答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「まだまだこれから私発展途上人、鈍行列車はゆるゆると進みます。」(若竹千佐子)

2018年01月23日 | ちょっと考えたこと

えぇ、芥川賞受賞などという晴れがましきことが私の人生途上にあるなどとはおそらく神様さえもご存じない、ただただ感涙にむせんでいるのであります。

 

という書き出しで始まる小文が今朝の高知新聞に載っていた。書き手は「おらおらでひとりいぐも」で第158回芥川賞を受賞した若竹千佐子さん。その文章の締めくくりはこうだ。

 

まだまだこれから私発展途上人、鈍行列車はゆるゆると進みます。

 

わたしもまた、これに類するようなことをよく口にする人だ。以前からそうだったが、近ごろとみに多くなった。他人さまにそれを宣言するについては、ともすれば居着いてしまおうとしがちな自分自身に対する戒めとしての意味もあるが、心の底から本気で「発展途上人」だと思っている。

ところがコレ、使いようによってはとても危険な表現であると最近思い始めた。

人は、その人自身が好むと好まざるとにかかわらず、置かれている立場というものがある。その人が立派だとか優れているとか偉いとか、そんなこととはまったく関係なしに「置かれている立場」はある。ある程度の年齢になればなおさらのこと、ある。その「立場」を顧みたとき、「オレいつまでも発展途上人だもんネ」などという態度をとるのは、自意識の部分ではともかく、他者、特に若い人との関係性を考えると傍迷惑でしかない場合も多々あるからだ。

ある程度の齢(よわい)を重ねた人間は、落ち着かなければならない。それが大人というものだ。いくつになってもいつまでも、何かを探し求めているような「落ち着きの無さ」は正しいオジさんが身にまとうべきものではない。「発展途上人」という言葉の響きと、それを発する人間の心情のどこかにその「落ち着きの無さ」をわたしが感じるのは、多分にふらふらとして落ち着かないわが性分のせいだろうが、そればかりでもないだろう。

そこへいくと若竹さんが発する「私発展途上人」という言葉は悪くない。そのあとにつづく「鈍行列車はゆるゆると進みます」という言葉が、ふらふらとなりがちな「発展途上人」の印象をどしっと落ち着かせているのだ。そして、それを読むわたしとて齢(よわい)60、いい年をしたオジさんだもの、「落ち着き」がなければならない。これからも「居着く」ことは厳に戒めていくべきだが、「落ち着き」はなければならない。

残された仕事人としての時間に想いを馳せると、ともすれば時間が少ないと焦りがちになり、なんだか落ち着かないことの多いここ数年のわたしだが、近ごろ、そうとばかりも言えないような気がしてきた。どう計算してもたっぷりあるとはいえないが、考えようによっては、それほど少なくはないような気もしてきたのである。

そんなとき目に飛び込んできたのがこのくだり。

 

まだまだこれから私発展途上人、鈍行列車はゆるゆると進みます。

 

わたしの場合、基本的なスタンスとして鈍行列車で行く気はないが、ときにはこんな心持ちも必要なんだろうな、と思いつつ若竹千佐子さんの小文を読んだ朝。




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