答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

リマインド

2024年03月19日 | ちょっと考えたこと

「我、いまだ木鶏たり得ず」

 昭和14年、3年間に渡り無敗をつづけた横綱双葉山が、70連勝を目前にして新鋭安芸ノ海に敗れたあと、師と仰ぐ安岡正篤に送った電報の言葉として有名である。彼がそうありたいと願った「木鶏」の出典は『荘子(達生篇)』。

******
紀渻子(人の姓名)という人が、ある王の命を受けて闘鶏を飼育していた。
十日経ったところで王がたずねた。
「どうだ、鶏はもうよいかな。」
「いいえ、まだです。まだむやみに強がって気負っております。」
それから十日経って王はまたたずねた。
「いいえ、まだです。ちょっとした物音や物影にもいきり立ちます。」
また十日経って王はまたたずねた。
「まだです。 他の鶏を見ると、ぐっとにらみつけて血気にはやります。」
さらに十日経って王はまたたずねた。
「はい、もう完全無欠です。他の鶏が鳴き声を立てても、様子を変えることがありません。
遠目には木彫りの鶏とさえ映ります。本来の徳が欠けるところなく具わりました。
他の鷄も相手になろうとするものはなく、背を向けて逃げ出すことでしょう。
(講談社学術文庫『荘子』より)
******

 齢が古稀まであと4つとなったぼくは、いかにも爺さん然としてきたその外見はともかく、内なる心は、いまだに血気にはやることがしばしばで、そんな自分をなだめたりすかしたりしつつ日々を生きている。これでは木鶏どころか、若鶏にさえ劣ると辟易することも度々だ。
 そんなぼくが、昨年来アイフォーンアプリであるリマインダーに記し、毎朝6時50分、すなわち家を出る10分前にリマインドするようにセットしている言葉がこれだ。

相手の反対にストレートに反対しない。
反対のための反対ではなく、その反対をゆっくりと相手に投げ返すこと。

 出典は不明。だが、自分オリジナルでないことだけはまちがいない。その目的はといえば自戒。つまり、ここまでの流れでおわかりのように、時として感情的になってしまう自分自身に対する戒めの言葉に他ならない。

 つい先日のことだ。ある身内に対し感情を爆発させてしまったことがあった。もちろん、そうなる原因はあり、自分としてはそれなりの正当性を有しているという思いもある。ただ、そこまでの言葉を吐く必要があったのかといえば、まったくなかったとしか言えないような場面でのことだった。
 翌朝6時50分、アイフォーンがポンと鳴り、いつものようにリマインダーがポップアップした。浮かびあがったのはくだんの文字だ。
 いやはや、これではいったい何のために日々リマインドするよう努めているのかわからないではないか。悔悟の念が押し寄せてきた。効果がないのであれば惰性でつづける意味はない。いっそ消すかとも思ったが、いや待てよと留め置いた。

 だからこそ要るのではないか。いや、だからこそ必要なのである。
 たとえば10のうち7つか8つがこれで止まっているのだとすれば、相応の効果をもたらせてくれているはずだ。なんて、都合のよい解釈でおのれを納得させた。

 今さら、「木鶏」たり得ようとまでは思わないが、せめて「かしわ」ぐらいには成りたいものだ。硬いが旨い。噛めば噛むほど味が出るあの親鶏のように。
 ならばいっそ、「かしわ」とリマインダーに記してみるのも一つの手ではないか。大真面目に考えてもみた。もちろん、そんな問題ではないのだけども。
 

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励めよいざ

2024年03月15日 | ちょっと考えたこと

 勉強をしなかった口である。
 勉学に勤しまなければならないとされる時期にそれを怠けていたという意味で、勉強をしなかった口である。
 とはいえ、まったくしなかったかと言えばそうでもないが、したかしなかったかと問われれば、間違いなくしなかった部類に入るというのがぼくの自己評価だ。
 ただし、本は読んだ。読んだがしかし、それは勉強ではない。たしかに読書は勉強にはなるが、ここで言う勉強はそれではない。

 ただ、ひとつ付け加えておかなければならないのは、齢が30を3年過ぎて、シロートでこの業界に入ってきた身であれば、この仕事で一人前になるための勉強はした。人一倍、と胸を張りたいところだが、比べる人がいないので、そこのところはよくわからないけれど、自分のそれまでの人生で、大っぴらに勉強をしたと言えるのは、それ以来今に至るまでだけである。

 そんなもんだからぼくは、若い頃に勉強をしておけばよかっただのという、よくある発言には与しない。いくらなんでも棺桶に片足を突っ込んだようなジジイは別として、学ぶということにおいて、遅きに失するということはないのである。いや、あきらかに先が見えたと思しきそのジジイでさえ、一念発起で勉強をすれば、ことによったらひょっとしてひょっとするのかもしれないと本気でぼくは信じている。となればなおさら、「若い頃に・・」などという言葉は、ぼくのなかではけっして口にしてはならない種類のものである。
 なんとなればそれは、その頃の自分も今の自分も一緒くたにして蔑んでしまうことにしかならないからだ。ひとは、自分を蔑んだが最後、未来への希望を放棄してしまう。そしてそれは、自分自身のみにとどまることなく、親、また子、祖父母や孫さえ否定することに他ならない。

少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず池塘 春草の夢
階前の梧葉 已に秋声
(『偶成』朱熹)


 たしかに、少年は老い易く学は成り難い。だからこそ、一寸の光陰だと軽く考えてはならない。月日が過ぎゆくのは、春の日に池の堤の若草の上でまどろんで見た夢がまだ覚めないうちに階段の前の青い葉っぱに秋風の音が聞かれるほどに速い。
 これは、古今東西において変わらない道理である。

 だからといって、自らの身の上を過ぎた日を悔やんでも何にもならないし、だから若いうちに勉強をしておけよ、と若者に諭しても何の説得力もない。
 そんな暇があったならば、今このときからでも勉強をするべきだ。「学ぶ」という行為に、遅きに失することはない。いや、効果の大小を比較すれば、老と若では差が出てきて当然なのかもしれないが、だからといって、老いてなお学ぶことが、まったく意味のないことであるはずもない。

 偶成とは、偶然にできること、ふとした思いつきでできること、また、そのできたものを言う。だが、そのたまさかが産み出される下地の有る無しは人それぞれで異なっている。それを得るためには一生勉強。それは何も、若者だけに与えられた権利ではなく、いわんや義務でもなく、年齢の大小によって変化するものでもないとぼくは思う。いやむしろ、齢と経験を積み重ねた者にこそ、それをする責務があるのではないかとさえ思えてくる今日このごろ。「励めよ」と自分に言ってみる。もちろん、「暑苦しいオヤジやな~(-_-) 」と煙たがられるのは承知の上で。



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人を育てる

2024年03月14日 | ちょっと考えたこと

 「人を育てる」というのは、まことにもってむずかしい。
 この場合の「育てる」は、あくまで「育てよう」と企図し、それにもとづく言動をもって「育てる」ことを指すのであって、その対象となる人が、自らの意思と努力で「育つ」のは、その範疇にない。どころかむしろ、放っておいては「育たない」者に対して、試行錯誤をしつつも、首尾一貫して「育てよう」という意思だけはもちつづけ、なんとかそこそこの線までには到達できるように奮闘努力をすることが、ここで言う「人を育てる」という行為である。
 
 そうした場合、永遠のテーマとなるのが、どこまで手出しをするのがよりベターなのかという問題だ。もちろんそれは、対象となる相手によって異なるべきことにはちがいない。三者三様十人十色、百人百様千差万別。人それぞれが一人ひとり異なった個性をもち合わせているのは、人間世界の常識だ。たとえばそこに「人材育成マニュアル」のようなものがあって、誰も彼もにそのマニュアルどおりの対し方をしても、上手くいくはずがない。

 「育てる」と「育てられる」。双方にとっての理想は「卒啄同時」だろう。

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 導くには「機」(ここぞという絶好のタイミング)をとらえる必要があります。その時、ちょっとつつけば、パーンと割れます。これを禅では「啐啄同時」と言い、師弟一如の素晴らしいハタラキを表しています。卵がかえる時、雛が殻の中で啼くのを「啐」と、そしてその瞬間、親鳥が外から突き破ることを「啄」と言うのです。この啄のタイミングが早過ぎると雛は死にます。教育の極意です。
(『ロボット工学と仏教 AI時代の科学の限界と可能性』森正弘、P.99)
******
 
 「花は咲くまいとしても咲く時が来たらきっと咲く」(種田山頭火手記より)という言葉がある。
 じつに説得力をともなって耳に響く言葉だ。けれど、人間世界の現実はそうではない。いや、じじつそうなるのが花というものの性質だとしても、咲く時季がきてもきれいに咲かない花は、自然界は別として園芸や作庭などの人為的関与がともなう場所では現実に数多存在する。それをして、真に「咲く時」ではないだけなのだろう、というのは容易い。だが、水をやり、肥料をやり、ときには厳しい環境から守り、またときにはあえて過酷な環境に晒すなどして、「咲く時」がいつなのかを感じとりながら、結果として「咲かせる」のが、花を「育てる」ということである。それが上手くいかなかったとき、花は「咲かない」。

 「卒」と「啄」の息が合えば理想的だが、現実はそうそう上手くはいかない。「手を差し伸べる」と「放っておく」とのバランスをどうとるか。これは、「人を育てる」を志した人間にとっては永遠のテーマである。特にぼくのような「お節介」な人間ならなおさらだ。にもかかわらずぼくは、「人を育てる」のが得意ではない。だが、だからこそいつも考える。その考えにもとづいて、錯誤しながら試行する。

 ときとして、そんなぼくを嘲笑うかのように、放任主義が成果を生み出す例を目の当たりにすることがある。なんだかな~と苦笑する。そのたびに、さはさりながらソレはそれ、と思い直す。なんとなれば、ぼくの「人を育てる」は、放っておいては「育たない」者に対して、試行錯誤をしつつも、首尾一貫して「育てよう」という意思だけはもちつづけ、なんとかそこそこの線までには到達できるように奮闘努力をすることなのだから。

 
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心から

2024年03月13日 | ちょっと考えたこと

 退院翌日、所用があって出かける途中の娘が様子見に我が家へ寄ってくれた。
 まことに都合がよいことに、ソファーで横になっていたぼくは、わざとらしげに弱々しく手を振って、いかにも病人然とした振る舞いを見せるが、身体の内からかもしだす元気さは隠せなかったようだ。

 「だいじょうぶそうやね」

 といって笑う彼女の言葉は受けずに、手術以来ずっと心に思っていたことを吐露する。

 「アンタ、えらいなあ」

 なんのこと?と怪訝な顔をする娘に言葉では返さず、右の手で腹を切る真似をする。

 「ああ、ね」

 瞬時に理解したようだ。
 そう、彼女は帝王切開を三度経験していた。

 すると、それを聞いていた妻が自慢気に口をはさむ。

 「あらワタシだって、アンタのときは16針も縫ったんだからね」

 切開する縫合するの有無にかかわらず、お産にともなう痛みは、男の想像をはるかに超えるものであるらしい。いや、この期に及んで白状すると、ぼくはその想像すらしたことがなく、あたかも「アナタ産むひと」とばかりに、まったく他人事のように振るまってきた。
 それをだ。たまさかできた胆石が発端にして、たかだか腹腔鏡手術でちいさい穴を4箇所あけたぐらいのことで、口を開いてはイタイイタイと、まったくもって情けないといったらありゃしない。



 「いや、ホンマにえらいわ」

 娘や妻のみならず、会う女性尽くにしばらくそう繰り返していたぼくに、あるひとが言った。

 「尊敬しなさいよ」

 いやホント、尊敬してますってば。


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高齢化社会

2024年03月12日 | ちょっと考えたこと

 日本の田舎が超のつくほどの高齢化であることは、今さら言を俟たないが、今回の入院でもまた、あらためて認識させられたことがしばしばだった。

 入院患者の年格好が異常に高いのである。その一人ひとりに年齢をたずねたわけではないが、66歳と2ヶ月のぼくが飛び抜けて若く、そして元気だと看護師が口々に言うのだから推して知るべしだろう。

 あるひとりが言うには、以前からあったその傾向は5~6年前からあきらかに顕著になり、今では、入院患者のほとんどを80歳以上が占めているらしい。

 「ピチピチやんか」

 おのれの皺々は重々承知をしているが、その事実を聞くなり、ついついそんな軽口が出てしまったほどである。
 

 それは退院前日のことだったか。若い看護師に状況をたずねられ、

 「あいかわらず傷口は痛むけどね。けど、しばらくはこんなもんながやろ?」

 と答えると、彼女からこんな言葉が返ってきた。

 「そう。あとは”日にち薬”ですよ」

 へ~、いい言葉ぢゃないか。
 このぼくが初めて聞くような古い言葉を知っているとは。ふだん年寄りの患者とばかり付き合っているのもあながち悪いことではないではないか、などと思ったぼくは、彼女が部屋から出ていくやいなや、その言葉の意味が、とっさに自分が感じたものと同じかどうか調べてみた。

 「日にち薬」
 日数を重ねてじっと養生していれば病気やけがが自然によくなってくる意。(『大阪ことば事典』より)だそうだ。思ったとおりである。

 ふむ。想像どおりだ。しかし・・・
 「日にち薬」
 元々関西地方で日常的に使われていた言葉で、今や全国区といってよいほどポピュラーらしい。

 あらま、なんのことはない。ただ単に、このぼくが無知だっただけのことである。

 " The older , the wiser. "
 年寄りほど賢いものだ。
 また、アフリカのある国には、「高齢者が1人亡くなることは図書館がひとつ無くなるようなものである」ということわざがあるという。それが、古今東西万国共通、老人が有するストロングポイントである。なのに・・・

 しゃあないジイさんや。アタマを掻きつつ苦笑いするしかなかった。
 

 
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浜のミサンガ環(たまき) 2024年春

2024年03月11日 | ちょっと考えたこと


「これ、だいじょうぶですか?」
と指先で示したぼくの足首に巻かれているのは、濃茶と黃の糸を編み上げたミサンガ。


「かなり圧迫しますからねぇ・・・でも、切らない方がイイでしょう?」

「・・・ダメなら仕方ないけど・・・」

「でも、なんか願いごとがあって付けてるんでしょ?」

「願いごと、っていうわけでもないがやけどね」


 「浜のミサンガ環」。東日本大震災により仕事を失った漁師の奥さんたちが、魚網を材料としてつくったものだ。ぼくのそれは、2012年の7月に初代を装着して以来、古いものが切れては代えを繰り返し、現在のものになったのは一昨年のこれまた7月。三代目だ。
 とはいえたしかに、特別な願いごとがあって付けているわけではない。忘れないようにしたい。ただそれだけのことである。
 そんなことをごく手短に説明したぼくに、

「それは切らない方がいいわね」

 と担当の看護師さんは言い、手術前の慌ただしい時間にもかかわらず、ふたりがかりで四苦八苦しながらほどいてくれたおかげで、それから数時間が経った術後、そのミサンガは、めでたくぼくの足に復帰した。

 濃茶と黄色の「浜のミサンガ環」。これからも、しばらく付き合ってもらえそうだ。





ちなみに、ぼくと「浜のミサンガ環」のこれまではこちら。

↓↓






【浜のミサンガ環】(Wikipediaより)
浜のミサンガ 環(はまのミサンガ たまき)は、岩手県大船渡市の越喜来をはじめとする三陸地方(岩手県、宮城県)で製作されていたミサンガ。2011年(平成23年)の東日本大震災以来の三陸の雇用創出を目的とする「三陸に仕事を! プロジェクト」の企画によるもので、震災により仕事を失った女性たちの手で、三陸の魚網を材料として製作された。2011年6月の販売開始から2013年(平成25年)のプロジェクト終了まで驚異的な売上を記録したとともに、被災者たちの精神面にも大きな効果をもたらしており、全国的な評価を得た。


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私的NRS

2024年03月08日 | ちょっと考えたこと

 0が痛みなし、10が最大の痛みとして、 0~10までの11段階に分けて、現在の痛みがどの程度かを指し示す段階的スケールをNRS(Numerical Rating Scale)と呼ぶ。
 一般的に用いられている聞き方には2種類あって、1つは、「今まで経験した一番強い痛みを10として今の痛みがどれくらいか」を聞く方法、もう一つは、「初診時や治療を開始する前の痛みを10として、今はどれくらいの痛みか」を聞く方法である。

 と、訳知り顔のことを書いたが、以前から知識として備えていたものではない。昨年夏の虫垂炎にはじまり、今年明けの胆石発作から胆嚢摘出手術に至る病院通いで、毎度まいど看護師さんがやって来るそのたびに聞かれるこの質問について、遅ればせながら検索してみると、そのような答えを得られただけのこと、つまり、覚えたてほやほやの知識である。
 それによると、「1~3は「軽い痛み」、4~6は「中等度の痛み」、7~10は「強い痛み」というように目安がある」らしいのだが、残念なことに、ぼくが昨年来かかっている医院ではその説明がなく、「最大が10」という基準が提示されただけ。
 となると、毎度のことのように首をひねるのはコチラである。
 といっても、一日に何度もあるそれを毎日繰り返しているのだから、あらかじめその答えは用意しており、初めての頃のように、質問されてからその場で即答するということはないのだが、だとしても、「さて今は?」と自問自答するときに、「これだ」と断定できるような答えが降りてくることはほとんどない。

 特にアタマを悩ませるのが、今回のような場合だ。
 術後すぐの質問に対してぼくは、最大である10という基準を最初の胆石発作の痛みにおいて答えた。

 「(あれが10ならばこれは半分、というところが妥当かな、ということで)5かな?」

 ところが、後になってそれが大きなマチガイだったことに気づく。そのときの痛みが中程度である5ならば、その後はまったく軽い痛みにしかならないはずだ。だが、後から後から押し寄せてくるのは、痛み止めを服用しなければならないほどの、あきらかに中の上か、もしくはそれ以上かもしれない痛み。にもかかわらず、ぼくが下す評価はその5に縛られてしまい、それと同じかもしくは下かという羽目になってしまったのだ。

 これでは医療スタッフが正当な判断を下すことができない、と考えたぼくは、ある時期から自分の内での基準であるその5を7に引き上げ、その後の目安として問題を解決しようとしたのだが、そこで思い当たったことがある。

 みなさんご存知のM‐1グランプリ、若手漫才師日本一を決める大会である。テレビ中継をされるその決勝大会には7人の審査員がいて、それぞれがそれぞれの演者に点数をつけるのだが、審査に慣れた一部の者はまず最初に演じた者につけた点数を基準として、そのあとの演者については、それと比較して評価をつけるという。アレを思い出したのである。
 もちろん、如何に審査員それぞれに、それ相応の知識と実力があるとはいえ、人間がやることである。口には出さずとも、そこにはあきらかな判断ミスもあるだろう。そこらへんの審査員の感情模様がテレビ画面から垣間見えるのも、あの番組のおもしろさの要因であるひとつだろうとぼくは思っているのだが、そのアレを思い出したのである。

 そして、次に思いが至ったのが、吾とわが身の環境においてぼくがよく抱く、「思いどおりにならない」という感情についてだ。

 ひょっとしてアレもまたそうではないだろうか?そう思った直後、イヤまちがいなくそうにちがいないと確信した。

 「思いどおりにならない」
 それは、理想と現実とのギャップを嘆く感情や言葉である。
 巷間よく使われるし、ぼくもまた、さすがに近ごろでは言葉に出すことが少なくなったが、あいも変わらずその想いが沸きあがるのはしょっちゅうだ。
 だがそれは、基準とすべき「思い」をどこに置いているかで、その様相と評価の適否が随分と異なってくるものだ。そしてそれがその都度つど変わるようでは、評価される方はたまったものではないものでもある。

 いや、ぼくとてもちろん、それは承知している。
 と言ってはみても、以前はその当たり前の道理がわからず、日毎、「なぜ思いどおりにならないのか」と地団駄を踏み、夜毎、「なぜなのだろう」と嘆息しながら酒を飲み、翌朝には、その余韻をひきずりながら「なぜ思いどおりにいかないのか」と切歯扼腕していたのだから、エラそうなことを言えた義理ではない。
 だが、少なくとも今のぼくはそうではない。
 もちろん、相手に対する過度の忖度は害であるし、必要以上にコチラがベタ引きになることはない。そんなことをしていた日には、成るものも成らない。ときには、キツイ基準設定も必要だ。ただ、それを承知でいてなお思うのと、そのことに無頓着なまま思うのとでは、相手に対する雲泥の差があるはずだ。
 と、それもこれもを含めて、自分の「思い」のみを基準にしてしまってはいけないことを、アタマで理解するのみならず腹で承知もしている。

 とはいえ、考えてみればそれは、じつに曖昧模糊としたものではある。だとしたら、そこに数値目標のようなものがあってもよいのではないか。

 「思いどおりにならないな」というこの「思い」の基準は最大である自分の理想を10点とすれば今は何点に置いている? そしてこの場合、その基準設定は合っている?

 そんな問いかけをしてみながら、自分の「思い」を客観視する。いわば、ぼく的NRSがあってもよいのではないか。これまでのぼくのやり方には、まったくといってよいほどに存在していなかった方法ではあるけれど、そんなのもアリなのではないか。
 
 「痛みは?」

 看護師さんの問いかけに、「3」と即答しながら、そんなことを考えている術後2日目の朝なのである。


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たんのう

2024年03月07日 | ちょっと考えたこと

 「今日はどんな手術ですか?」

 おかしなことを訊くものだと訝しみながら

 「胆嚢摘出手術です」

 と素直に答えると
 手にもっていた幅広のテープに

 「たんのう」

 と平仮名で書き込み
 腹の右側にペタリと貼った。


 きのうの朝、手術室へと向かう前の看護師とぼくのやり取りだ。
 思うにそれは、ヒューマンエラーによる医療事故防止対策のひとつなのだろう。そう推測したぼくは、心の内で拍手する。

 ひょっとするとそれは、いくらなんでもそこまでしなくても・・という類のものかもしれない。人によれば、バカにするんじゃないわよとヘソを曲げてもおかしくはないようなことかもしれない。
 だが、相手はバカかも知れない、また、相手にはバカのようなことをする可能性がある、という前提に立つのが、ビジネスコミュニケーションの要諦であるとぼくは信じている。もちろん、あくまでそれは仮定であり、しかも最悪を想定しての仮定であるのを忘れてはならない。本当に相手をバカだと思うと手酷い目に合うのは必定だ。

 「相手がバカだ」と仮定するならば、できる限りわかりやすく平易な言葉を選ぶことが必要となる。例えばそれがプロVSプロの会話だとして、相手がこれみよがしに専門用語を使ってくる場合には、こちらも負けじと知り得る限りの専門用語を駆使して応じるという戦術は確かにあるが、それは、ことコミュニケーションを図るにおいては愚の骨頂だと断じても差し支えない。肝心なのは理解し合えてナンボ、よい仕事ができてナンボ、事故が防げてナンボ。失敗は予想を超えて起こる。特に事故防止という観点から見れば、クドイほどにわかりやすく伝え合うというのがポイントなのである。

 とかナントカ考えながら、♪ドナドナド〜ナド〜ナ♪と手術室に引かれていったぼくは、麻酔をしたやらしないやらよくわからないうちに眠りの森の住人となり、

「みやうちさ〜ん、終わりましたよー」

 という声に目覚めてみれば、見事「たんのう」は摘出されていましたとさ。
 めでたしメデタシ。
 

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禍と福と

2024年03月06日 | ちょっと考えたこと

 禍福。
 災難と幸福、不運と幸運をあらわす言葉だ。
 中国古典には、この禍福について言いあらわしたものがいくつかある。まずそのなかでもっともポピュラーであろうと思えるのがこれだ。

 「禍福は糾える縄の如し」(史記『南越列伝』)

 禍(わざわい)に因よりて福と為す。成敗の転ずること、譬(たと)えば糾(あざな)える縄のごとし。
 
 不幸と幸福はより合わせた縄のように交互にめぐってくる、という意味だ。


 次に、
 「存亡禍福は皆己に在るのみ」(説苑『敬慎』) 

 孔子曰く、存亡禍福は皆己に在るのみ。天災地妖も、亦(また)殺(そ)ぐこと能(あたわ)ざるなり、と。
 
 人間の生き死にや幸不幸はすべて自分自身に原因がある、という意味をもつこれもまた、人口に広く膾炙している言葉だろう。


 ではこれはどうだろうか。

「意の存するところ即ち禍福となる」(三国志蜀書『許靖伝』)

 前2つに比べると、現代日本ではけっこうマイナーなのではないだろうか。
 許靖という漢の政治家が、中原の覇者となった曹操に対して諫言の書を送った。その中の一節である。

 この言葉の前段は、
 「足下、爵侯の任につき、責重の地にあたる。言、口より出でて即ち賞罰となる」
 そのあとに、
 「意の存するところ即ち禍福となる」というこの言葉がつづく。

 責任の重い地位についた貴方の言葉というものは、その口から出た途端に賞罰をともなってしまうので、貴方の心が存在する限り、すなわち相手の幸福や不幸そのものになってしまう。

つまり、高い地位についた人間は、その言葉にはじゅうぶんな責任をもたなければならない、という意味をもった格言である。


 ところが、浅田次郎はこれを「ものは考えようだ」と解釈しているそうだ。以下それをAudibleよりの書き起こしで記してみる。

******
 自分の気持ちがある。その気持ちで幸福になったり不幸になったりする。じつは人生とはそういうもんなんだよと。わかりますなあ、なんとなく。
不安なときというのは何が起こっても不安、しかし気の持ちようによっては一杯の水を飲んでも、なんて幸せなんだろう、とこう思う。
つまり、幸福というのは客観的な現象ではなくて自分の主観が決めるものであるという格言であります。
これをしっかり頭の中に植えつけると全然不幸がなくなる。いかにもポジティブシンキングな考え方であります。
(浅田次郎『私的幸福論』より)
******



 さて、これからあと30分もすれば、ぼくの胆嚢摘出手術がはじまる。
 以前に報告した胆石発作は、その後、こともあろうかふたたびこの身を苦しめ、再入院を経て、今般めでたく再々入院での手術とあいなった。年のはじめから、わが身に訪れたこの現実が禍であるか、それとも福であるか。たぶんこの先にとって、わるいことではないような・・・そんな気がする手術前。折よく、何の気なしに見ていたフェイスブックでこんな言葉に出会った。

 「春は心から訪れる」

 春まだ遠い、ある北国からの発信だ。
 やはり「ものは考えよう」なのである。


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ラッキー?

2024年03月05日 | ちょっと考えたこと

 

 去年の夏に開かれ、ぼくもその発表者兼パネリストだった、ある災害復旧関連のシンポジウムでのことだ。もちろん主催は建設関連の団体であり、聴講者もまた業界の人たちばかりだった。

 東北沿岸部から招かれた建設会社の幹部が、4つあるうちのひとつの事例発表を受けもってくれた。となるともちろん事例は、東日本大震災のことで、発災時またその後に、地元の建設業者が何を考え、どのようなことをしたのかについてを、その当事者として語ってくれた。

 そのなかでもっとも印象的な言葉が「ラッキーだった」というものだった。彼の事例発表のなかにあった、従業員が被災しなかったり協力会社が機能したりしたという発言から、パネルディスカッションの進行役が「そういう意味ではラッキーだった?」と問うたのを受け、「たしかに」と言った彼が、その理由として述べたのは、自社直営班にチリ地震津波での経験値があり、みんなで協力して対応できたからというものだった。

 それはちがうだろう。と思ったぼくは、自分に発言の機会が与えられるや、その話を持ちだした。余計なことだったかもしれないが、言わずにはおれなかったのである。

 「ただのラッキーではないはずですよね?そこにはそのラッキーを呼び寄せる御社ならではのものが必ずあったような気がします」と話を振ったぼくの根拠は、15年ほど前に一度だけ酒を酌み交わしたそこの経営者との会話でしかなかったが、アノひとが社長を務める会社なら、という確信ではあった。

 それに対する彼の答えはこうだ。取り急ぎ記したぼくのメモを転載する。

 地域のため
 人のため
 そういう社風
 気持ちいい人の集まり
 人のことを考えられる会社

 おい、みんな聞いたか?
 とでも言いたげに聴衆を見回したぼくは、自分のアシストにひとり満悦し、ミッション終了とばかりにそれ以上の発言を控えた。

 そこには、自らが属する組織に対しての確固たる自信があり、であるにもかかわらず、「ラッキーだった?」と問われれば、「たしかに」と答える冷静さと謙虚さもある。

 世の中には、素敵な会社や素晴らしい人がたくさんいる。
 せめて爪の垢なりと、そう思った。



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