答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

やってみなきゃわからない

2024年03月26日 | オヤジのCCPM修業
 今回の高知公演で志の輔が高座にかけた噺は、ひとつが新作でもうひとつは古典だろうというぼくの勝手な思い込みに反して、2題ともが新作。といっても、立川志の輔ファンなら誰でもが知っている(とこれまたぼくが勝手に断じている)、『親の顔』と『メルシーひなまつり』だった。そのうち『親の顔』は、テストで5点という点数をとった息子金太と共に学校に呼び出された親父と息子と担任教員とのあいだで繰り広げられる、テストの解答をめぐる珍問答がたのしい噺だが、そのなかで、最初に登場するのが次のような問題だ。

先生「この問題なんか非常にわかりやすいんですが、太郎くんと次郎くんが草刈りをしてですね、太郎くんが2分の1、次郎くんが3分の1、草はどれだけ残るでしょうか?という問題にですね、オタクの金太くんは・・・」

 読むなりすぐさま通分を開始し、六分の六から太郎くんと次郎くんの合計をマイナスしたアナタは、残念ながらアタマが固い。その設問への金太の答えはこうだ。

「やってみなきゃわからない」

 その答えに、「間違えるにも程があるだろう」と横から口を挟む親父に対して、息子が理由を答える。

金太「だって太郎くんと次郎くんが仲がいいんだか悪いんだか、わかんないじゃん。仲がよかったらさ、早く遊びに行きたいからさ、もうガムシャラに草刈るからさ、あっというまに草はなくなるよ、でも、仲が悪かったらさ、なるべく自分はやらないで相手にやらせたいと思うからさ、見てるばっかりでぜんぜん草は減らないよ。だからさ、仲がいいんだか悪いんだかわかんないときはさ、とりあえずいっぺんやってみなきゃわかんないと思ってさ」
親父「先生・・・これ、あってるんじゃないですか?・・・あゝ・・・あってるけども正解じゃないと、そういうこってすよね、じゃあ正解は何?ってオマエ、お父っつぁんなんか問題を読んでる途中でぴーんときたぞオマエ、何ってオマエ、草はどれだけ残るでしょうか?って訊いてるんだろうよ、正解は・・・残さずやれ。っていうのが正解だろ・・・ねぇ先生?」

 子が子なら親も親。ここらあたりが噺のタイトルが「親の顔」である所以なのだが、今日ぼくが書き留めておきたいと考えたのはそこではない。金太の答えである「やってみなきゃわからない」と、そう考えた理由が、ぼくたちの生業としての建設業とは切り離すことができない「工程(計画と管理)」というものを、まことに的確に言いあらわしているからだ。

 そう、何事も「やってみなきゃわからない」。これは、現在過去未来と変わることがない道理である。
 金太に与えられたテスト問題を例にとってみよう。太郎が2分の1で次郎が3分の1。このままでは加減の計算ができないから、2×3=6に分母を統一すると、太郎は6分の3で次郎は6分の2。計算できる準備がめでたく整ったところで、二人が草を刈った割合を合計すると、6分の5となる。100パーセントに充当する6分の6から、その数字をマイナスすると残りは6分の1。算数の問題の解答としてはこれが正しい。

 だが、人の世はすべてが割り切れるとは限らない。どころかむしろ、割り切れないのが人の世だと断定してもマチガイではない。金太はそれを悟っているからこそ言う。「やってみなきゃわからない」と。

 なぜならば、太郎と次郎の仲がどうであるかという不確実性によって、状況はまったく変わってしまうからだと。ならば下手な考え休むに似たりだ。わからないことに頭を悩ませるより、まずやってみる方が手っ取り早い。なので、必然が帰着するところとして、「やってみるしかない」だろうということになる。これが道理であり真理である。

 なのにぼくたちは、工程を計画し、それにもとづいて作業を実行する。そもそも、割り切れないものを割り切ろうとすることに無理があるにもかかわらず、その無理筋を通すのだもの、実行において問題が生じるのは当然の帰結である。
 ならば、工程計画は無駄かつ無用なものなのか。答えはNOだ。不確実きわまりないプロジェクトを成功裏に完了させるためには、工程を真面目に計画することが必要不可欠だ。それを如実にあらわすのが、ドワイト・D・アイゼンハワー(第二次大戦中の連合国遠征軍最高司令官)の言葉だ。

Plans are worthless,but planning is everything.

計画そのものに価値があるのではなく、計画を立てることにすべての価値が詰まっている(おじさん意訳)

 この辺境の土木屋がそう言ったとしても、「またまた捻くれたことを・・」と一笑に付されるのがオチだが、あの「史上最大の作戦」の計画責任者が語ったと聞けば重みがちがう。

 真剣に考え緻密に計画すればするほど、次から次へとリスクや問題課題が浮かび上がってくる。それをクリアする方策を考えることで、計画はさらに練り上げられたものとなる。その繰り返しがアイゼンハワーが言うところのプランニングであり、そのプロセスを省略すればするほど、問題解決の処方箋から遠い位置に身を置くことになる。

 かといって、すべてにおいて完璧な計画を立案することは不可能に近いし、そもそも計画立案作業は、時間的な制約をともなうことがほとんだ。となると、どこかで必ず実行段階へと移行しなければならない。
 そこでまた、真面目で細やかなプランニングをしているかどうかが効いてくる。不確実性きわまりないのがプロジェクトだ。その遂行においては、たとえ完璧だと思える計画だったとしても、100パーセントそのとおりに推移することなどあり得ない。そんなとき、プランニングをどう捉え、どのように行ったかが物を言う。
 修正力に差が出るのである。その差がマネジメントの優劣であり、よいマネジャーであるかどうかの分岐となる・・・・・・。


 眼前で熱演する志の輔の姿を思い浮かべつつ、そんなことなどを考える帰路。

 「金太、それはちがうのだよ。合ってるけど、そうではないのだよ」

 大人として、また人生の先輩として、そんなことを優しく諭してあげたくなった辺境の土木屋、66歳と3ヶ月。おあとがよろしいようで。

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バッファマネジメント

2022年10月10日 | オヤジのCCPM修業

 

先週の金曜日、『三方良しの公共事業推進カンファレンス2022高知』本番の朝のことだ。

前夜からお城下入りしているわたしは、いつもと変わらぬ時刻にセットしたアラームで目を覚ます。本番までの時間を考えれば、少しぐらいの遅寝は平気だが、やろうと思えばやることは満載。それに、いつまでもうだうだと寝ていてはリズムが狂ってしまい、あとに影響が出かねない。ということで遅寝早起き。ベッドから抜け出し起立してみる。うん、わるくない。といっても、前夜をまったく引きずっていないかといえばさにあらず。さすがにゼッコーチョーとまではいかないが、これならばまったく問題はないなと独りうなずく。

と、朝食後しばらくして、ちょっとした不具合発生。メールが届かないのだ。すると、折り悪しくメールで資料を送ったという連絡あり。今すぐ確認して善後策をとってほしいという。さて、どうしたものか。少しだけ考えたが、今の世の中、別にメールにこだわらなくても情報伝達手段はいくらでもある。デジタルアナログ取り混ぜて対処。数人を巻き込んでしまったが事なきを得た。

 

「予期せぬことは最悪のタイミングで起こる」

マーフィーの法則のひとつだ。

確かにそれは、まったくもっておっしゃる通りなのだが、そこには、誰もが見落としがちなポイントがふたつある。まず、「予期せぬ」ことが本当に予想できなかったほどのアクシデントなのかどうか。次に、そのタイミングを「最悪」にしたのはいったい誰なのかという2点である。

ではどうすればよいか。それがバッドニュースになってしまったのは、そのタイミングで起こったからこそであると考えれば、その答えは自ずと明らかだ。

よほど突発的なアクシデントでもない限り、リスクのほとんどは予測可能である。たとえ予測不可能なものやすこぶる付きで困難なものがあったとしても、それを吸収できるだけのバッファを備えておけば、それが最悪のタイミングとなることはない。バッファには、時間バッファ、資源バッファ、能力バッファの3種類があるが、主に考慮の対象とするのは時間バッファである。つまり、平たく言えば「時間の余裕」ということだ。かといって、余裕はあればあるほどよいかというとさにあらず。あくまでも適切なサイズのバッファでなければならない。必要以上に多い余裕は、スピード感や緊張感を喪失させる要因となり、よい仕事の妨げとなるからだ。

その際にもうひとつ重要なことは、バッファを持つのはよいが、最低限必要とされる時間とごちゃまぜにしてはいけないということだ。正当な時間見積りと安全余裕をいっしょくたにしたが最後、人はその間延びした時間に頼りきってしまう。よほどデキがよい人間ならいざ知らず。凡人ならば必ずそうなる。そして、世の中を構成する人のうちの圧倒的多数は凡人である。

 

CCPM理論の底流を成すその理を思い起こしながら、ホテルを出て会場まで歩いていた。すると、ずっとペタペタペタペタという音がつきまとって離れない。なんだろう?と軽く思いつつ10分ほど歩き、会場まで着いた。踏みしめる対象が道路から床になると、その音はさらに明瞭となった。

ん?

オレの足から出てたのかこの音は?

やっと気づく。上げた足裏をのぞいてみた。右の靴底が剥げていた。受付横のソファーにすわる。さて・・・接着剤だなと決断。買いに行こうとすると、総指揮者としてのわたしを慮ってくれたのだろう。部下が代わって行ってくれるという。言葉に甘えた。

ほどなくして接着剤到着。盛大に塗って乾くのをしばし待つ。だが・・・出た結果はNG。概ねくっついてはいるが端っこが少しめくれている。さあどうする?

「これでどうです?」

横にいた別の部下がセロファンテープを差し出した。ふむ。それで全体を接着させることはできないだろうが、めくれかけている端部さえ抑えれば大事には至らないかもしれない。しかもそこは人の目に触れるところではない。体裁は二の次だ。決断し実行した。

それから数時間、あまつさえその翌日も、靴底があばれだすことはなかった。

 

まこと、大切なのはバッファである。

「予期せぬことは最悪のタイミングで起こる」

ある意味では真理であるその法則を撃退するためにもっとも効果的なのは、適切なバッファを持ち合わせておくこと。

身をもってそれを実感した一日だった。

(ホンマかいな^^;)

 

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出会いから13年たった冬に

2019年12月31日 | オヤジのCCPM修業

かつて「けっこうな影響を受けた」のだとその人は言った。

この夏のことである。

だが、そのあとにつづいた言葉は「今はかなり変わりましたからね」。しかも、いかにも残念そうな表情つきでだ。

さもあらん。たしかに変わった。

なにがって、このブログがだ。

書いている当の本人も認めているのだから「その人」の言葉に対して異論はないし、「残念そうな」ことについては、もうしわけないとしか言いようがない。

ではどこがどのように「変わった」のか。

「その人」は具体的な言及は避けたが、その場における前後の会話からすれば、ことさらに推察するほどのこともなくあきらかだった。

建設業の工程管理、あるいは建設現場におけるプロジェクトマネジメントに関するテクストが、ほとんどとなくなったことを、「かなり変わりましたからね」という言葉で彼は指摘したかったのだろう。

もちろん、それらについてを考えなくなったわけではない。いや、わけがないと言うべきだろう。あたりまえだ。あいかわらずそれは、わたしの生業(なりわい)の核心部分を占めているし、その思考が具体的であれ抽象的であれ、考えることを避けてとおることははできない。

ではなぜ書かなくなったのか。

なぜだ?

あらためて自分自身に問うてみた。

切迫感(の欠如)、というキーワードがまっ先に浮かんだ。

このままではいけないという切羽詰まった現状認識と、そのソリューションツールとして定めたCCPMを自分たちの言葉に翻訳し自らのフィールドに土着させることが未来へとつながるにちがいない、という思いから生じたものが誰に頼まれたわけでもなくキーボードを打たせていた。なんとなれば、いくら脳内で思いそれを口に出してみたところで、それは本当の意味での言語化にはなり得ず、言語化をしないことには深化はせず、深化をさせないことには進化もなく、自分たちの血となり肉とはならないという思いがあったからだ。

そして、にもかかわらず「その方向性は本当に正しいのか?」という疑念と、「方向性はまちがっていないが“やり方”がちがうのではないか」という不安感は常につきまとって離れず、それがまた「考える」ことを促し、その発露としての「書く」を後押ししていた。

 

もちろん今も、問題を掘り下げようとする意思がないではない、どころか、日々の具体的な事象は、いやがおうでも問題解決のための思索へとつながるし、さらにその実践へと向かっていく。あたりまえだ。それが解決できるかどうかは別として、解決へ向ける営みがなくなったなら、企業人としてのわたしは一巻の終わり。しっぽを巻いてハイさようならだ。

しかし、そのプロセスと結論を広く発信するには多大なエネルギーを要してしまう。そのことに対しての躊躇が、わたしをして「書かない」という方向に向かわせたのだろう。

かといって、くだんの彼がいう「かつて」だとて、さほど頻繁にそれを俎上にあげていたわけではない。むしろ、「ほぼ毎日」という分母に対する分子としては、ごくごく少なかったはずであり、「それ以外」が圧倒的に多かったのはまちがいない。

とはいえ、「書いていた」という事実と「書かなくなった」という事実が、動かしようなくあるのもまた、たしかだ。

 

正月休みに入り、少しく体調をくずしている。

昨夜から今朝にかけては、自分でも驚くほど長く床のなかにあった。

寝ては夢、起きてはうつつのそのなかで、そんなようなことを考えていた。

さて、またちょこちょこ書いてみるか。

けど書けるだろうか。

朝、起きるなり、別のわたしに訊いてみた。

答えは、「書けるさ、たぶん」。

なんとなれば、13年の歳月のなかで、わたしとわたしの考え方は、「変わった」といえばたしかに「変わった」のだし、「変わってない」といえばたしかに「変わってない」。ただ思索と実践は止まることなく繰り返してきた。たとえそれが、ときには行きつ戻りつであれ、またときには途方にくれ。それだけでも十分なネタにはなるはずだ。

(料理人のウデしだいなのは言わずもがなではありますがね)

 

 

 

 

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生産性向上のカギは工程管理にあり

2019年02月23日 | オヤジのCCPM修業

建設業において組織としての「生産性の向上」を図ろうとしたとき、とるべき態度にはどういうものがあるのか。

砂子組の真坂さんはこう言う。


(その1)気合と根性で今までの作業時間を少し延長して施工量を伸ばす

(その2)従来にはないやり方を研究しチャレンジする

(その3)ICTツールを活用した業務改革を推進する

(その4)様々なムダを省き工程管理改革を実行する

(その5)諦める


まずもって1と2は却下。

今回の講義で彼が説明したのは3と4。

「i-Construction講座」というタイトルからいっても「その3」を勧めるのはわかる。

しかし、セミナーや会議、あるいは対話など、その場のカタチがどういうものかにかかわらず、いわゆる「建設生産システムの向上」をテーマにした話で、「工程管理」を俎上に載せた人は、わたしが見聞きしたなかでは、わずかにふたりだけだ。ある地方自治体の職員OBと、あとひとりは誰あろう、このわたしだ。

 

「公共建設工事生産性向上の本丸は”工程”にあります」

先日、とある会合で、自信と確信をもってそう断言したわたしが、得意そうに周りを見渡すと、

「なに言ってんだコイツぁ」という、得もいわれぬしらじらとした空気が漂っていたのを思い出す。

そんなわたしだもの。

真坂さんの問題提起に、激しくうなずいたのは言うまでもない。

うんうん。

そうか。

やはりな。

同志到来わが意を得たりと、欣喜雀躍する辺境の土木屋。

今年の大きな柱は、それに決まりだ。

 

 

 

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プレゼンテーションのネタ

2018年08月01日 | オヤジのCCPM修業
一番伝わる説明の順番
田中耕比古
フォレスト出版

 

Kindleの位置No.647あたりに、こんな文章がある。

 

「40秒で支度しな!」

 これはアニメ『天空の城ラピュタ』に登場する有名なセリフです。

 空中海賊の首領・ドーラに捕まっていた主人公・パズーが、ムスカに捕まったヒロイン・シータを助けるために一緒に連れて行ってほしいと懇願したときにドーラから言われるセリフです。

 パズーは、おそらく、瞬時にいろんなことに優先順位をつけたはずです。

 物語の最初のあたりで、シータと一緒に逃げたときには、用意していた朝食をカバンにつめ込むことを優先事項に入れたパズーですが、海賊と共にシータを救出に行く際には、食べ物を持って行くことの優先度は極めて低くなります。

 こういう”絞り込み”の技術を身につけないと、ドーラが連れて行ってくれません。それでは、シータを助け出すことができなくなってしまいます。

 

「優先順位をつける」

それは、CCPMと出会ってからのこの12年、わが組織内においてはもとより他所さまに伝える場合でも、幾度となく繰り返してきたキーワードであり、工程管理や現場マネジメントの肝である。それを説明する際のネタとして、「40秒で支度しな!」という逸話のなんと魅力的なことか。さっそく調べてみる。もちろん、あの名作『天空の城ラピュタ』を知らないわけではなく、幾度か見るとはなしに見たこともあるのだが、テレビジョンで流れるそれは、いつもなぜだか真剣に観賞する対象となり得たことがなく、結局物語の筋もよくわかってないわたしだ。

だから調べてみる。

と、こんなサイトを発見した。

 

「40秒で支度しな」ドーラおばさんの名言から役立つビジネススキル

サイトの主さんいわく、

天空の城ラピュタの有名なセリフの一つである「40秒で支度しな」というドーラおばさんの言葉から、様々なリーダーシップを学ぶことができます。ドーラおばさんに学ぶリーダーに必要なビジネスに役立つ資質をまとめました。

 

う~ん、イマイチわかったようでわからない。

そいつぁそうだ。

なんと言ってもこのわたしは、「40秒で支度しな!」の実物を見たことがないか、見ていても記憶にない(見てないといっしょだ)。まずは現物を確認するのが先だろう。

とはいえ「40秒で支度しな!」、あらたなネタとなりそうな予感。

じっくり練ってみたいと目論む、辺境の土木屋なのである。


 

 

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折り合い

2018年04月28日 | オヤジのCCPM修業

山越えで徳島まで行き、港に車を置いて和歌山まで。

夕陽を受けて進む船内で、思わず、

♪ 徳島港発和歌山行きフェリー、このじいさんときたら~ ♪

なんて鼻歌が口をついて出る。

吉田拓郎の『落陽』をはじめて聞いたあのころは「あのじいさんときたら」だったが、40数年を経た今は、まちがいなく「このじいさん」だ。

苦笑いしつつ、読みかけの本をめくる。

 

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学
平川克美
ミシマ社

 

英語でいうManegementとは、通常は、「管理する」とか「監督する」と翻訳されますが、語源的には「馬を手綱で御する」というところからきた言葉なんです。

競馬で言うところの「折り合い」ですよね。

競走馬は、走るに任せていると、先頭へ向かって全力で走ろうとする。しかし、騎手は、馬場の状態、コースの長さ、馬の血統や性格、スタミナに合わせて、その力を最大限発揮させるために、手綱を操って制御する。かといって、制御し過ぎてしまえば、馬は走る気を殺がれてしまう。理想的な騎手は、馬と折り合いを付けながら、人馬一体となって最適な走りを見い出していきます。

「やりくり・折り合い・すり合わせ」っていうのは不合理なもの、本来一緒にできないものを共存させながら現実的な処方を見出そうという態度です。(平川克美『21世紀の楕円幻想論』P.192~193、太字宮内)

 

21世紀の楕円幻想論 その日暮らしの哲学
平川克美
ミシマ社

 

なるほど、これはいいことを教えてもらった。

マネジメントの本質は「折り合い」である。

いや、「折り合い」こそがマネジメントなのだ。

と激しくうなずきつつ、また口ずさむ。

 

♪ 徳島港発和歌山行きフェリー~ ・・・

また振り出しに戻る旅に日が沈んでいく ♪

 

まったく、このじいさんときたら・・・w

 

落陽 (高中バージョン)

 

 

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「プロジェクトバッファ=穴熊」論?

2018年03月24日 | オヤジのCCPM修業

将棋の囲いと守り方』より

 

ふと、こんな画像を目にする機会があった。

いわゆる「穴熊」、左下隅にある「玉」を守るためにその他の駒はある(たぶん)。

たぶん、というカッコつきなのは、将棋というものに対してのわたしの知識が駒がどうやって動くかのみを理解しているにすぎないからだ。まったくもっての門外漢。素人もいいところである。

その素人が、この画像から唐突に想像したもの。ソッチは専門分野であるクリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメント。そう、わたしにとっての伝家の宝刀CCPMだ。

以下、久方ぶりにCCPMについて書いてみる。

 

CCPMの肝はプロジェクトバッファである。

一つひとつのタスクに潜んでいるバッファ(いわゆる「安全余裕」とか「水増し」とか「サバ」とか)をはぎ取ってひとまとめにし、工程計画のうしろに配置したものをプロジェクトバッファと呼び、その増減量や増減傾向をグラフにして「遅れ」や「進み」を管理(コントロール)していくのがCCPMの要諦だ。

ここにひとつ重要な思い違いがある。

各タスクをつなげたチェーンの「うしろ」に配置する、と思われることが多いプロジェクトバッファは、正しく言うと、守るべきもの(建設プロジェクトの場合はすなわち工期=ゴール)の「前」に備えとして存在する。もちろん、チェーンの「うしろ」もゴールの「前」も物理的な位置としてはまったく同じだ。したがって、わたしがこんなことを言うと、「屁理屈を言うな。どっちでも同じじゃないか」と思う向きも多かろう。だが、「前」か「うしろ」か「うしろ」か「前」か、一見するとどうでもいいようなこの差が、CCPM理解が本質的なものとなるかそうでないかの分岐点となる。

簡単にその理由(わけ)を説明する。

現場監督(プロジェクトマネジャー)が一つひとつのタスクのなかに潜ませておいた安全余裕(バッファ)の存在意義は、「地球を相手にする仕事」である土木工事で頻繁に起こる「なんだかよくわからないこと」への「守り」としてある。「備え」と言ったほうが適切かもしれない。それを白日のもとに晒してひとまとめにするという行為は、すなわち、現場監督のアタマの中身をオープンにして情報共有するということだ。そうすることで、「サバ」という不名誉な通り名をもらっていたバッファが、プロジェクトバッファという名の「ゆとり」に進化する。そして、そのプロジェクトバッファの増減や傾向の一挙手一投足を注視しながら、優先順位を把握して、必要なときに必要なところへ集中することで余裕を生み出す。

つまり、プロジェクトバッファは納期を「守る」ための「備え」としてある。ということは、「前」か「うしろ」か、結論はハッキリとしている。プロジェクトバッファは「守る」べきものの「前」に置く。例えていえば、室戸岬の最御崎寺の前門にドーンと構える仁王像のようなものなのである。

 

最御崎寺 (『トリップアドバイザー』提供)

 

以上が、「プロジェクトバッファ=仁王」論とでもいうべきこれまでのわたしの理解である。


ところが、「居飛車穴熊」の盤面を見てひらめいたことはチトちがう。

プロジェクトバッファは、お仁王さん的なものではなく、「玉」を奉じて守りを固める金将銀賞桂馬香車などなどの各駒の総体(のようなもの)だ。まさしくそのことこそがプロジェクトバッファの本質なのではないか。そうひらめいたのである。

つまり、厳として敵を跳ね返す剛体的なものではなく、もっと柔構造を有したものがプロジェクトバッファであり、駒単体のチカラで戦闘にのぞむのではなく各駒の総体として敵に対し、そのなかのひとつが欠けてもふたつが欠けても、「玉」を守り抜くことができたら勝利であるという考え方、それこそがCCPMにおけるプロジェクトバッファであり、クリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメントそのものなのではないか、そしてそこでは、一つひとつのバッファの増減に気を取られてはならず、あくまでも全体にとっての最適は何かにもとづいて優先順位が決まり、最終的に守るべき玉座は納期である。


「へ~。。。思いつきにしてはけっこうよいではないか」

そう自画自賛してみたそのあと、ひとつ重大な欠陥があることに気がついた。以上はあくまで、「居飛車穴熊の総囲い」という盤面を見て受けたインスピレーションに過ぎず、当のわたしが、将棋の世界では言わずと知れたポピュラーなその戦法についてまったく知識がない。これは話にならないほど重大な欠陥である。

ああ、お願いだから誰か、この論を展開してはくれまいか。

「プロジェクトバッファ=穴熊」論、悪くないような気がするのだが・・・・ ^^;




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『キューピー3分クッキング』(からの学び)

2018年02月20日 | オヤジのCCPM修業

株式会社ユニフロー石橋社長の事例発表からもうひとつ書かせていただく。

新潟で石橋さんの話を聴いたあと、遅ればせながらユニフローさんとはどんな会社か調べてみた。たぶんそのときに説明してもらってるのだろうが上の空で聞いていて頭に入ってない。われながら残念だがその程度の人間である。いやいやわたしのことなどどうでもいい、ユニフローさんだ。Wikipediaから引いてみる(そもそもWikipediaに載っているのがスゴい)。


株式会社ユニフローは、東京都品川区に本社を置く業務用ドア・シャッターを製造販売する企業である。

スーパーマーケットなどの商業店舗で見られる、売場とバックヤードを間仕切るスイングドアと呼ばれる扉(多くはアルミやステンレスで作られた自閉式の扉。海外ではswing doorまたはtraffic door)の国内最大手。市場シェアは、公称で80%である。
米国製の全自動製氷機を主とする輸入販売業として発足したが、同じく輸入商品であったスイングドアで成功したのをきっかけにメーカーに転じた。現在は自社生産しているスイングドアやシートシャッターをはじめ、軽量引戸や住宅用金具など扱い製品を広げている。

ちなみに「ユニフロー」の社名は、創業当初に扱っていた製氷機のブランド名が由来とされる。


「スーパーマーケットなどの売場とバックヤードを間仕切るスイングドアと呼ばれる扉の市場シェアが80%」ということは、ほぼどこにでもあるということだ。高知へ帰った翌々日、となり町のスーパーに行った際に確認してみると(オラの村にはスーパーがねぇ)、店員さんが出入りを繰り返すドアにはたしかにユニフローの社名とスイングドアという商品名があった。スイングドア、画像を見ると皆さんハハア~と納得してくれるだろう。

 

株式会社ユニフローHPより

 

さて、そんなユニフロー石橋社長の話が、やたらとおもしろくてタメになったというのは昨日書いたとおりだ。そのなかでも、もっともわたしにウケたのがTOC(制約理論)の根幹に関わる部分である”5Focusing Step”(継続的改善の5ステップ)の活用、題して「ボトルネックに集中して生産キャパをアップする」の巻だった。

TOCの実践を始めた彼女が、「制約は何か?」という観点から工場の組立ラインを検証してみると、あきらかにボトルネックとなっている工程があったという。しばらく観察しているとその段階を担当する人だけがアッチコッチと忙しく動き回っており、そこで生産工程の流れが阻害されている。それを発見した石橋さん、ハタと思い当たることがあったという。あの人気長寿TVプログラム、「キューピー3分クッキング」だ。あそこでは短時間で料理を仕上げるために、ときには切る、そしてときには煮る、焼く、炒める、それぞれの工程をすでに済ませた材料が、料理担当者が動き回らなくてよいようにあらかじめその周りに用意されている。あれこそが制約条件への集中であり制約条件の活用だと思い当たった彼女がとった方法は、他工程の担当者にボトルネック工程担当が作業に集中できるための作業を振り分けたこと。そうすることによって、生産のキャパシティが150%アップしたのだという。

この手の話によくあることだが、あとから聞く人間にはそれほど難しいこととは感じられないかもしれない。「な~んだ、そんなことか」「そんなこと、誰でもわかるじゃん」てなもんである。ましてや、イスラエルまで行ってTOCの祖Dr.ゴールドラットに直接師事したという彼女には、すでにそれだけの知識も理解もあったのだろう。だが、それだけではないのだ。そして、単に「やったこと」が素晴らしいだけで成果があがったのではないのだ。TOCと「キューピー3分クッキング」を結びつけられる頭脳と心の柔軟さにこそ石橋さんの凄みがある。社長業をする以前は専業主婦だったという彼女が、たとえば「キューピー3分クッキング」という、自らが身体性をともなって存在する自分のテリトリーに、TOCという、これから拠って立とうとするあらたな理論と知識を整合させた。そこから、脳内での理解が身体性をともなった知悉に進化し、それから生まれた言動が人を動かしたのではないだろうか。(全て推測です、スミマセン)

それは、われとわが身、あるいはアナタとアナタの身に置き換えてみればよくわかる。たとえば、「キューピー3分クッキング」を見て、人はまずどんな反応をするのだろう。

「この番組って3分じゃないよね」「3分で仕上がらない料理ばっかりじゃん」「すでにつくってるのはインチキでしょ」と懐疑的な反応をしてしまう人。はたまた素直に、これは時短料理のヒントだととらえ自分自身のレパートリーに入れる人。生来の天邪鬼であるわたしなぞは、たぶんに前者的な反応をしてしまうのだろう。だが彼女は、学んだ制約理論を実践するにあたってTOCと「キューピー3分クッキング」を合体させるということで見事に身体に落とした。繰り返すが、ここに石橋さんの凄みがあるとわたしは思う。「張良と黄石公の逸話」(※)からもわかるように、あるコンテンツから学びが起動するとき、たいせつなのは教える側の優劣やコンテンツの良し悪しではなく、学ぼうとする側の感性にあるからだ。

「なんとまあしなやかな感性だろうか」

彼女の話を聴きつつわたしはそう感じた。「かくありたいもんだ」とも思った(できるかできないかは別として)。そして(これが肝心なところだが)、これから先の拙講拙話に「キューピー3分クッキング」の話をチャッカリ拝借しようと決めた。(あとでご本人の許可をいただきました)


以上で株式会社ユニフロー代表取締役社長石橋さゆみさんの事例発表聴講記(のようなもの)はジ・エンド。またどこかでお会いし聴かせてもらえれば、また別の「気づき」がありそうで、今からその日が楽しみなのである。



張良と黄石公(『日本辺境論』内田樹、新潮新書、より)

張良というのは劉邦の股肱の臣として漢の建国に功績のあった武人です。秦の始皇帝の暗殺に失敗して亡命中に、黄石公という老人に出会い、太公望の兵法を教授してもらうことになります。ところが、老人は何も教えてくれない。ある日、路上で出会うと、馬上の黄石公が左足に履いていた沓(くつ)を落とす。「いかに張良、あの沓取って履かせよ」と言われて張良はしぶしぶ沓を拾って履かせる。また別の日に路上で出会う。今度は両足の沓をばらばらと落とす。「取って履かせよ」と言われて、張良またもむっとするのですが、沓を拾って履かせた瞬間に「心解けて」兵法奥義を会得する、というお話です。それだけ、不思議な話です。けれども、古人はここに学びの原理が凝縮されていると考えました。(P.142)

張良の逸話の奥深いところは、黄石公が張良に兵法極意を伝える気なんかまるでなく、たまたま沓を落としていた場合でも(その蓋然性はかなり高いのです)、張良は極意を会得できたという点にあります。メッセージのコンテンツが「ゼロ」でも、「これはメッセージだ」という受信者側の読み込みさえあれば、学びは起動する。(P.148)



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走り出したら何か答えがでるだろう

2017年10月11日 | オヤジのCCPM修業
進む! 助け合える! WA(和)のプロジェクトマネジメント―――プロマネとメンバーのためのCCPM理論
宮田一雄
ダイヤモンド社

 

 

『進む!助け合える!WAのプロジェクトマネジメント』(宮田一雄)ではCCPM理論の特徴として以下の5つが挙げられている。

1.マルチタスクを排除する

2.クリティカルチェーンによるマネジメント

3.個々のタスクからバッファ(安全余裕)を取り出す

4.バッファの消費状況で、プロジェクトを管理する

5.フルキットの状態にして、タスクに取り掛かる

 

”2”から”4”については異論がない。”1”と”5”については若干ある。

まず”1”について。それは、「マルチタスクを排除すること」はどこまで行っても無理だということ、したがって、「マルチタスクにはできるだけならないようにタスクの交通整理をする」とか「悪いマルチタスクをしない」とかの程度にしておかないと、「CCPMなんて所詮は絵空事の理論だ」なんてことになりかねない、ということだが、著者も書いているように「CCPM理論では、WIPの数が極力少なくなるように、リソース(人員)を集中させ、短期でタスクを完了できるようにコントロールする。」(※WIP=Work progress:仕掛かり中の作業)ことの有効性については、頭も身体も納得しているので、基本的にはOKとしても差し支えない。

読むなり、「そうか?」という文字を本に書き込んだのは、こんな箇所だ。

 

5つめの特徴は、「タスクに必要な万全の準備(=フルキット)が整うまで、スタートさせない」というものだ。

 

文はそのあとこうつづく。

 

今までのプロジェクトの中で、取りあえず次のタスクに着手したものの、必要な材料がそろっていないために、計画以上に時間がかかってしまったり、作業を中断せざるを得なくなった経験がある読者も多いだろう。そして、完了できない仕掛かり中のタスクが増えれば、進捗や課題管理も複雑になっていく。いくら早くから始めても、準備不足のままでは結果として無駄が生じるだけなのである。そのためCCPM理論では、準備が整っていないタスクを開始させないようコントロールをすることで、「待ち」の時間のリスクを回避している。(P.33)

 

ここで触れられているのはタスクのことだ。たしかに個々のタスクに取り掛かる際の心がまえとしてはこれでいいかもしれない。しかし、プロジェクトをマネジメントしていくとき、「フルキットの状態になるまで開始しない」という態度はどんなもんだろうか。プロジェクトは不確実性に満ちあふれている。だからこそ、リスクを先読みし前倒しでそのリスクを解決することがプロジェクトの成功にとって必須となるのだが、その一方、不確実なものに完璧な準備などできるはずがないのも事実である。

そこでは、「♪ 走り出したら何か答えが出るだろう ♪ 」的な腹の括り方が必要となってくる。完璧な準備ができない以上、ある一定の準備と対策が整いしだい、そのタスクはプロジェクトのなかにリリースしてやらなければならない。そうでないと今度は、いつまで時間が経過しても実行されないタスクがプロジェクトの進行を阻害する要因となってくる。

CCPMの大きな特徴のひとつは、修正段階にある。そこがCCPMの極意であり肝でもあるとわたしは思っている。つまり、当初計画には拘泥しない。計画は修正するためにあるという考え方だ。たしかに「綿密な計画」は立てなければならない。だが「綿密な計画」は、その計画どおりプロジェクトを実行するために存在するのではなく、あくまでも「つながり」(因果関係)と優先順位を明らかにするためにあることを忘れてはならない。したがって、計画立案段階で悩んだときには、どこかの時点で「♪ 走り出したら何か答えが出るだろう ♪ 」的な引導をわたしてやることが必要だ。多くの場合、その不確実性は実践段階で確実なものに変わってくる。計画段階(Plan)ではわからなかった「答え」が「やる」(Do)の実践場所である現場で見つかった、なんてことは日常茶飯のできごととして誰しもが経験しているはずだ。そこで修正する。「わかった」ことを基に計画を修正する。そしてまた「やる」。その繰り返しのなか、バッファの消費傾向をグラフで管理(書中ではトレンドチャートと呼んでいるがフィーバーチャートという呼称もある)していきながら、黄色のエリアで進捗をコントロールすることこそがCCPMがもっともCCPMたる所以、すなわちCCPMの極意であり肝でもある。


 

そうそう・・・

このことについては著者もまた、

 このようにITプロジェクトは、そもそも不確実なものだ。にもかかわらず、マネジメントする現場では、「いかに綿密な計画を立て、その計画通りに進行するか」という点に終始して、管理体制やルールが策定されていることが多い。ITプロジェクトそのものの不確実な本質を無視して、当初の計画にこだわること自体、実は大きな矛盾でもあるのだ。(P.19)

と書いているので、けして理解されていないわけではなく、むしろ正しく把握されているというべきだろう。ここに書きとめたことはあくまでも、「タスクに必要な万全の準備(=フルキット)が整うまで、スタートさせない」という表現について「そうか?」と感じたわたしが、自分の頭のなかを整理しながら、CCPMについての考えをまとめてみたにすぎないことを申し添えて、この稿を終わりとしたい。


ふ~っ。

朝4時過ぎに布団から抜け出し、そんなこんなを考えながらキーボードを打っていると無性に腹が減ってきた。

さて、今日はどんな日になるのだろうか。

 

♪ 走り出したら何か答えが出るだろうなんて

 俺もあてにはしてないさ してないさ

 男だったら流れ弾のひとつやふたつ

 胸にいつでもささってる ささってる ♪

(『男達のメロディー』喜多條忠作詞、Casey Rankin作曲)



 

 

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マルチタスクの処方箋

2017年10月09日 | オヤジのCCPM修業

失敗の原因は、情報の貧困と戦力の逐次投入、それに米軍の水陸両用作戦に有効に対処しえなかったからである。日本の陸軍と海軍はバラバラの状態で戦った。(『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』、戸部良一他、P.107)

 

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)
戸部良一他
中央公論社

 

我れは専まりて一と為り敵は分かれて十と為らば、是れ十を以て其の一を攻むるなり。則ち我れは衆にして敵は寡なり。能く衆を以て寡を撃てば、則ち吾が与[とも]に戦う所の者は約なり。(『兵法~虚実篇』、孫子)

 

自軍は集中して一つとなり、敵軍が十に分裂してしまえば、十の小さな軍で一の大軍を攻めることになる。つまり、自軍は大軍であり、敵は小勢である。大勢の自軍で少ない敵を攻撃することができるのは、敵が既に分裂して勢力を削減しているからである。(同、現代語訳、https://goo.gl/nHJ7Ckより)

 

新訂 孫子 (岩波文庫)
金谷治訳
岩波書店

 

「早く終わらせる」という観点で言うと、CCPM理論には、WIP(work in progress:仕掛り中の作業)を低くするというマネジメントがある。(略)

3人のメンバーが個々のタスクに取り組むパターンと、3人で一つのタスクに取り組むパターンだ。当然、3人で取り組んだほうがタスクのWIPが低い状態で推移する。WIPを低くする狙いは、プロジェクトマネージャーのマルチタスクを排除する点にある。また、課題が発生しても集中して一つのタスクに取り組むことで、タスクを早く終わらせることができる。

このようにCCPM理論では、WIPの数が極力少なくなるように、リソース(人員)を集中させ、短期でタスクを完了できるようにコントロールする。(『進む!助け合える!WAのプロジェクトマネジメント』、宮田一雄、P.28~29)


進む! 助け合える! WA(和)のプロジェクトマネジメント―――プロマネとメンバーのためのCCPM理論
宮田一雄
ダイヤモンド社



「何だって早くすませちまおうとするな。手順よくやるのが一番早えんだ」

「いっぺんにあれこれやるほどおめえは利口じゃねえ。ひとつっつ片付けろ」

(『ひとは情熱がなければ生きていけない』浅田次郎、p.130)

 

勇気凛凛ルリの色 ひとは情熱がなければ生きていけない (講談社文庫)
浅田次郎
講談社

 

 

ということで、

今週もがんばっていってみようやってみよう (^O^)/



 

 

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