食べているからです。

 ということは、菜食主義の友達も同じように、「好きなもの」「食べたいもの」を食べると幸福を感じるでしょう。なので、相手に喜んでもらうためには、「私が好きだから、あなたにも肉料理をご馳走する」ではなく、「あなたが食べたいものをご馳走します」となるのです。

 そうした接待を受ければ、その友達は、「私のことをよく理解している。私が喜ぶことを理解している」と判断して、あなたにとってよい友達となってくれます。

 あなたが他人からされたくないことは何ですか?それが発見できたら、自分に対しても、他人に対しても決して行わないことです。

 一方で、あなたが他人にしてほしいと思うことは何ですか?それが見つかったら、率先して他人にしてあげることです。

(Kindleの位置517)

・・・・・・・・・・・・

 

このくだりを読むなりニンマリし、得たりとうなずくわたしは、知る人ぞ知る、『ジャガイモがごろごろ入ったカレーと三方良しの公共事業』理論(?)を日本で初めて提唱した人である(あとにつづく者の存在は不明ですが)。『ジャガイモがごろごろ入ったカレーと三方良しの公共事業』、要約するとこうだ。

   ↓↓

 我が家のカレー料理担当は結婚以来ずっとわたしだ。そんなわたしはジャガイモが入ったカレーが好きではない。ひっきょう、わたしの作るカレーはジャガイモ抜きとなる。反面、我が女房殿はジャガイモを入れたカレーが好きである。だが、ジャガイモが入らないほうが断然イイと信じているわたしは、その必然としてジャガイモを入れない。

「ジャガイモを入れない」というその判断は、ただただ美味しいカレーを食わせたいという善意から出たものだが、あくまでその基準はつくる人たる自分であり、食べる人としての女房殿ではなかった。

あゝ、、、ときとして、善意の押しつけほどタチが悪いものはない。

食べる人に喜んでもらう。

そのことを第一に考えて行動する。

いわずもがな、カレーの話ではない。「三方良し」である。

「三方良し」は、けっしてツールなぞではない。理念であり考え方だとわたしは思っている。そしてその「考え方」の基本にあるのは「他助の精神」だ。「お客さん=住民」の利益を第一に考えることだ。「お客さん=住民」を喜ばせることを基本に考えて実行していれば、いろんな現場で立ち現れるモヤモヤとした情況を打開するすべは見つかるはずである。


さあ、久しぶりにジャガイモがゴロゴロ入ったカレーをつくってみようか。

おっといけない。あやうく過去と同じ轍を踏むところだった。「ジャガイモ」はあくまでも象徴ではないか。いつもいつでもジャガイモさえ出していれば彼女が喜ぶという、その考えがそもそも違うのだ。要は「食べたいもの」は何かである。

『ジャガイモがごろごろ入ったカレーと三方良しの公共事業』理論(?)を日本で初めて提唱した人、相も変わらず進歩がない。

 

 

 

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宮古島で「三方良し」を語ったこと

2018年05月25日 | 三方良しの公共事業

 

沖縄離島遠征2日目は宮古島、

 

 

 

ステージが広くて気持ちいいのは、

太鼓打ちの血がなせるわざか。

 

 

9時半から17時までの講演中に記録した

ステージ上での歩数は4000歩あまり。

その数と、聞き手に伝わったかどうかの相関関係などは欠片もないのだろうが、そこはそれ、いつもの我田引水だ。思いのたけを伝えることができた(かもしれない)という、ひとつの表れだろうと意味もない納得をして余韻に浸っていたところへ、終了後、わざわざあいさつに来てくれた人が数名いた。

そのなかに、

「感動しました」

という老紳士の言葉あり(ひょっとして同年配だろうか、うん、そんな気がする)。

いえいえどういたしましてそれはわたしだけのチカラではない、なんとなれば「プレゼンテーションは送り手と受け手の創作物だ」(by 桃知利男)から。

なんて言葉が脳内に浮かんだが、思わず胸がつまり、「こちらこそありがとうございました」とだけ言ってこうべをたれる。


そんなこんなで、2018沖縄離島遠征の業務上のミッションは終了。

宮古島、忘れられない場所になった。

せっかくである、そして、なんてったて沖縄だもの、もう2日ばかり滞在して少しばかり観光をして行こうと思っている。

でわ。

 

 

 

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「群馬県が若手技術者育成」という新聞記事を読んで考えた

2018年02月09日 | 三方良しの公共事業

建設通信新聞2018.02.06より

 群馬県は、35歳以下の県技術職員の現場管理能力を向上させるため、「視える化工程表」の取り組みを始める。技術職員1人当たり年1工事で試行する。1日付でガイドラインなどを県内各土木事務所などに通知した。実際の工事で若手職員を育成する取り組みで、全国的にも珍しいケースとみられる。

 「視える化工程表」では、まず受発注者で工事の目的や成果物、成功基準、リスクなどを共有するための「目標すりあわせシート」を作成する。次に受発注者で適正な作業日数と予備日数を確保した「視える化(CCPM)工程表」を作成。ガイドラインでは、作業内容の洗い出しからリスクを想定した作業日数の決定方法、作業内容を検討した結果の工程見直し方法などを記載し、「むやみに作業日数や予備日数を削らない」「発注者の作業日数を必ず入れる」といった注意事項も盛り込んだ。

 

群馬県県土整備部といえば、2008年5月、まだどこの馬の骨ともわからぬわたしを(イヤ高知の馬の骨ということはわかってました)「ぐんまワンデーレスポンスフォーラム」の事例発表者&パネリストとして招いてくれたところだ。地方自治体としては静岡県に次いで2番目だった。(先見の明があったということですナ。イヤ、もちろん冗談です。ちなみにこれ以降も自治体が開く催しに招かれたことは片手に余るほどしかないんですケドね。)

 

 

『建設マネジメント技術』2008年9月号にその取組みの概要が掲載されているので興味がある方はのぞいてみてほしい。

http://kenmane.kensetsu-plaza.com/bookpdf/52/sgb_01.pdf

フォーラムに参加し何人かと意見交換をして、発注者サイドの熱意に感心感激したと同時に、受注者側の戸惑いのようなものを感じたのもたしかだった。どれどれ・・と当時のメモを探して見ると、「工程という、施工業者にとっていわば懐中の刀ともいうべきものに発注者側がコミットしすぎてしまうと、コチラとしては少々辛い」というような旨の記述があった。関係者に対してそれを口に出したのか出さなかったのか、今となっては定かでない。

10年前のことだ。今という時代、10年という歳月は、すっかり様変わりしてしまうのに充分な時間である。

このあいだ、ワンデーレスポンスにしても、そのツールとして登場した(建設業の)CCPMにしても、そしてその最終目標である「三方良しの公共事業」にしても、全国各地で様々な取り組みがあったはずだ。その過程で、成果をあげた人たち、失敗した人たち、はたまた、挫折した人たち、継続している人たち、わたしが見聞きしたものはその一部にすぎないのだろうと思うが、負の結果に終わった方が多いだろうことは想像に難くない。そんななか、わたし(たち)はしつこくつづけている。おかげさまで、いくばくかの成果もついてきた。

惰性に注意しながら継続する。これもまたCCPMの親玉たるTOCに教えてもらったことだ(「継続的改善の5ステップその5、惰性に注意しながら繰り返す。結局1~5のうち、「その5」しかアタマに入らなかったダメな生徒です)が、今となってはその有用性と重要性とが身にしみてわかる。つづけていれば「何とかなる」ものではないが、つづけなければ「何ともならない」ことだけはハッキリしている。そしてその「つづける」は、のんべんだらりと続けるだけでは「何にもならず」、少しずつ変化しながらつづけなければ「つづかない」。その文脈のなかでは、たとえ行き詰ったとしても立ち止まったとしても、いつかどこかでリスタートをしながら「つづけはじめる」こともまた「つづける」という形態のうちだ。いやむしろ、そっちのほうが渡る世間の現実的には的を射た表現なのだろうと思う。

 

群馬県の話に戻す。『建設マネジメント技術』2008年9月号では、その取り組みについてこう書いている。

 

「ぐんまワンデーレスポンスプロジェクト」 の4ステップ

「ぐんまワンデーレスポンスプロジェクト」は 一般的な“ワンデーレスポンス”とは若干違います。24時間以内に回答することだけではありませ ん。

具体的には,次の4ステップから構成されま す。

・ステップ1 「目標のすりあわせシート」を作成する―工事の目的・成果物・リスクを共有し ます。

・ステップ2 「視える化工程表」を作成するー別名、「段取り八分工程表」「サバ抜き工程表」「視える化工程表」を引きます。

・ステップ3 「24時間回答」を行うー工事進捗 中は24時間以内に回答するか、回答期限を伝えます。

・ステップ4 「マネジメント(「視える化工程 表」での進捗管理)」をするー「あと、何日ですか?」の工程管理により、工期の安全余裕(バッファー)の消費を管理し、安全余裕の消費量により対策を講じます。また、各ステップの共通することは、発注者と受注者、上司と部下が共同・共有しながら進めていく点です。

 

「視える化工程表」も「目標すりあわせシート」もこのなかにすでにある。「では10年経った今なぜ”技術職員1人当たり年1工事で試行”?」と、冒頭の記事を読めば疑問がわく人もいるだろう。だが、11年に渡り七転八倒を繰り返してきたわたしは、この記事をそうは読まない。「つづけはじめる」サイクルの一環だととる。そして、

「むやみに作業日数や予備日数を削らない」「発注者の作業日数を必ず入れる」といった注意事項も盛り込んだ。

ここにもリスタートもしくはリニューアルの意思が読み取れるような気がわたしはする。

 倦むことなく飽きることなくつづけると言えば体裁はいいが、現実には倦むことも飽きることもある。「あきらめたらそこでゲームセットですよ」とはたしかに名言だ。局所的あるいは限られた時間内のゲームであれば、たしかにそのとおりだろう。だが、一度や二度あきらめたぐらいで渡る世間の試合は終了しない。させてはならない、という意思さえあれば終了しないのだ。

つづける。

つづけはじめる。

つづけはじめつづける。

その繰り返しのなかから群馬県の取り組みが大きな実を結ぶよう、南国土佐の高知より祈っている。

 

以上、一片の新聞記事から上州路に想いを馳せ、考えてみたことである。

 

 

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「報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね」(柳井正)

2017年12月27日 | 三方良しの公共事業

朝、NHKニュースを見ていたらユニクロ柳井社長のインタビューが始まった。夕餉の残りのおでんの玉子をほおばりながら見る。「おでんの玉子は翌朝食べるに限るな」、とかナントカ思いつつ見始める。この時点では、玉子が主でテレビが従だ。ところが、あっというまに形勢逆転。ついついインタビューに引き込まれてしまった。

そのプログラムが終了後、「得たり」とうなずく内容をしかと頭に叩き込み、「今日のブログネタはこれに決まりだな」と、またその内容を反芻してみる。よし、だいじょうぶだ。ちゃんと覚えている。だが待てよ。。。。

ふと思いつき「ユニクロ 社長 NHK 朝」とグーグルさんで検索をしてみると、あった。

NHK『おはよう日本』2017年8月23日(水)『柳井流「仕事の進め方」』

どうやら今朝のは再放送だったようだ。

正確を期するためにWeb記事から引用する。

 

 

今や日本を代表する経営者である柳井社長に、ビジネスパーソンは、どんなマインドで仕事をしたらいいかを尋ねてみました。


ファーストリテイリング 柳井正社長

「大企業で仕事している人は、社長だったらどういうふうにするかを考えて仕事しないと。課長だったらとか、部長だったら、それはクライアントのためじゃないですよね。お客様のためにどういう仕事をする。それは、自分は課長なんだけど、社長だったら、どういうことをするかということを主体にして、自分の置かれている立場で、自分の部署も変わるし、周囲も変える。そういうふうな仕事のしかたに僕は変えるべきなんじゃないかなと思いますね


豊永デスク
「常に社長の立場でものを考える…」


ファーストリテイリング 柳井正社長
「じゃないと、報告用の仕事になっていくと思うので。報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね

(太字、宮内)



この場合、「大企業で仕事している人は」という括りは必要ではないだろう。柳川さんの言は、どのような規模においてもどんな職種においても、組織に身を置き仕事をする人間の心がまえとして通底するものだとわたしは思う。そして、これを聴きながらいみじくも思い出したのは、今年の夏、鹿児島での拙講のあと、天文館で一献かたむけた初見の人(業界の外の人)が「三方良しの公共事業」について語ったわたしの話に対して述べてくれた感想だった。

いわく、

「あなたの話は、建設業について語っているようでいて、けっしてそればかりではない。あの話には、仕事というものについてすべからく共通する大切なものがあるんではないでしょうか」

たしかそれは「自利」と「利他」について語ったことを指していたはずだ。

つまりそれは、「自分の利益」としてやった仕事は「他人の利益」にもならなければならない、あるいは「他人のため」を考えたうえで「自分の利益」を図る、いずれにしてもそのことについて自覚的に仕事をしていかなければならない、幸いわたしたちが生業(なりわい)とする「公共建設工事という仕事」は、そもそもそれを実行することそのものが「利他」(地域貢献)になるという性格を生まれ持っているのだけれども、そのことに無自覚であってはならず、結果オーライで世間の役にたったとしてもそれは意味をなさない、というような話である。

と同時にわたしは、「三」の重要性についても説いた。受注者と発注者という二項対立の枠組みやそこからスタートする発想、仕事のスタイルからは、わたしたちは救われないのだと。繰り返し語ってきた例のアレである。そこで重要となってくるのが、公共建設工事の真の発注者たる「住民」の存在であり、二項対立を打破する「三」の存在としての「住民」を向いて仕事をしていこうとういうその取り組みを端的に表現する言葉として、「わたしたちのお客さんは住民です」という惹句を使ってきた。

そのことを踏まえ、「大企業の社員」に向けた柳井さんの言葉を再度反芻してみると、先述したように、それが「大企業のみにとどまらない」ことはもとより、単に企業内部だけにとどまらず、「三方良しの公共事業」を考えるうえでも大いに示唆に富んでいることに気づく。

インタビュアーと柳井さんのやり取りをもう一度引用する。


 

豊永デスク
「常に社長の立場でものを考える…」

 

ファーストリテイリング 柳井正社長
「じゃないと、報告用の仕事になっていくと思うので。報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね

 

 

「上司」を「発注者(役所)」に、「お客様」を「住民」に置き換えてみる。

報告用の仕事っていうことは、役所(発注者)にとっていい仕事で、住民(お客さま)にとっていい仕事でない可能性がありますよね。

となる。

まさにその通りである。わたしの考えるところでは、発注者もまた「お客さん」である。エンドユーザーである「住民」に社会資本を届ける前段階の一次顧客として「役所(発注者)」があるとわたしは定義している。その前提からすれば、「報告用の仕事」というのは付き物であって、必ずしも否定されるべきものではない。いや、否定したくても否定しきれない現実から脱することはできない。しかし、だからといって、「本当のお客さんにとってどうなのか」と考えることや、その実践を放棄するのは、「自利の行為が利他となり、利他の行為が自利となる」公共建設工事というわたしたちの仕事を自ら否定することにつながるのではないだろうか。

 

・・・・・・・・

 

ユニクロの社長がどんな人でどんな考えを持っているか、ということなど今日の今日まで考えもせず、柳井正という人にもまったく興味も感心もなかったわたしだが、朝からいい言葉を聞かせてもらったことにとても感謝している。そして、常にアンテナをはっておき、できるだけフィルターをかけずにものごとを見聞きすることの大切さを実感している。

まったくもって単なる偶然。

とっかかりはあきらかに「おでんの玉子」が主役だった。

そんなことは棚に上げて。

 



 

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種をまく人

2017年12月21日 | 三方良しの公共事業

ふとしたときに、

「オレと同じような意見だな。」と感じることがある。

何気なしに、

「オレと似たような考えを持った人もいるんだ」と思うこともある。

他でもない。なりわいについてのことである。

そんなときは、なんだかとてもうれしくなる。

先日、そんなふうなことを知り合いの某氏に話した。すると彼は、「そりゃキミ、”同じような”とか”似たような”と感じるソイツは、アナタの言動に感化されてるんだよ」と言うではないか。「そりゃあないやろ~」と返すわたしに、「いやいやけっこうあると思うぜぼくは」と某氏は引き下がらない。

いやいやそう言ってくれるのはまことにもってありがたいのだけれど・・・

 

自称「種をまく人」である。

何年も種をまきつづけてきた。

しかし、その「種」の行末まではわからない。発芽せずに終わったか。はたまた人知れず育っているか。育っているとしたら、どこでどうやって育っているのか。顔を見知り気心の知れた人たちをのぞくと、それはわたしの想像が及ぶところではない(したいのだができないというほうが正解です)。

そういう意味から言えば、「種をまく」というよりも「種をまきっ放し」と言ったほうが適切である。「まきっ放し」、すなわち無責任であると言えなくもない。

もちろん、おのれの発する言葉には全面的に責任を負ってアウトプットしている。だが、そのあとについては、責任をとりたくても責任のとりようがない。そんななかでわたしの言葉を受けとめて(たとえそれが勘違いであってもだ)、行動に移し、かつそれを継続する人がいたとしたら、とてもありがたいことだ。ありがたいことこの上ない。

考えてみれば、それはかつてのわたしだ。誰かの言葉(あの人やあの人やあの人・・・)を「これはオレに対するメッセージだ」と受けとめて(勘違いも多々あったでしょうが)、行動に移し、つづけてきた。それがかつてのわたしであり、その延長としての今のわたしだ。そこのところを踏まえたうえで本音を吐露すると、「種をまく」という行為をつづけるうえで「”かつてのわたし(のようなもの)”がそこにいるかもしれない」という期待は常にあり、そのいるのかいないのかわからない「誰か」に、わたしの言葉やら文章やらが届いて、そこから何らかの芽ばえと結実があったらいいなとも思っている。

とはいえ、もしそれがあったとしても、「種をまく人」としての自分自身がソイツをもたらしたのだと思い込むほどわたしは不遜ではない(別のところでは不遜すぎるほど不遜ですケド)。なぜかというと、わたしが説く知見にオリジナルなものなどはひとつとしてなく、受け売りをブレンドし、さらにそれを継ぎ接ぎして披瀝しているだけだからである。オリジナルな知見ではない以上、わたしと同じようなことを同時発生的に語る人たちがいても何らおかしな話ではない。むしろそれは当たり前のことだ。もし、そんな「空気」がいくばくなりとも漂っているとしたら、それはとてもありがたいことだし、多少なりともわたしがそれに貢献しているとしたら、つづけてきた甲斐があったというものだ。その文脈のなかでは、どこのどなたが言ったとか言わぬとか、そんなのは瑣末なことでしかない。

 

「オレと同じような意見だな。」

「オレと似たような考えを持った人もいるんだ」

とうれしくなったわたしに対して某氏が言った「そりゃキミ、”同じような”とか”似たような”と感じるソイツは、アナタの言動に感化されてるんだよ」という言葉に「そりゃあないやろ~」とわたしが返したのは、たぶんそういう理由からだろう。

 

だが、つらつら書きながら考えていたら、思いもかけず降りてきた結論がひとつ。

「うん、けっこうそうかもネ」

そんなふうに思うことが、「つづける」こと「つづけ始める」ことの「動機づけ」になるのなら、たまには独り自惚れて、ニンマリするのもアリかもしれない。

 

うん、今日のところは、それでよしとしておこうじゃないか。



 

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なんのために? どんなことを? どうなるの?

2017年12月13日 | 三方良しの公共事業

きのう、徳島県美馬市へ行った目的は・・・ 

 

 

(有)高木建設さんが開いたICT土工の見学会への参加。

「寒いですよ~」

という大阪から参加した知人の善意の忠告を、

(こっちだって寒いよ)

(おなじ四国やし)

と無視し、ふだんの防寒で出かけたわたしたちを待ち受けていたのは、「ホントにこれが同じ四国なのか?」と首をかしげてしまうほどの寒波。南国高知のなかでも特に温暖な中芸地域で日々を営むチーム礒部メンバーには、「極寒」といってさしつかえがない冷たさだった。

 

 

今回のメンバーは5名。その年齢構成は、下から19、34、38、39、59。最年長かつ165cm55kgで皮下脂肪が少ない辺境の土木屋には、その寒さが身に沁む骨に沁む。

とはいえ、凍えてばかりじゃ能がないと、鵜の目鷹の目で現場をうろつくオジさんが発見したのがこの看板。

 

坊僧池の下流地域へお住まいの皆さまに「安全」で「安心」できる「生活環境」を目的とした、ため池整備工事を行っています。

 

と大書されたその下には、

「なんのために?」

「どんなことを?」

「どうなるの?」

の文字。

それぞれの下には、

[工事の使命]

[工事の内容]

[工事の効果]

と書かれ、

その内容が簡潔に記されていた。

 

 

オジさん思わずムムムと唸り、おもむろに ひと声。

「すばらしい!」

 

じつはこの高木建設さん、昨年今年とわが社を2回訪れてくれている。

キッカケとなったのは2016年6月10日の『三方良しの公共事業推進カンファレンス2016四国~10年の軌跡から学び、新たな一歩を踏み出す』でのわが社の発表、『高知の片田舎で実践するチーム礒部の三方良しの公共事業(その10年)』だ。→(https://www.sanpouyoshi.jp/conf2016/pdf/case-4.pdf

そのとき聴講者として来場していた高木伸也社長、「あれがオレたちの行く道だ」と思い定めたという。そして、共通の知人というツテを頼って来社してくれたのが、今からちょうど一年前の同年12月。いわば師弟のような関係から始まった付き合いだ。と、高をくくって訪問してみた今回だが、すぐに、いっときとはいえ師匠ヅラしたおのれを叱咤。いえいえどうしてやるもんだ。わたしたちが学ばなければならないところは山ほどある。そのひとつがこの工事看板である。

この他、色々さまざまな試みを「いいですねえ」「すばらしい」と感心するわたしに、「真似です」「これからも真似させてください」と先方はおっしゃるが、そもそもわたしたちがやってることにオリジナルなものなどは何もない。その文脈から言えば、「どうぞどうぞ真似してください」以外の言葉はないし、「こちらも真似しますから」という言葉が出るのもしごく自然のことだ。ただ、少しばかり師匠ヅラして言わせてもらえば、TTPM(テッテイテキニ・パクッテ・マネル)を繰り返すなかに、自分たちの言葉に「翻訳」し自分たちの環境に「土着」させようとする試みがないことには、その模倣は単なる模倣でストップしたままそれ以上のものに昇華していかない。つまり、自分と自分の環境にとって血肉とは成り得ないということである。

とかナントカ、エラそうなことを言ってはみたが、

「なんのために?」

「どんなことを?」

「どうなるの?」

 何ヶ月か先、もしわたしたちがソックリそのまま真似しているのを見たら、笑って許してほしい。


なんてことを考えていると、凍える身体とは裏腹に、胸のあたりが内側からほっこりしてきたオジさんなのだった。

 

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土木の仕事ってかっこええだろ

 

 

 

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ゆうこ(さん)記念日

2017年10月20日 | 三方良しの公共事業

6年前の今日、当ブログにこんなコメントをいただいた。

 

北川村道路工事、本当にありがとうございました。

仕事とはいえ、過酷な作業、残酷な雨・・・ほんとに大変だったと思います。

(中略)

北川村のじいじとばあば達は、皆さんのこと拝んでますよ。

その子供の私たちも・・・ありがとうございます。

(ゆうこ)


わたしにとって、一生の宝物である。

ということで、

10月20日は「ゆうこ(さん)記念日」。

 



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『カレーライスと日本人』を読みながら「三方良しの公共事業」について考える

2017年09月05日 | 三方良しの公共事業

 

 今朝、玄侑宗久の『しあわせる力』という本を探していて(結局は見つからなかったが、なんのことはない、電子書籍で読んでいた)、本棚にあった『カレーライスと日本人』(森枝卓士、講談社)に目が止まる。いつだかしかとは覚えてないが、ずいぶんと前に読んだ本だ。「おおコレコレ」と発見するなり迷わず手に取り、「たしか・・・」とページをめくる。お目当ては第4章『日本カレー繁盛物語』だ。以下超概略。

 

記録に残る日本最古のカレー調理本『西洋料理指南』(明治五年)にあるメインの具材はカエル。野菜はネギのみ。なぜ現代日本カレーの王道であるジャガイモ、タマネギ、ニンジンが入ってなかったかというと、元々が西洋野菜であるそれらは、明治初期にはまだ日本になかった。

そして、それから40年以上を経た大正初期になってジャガイモ、タマネギ、ニンジンというオールスターが揃った「日本式」カレーが登場(大正四年『家庭用献立と料理法』)。

大正時代以降、現在わたしたちが普通につくるカレー、国民食たるカレーライスの原形として代表的なものが『軍隊調理法』に書かれた「ライスカレー」 ~ 「カレーというと、わたしが子供のころ(というのは東京オリンピックの前後だ)はまだ、カレーライスかライスカレーかが議論になった。」なんて記述もある。筆者はわたしより2歳上の1955年生まれ、もちろんわたしも少年時代にカレーライスかライスカレーかを議論したくちだ ~ 。かくしてカレーは軍隊を中心に全国津々浦々に普及していく。


 田舎出身で洋食など食べたことがない人にも、米の飯が一緒であるということで、比較的容易に受け入れられる。入っていける世界であったのだろう。

(略)

 軍隊のカレーが定番となって、全国に広まった。定番が決まっているから、その線で応用はむずかしくない。肉が手に入らない戦時中など、油揚げで作ったとか、竹輪を入れたとかいう話もあった。それほど身近なものとなっていたということである。

 軍隊で思い出したが、おふくろの味というと登場する肉じゃがも軍隊がルーツであるという。材料もそうだが、何かカレーと共通するものがあるような気がする。

(P.199~200)

 

あろうことか、「4人に一人がジャガイモを具材に入れてほしくない」などと口走ってしまう21世紀の日本人に、あらためてその偉大さを知らしめてやりたいと思うわたしはしかし、筋金入りの「ジャガイモが入らないほうがよい」派なのだからナニヲカイワンヤ。なんのことはない、有体に言えば、拙論「じゃがいもがゴロゴロ入ったカレーと三方良しの公共事業」のための小ネタづくりに『カレーライスと日本人』を読んでみたのが本音だ。

 

『ジャガイモがごろごろ入ったカレーと三方良しの公共事業』、要約するとこうだ。

   ↓↓

 我が家のカレー料理担当は結婚以来ずっとわたしだ。そんなわたしはジャガイモが入ったカレーが好きではない。ひっきょう、わたしの作るカレーはジャガイモ抜きとなる。反面、我が女房殿はジャガイモを入れたカレーが好きである。だが、ジャガイモが入らないほうが断然イイと信じているわたしは、その必然としてジャガイモを入れない。

「ジャガイモを入れない」というわたしの判断は、ただただ美味しいカレーを食わせたいという善意から出たものだが、あくまでその基準はつくる人たる自分であり、食べる人としての女房殿ではなかったのだ。

食べる人に喜んでもらう。

そのことを第一に考えて行動する。

いわずもがな、カレーの話ではない。「三方良し」である。

「三方良し」は、けっしてツールなぞではない。理念であり考え方だとわたしは思っている。そしてその「考え方」の基本にあるのは「他助の精神」だ。「お客さん=住民」の利益を第一に考えることだ。「お客さん=住民」を喜ばせることを基本に考えて実行していれば、いろんな現場で立ち現れるモヤモヤとした情況を打開するすべは見つかるはずである。



う~ん、案の定、「ジャガイモがゴロゴロ入ったカレー」をほおばる女房殿の顔を肴に一杯やってみたくなったわたしなのだった。

 

 

カレーライスと日本人 (講談社学術文庫)
森枝卓士
講談社


 

 

 

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日本代表

2017年08月23日 | 三方良しの公共事業

たとえばわたしが、どこかで講演をしたとする。そしてその夜、懇親会があったとする。その席上、杯をかたむけながら、「ウチでもぜひ」と言ってくださる方はけっこうな数いる。ところがそのようなものは、多くの場合は酒の席のナントヤラで、実現することはあまりない。

とはいえこんな例もある。2年前の秋のことだ。「会を企画するのでぜひ」という申し出に、いつもと同じような酒席のオファーだと軽く受け流していたわたしの思惑を飛び越えて、そのわずか2日後に正式オファー。2ヶ月後に研修会を開催するという電光石火の早業を見せてくれた人がいた。その行動力とスピーディーで軽やかなフットワークに舌を巻いたものだ。

そのすぐあとにわたしは、会の感想を研修会後記(のようなもの)で、こう記している。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

主催者さんにいただいたテーマは「みんなにありがとうと言われる公共事業」。サブテーマが「受注者・発注者が協力して高品質(高得点)をめざす」というもの。おおっぴらに「受注者・発注者が協力して高得点をめざす」という表明には、「さすがやなあ」と会の首謀者たるSさんに敬服するわたしだが、自身のPPTのサブタイトルからはあえてそれは外し、「信頼は現場から生まれる、そしてその信頼はストックされる」として、「信頼」や「コミュニケーション」をキーワードに、わたし(たち)の取り組みや考えを披瀝させてもらった。

 

冒頭のあいさつ、主催者トップのTさんから「私たちの本当のお客様である住民のため」という言葉が飛び出したのを聞き、思わずぎくっとしたあとすぐにニンマリ。「今日はいいプレゼンができそうやな」と心のなかで独りごちる。主催者あいさつというものは、どこへ行ってもつきものだが、「たかがあいさつ」と侮るなかれ。その会の方向性をきちんと指し示してくれると、あとで登場するスピーカーはとてもやりやすくなる。聴衆もまたしかりだ。

なんといったって「プレゼンテーションは送り手と受け手の創作物」(by桃知利男)なのだから。

そしてその文脈からいくと、わたしの話が終わったあと、あらかじめ分けられたグループ別で討議するという会の流れもまた、会の方向性をより確かにするものとなった。討議、とひと口に言ってもディスカッションにはならなかったかもしれないし、一人ひとりが発言するといっても、もちろんその発言すべてが本音ではなかっただろう。だが、それが本音であれ建前であれ、否であれ応であれ、なされたテーゼを一人ひとりが自分の言葉にして他人に語るという「場」が、有意なものにならないはずはないとわたしは思う。

 

まずやってみる。やり始めてみる。このハードルは意外と高い。

やり始めることができれば、評価にせよ点数にせよ、いわゆる成功事例を単発(もしくは数回)で生み出すのはそれほど難しいことではない。発注者が同じ方向を向いてくれているのであればなおさらである。

本当の困難はそこからだ。つづけること。つづけ始められること。成否はそれができるかどうかにかかっている。

何の気なしに「成否」と書いてしまったが、どの時点で成否を結果として判断するかについて、正直なところわたしには解がない。これは、いつまでたっても終わりのないプロセスである。結果が出たとたんに次が始まる。「わかった」とたんに次の「わからない」のスタートラインに立っている。

結局のところ、いつもわたしはそんなことしか言うことがない。だから、「かくかくしかじかこれこれをすれば高得点がとれますよ」とかを期待されても、いつまで待ってもそんな言葉は出てこない。いつだってわたしの言うことは、「オレはこうしてきた(いる)、あとは皆んなが考えて、自分の環境に落とし込んでね」でしかないのである。

だから、参加された皆さんには、「これから自分の環境でがんばってください」と言うしかない。

とても素晴らしい会だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今朝、その首謀者さんについて書かれたニュースを読んだ。

 

『建設通信新聞DIGITAL』公式ブログより

【三方良し、アメリカへ】

 米国・ユタ州とゴールドラット・コンサルティングが共同開催する「Breakthrough Results for Government and Business Conference 2017」に日本代表として参加する、新潟県土木部の瀬戸民枝道路建設課参事、課長補佐。同県発注工事で手掛けてきた「三方良しの公共事業改革」をベースに、「発注者、受注者(地域建設業)双方の県民(住民)に対する思いをしっかりと伝えたい」と意気込む。
 瀬戸氏は、ゴールドラット・コンサルティング・ジャパンの岸良裕司CEO(最高経営責任者)との出会いをきっかけに、三方良しと全体最適のマネジメント理論(TOC理論)を先進的に実践してきた。事例や成果を重ねるにつれ、外部に発信する機会も増え、ある講演会でその内容を耳にしたユタ州のクリステン・コックスエグゼクティブディレクター(副知事)が感銘を受け、今回の参加が決まった。
 国によって商慣習は異なるものの、「納税者に喜んでもらうための公共事業を、行政と(建設)企業が一緒に考えるという日本特有の文化を少しでも理解してもらえれば」と期待を寄せる。

https://www.kensetsunews.com/web-kan/95934



がんばってください。

「日本代表」が住む北北東に向かって頭を下げ、健闘を祈るわたしなのだった。



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石巻の女

2017年07月05日 | 三方良しの公共事業

本日のタイトル、この歌から拝借 (^_-)

 

 

ヒゲブチョーのブログ、『旅は続く!』を読む。

そこに書かれている司会のお嬢さんのことは、翌日彼から直接聞いていた。

いわく、

それまで何時間か、自分自身がしゃべらないときは気配を殺すかのように椅子にすわってじっとしていた彼女が、ひのさん(わたしです)の話が始まるとすぐ身を乗り出して聴き出し、ときおりはうなずき、またときおりはメモをとりして真剣に聞いていた。

 

そういえば・・・

その返答に代えてわたしは、その前々週に鹿児島でとある人からもらった言葉を彼に伝えた。

いわく、

あなたのあの話は、建設業のことを語っているようでいてそれだけじゃない。仕事というものにすべからく通底する大切なものがあるんです。

 

石巻のお嬢さんも鹿児島のとある人も、いわゆる業界人ではない。そして彼彼女らに何らかを届けられたらしい拙話は、まちがいなく業界の構成員に対して向けたものである。

そのときわたしの頭に浮かんだのは、桃知さんの「技術者のためのメビウスの帯」論だった。

 ↓↓

技術者のためのメビウスの帯をハサミでチョキチョキと・・・・・・

 

桃知利男さんは「ただの丸い輪」を「円環モデル」と名づけ、「公共工事という産業」を表した。


 円環モデル


円環は内と外との明確な差異をつくってしまい、内は外とのコミュニケーションを遮断する。そしてそれを外から見ればこんなふうだ。

「公共工事という産業」は「なんだかわからないもの」になってしまっており、その「なんだかわからないもの」でしかない建設業という共同体にとって、円環の中で会話を繰り返すだけでは、もはや「私」も「われわれ」も救えない。

それを前提として、その「円環モデル」にひねりを加え「メビウスの帯」としようと桃知さんは言う。


 メビウスの帯(ひねりを加える)


そうすることで、内と外との差異はあるとしても共存が可能なモデルを構築(つまり、閉塞せずに共同体性を保つ)し、「公共工事という産業」という共同体と、その共同体を取り巻く世界とが(モデルとしては)共存可能なんじゃないかと、桃知さんは説いた。

 

話を「わたし」に戻す。

期せずして、「円環の内」(共同体)に向けた話が、それと同時に「円環の外」(共同体を取り巻く世界)への発信になった。その事実が教えてくれるものは何か。

それは、ただの円環に「ひねりを加える」だけで閉じた内側が外とつながるということの証ではないか。もちろん、わたしたちの身体がある「現場」が外との接点であることは、昔も今も違いようがない事実だ。接していないわけではない。

ただ、内側とは表裏一体の「表向き」で外と接してはいるが、実質的には閉じているというのが円環モデルたる(大多数の)わたしたちだった。そのなかにいて、自分たちの特殊性を誇るのも「だれもわかっちゃくれねえさ」と特殊性を嘆くのも、「閉じている」という根っ子は同じ。それを打破するために、まずは「ひねってみる」。白井健三ばりに「シライ」「シライ2」とまでは出来なくとも、とにかく「ひねってみる」。「ひねり」を加えようとしてみる。その前提として必須なのが、「閉じた円環をハサミでチョキチョキ切る」という行為だ。ハサミでチョキチョキ切らずして、円環に「ひねりを加える」ことはでき得ない。つまり、「メビウスの帯」をつくるために「ひねりを加える」行為は、「閉じた円環をハサミでチョキチョキ切る」行為とセットになって成立していることを忘れてはならない。

 

てなことを考えながら、ヒゲブチョーのブログ『旅は続く!』を読んだ。

その心意気やよし。

となれば、それに呼応することで本日の稿、締めくくりとする。

 

あの時灯った小さな炎を消さないように、遠い星を目指して旅を続けていこうと思った。

それはひとえに、建設業が”なんだかわからないもの”になってしまわないように。

(byヒゲブチョー

 

 

そしてわたしは、そのための「芸」を磨いていこうと思う ^^;


 

 ヒゲブチョー撮影

 

 

 

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