答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

緊張はロッカーにて一時お預かりします。

2019年04月10日 | オヤジの情報発信修業

本年度最初の「しゃべり場」は三重県総合文化センター。

控え室へと案内されるわたしを迎えてくれたのは、ロッカーの横っ腹に書かれていたこんな言葉だった。





こりゃイイ。

思わずクスリと笑ったわたしを、向こうから歩いてきたオバさんがいぶかしげに振りかえりながら通りすぎる。

それだけではない。

ホールの入り口のロッカーにはこんな言葉も。





何回やっても、そしていくつになっても緊張しいのオジさんをリラックスさせてくれるナイスな文句にハゲまされ、『信頼をつくる「三方よし」のモノづくり』(in 津)はじまりはじまり〜。



コメント

東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣が「震災被害について事実誤認の発言」をしたというニュースを読んで考えた。

2019年03月25日 | オヤジの情報発信修業

「東日本大震災のときは東北自動車道が健全に動いていた」という旨の発言を、例の東京オリンピック等担当大臣がおっしゃったとか。

そんな新聞記事を読むなり「あゝ」と嘆息。

ずっと腹の調子が悪くてメシもろくに食えず、やっとこさっとこ気力を奮い起こしながらだましだましで乗り切った先週が終わり、「さあやるぞ」と気合を入れたとたんのバッドニュースに、なんだか暗澹たる気分になってげんなりしてしまった週初めの朝だった。

あの方についてとやかく非難することは避けたい。論評に値しないとだけ言っておく。

わたしがげんなりしてしまったのは、その発言をそこだけのもの、つまり大臣として適格であるかどうかとか、また政治家としてどうかの問題としてだけには受け取ることができなかったからだ。

いわずもがな、8年前のあのとき、東北自動車道のみならず各地の幹線道路が機能しなくなったのは、誰もがあまねく周知の事実である。日本国民すべてが共通の了解事項であると表現してもなんら差し支えがない。

と、今の今まで思ってきたが、ひょっとしてそれはそうでもなかったのではないかという疑念が、わたしのなかでむくむくと湧いてきた。

 

わたしが拙講で「建設業者からの情報発信」の必要性を説くときに必ずといっていいほど使わせてもらうグラフがある。日経コンストラクションが震災の翌年である2012年冬に実施した意識調査で、「東日本大震災の被災地支援で、より大きく貢献したと思う団体・組織などはどこか」という質問に対する回答をまとめたものが下のグラフだ。

まず建設業界以外のいわゆる一般の回答を集計したものでは、

 

 

建設業界は8番目に位置している。

次に業界人の回答では、

 

 

自衛隊についで2番目だ。

自衛隊の1位は衆目の一致するところだとして、建設業に対する評価のこの差はなんなのだろう。

結局のところこのグラフは、わたしたちがいかに情報発信をしていないかということを端的にあらわしたものだとわたしは思う。残酷すぎる結果だが、これがわたしたちが置かれている現実だ。 

今朝、くだんの大臣の発言を知るなり、わたしのアタマのなかにあらわれたのがこのグラフだった。そして、むくむくと湧き上がった疑念。知らない人がいるのではないか。そしてひょっとするとそれは少なくはない。東北自動車道をはじめとした道路が健全であったという認識があるとすれば、当然、まず「いの一番」にその応急復旧に奔走し、あとへつづく自衛隊、消防、警察などなどが使う文字どおり「命の道」をつくった無名の「土木の人」たちの存在もなかったということになる。

だとすれば・・・・

いったいどう考えればいいのだろう。

本当に、たったひとりのダメ大臣が放った失言だけの問題なのだろうか。

 

♪ だけど俺たちいなくなりゃ

ビルもビルも道路もできゃしねえ

誰もわかっちゃくれねえか ♪

 

 

岡林信康の歌声が脳内に響きわたる。

そう愚痴りたい心持ちはよくわかる。

だが、やはりわたしはこう答えるしかない。

「わかっちゃくれねえんです」と。

ただしカッコつきである。

「(自ら情報を発信しないかぎり)わかっちゃくれねえんです」と。

 

東日本大震災から8年、このあいだ、列島をあいついで襲う災害によって、それに対応する建設業者の存在が認知されてきたと言う人は少なくない。

「風向きは変わった」と断言する人も多い。

だが、誤解をおそれずにわたしは、「そんなことはない」と言い切ってしまう。

そんなわたしの言説を、時代錯誤だ、悲観的にすぎる、と批判するのはけっこうだ。

だが、それやこれやを踏まえてなお、わたしは、「本質的には何も変わってないのだ」と言い切ってしまう。

今や、建設業の側からは多くのポジティブキャンペーンが発信されている。けっこうなことだ。どんどんやっていただきたい。だがその多くは、「現場から」ではない。

 

一つひとつの現場から一人ひとりの現場人が現場の言葉で発信する。

 

この行為が広がらないかぎり、わたしたちはわたしたちとわたしたちの環境を救うことができない。

「たかだか小さなアリたちが、いくらがんばってみても事は動かんよ」と言われたら、「たしかにそうですね」と答えはする。だが、「小さなアリ」たちにしか伝えられないこともまたたしかにある。

つまるところわたしは、「他人のせいにするな」ということを言いたいのだ。いくら憤ってみても、いくら恨みつらみを吐いても、「んなこといってもよー」と斜にかまえてみても、他責の念をつのらすばかりでは、問題はなーんにも解決しないのだ。

だからバカのひとつ覚えのごとくこう言う。

 

一つひとつの現場から一人ひとりの現場人が現場の言葉で発信せよ。

 

そして、「なにを悠長なことを」と嗤われたとしてもこう言う。

 

ひとりひとりが自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ!

 

以上、東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣が「震災被害について事実誤認の発言」をしたというニュースを読んで、辺境の土木屋61歳が考えたことである。

 

コメント

山崎エリナ写真集『インフラメンテナンス~日本列島365日、道路はこうして守られている~』、4月上旬いよいよ発売!

2019年03月21日 | オヤジの情報発信修業

意識して現場の写真を撮りはじめてからひと月半ほどになる。

いや、そういえば表現が正確ではない。

ただしくは、「現場の人」にフォーカスした「現場の写真」を意識して撮りはじめてからひと月半だ。

「撮ろう」あるいは「撮らなければ」と決心したのは、もう少し前になるが、なかなか実行にうつせなかった。だが、はじめてみればなんとかなるもので、近ごろは、あくまでも自己満足ではあるが、「ほ〜ええやないの」という写真もチラホラと撮れはじめ、ちょっとヤル気になっている。

トカなんとかエラそうにほざいてはみても、まだまだとば口だ。撮る側も撮られる側も、そんなことに慣れてはいない。どちらにも照れがあって、じっくりしっかり落ち着いてというわけにはなかなかいかないのが現実だ。

もちろん、それが仕事ではないのだもの、あくまで現場へ行ったついで、あくまで現場の仕事のかたわらでしていることなのだから、そそくさパッパッとなるのは致しかたないところ。ま、そのうちコツもつかめてくるさと、たかをくくっている。

そうやって、まがりなりにもスタートをしてみると、思いのほかに感心したことがある。

じっくりと狙いをつけて撮っているわけではないのだから、その場で決めるのは構図のみ、出来栄えや細かい表情は帰ってから確認するのが大半なのだが、その表情が想像していた以上によいのである。いや、これがじつにいいのである。

思うに、これはわたしの周辺だけではないのだろう。「土木という仕事」の現場ではたらく人たちの一瞬一瞬を切り撮ると、どこのどなたのどんな何気ないひとコマであっても、同様なのではないだろうか。

と、そんなふうに考えると、またしてもヤル気になってしまうオジさんなのだが、とはいえあの山崎エリナさんと寿建設のタッグに比べたら、月とスッポン泥と亀、つまり比べるべくもない。

だがそれはそれとして、わたしはわたしでぼちぼちとつづけてみようと、そう思っている今日このごろだ。


そうそう、山崎エリナさんといえば、例の写真集『インフラメンテナンス~日本列島365日、道路はこうして守られている~』が、いよいよ4月上旬に発刊されるという。


 

その首謀者たる(たぶん)森崎さんいわく、

これまでなかったような、工事現場で働く姿を美しくとらえた写真と、メンテナンスの仕事の現状などを論じた短い文章などで構成されており、見ごたえ読みごたえある内容である。

なのだそうだ。


よろしかったら皆さんもぜひ。

予約申込みはコチラから

(当然わたしは予約済みです)



 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー



コメント

5年ぶりの再掲:『「状況としての”男は黙ってサッポロビール”批判、そして”笠智衆”だって闘わないといけない」論、を聴く』

2019年03月05日 | オヤジの情報発信修業

知人がフェイスブックに「男は黙ってサッポロビール」の三船敏郎をアップロードしていたのを見て、とっさに思い出したのは、このブログに載せたある稿のことだ。さっそくバックナンバーを探してみると、5年前の1月2日にそれはあった。さっそく読んでみる。

読み終えて、「5年も前なのだ」と独りごちるが、基本的な状況は変わってないとわたしは思う。「風向きは変わった」という人たちは多く存在しているし、たしかに状況に変化がないわけではない。しかし、基本的な状況は変わってないとわたしは思っている。

じつに興味深い論考なので再掲する。

見た目は少々長いが、読みはじめればたぶんあっという間だ。

しばしのお付き合いを願いたい。

☆☆☆☆☆☆

「状況としての”男は黙ってサッポロビール”批判、そして”笠智衆”だって闘わないといけない」論、を聴く

(2014.01.02)


正月なので少々長めの稿を記してみる。

(といってもそのほとんどが「聞き書き」。なもんで時間だけはかかっている)

土木チャンネル』からである。

築土構木の思想』である。

藤井聡×中野剛志『築土構木の社会科学その1(土木バッシング論)』、

ワタクシ的に勝手に名前をつけさせてもらえば、「状況としての”男は黙ってサッポロビール”批判、そして”笠智衆”だって闘わないといけない」論である。

・・・・・・・・・

(前略)

中野:土木の先生方、お気の毒な感じがして面白かったんですけど、要は皆さんとてもマジメで、立派な橋とか立派な道路、安全な建造物をつくって、社会や地域の事を考えるということをマジメに積み重ねる。

もちろん「土木叩き」とか公共投資批判についてはヤリ過ぎだとは思っているんですけど、マジメに研究して立派な橋を造れば、そういう悪しき誤解のような偏見のようなものも払拭できるだろうと、だから「まずはマジメに自分の仕事をやろうよ」という感じでやっておられるんで、「もしもしそれじゃあダメですよ」とお声がけしているんです。

大体叩いている人っていうのはフマジメで、つまりフマジメというのには二通りあって、ひとつはよく知ろうとしないで叩いている、もう一つはなにか意図を持って、つまり悪意を持って叩いているので、そういった人たちには誠実な態度で押し返そうとしたって無理で、まあ、やられっぱなしなんですね。

従って、マジメに自分の研究だけやってるということだけではなくて、世の中こうなった以上仕方がないんで、もうちょっと色んな工夫をして議論をしていったほうがいいんじゃないかねえ、という感じは率直にありましたね。

藤井:そうですね。いわゆる「男は黙ってサッポロビール」みたいな、黙っとけば上手く行くみたいな、黙ってサッポロビール飲んで、後ろからバンバンバンバン頭叩かれて、全然ビール飲まれへんみたいな。

中野:そのうちサッポロビール頼んでも出てこないみたいな。

(爆)

中野:男は黙ってるだけで(笑)

藤井:飲んでるだけで(笑)

中野:飲んでるだけで(笑)

藤井:もうジンギスカンもなんも出てこない、みたいな。ただ座ってるだけで金払ってるみたいな(笑)。そういう状況になってるんですよね。でも土木関係者は未だに中野さんがご指摘されたような滑稽な状況にあるんですよね。

中野:だけどねえ、これ土木の立派な先生方を擁護すればですね、土木のことだけじゃないんですよね。

藤井:日本人の一つの型ですよね。

中野:そ、そうなんですよ。だってちょっと前までは郵政民営化といって、特定郵便局がなんか政治力を持って悪さしているみたいな感じで・・・。

騒ぎ立てる方は悪意を持っているんでしょうけど。騒ぎ立てられる方は、確かに我々も反省すべきこともあったから襟元を正して反省をして・・・、じゃあ襟元を正して反省をしていると周りはもっと調子に乗って殴るわけですよ。

(中略)

藤井:おそらく21世紀に入る前後くらいから、本当にデフレになったあたりから状況が完全に「イジメっ子の状況」になってですね、守るべき人が公共事業を守るということを放棄して、でも土木の人はずっとメンタリティーが変わっていないという状況があった。

それで、中野さんに「京都大学にお越しいただけないでしょうか」と言った時の僕の気持ちはこうだったんです。

例えば先程の「男は黙ってサッポロビール」。

ビール頼んでも出てこない、肉も運んでこないという状況で、困るのは「この人」だけなんですけど、ただ、「この人」が「土木」になると「この人」が困っているということは日本の未来が斜陽していくわけですよね。傾いていく。

ここで黙っているのは美意識を貫くという私徳。そして私の徳を貫くという美意識を貫くことは公徳の次元では非常に大きなデメリットをもたらす。それが一番分かりやすいのが大災害による人の大量死であったりとか大被害であったりする。あるいは色んなインフラ老朽化による大きな事故とか、それはもう目に見えて分かっていたわけですから、「男は黙ってサッポロビール」なんていう私徳をやっている場合じゃない。

そうすると、「東京物語の笠智衆」がやっていることは確かに美しいのかもしれないけれど、笠智衆にもの凄い責任があるとすると、打って出て闘わないといけない。笠智衆も「コノヤロっ」なんていって踊らないとダメな局面があるかもしれない。

それは私徳の点ではオゾマシイと言われるようなことかもしれないが、公徳の点でいうとそういうのが必要じゃないでしょうか。大局を見ると、ケンカをするあるいは「オルテガの大衆社会論的」な話で批判をしている人たちにあえてケンカを挑んでいくという構造が必要なんじゃないかなと当時は思っていた。ま、今でも思っているわけですけどね。

中野:やっぱり、自分の仕事をマジメにやれば理解してもらえるだろうというお気持ちは、そりゃ好意的に見ればそうですが、ただ、意地悪な見方をするとそういうものの考え方というのは、自分が動かないことに対しての言い訳を自分に言い聞かせているという可能性もないわけじゃないですよね。それはどっちなのかは分かりませんが、自己欺瞞っていうのはなかなか判定が難しくて、いくらでも言い訳が出来てしまうので、そういった問題というのは、あるにはあるでしょうね。

(後略)

・・・・・・・・・

言わずもがなのことであるが、「土木の立派な先生方」というのは、公共土木という世界を構成する私たちそれぞれが自分の立場及び職種に置き換えて読まなければならない。

(甲であり乙であり発注者であり受注者であり公務員であり設計業者であり施工業者であり経営者であり技術者であり政治家であり・・・というように)

「男は黙ってサッポロビール」なんてやっている場合ではない。

「笠智衆」でさえ、「コノヤロっ!」とばかりに踊らなければならない局面があるのだ。

ならばなおさら私(たち)は、

自分自身が自分の持ち場で、笑顔でたたかえ、えぶりばでぃ、

なのである。

☆☆☆☆☆☆

 

いかがだろう?

なぜ、5年前と状況は基本的に変化していないとわたしが考えるか。

いまだに、現場人が現場から情報を発信することが極端に少ないからだ。

他人まかせにしてそれでよいというものではない。なぜならば、「男は黙ってサッポロビールの三船敏郎」も「東京物語の笠智衆」も、あなた自身でありわたし自身だからだ。

 

「男は黙ってサッポロビール」なんてやっている場合ではない。

「笠智衆」でさえ、「コノヤロっ!」とばかりに踊らなければならない局面がある。

 

もって肝に銘ずべしだ。



 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー



コメント

あたらしいカメラ

2019年02月28日 | オヤジの情報発信修業

カメラを買った。LUMIX FZ300 というパナソニックのデジカメだ。現場の写真を撮ろうと思ったのがキッカケだ。

「いつも撮ってるじゃない」

皆さんそう訝しむだろう。

いや、工事記録写真ではない写真を撮ろうと思ったのだ。

「それもいつも撮ってるじゃない」

たぶんそうも言われるだろう。そう、たしかに今までも撮ってきたし今も撮っている。だが、現場と現場ではたらく人をもそっとちゃんと撮ってみたいとそう思ったのだ。そのためには、ときと場合によっては望遠レンズが必須だ。

最初は今あるミラーレス一眼を使おうとした。だが、あれにはファインダーがついてない。なにせ老眼だ。体から離さないと液晶ディスプレイに写った被写体が見えない。そうすると、望遠レンズで使う場合は、脇を締めて固定することができないので、どうしても手ブレが生じてしまう。両足を踏ん張り脇を締めて撮る。そのむかし教わったあのフォームで撮るためにはファインダーがほしい。

だから、一眼レフを買おうとした。だが、レンズ交換がわずらわしい。現場では、そんなことをしているヒマはない。

そんなこんなを考えているとき、広角から超望遠までをズームできるデジカメの存在を知った(この分野に関しては、まったくといっていいほど知識がないので、それまで知らなかったのです)。画質はたしかに一眼レフには劣るにちがいないが、わたしの主目的からいけば、そこそこの画質があればそれで十分だ。コレやな、と決めた。

だが、そこからが時間がかかった。量販店へ行って現物を確認し、ネットで検索し、を何度か繰り返した。わたしの買い物傾向を考えれば、きわめて珍しいパターンだ。新しい製品もいくつかあり、どうしようか迷ったが、最後にチョイスしたのが2015年に発売が開始された LUMIX FZ300 だった。

決め手はというと、広角端25mmから望遠端600mmまでのズーム全域がF値2.8の明るいレンズと、タッチパネル液晶(これも機能としてはあったほうが便利じゃないかという選択)、それでいて価格は手頃、なによりも気に入ったのは防塵防滴。現場で使うことを考えれば、これ一択しかないんじゃないかと最終的には思えてきた(他の細かいことはよくわからない)。

で、結局このモデルはAmazonで購入。届いてみると、ガタイはでかいが見かけほど重くはない。よい感じである。

 

 

ということで、今週から本格的に使っている。

おとといはこんな写真を撮った。



今日はこんな写真を撮った。



ん?

現場?

うん、現場。

正しくは現場のそばに咲いていた花。


いやいや、これぐらいの余裕がないと、、、

ねえ ^^;

 


 

 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

   

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー

 

↑↑ ツイッター ー@isobegumiー

 

 

 

 

コメント

(わたしの)文章作法

2019年02月26日 | オヤジの情報発信修業

気がついている方はおおぜいいるだろうし、実際にそう表明もしているのだけれど、わたしの文章は平仮名が多い。

そしてそれにはそれなりの一応の作法というものがあって、

一つ、書けない漢字は使わない(これが基本原則。眼の前の変換候補にクエスチョンマークをつけてみる)。

そして二つ、たとえ書けない漢字だとしても、IMEの変換に唯々諾々とはしたがわず、これは辞書を引いてまでも使おうとするだろうな、という漢字しか使わない。

とはいえ三つ、平仮名がだらだらとつづく場合は見た目と読みやすさのバランスをとって漢字を入れる。

以上がわたしの数年前からのブログ文章作法(のようなもの)だ。

「そうしてみよう」と思いついたのは、『花森安治の実用文十訓』を読んだことがキッカケだ。

 

(1)やさしい言葉で書く。

(2)外来語を避ける。

(3)目に見えるように表現する。

(4)短く書く。

(5)余韻を残す。

(6)大事なことは繰り返す。

(7)頭でなく、心に訴える。

(8)説得しようとしない(理詰めで話をすすめない)。

(9)自己満足をしない。

(10)一人のために書く。

 

これを読んだのは、文春写真館というWebサイトだ。そこには、花森の十訓とともに、山本夏彦が書いたこんな文章が掲載されている。

 

字句を吟味して、耳で聞いてわからぬ言葉は使うまいとした。極力平がなで書いた。平がなばかりだと読みにくくなる。要所要所に漢字がほしい。そのあんばいに苦心した。だから誌面はかな沢山でまっ白でありながら読みやすいのは苦心の存するところで、ぱっと誌面をひろげてながめて感心したことがある〉(『私の岩波物語』山本夏彦)

 

読むなり「これだ」とビビッときた。IMEが変換してくれるのをよいことに、書けもしない漢字や熟語を使いまくって悦に入っている自分に少しばかり辟易としはじめていたからだ。

爾来、努めて平仮名を使うようにしてきたが、実行してみると、これが思いのほかむずかしい。

上述しているように、平仮名ばかりだと読みにくいし、なんだか少し読み手をバカにしているような、そんな気分にもなってしまう。したがって、現実には、自分で考えているよりも漢字は多い。それでも、ずいぶんと平仮名の多い文章にはなった。

そこでひとつ起こった問題がある。

その癖がビジネス文章にもあらわれるのだ。

努めてそれは出さぬようにと心がけてはいるつもりだが、習い性というやつだろう。ついつい出てしまっているのを、読み返して苦笑することがたびたびだ。

とはいえ別に、「ダメじゃないかコンナのは」と指摘されたりダメ出しされたりしたことがとりたててあるわけではないが、どうにも「イカンな」と思うのだ。なぜか。アッチはアッチでこっちはこっち。そうやって軽やかにそしてスマートに切り替えながら、スイスイと泳いでいくのがわたしの理想だからだ。

 

「ふん、なにをエラそうな。そんなに器用でもないくせに」

別のわたしが頭上で嗤う。

よいではないか。

ないものねだりを足掻くうちに、ひょいとできるようになっていたということだって世の中にはある。

そしてそれがわたしの身の上に起こらないということもないのだから。

(え?けっこう漢字おおい?ま、そこはごあいきょうとゆうことで)



 

↑↑ 土木のしごと~(有)礒部組現場情報

  

↓↓ そしてこんなのもやってます。  

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー

 

コメント (2)

「わからない」という方法

2019年02月17日 | オヤジの情報発信修業

毎日一枚ずつの写真ならチョロイもんだ。なんとなればオレには、約11年にわたるWebでの情報発信の蓄積があるのだもの。とタカをくくって始めてみたはいいが、イマイチあのインスタグラムというやつが、まだまだよくわからない。したがって、相変わらず手探り状態でつづけている。

自分なりに、何を出すか、どんなものを発信するか、という見当をつけてはいるものの、それがあの場でどうなのか、いやそもそもあの場がどのようなものなのかについては、イマイチどころかほとんどわからないのが実状である。

だからといって、「わからないからやらない」あるいは「わかってからやる」という、常識的に考えればごくごく当たり前の道などはあり得ず、これまでと変わらず、「わからないからやる」という方法しかわたしが採用するルートはない。 とはいえ、そこにしがみつく必要性もないのであって、何度も繰り返しているように、「ま、ぼちぼちやってみようや」というのが今のわたしの心境だ。

そんな心持ちの今朝、起き抜けのインスタグラム投稿というルーティンを済ませたあと、フェイスブックをのぞいてみると、近ごろとんとフェイス・ツー・フェイスではお目にかかっていないわが盟友が、自身が「SNSを使う根底にある考え」として、こんな文章を引用していたのを読みハッとした。

・・・・・・・・・・

経験を振り返り、徹底的に追体験することによって、そこで学んだ智恵を可能な限り言葉にしようとする方法。反省を通じて、そこで学んだことを言葉で表そうと極限の努力をするとき、言葉で語れる知識だけではなく、「言葉で語れない智恵」も掴みやすくなる。(『これから知識社会で何が起きるのか』田坂広志 )

・・・・・・・・・・ 

そう、その他おおぜいの「桃組」関係者と同様、「遅れてきた桃組」であるわたしもまた、この、いわゆる「反省の行為」というやつを、Webで情報発信を行うに際しての行動指針あるいは戒めとしてきた。いや、ことはWebだけではない。「完成検査プレゼンテーション」しかり、「工事だより」もまたしかり。情報を発信しようとするときすべてに通底するものであり、その行為がフィードバックされて自身の血となり肉となる。

まちがいない。

とまでは断言しないが、少なくともわたしはそう信じて自分自身を磨いてきた(アタマを磨いてきた、じゃないですよ)。

とかナントカえらそうなことを言いながら、「で、インスタグラムのどこがどうなってそれと関係するの?」と問われれば、

「それは・・・」と天を仰いで、「わからない」と答えるしかない。

なんとなれば、

「わからなくても歩いて行け行けばわかるよ」

あるいは、

「走り出したらいつか答えが出るだろう」

でしかないのが、いつもの「わからないという方法」なのだもの。

 

↑↑ インスタグラム ーisobegumiー

 

コメント

逆転

2019年02月08日 | オヤジの情報発信修業

 

 

こうやって並べてみても、わたし以外の人にはナンノコッチャさっぱりわからないだろうから解説すると、上が当ブログ『答えは現場にあり!技術屋日記』で、下が『土木のしごと~(有)礒部組現場情報』のここ一週間のアクセス数推移表だ。

注目すべきはきのう、

つまり、昨日2月7日は、

ナ、ナント、

『礒部組現場情報』が、一日のアクセス数で『答えは現場にあり!』を抜いたという、歴史的な一日になってしまったのである。

苦節10年と7ヶ月。

途中何度も何度も挫折をしながら、中断しては再開するを繰り返し(ときにはジ・エンド寸前までいきながらも復活し)、

 

♪ 必要なのは走り続けることじゃない

走り始め続けることだ ♪

(『オールドルーキー』竹原ピストル)

 

と手前勝手な解釈で自分自身を鼓舞し青息吐息で今日に至っている『礒部組現場情報』が、かつてはダブルスコアならよいほうで、トリプルスコアをつけられることも珍しくなかった『答えは現場にあり!』を抜いた。

たしかに、ことアクセス数だけをとれば一時の勢いはどこへやら、今や「落ち目の三度笠」である当『答えは現場にあり』だが、アクセス数で上回ることをひとつの目標として『・・・現場情報』の更新に励んできたことを思えば感無量、掛け値なしにうれしい。

 

とかナントカ、わざわざと大げさに言ってはみたが、皆さんご存知のとおり、アッチもコッチも書いてる人は同じ。

しかし・・・

「これからもお互い切磋琢磨して・・・」

なんて別人格チックな気持ちになってしまった今日の朝。

近ごろでは、インスタグラムも含め、いつしか「二足のわらじ」ならぬ「三足のわらじ」になってしまい、以前にもましてネタ探しにアタマを悩ます日々だが、まあぼちぼちとやろうじゃないかと、あらためて思った。

 

  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします


すべては住民の安心・安全のために! 

発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行い、

住民よし、行政よし、企業よし、の「三方良し」を目指します。

コメント

正方形の衝撃

2019年02月05日 | オヤジの情報発信修業

今日もインスタグラムのことについて書く。あたらしい玩具を見つけたオジさんが、大真面目に取り組んでいるさまを想像し、笑いながら読んでほしい。


写真というものは、縦長もしくは横長の長方形。

いつ誰が決めた道理かは知らないが、これまでずっとそれを疑うこともなかったわたしが、インスタグラムではそうでないのだと気づいたのは4日前。キャプションを埋め込んだ画像をアップしたあと、短いキャプションの最後の二文字が切れているのを発見したときだ。

あれ?

なんで?

と、しげしげと画像をながめると、、、、わかった。

「せ、正方形じゃないか!」

そう、インスタグラムの写真は1:1なのだ。

が、が~ん、、、

「正方形の衝撃」である。

ということでさっそく検索してみると、

どうやら横長あるいは縦長で投稿する方法もあるらしく、さっそくその手を使ってアップロードはしてみたが、正方形のまま利用しているユーザーも多いらしい。そしてその人たちは、正方形というカタチを意識してアングルや構成を決め、写真を写しているらしいのだ。

つまりその写真は、端(はな)から「インスタグラムありき」で生まれ落ちている。さらに言えば「インスタグラムのなかでしか存在させるつもりがない(かもしれない)」という衝撃の事実。

「今さら何を言ってるのかねこの人は」と笑わないでほしい。いかんせん、何度も言うように超がつくインスタ初心者だ。

撮った写真を個人で保存する、あるいは、ブログに使う、ツイッターで使う、フェイスブックに使う。それぞれ、残しておこう、あるいは何かに使えるだろうという目論見はあって撮るのだが、あくまでもそれは、写真を撮るという行為があって、その産物としての画像を媒体にアップロードするという行動だ。しかし、インスタグラムのそれは、ふつうに撮れば正方形(1:1)にはならないことを考えると(この事実に気づいた後、2台持っているスマホをよ~く見ると、両者ともに1:1あるいはスクエアという正方形撮影モードが備わっていた)、そもそも「インスタグラムありき」あるいは「インスタグラムのため」に写真を撮るということなのか。

ふ~ん、そうだったのか。

と、そのとき、ある考えがアタマをよぎった。

1:1 でなぜ悪い?

正方形だからといってインスタグラムだけにしか使えないわけではないだろう。

そもそも、「長方形でなければ」という発想が硬直しているのではなかろうか。

長方形の画像が欲しければ正方形をスタンダードの記録方法にして編集で長方形に切り取っても何ら差し支えはないのではないか。

もちろん、比率が決まっており編集絶対不可の公共建設工事記録写真を撮影のベースとしているわが身であれば、これからも4:3 の長方形が基本であることが変わるとは思われない。しかし、「そんなのもある」あるいは「そんなのもアリ」ということは重々承知し、軽やかに認めていかなければならないのではないか。

そんなふうに考えをめぐらせていると、「そもそもなぜ正方形にしてるのか?」という疑問がふつふつと湧きあがってきた(ソコでかよ、と笑わないでほしい。ソコではじめて、である)。

で、「インスタグラム 正方形 なぜ」でGoogleを検索してみる(「インスタグラム 正方形」まで入力すると、すぐに検索候補として出てきたのだから、多くの人が持つ疑問なのだろう)と、トップにお誂え向きのタイトルがあった。

Instagram(インスタグラム)の写真はなぜ正方形なのか?歴史と変遷、そして開発哲学を探る』というページだ。

・・・・・・・・

カメラのメインがまだフィルムだった頃、コダック社とポラロイド社というふたつの有名な企業がしのぎを削っていました。発色の良いコダックとカメラデザインに優れたポラロイド。中でも、コダック社の「インスタマチック」というカメラと、ポラロイドのインスタントカメラは共に、フレームのサイズが正方形(ないしは限りなく正方形に近い)で、Instagramはこのふたつの企業に敬意を払って正方形の規格を採用したと言われています。

・・・・・・・・

ああ、、、

わたしとしたことが、、、

61年も生きてきて、アレを失念していたとは、、、

そう。「いわゆるポラロイド」、つまりインスタントカメラ(ポラロイド社のインスタントカメラが有名だったので、インスタントカメラそのものを当時は「ポラロイド」と呼んでいました)は、たしかに正方形っぽいフレームだった。

そしてわたしは、自分の所有物ではなかったにせよ、その「いわゆるポラロイド」を数数え切れないぐらい使った経験があった。

それなのに、、、

途端、レヴィ=ストロースがアタマのなかで反響した。

正しくは、内田樹先生が「レヴィ=ストロースいわく」と紹介したレヴィ=ストロースだ。

・・・・・・・・

レヴィ=ストロースは、社会システムは「変化」を必須としているが、それは、別に「絶えず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているのではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に「変化」と言える、と考えました。

(『寝ながら学べる構造主義』内田樹、P.163)

・・・・・・・・

寝ながら学べる構造主義 (文春新書)

内田樹

 

「正方形の衝撃」から始まり、遅まきながら思い出した「正方形の記憶」。

そしてレヴィ=ストロース。

なんのことはない。

この稿の結論は、

「なが~く生きてりゃいろいろあるもんだ」

そして、

「ぐるぐる循環するのもアリだぜ!」


得心しきりな辺境の土木屋なのだった。


ちなみにインスタグラムアカウントはこちら。

”isobegumi”

↓↓

https://www.instagram.com/isobegumi/?hl=ja

 

  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします

すべては住民の安心・安全のために! 

発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行い、

住民よし、行政よし、企業よし、の「三方良し」を目指します。

コメント

インスタグラム事始

2019年02月04日 | オヤジの情報発信修業

会社アカウントでインスタグラムをはじめたというのは、すでにお知らせのとおり。

↓↓

https://www.instagram.com/isobegumi/?hl=ja

基本的に1日1枚の写真を投稿(日曜は休み)するように努めながら、はや2週間が過ぎた。

そこで浮びあがってきた課題がひとつ。

いや、ひとつだけではないのだが、今日のところはそのうち大きなものをひとつ。

「人」を上手く撮れないのだ。

工事記録写真では、「人」は写り込むものであって、ほとんどの場合、あえて写すものではない。どころかむしろ、「人(特にその顔)を写す」という行為はできるだけ避けなければならない。「人」が主となる記録写真はたしかに存在するが、あくまでもそれは、「人の行為」を撮影するのが目的であって、その人物たちを切り撮るものではない。

何十年ものあいだ、そんな商売をつづけているのだもの、習い性というやつなのだろうか。わざわざ(顔が見える)「人」を撮ろうとはしない自分がいる。いや、最近では工事記録はいざ知らず、情報発信用に使う写真には「人(の顔)を」、という想いは持っているにもかかわらず、よほど強く意識していないと、その撮影がついついはばかられてしまう。

もちろん、それが悪いと思っているわけではない。「人」を写すことがすべてではない。情景と機械の組み合わせにも、「人」の存在はたしかにあり、「土木のしごと」の様々や、そこに働く人たちを表現するには、かえって「人」が邪魔をしてしまうことも多くあるはずだ。

しかし、少なくとも「現場からの情報発信」と銘打ってるのだもの。そしてその目的が「なんだかわからないもの」を「なんだかわからないもの」のままにおいておくことなく、「なんだかわからないもの」から脱却させるためにあるという、いち辺境の土木屋が背負うにしては大きすぎるものにある以上、そこに「人」がいないのは、「仏造って魂入れず」に近いような気がしてならない。

だから「人」を撮ろうとする。

が、なんだか上手くいかない。

その原因はといえば、テクニックというよりは、メンタルが占める要素が大きいような気がする。

それを打ち破るためには、ああでもないこうでもないと悪戦苦闘してみることしかない、という意味では、インスタグラムという場はとても有意義だ。

とはいえ事は端緒についたばかり。非テキスト系SNSという情報発信の気軽さに絡めとられ、ついついテキスト系をおろそかにしてしまいそうになる恐れも多分にあり、この先どうなることやらしかとはわからないが、しばらく試行錯誤してみようとオジさんは思うのだ。



  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします

 

すべては住民の安心・安全のために! 

発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行い、

住民よし、行政よし、企業よし、の「三方良し」を目指します。


コメント