答えは現場にあり!技術屋日記

還暦過ぎの土木技術者のオジさんが、悪戦苦闘七転八倒で生きる日々の泣き笑いをつづるブログ。

「将棋をどのくらい分かっているかと言われたら、あまり今も分かっていないという感覚は実感としてある」(羽生善治)

2017年12月31日 | ちょっと考えたこと(仕事編)

27年前、いささかトウが経ってからこの仕事を始めたとき、わたしをスカウト(っていえば聞こえはいいが、実際のところは拾ってもらった)してくれた人(現在のボス)はこう言った。

「ふつうは一人前になるまで10年はかかるが、アンタには4年でなってほしい」

(4年という尺度は今でも不思議なんですが、なぜだかは確かめたことがない)

今から思えば噴飯ものだが、「よし、そしたらオレは2年でなってやる」と本気で思った。もちろんのこと、2年でなれるわけはない。

4年が経った。これもまた今から思えば汗顔の至りだが、「なった」と思った。もちろんのこと、そんなはずはない。

10年が経った。「わかった」と思った。「やはり10年はかかるな」とも思った。だが、「わかった」は次の「わからない」のスタートラインだということが「わかった」。そんな簡単なものではなかった。

そして今、27年が経った。「わからない」という感覚を持ちつづけている。当然ながら、そんな今の「わからない」は、昔の「わからない」とは次元が異なる「わからない」ではある。また、その「わからない」と表裏一体としての「わかった」も、駆け出しのころの「わかった」よりははるかに高い次元にあるのはまちがいない。一人前か否かと問われれば一人前には違いがないし、「当たり前だろ、こちとらプロフェッショナルだぜ」と見得を切るだけの自信もある。いっぱしの技術屋だと自認するそんなわたしだが、折にふれ「よくわからない」という感覚がわき上がる。

この先、何年この仕事をつづけていけるのか。今のところはまったくもって不明だ。だが、たぶんやめるそのときも、「まだわからない」と思ってる。そんな気がするのだ。

 


表題は、羽生善治永世七冠が今年のNHK紅白歌合戦の特別企画「いつでも夢を」のインタビューVTRの中で述べたものらしい。


「将棋をどのくらい分かっているかと言われたら、あまり今も分かっていないという感覚は実感としてある」


あの羽生善治にしてこうだもの。いわんや辺境の土木屋たるわたしにおいてをや。



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アンタも好きねえ

2017年12月30日 | 土木の仕事

 

『土木技術 Civil Engineering for Life』2018年1月号が届いた。今回の特集は「四季と土木」。

その他に新連載が2つ。『歴史に学ぶ日本の国土づくり』と『構造物偏愛のすすめ』だ。

「おおっ」

ビビッときた。

両方ともにわたし好みである。

『歴史に学ぶ・・・』も興味深く読んだが、今日はおくとして、もう一方の『構造物偏愛のすすめ』だ。

なんたってタイトルがいい。「偏愛」っていうところがいい。

土木技術者にとってもっとも重要な能力のひとつがバランス感覚である、というのはかねてよりのわたしの持論だ。「土木のモノづくりは構造物をつくることだけではない」というのもまた、そうである。そんな人間が、なにゆえ「構造物偏愛のすすめ」という企画に惹かれるか。

「神は細部に宿る」とまでは言わないが、技術屋たるもの、ミクロの視点を欠いては生きてはいけない。ディテールに対するこだわりがなければプロフェッショナルには成り得ない。その集大成が構造物である。それゆえ、「よい構造物をつくろう」という意識と、「よい構造物をつくる」という意思がない技術屋をわたしは信用しない。しかしながら、土木という仕事においての「モノづくり」は、それだけにとどまらない。それだけしか視野に入れてない人は片肺飛行のようなものである。では何が必要か。その構造物ができることによって何が生まれるか。その構造物が地域に社会にもたらす効果はどんなものか。それを実現するためにはどのような機能が要求されるのか。そのためにはどんな構造物をどのようにつくればよいのか。などなど。マクロの視点を持つこと(俯瞰と言い換えてもいい)と、それを見通す力が要求されるのだ。

「木を見て森を見ず」という。

「小さいことに心を奪われて全体を見通せないこと」のたとえである。

この場合、「小さいことに心を奪われる(=ディテールにこだわる)」ことは悪だ。だが、繰り返すが、技術屋たるもの、ディテールに対してのこだわりがなければ「よいモノ」などつくれるはずがない。

したがって、こと土木という仕事においては「木も見る森も見る」。

技術者の心がまえとしてこれが必須だ。

 

てな感覚で、くだんの新連載『構造物偏愛のすすめ』のページをめくってみて、「こ、これはいわゆる構造物ではない」とビックリ。「記念すべき連載第1回の記念スポットとして紹介」されているのは、愛知県東海市、名古屋市、海部郡を横断する名港東大橋・名港中央大橋・名港西大橋の3橋、通称「名港トリトン」だが、そのスケールの大きさは、わたしが言うところの「構造物」ではなく、それぞれがひとつの「場」としてのインフラストラクチャーであり、「場」としての「モノ」。つまり、「木」ではなく「森」だ。辺境の土木屋たるわたしの概念では、それを「構造物」と呼びはしない。

だが、まあいい。

と気を取り直して、文章をひと通り読む、そしてグラビアを観る。

「そうか、なるほどナ」、と思い直す。たしかにわたしとて、「土木構造物」というとわたしが言うところの単なる「構造物」ではなく、その集合体としての土木施設を想像する。してみれば、前述した「木も見る森も見る」論は、「木も見る森も見る地域も見る」論とするべきなのかもしれないな、と思う。つまり、「木(=ひとつひとつの構造物)も見る森(=その集合体としての土木構造物)も見る地域も見る(=その社会資本をつくることで得られる効果など)」と、そんなふうに展開しなければ言葉が足らないということである。

 

それにしても・・・

2017年も押し迫った年の瀬に、たったひとつのタイトルと、わずか2ページの見開きの記事から、これだけのことを想像し、かつ展開してしまうわたし。

「アンタも好きねえ」

としか言いようがないのである。

 

 

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歯の話

2017年12月29日 | ちょっと考えたこと

朝起きると目が開かない(開かないのに起きるっていうのも変ですが)。おまけに首肩背中がガチガチになっている。頭も痛い(二日酔いではないですヨ)。自分自身で思い当たるところがないではない。前兆はあった。だが、こんなにひどくなるとは・・・。


思い起こせば、まとまった休みになると体調をくずすのが長いあいだの定番のようなものだった。近年ではそれほどでもないのだが、傾向としてはまだ残っている。気がゆるむのだろうか。しかとはわからないが、たぶんそんなとこだろうと思ってる。

所帯を持ってからは、何年間も「歯」に悩まされた。最初は「親知らず」である。まとまった休みになると、決まって「親知らず」が痛んだ。おまけにソイツは歯茎の中に深く隠れてなかなか出ようとはせず、抜きたくても抜けずに何年も引きずった。ところは杜の都仙台。ちょうどわたしの苦闘期と重なる。「親知らず」が痛みだすと、それまで不孝を重ねたわが親と、現実に多大な苦労をかけている女房殿と、自分自身が招いた結果としての明日が見えない暮らしを思い、「因果応報」なんて言葉を思い浮かべつつ、「親知らず」という響きがやけに哀しかったのを覚えている。

そのあとは歯周病が原因によるもろもろだ。これは急激に悪くなるというたぐいのものではないので、体調が悪くなってはわめき出し、いったんはおさまりを繰り返し、そのあいだの手入れ不足が重なって(というか口腔ケアらしいものはまったくしなかった)、何年も何年もかけて悪くなり、気がついたら「奥歯、コレとコレ、抜きますね」と医者に宣告されていた。

「抜くのだけはかんべんしてくれませんか?」

「抜かない、という手もないではないよ。だけど習慣が悪いのでこうなったようなもんだから、その習慣があらたまらなかったら治らない」

「やります。だから抜かないで」

「まあ皆そういうけど、たいていはできない」

「やります。だから抜かないで」

「じゃあとりあえずやってみようか」

そんなやり取りのあと、何回かの外科的施術も織り交ぜながら治療が完了。あとはわたし自身のがんばり次第となったのは、今からどのくらい前のことだったろう。10年にはならないが、5年とはいわない。スケジュール帳を調べればわかるのだろうが、とりあえずそこまですることでもない。まあ、それぐらい前ということだ。

で、歯周病だ。

それが治ったのである。

その間、実行したことといえば、なんのことはない。歯磨きと歯茎のマッサージを歯ブラシと歯間ブラシを併用して、じっくりとマメにやったことだけである。これでほぼ治った。ほぼ?。それまでのズボラでやせ細った歯肉は完全に元通りには回復しない。パーフェクトではない。ズボラをかましつづけ出すと復活する。爆弾のようなものだが、その爆弾はケアしつづけているうちは爆発しない。

他人さまにとっては、「な~んだ、それっぽっちのことか」というような、ささやかな話でしかないのかもしれない。だが、この歯周病克服の件、わたしにとってはけっこうな成功体験なのである。

やればできる。

それがまた、地味な行為を地道に実践したことの結果としてできた。そういうことがもっとも苦手な人生を送ってきたわたしにとって、50歳を過ぎてそれが実現できた。これがとても自信につながったのである。折しもそれは、クリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメントや「三方良しの公共事業」やその他もろもろに仕事で取り組んできた時期と重なっている。そのなかでもっとも努めてきたのは、また自ら努めようとしなければできなかったのは、「つづける」ということだ。他人さまは、大向うをうならせるような派手な成果に気をとられるだろうが、今となって確信することは、そしてもっともたいせつなのは、地道に「つづける」ことだった。

「壮にして学べば老いて衰えず」。

「歯」は、運良くそれらと重なったことで救われたのかもしれない。

 

以上、7日もある休みの初日に、ガチガチになっている首肩背中をだましだまし書いてみた。

もちろん、「歯」は痛くはない。



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即身仏

2017年12月28日 | ちょっと考えたこと

本日、12月28日をもって会社の2017年営業は終了。

例年はバタバタとして大掃除どころではないのだが、今年は少しばかり余裕がある。「さあ、愛車マルモッタン号を片づけて見るべか」と思いたち、指折り数えて見るが、本格的にやるのはいつ以来だか記憶にない。

いやいや、いかに片づけ整理整頓のたぐいが苦手なわたしとはいえ、何年ものあいだ放ったらかしにしてたわけではないのだが、そこはそれ、生来がズボラにできているこの身だ。いつもなら縦のものを横にするとか、どこか見えないところへまとめてしまい込むとかしてお茶を濁していたという次第。

「よし、やろう」

一念発起して、大掃除を敢行した。

(たかだかパジェロミニの掃除にそれほど決心がいるものかネ、まったく)

 

ほどなくして、運転席のうしろに、何やら干からびた小さなものを発見。

一見すると恐竜のミニチュアのような・・・

はてなんだろう?

とつまみ上げてみると、カエルである。

カエルのミイラである。

いつのころからあったのだろう。

考えてみてもわかるわけがない。

それにしても・・・

みごとな即身仏である。

 

となればやることはひとつ。

そう、撮影敢行だ。

即身仏さんには申しわけないが、手を変え品を変え場所を変え、ポーズをつける。

結果、わたしが選んだベストショットがこれ。

 

 

今にも跳ね上がらんとする即身仏カエルの図。

 

それにしても・・・

こんなノンビリとした仕事納めでいいのだろうか?

とかナントカ考えつつ平成29年の業務完了。

おのれが即身仏にならぬよう、

お酒の呑み過ぎには注意したい暮れ正月なのである。

 

 

 

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「報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね」(柳井正)

2017年12月27日 | 三方良しの公共事業

朝、NHKニュースを見ていたらユニクロ柳井社長のインタビューが始まった。夕餉の残りのおでんの玉子をほおばりながら見る。「おでんの玉子は翌朝食べるに限るな」、とかナントカ思いつつ見始める。この時点では、玉子が主でテレビが従だ。ところが、あっというまに形勢逆転。ついついインタビューに引き込まれてしまった。

そのプログラムが終了後、「得たり」とうなずく内容をしかと頭に叩き込み、「今日のブログネタはこれに決まりだな」と、またその内容を反芻してみる。よし、だいじょうぶだ。ちゃんと覚えている。だが待てよ。。。。

ふと思いつき「ユニクロ 社長 NHK 朝」とグーグルさんで検索をしてみると、あった。

NHK『おはよう日本』2017年8月23日(水)『柳井流「仕事の進め方」』

どうやら今朝のは再放送だったようだ。

正確を期するためにWeb記事から引用する。

 

 

今や日本を代表する経営者である柳井社長に、ビジネスパーソンは、どんなマインドで仕事をしたらいいかを尋ねてみました。


ファーストリテイリング 柳井正社長

「大企業で仕事している人は、社長だったらどういうふうにするかを考えて仕事しないと。課長だったらとか、部長だったら、それはクライアントのためじゃないですよね。お客様のためにどういう仕事をする。それは、自分は課長なんだけど、社長だったら、どういうことをするかということを主体にして、自分の置かれている立場で、自分の部署も変わるし、周囲も変える。そういうふうな仕事のしかたに僕は変えるべきなんじゃないかなと思いますね


豊永デスク
「常に社長の立場でものを考える…」


ファーストリテイリング 柳井正社長
「じゃないと、報告用の仕事になっていくと思うので。報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね

(太字、宮内)



この場合、「大企業で仕事している人は」という括りは必要ではないだろう。柳川さんの言は、どのような規模においてもどんな職種においても、組織に身を置き仕事をする人間の心がまえとして通底するものだとわたしは思う。そして、これを聴きながらいみじくも思い出したのは、今年の夏、鹿児島での拙講のあと、天文館で一献かたむけた初見の人(業界の外の人)が「三方良しの公共事業」について語ったわたしの話に対して述べてくれた感想だった。

いわく、

「あなたの話は、建設業について語っているようでいて、けっしてそればかりではない。あの話には、仕事というものについてすべからく共通する大切なものがあるんではないでしょうか」

たしかそれは「自利」と「利他」について語ったことを指していたはずだ。

つまりそれは、「自分の利益」としてやった仕事は「他人の利益」にもならなければならない、あるいは「他人のため」を考えたうえで「自分の利益」を図る、いずれにしてもそのことについて自覚的に仕事をしていかなければならない、幸いわたしたちが生業(なりわい)とする「公共建設工事という仕事」は、そもそもそれを実行することそのものが「利他」(地域貢献)になるという性格を生まれ持っているのだけれども、そのことに無自覚であってはならず、結果オーライで世間の役にたったとしてもそれは意味をなさない、というような話である。

と同時にわたしは、「三」の重要性についても説いた。受注者と発注者という二項対立の枠組みやそこからスタートする発想、仕事のスタイルからは、わたしたちは救われないのだと。繰り返し語ってきた例のアレである。そこで重要となってくるのが、公共建設工事の真の発注者たる「住民」の存在であり、二項対立を打破する「三」の存在としての「住民」を向いて仕事をしていこうとういうその取り組みを端的に表現する言葉として、「わたしたちのお客さんは住民です」という惹句を使ってきた。

そのことを踏まえ、「大企業の社員」に向けた柳井さんの言葉を再度反芻してみると、先述したように、それが「大企業のみにとどまらない」ことはもとより、単に企業内部だけにとどまらず、「三方良しの公共事業」を考えるうえでも大いに示唆に富んでいることに気づく。

インタビュアーと柳井さんのやり取りをもう一度引用する。


 

豊永デスク
「常に社長の立場でものを考える…」

 

ファーストリテイリング 柳井正社長
「じゃないと、報告用の仕事になっていくと思うので。報告用の仕事っていうことは、上司にとっていい仕事で、お客様にとっていい仕事でない可能性がありますよね

 

 

「上司」を「発注者(役所)」に、「お客様」を「住民」に置き換えてみる。

報告用の仕事っていうことは、役所(発注者)にとっていい仕事で、住民(お客さま)にとっていい仕事でない可能性がありますよね。

となる。

まさにその通りである。わたしの考えるところでは、発注者もまた「お客さん」である。エンドユーザーである「住民」に社会資本を届ける前段階の一次顧客として「役所(発注者)」があるとわたしは定義している。その前提からすれば、「報告用の仕事」というのは付き物であって、必ずしも否定されるべきものではない。いや、否定したくても否定しきれない現実から脱することはできない。しかし、だからといって、「本当のお客さんにとってどうなのか」と考えることや、その実践を放棄するのは、「自利の行為が利他となり、利他の行為が自利となる」公共建設工事というわたしたちの仕事を自ら否定することにつながるのではないだろうか。

 

・・・・・・・・

 

ユニクロの社長がどんな人でどんな考えを持っているか、ということなど今日の今日まで考えもせず、柳井正という人にもまったく興味も感心もなかったわたしだが、朝からいい言葉を聞かせてもらったことにとても感謝している。そして、常にアンテナをはっておき、できるだけフィルターをかけずにものごとを見聞きすることの大切さを実感している。

まったくもって単なる偶然。

とっかかりはあきらかに「おでんの玉子」が主役だった。

そんなことは棚に上げて。

 



 

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『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』(モリナガ・ヨウ、溝渕利明)を読む

2017年12月26日 | 土木の仕事

 

モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!

モリナガ・ヨウ著

溝渕利明監修

アスペクト

 

監修者である溝渕利明さんが土木学会誌の編集委員をやっているときに、ソフトイメージで作りたいと考え、イラストで工事を紹介することにし、氏がファンであったモリナガ・ヨウさんとタッグを組んだ連載、『モリナガ・ヨウのぶらっとぉ土木現場』をまとめた本。「土木のことを何も知らないモリナガを現場に連れて行って記事を作ろう」という狙いが功を奏して、読んでいてシロウト目線がじつにたのしい。

とはいえ、ビッグプロジェクトとは縁がないわたしのような辺境の土木屋からすると、とてもとても「同じ仕事をしています」というのもおこがましいような大規模工事ばかり。そういう意味では、同業者の端くれであるわたしもまたシロウトのような気分で、「へ~」「ほ~」「は~」と驚きつつ読ませてもらった。

本の終わり(第2部『土木の基礎知識』)、『土木って何?』という稿がある。溝渕さんの手によるものだ。わたしがもっとも印象に残ったのは、「子どもの頃は見えていて、大人になると見えなくなるものというのは、たくさんあります。」というプロローグから始まる文章だ。

 

 土木の面白さは、子どもの頃皆さんが感じていたもの作りの面白さそのものであると思います。子どもの頃、小さなバケツとスコップを持って公園で砂遊びをした経験は、誰にでもあるでしょう。砂場で山を作ったり、その山の両脇から友だちと手でトンネルを掘って、貫通した瞬間に握手して喜び合ったりしたことはありませんでしたか。無理して大きなトンネルを掘ったら、せっかく作った山が崩れてしまって、がっかりしたこともあったのではないでしょうか。

 また、海水浴に行ったとき、砂浜で山を作ったり、水路を作って波がくるたびに水路の中に水が引き込まれていく様子を眺めて喜んだこともあるでしょう。がんばって大きな土手を作って、波が内側に入らないようにしたつもりでも、時間がたって潮が満ちてくると、最後は波に洗われて崩れていってしまう ー そんな様子を寂しく思いませんでしたか。

 こうした子どもの頃の遊びは、すべて土木工事なのです。それも高度な土木技術がなければできないことばかりです。

(P.98~99)

 

なぜこの部分が印象に残ったのか。

優秀な土木技術者あるいは優れた土木技能者とは、たとえていえば砂山を上手につくることができる人であり、その砂山にトンネルを上手に掘れる人である、というのがかねてよりのわたしの持論だったからだ。

たとえばこうだ。その裾野を広くすればより高く砂山をつくることはできる。だが、面積が限定された場所でより高くしようとすれば、そこにある砂では限界がある。だからそのために改良した砂を使う。あるいは砂を盛りながら地盤改良を施していく。子どもは、見よう見まね、あるいは教え教えられで、そのためには何が必要なのかを身につけていく。当然のことながら、そこでは皆が平等ではない。好奇心、向上心、探究心、素直な心持ち、本質を把握する力、はたまた段取り力、その他もろもろの多寡や有無で、たかが子どもの遊びとはいえ、技術の優劣はすぐさま表れてくる。


「あ、土木っていうのは”砂山づくり”やな、”砂山のトンネル掘り”やな。あれが土木技術の原形やな。」

いささかトウがたってからこの仕事を始めたばかりのころ、わたしはすぐにそう思った。そして、そのおもしろさとは裏腹にどちらかといえばそっち方面では人より劣っていたであろう自分自身を振りかえってみた。自分には何が不足していたか。自分には何が必要だったか。それを腹に入れて仕事をしていくことが、この世界で一人前になるために不可欠なことなのだと思った。

 

「そうだ。そうだよ。そうなんだよ。」

 

 そんな駆け出しのころを思い出しながら、くだんの文章を喜々として読んだのだ。

 

『モリナガ・ヨウの土木現場に行ってみた!』。

イラストがメインの本にあって、「もっとも印象に残ったのが巻末の文章だった」というのもなんなのだが、そこはご勘弁いただきたい。メインがおもしろかったからこそ、脇役の渋さが引き立てられたのはまちがいがないところなのだから。

 

 

 

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「愛する力」

2017年12月25日 | ちょっと考えたこと

 

NumberWeb』に、『コーチングとは”技術”ではない。スポーツに学ぶ「愛する力」の価値。』という記事が載っていた。

 

「根本的に情熱がないと。誰かのために自分の力を捧げるというか、そこにすべてをかけられるかどうかだと思います」(福見友子


「コーチって、チームの全員を好きになれるかどうかが大切なんだと思いました。いろいろな選手がいます。でもみんなを好きになれれば、チームはうまく行くんだと思うんです」(本橋麻里


(コーチに最も必要な資質とは?)

「そこにいる人間を愛する能力だ」(大西鐵之佑

 



「ただただ恥じ入るばかりです。」(宮内保人

 

 

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ちょっとわくわくしてきたぞ

2017年12月24日 | 読む・聴く・観る

『街場の天皇論』(内田樹)を読んだ。

なかに、山岡鉄舟について書いた稿がある。

以下、引用する。

 

 山岡鐵太郎は小野朝右衛門の子として天保7年(1836年)江戸に生まれた。父が飛騨郡代に任じられたため、鐵太郎も少年期を飛騨高山で過ごした。剣は井上清虎、後に千葉周作に就いて北辰一刀流に学び、書は岩佐一停に学んだ。父母が相次いで急死したあとに江戸に出て、そこで槍術を当時天下無双と謳われた山岡静山に就いて学んだ。静山は鐵太郎20歳のときに27歳で病没した。鐵太郎は師の遺族に懇請されて、静山の妹を娶り、六百石の旗本である小野家を離籍して、あえて微禄の山岡家に入った。妻となった英子は兄の弟子中抜群の器量である鐵太郎の人物を見込んで、「この人でなければ死ぬ」と言い切ったので、鐵太郎は「そんなら行こう」と快諾したと弟子小倉鉄樹の記した『おれの師匠』にはある。そういう人なのである。物事の損得や当否について判断するとき逡巡がない。人から真率に「頼む」と言われたら、事情にかかわらず「諾」と即答する。それは彼の剣風とも禅機とも通じている。(太字、宮内)

 

内田樹
東洋経済新報社

 

コロッと、本当にコロッといかれてしまった。

なんと魅力的な人物像だろう。もちろん山岡鉄舟という人を知らなかったわけではない。だが、ちょっとなんだか抱いてた印象とちがう。もっと知らねば。読了後、さっそくAmazonで「山岡鉄舟」と検索してみる。

さて、どれにしようか。

色々さまざまあるなかで、とりあえず選んだのはコレ。 

 

[新訳]鉄舟随感録 「剣禅一如」の精髄を極める
安倍正人
PHP研究所

 

さっそく読み始めた。

英子との生活について書いたくだりがある。引用する。


 六百石取りの家に生まれて、父の赴任先の飛騨・高山(岐阜県高山市)では「陣屋の若様」と呼ばれた少年時代を送った鉄舟だったが、養子入りした山岡家は貧しかった。それまでは衣食に事欠くことはなかった彼が、ぼろぼろの古蚊帳に妻の英子と包まって、抱き合って寒さをしのぐ暮らしを強いられることになった。

(略)

 赤貧洗うが如きこのような日々の中で、英子の初産になったが、彼女が横たわるべき蒲団がない。そこで、鉄舟は自分の羽織を英子に着せ掛けて、枕もとで看護をした。

 夜中に英子が目覚めると、夫はこの寒空に褌(ふんどし)ひとつの姿である。びっくりして彼女が着せられていた羽織を鉄舟に羽織らせようとすると、その手を押さえて彼は言った。

「心配するな。俺は今、裸になって寒稽古に入っているところなのだ」

 

内田さんの稿、『いつかどこかで。ヒーローたちの足跡、山岡鐵舟』に戻る。

こんなことも書いている。

 

 人間が生きるために要るのは「もの」ではない。知識でも技能でも情報でも道具でもない。風儀である。作法である。必要なものを必要なときに「はい」と取り出すことのできる力である。

 

この論に、わたしは深く同意する。

「知識」と「技能」と「情報」と「道具」とに拠って立つわが身ではあるが同意する。

いやいやそうではない。 

「知識」と「技能」と「情報」と「道具」とに拠って立つわが身だからこそ深く同意するのだ。


山岡鉄舟か・・・

なんだか少し、わくわくしてきたのである。

 

 

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Re.この道路は「商品」です

2017年12月23日 | 土木の仕事

森崎さんが『この道路は「商品」です』というブログを書いていた。

自社の現場をパトロールした際、通りがかりの他社の現場でこんな看板を見つけたのだという。

 

  『寿建設社長のブログ』より拝借

 

以下、ブログより抜粋

建設業社にとって、自分たちが作った道路はまさに「商品」である。
これが売り物なのだ。
だから油を漏らしたり、損傷させていいはずがない。
(略)
建設業に従事している人に、果たして「商品」という意識はあるのか。
これは会社によっていろいろだろう。
こうしてわざわざ掲示するくらいだから、意識がない方も少なくないのかもしれない。
(略)
少なくとも当社の従業員は「よりいいものを」という意識で仕事をしているという自負はある。


目を丸くして驚いた。

恥をさらすようだが白状すると、その日、その看板とまったく同じような指導を当社の現場で入れていたからである(もちろん「やさしく」ですよ、「やさしく」(とはいえあくまでわたし的に「やさしく」ですが))。

天の啓示と言えば大げさすぎるが、この偶然を見逃す手はない。「残念ながら」と前置きをして、社内グループウェアにブログの抜粋と看板の写真をアップして、こんなコメントを添えた。

『「わざわざ掲示している」という他社さんのほうが、注意を喚起してそれをなくそうと努力している分、わが社よりは数段上のような気がします。がんばろう!』

 

子曰く

過ちて改めざる、これを過ちという
過ちてはすなわち改むるにはばかることなかれ


肝要なのは、修正しようとする意思を心に持ち、修正できる能力を養うこと。内省する謙虚さを持ち、それを即行動につなげられるフットワークを身につけること。

あしたのために。



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「投稿した写真が大人気です!」 とGmailから知らせが届く。

2017年12月22日 | 北川村モネの庭マルモッタン


「投稿した写真が大人気です!」

とGmailから知らせが届く。

4年前、Googleマップに投稿した写真の閲覧回数が50,000回を超えたのだという。

「写真を確認」をクリックすると、こんなページにジャンプした。

 

https://goo.gl/ffb8cC

 

じつは、わたしがGoogleマップに投稿した写真には、10万閲覧回数を超えるものもある。

 

https://goo.gl/VhuYFU

 

両方ともに2013年に撮った写真だ。5万だ10万だという数字だけを見れば、「ほ~」と感心してしまうが、4年間の累計であることを思えば、多いのか少ないのか。けっして少なくはないのだろうが、ところはGoogleマップで対象となっているのが「モネの庭」だ。「スゴい!」とビックリするほどのことでもないのかもしれない。

「じゃあことさら取り上げる必要はないじゃないか」

と言われれば、まったくもっておっしゃるとおりなのだが、そこはそれ、これもまたわたしが勝手に担っているコマーシャルの一環になるのだということに気づいたからである。Googleマップに庭の画像を投稿する。それもまた、わたしが「モネの庭」のためにできることのひとつとしてアリなのだ。そんなこと、アップしたときにはたぶん考えてなかった。


ということで、1週間ほど前、20枚ほどの写真をまとめて投稿してみた。

今日見てみると、なかには既に400回を超えて閲覧されている画像もある。

シーズンオフの時季にこの程度、ということは、2018シーズンに入ればさらに多くが期待できる。

ということで、「よし、来春からはGoogleさんにもボチボチ投稿していこうぞ」と軽く心に誓う。


ところで、「投稿した写真が大人気です!」というGmailからの知らせ、末尾に「脱帽です!」と記されていた。

その言葉が、やけに生ナマしく感じるのはわたしだけだろうか?

 

 

 

 

いやいや、けっしてこのオチを書きたかっただけではゴザイマセン。




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