答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

思うところあり

2018年11月15日 | 土木の仕事

 

一般社団法人空知建設業協会主催の「地域創生フォーラム」に参加していた桃知さんが、建設戦士ツクルンダーについて書いていた。

近ごろ思うところあって色々さまざまと思考を巡らせているわたしの「思うところ」とピタリと符号が合ったので紹介したい。

ま、「思うところあって」「思考を巡らせている」といえば、なにも近ごろに限ったことではなく、一年三百六十五日いつもいつでもといえばそうなのだが、きのう考えていたわたしの「思うところ」に今日の桃知師匠のテクストが重なった。ということで、掟破りの全文転載。

 

・・・・・・・・・・・・・

『モモログ4』(2018年11月15日)より


建設戦士ツクルンダー

午前4時20分起床。浅草は晴れ。今回の「域創生フォーラムⅩⅢ」で驚かされたことの一つに「戦隊者のキャラクター」がいたのだ。その名は「建設戦士ツクルンダー」という。これは空知建協のオリジナルマスコットであり、「戦隊者のキャラクター」というようりも、所謂「ゆるキャラ」と云ってよいだろう。

式典が始まる前に「建設戦士ツクルンダー」の「ビデオ」が流れていた。そうちゃんと「動画」があるのだ。やるな、と思う。

こういう発想は年寄りには出来きるものじゃない。やっぱり若い人達でなければだめなのだ(たぶん)。年寄りのやることは、若い人達のやりたいことを邪魔しないことと確りやらせてあげることだろう。そう、空知建協には「葉月会」がある。この「ビデオ」でも、作詞、作曲、編曲、演奏、ボーカル等全てを「葉月会」を中心としたメンバー行ったと聞いた。

それも思い切り手造り感を漂わせているわけで、なかなかいいものを作ったなと(腹の中で)笑っていた。

空知でも建設業は担い手不足である。特に地場の中小建設業ではその思いは強いだろう。若い人達が欲しいのは何処も同じなのだ。そんな中、建設業について関心を持ってもらうきっかけとしてこの「ビデオ」がある(だから見る必要がある)。安全安心な街を作るために建設業は必要だ。日々の安全安心な暮らし、幸せのために欠かせないのも建設業である。そんなことを今更ながらに思うのだ。

・・・・・・・・・・・・・

 

 

建設戦士ツクルンダー

 

 

さて、このテクストのどこが近ごろのわたしの「思うところ」とピタリ符号が合ったのか。

今日は明かさない。

と、もったいをつけようかとも考えたが、それではあまりにも卑怯千万。どちらに転んでも他人の褌で相撲を取ることに変わりはないにしても、せめてどこに同意したかの表明だけはしておかなければならない。

もいちど戻る。

さて、このテクストのどこが近ごろのわたしの「思うところ」とピタリ符号が合ったのか。

締めの部分だろうか。

もちろん、この締めくくりには深く同意するわたしだが、近ごろの「思うところ」とはそこではない。

 

こういう発想は年寄りには出来きるものじゃない。やっぱり若い人達でなければだめなのだ(たぶん)。年寄りのやることは、若い人達のやりたいことを邪魔しないことと確りやらせてあげることだろう。

 

ここである。

もちろん、だからといって「オイライチ抜けた」と高速道路を降りるつもりはないし、眼の前の大渋滞にひるんで踵を返して逃げ出すことなどはしないしするつもりもないが、少なくとも、自分の発想の古臭さに思いを至らせ(悪いとは思ってないが古いとは思う)、「年寄りの発想」であることを認識(悪いと卑下はしなくてもよいが、古いと自覚はしなければならない)する必要はある。そのうえで、「若い人たちのやりたいこと」を邪魔せずにしっかりやらせてあげることと、ときには相当な力技を駆使してでも若い人たちのスキルやレベルを引っぱり上げてやることとが共存できればよいがな。

それが、近ごろわたしが「思うところ」(ちょうどきのうも思っていたこと)だ。

かつてのわたしなら「引かない」のはたやすい。今のわたしなら「引く」のも出来そうだ。しかし、「引く」と「引かない」の狭間でゆらぎながら平衡を保ち着地点を見つける手法を選択した今となっては、どちらかに偏ることは、それがどちらであっても困難だ。どちらにも偏向せず、後退させずに前進するのはさらに難しいたとえ漸進でよいのだと言い聞かせてはみても)

そんなこんなやアレヤコレヤに ♪ どうすりゃいいのさ思案橋 ♪ 。そんな「思うところ」の日常で、”建設戦士ツクルンダー”について書いた桃知さんのテクストを読んで得たりと膝を打った。

たとえていえば、海と空との青以外の何もないなかをひとり漂流していたら、そこに島があった。そんな心持ちだといえば少々大げさか(大げさです)。

それが、「掟破りの全文転載」の理由(わけ)である。

 

 

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そういえば、、、と久しぶりに会った”とある読者さん”がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

ということで、長いあいだお付き合いいただいている”とある読者さん”に敬意を表してしばしのあいだ復活。

 

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ザ・現場監督

2018年11月12日 | 土木の仕事

『施工の神様』にアノ大﨑真補(おおさきしんすけ)さんが登場。

わたしが十年来唱えつづけてきた「現場からの情報発信」を身をもって実践してきた先達である。

 

今回のインタビュー記事はコチラ

↓↓

現場監督の魅力は「ものづくり」に尽きる!土木一筋40年のベテランが語る

 

 

それほど親しいわけでもなく、何度か軽い会話を交わしたことがあるという程度の知り合いだが、ここは勝手に「しんすけさん」と呼ばせていただく。

そのしんすけさん曰く、

土木の現場では、学力は中学生レベルで十分です。必要なのは応用力、機転がきくかどうかです。それとコミュニケーション能力。例えば、おんちゃんとバカ話ができる能力です。

またたとえば曰く、

ボク自身、現場のみんなが手待ちにならず、スムーズに仕事ができる工程環境と「ちょっとでも良いものをつくろう」という気持ちになるような「やる気の生まれる職場環境・人間関係づくり」を常に心がけています。

ザ・現場監督とでも表現したくなるような人である。

特筆したいのは記事中で紹介されている、しんすけさんが駆け出しのころつけていた絵日記。それがやたらとおもしろい。「ああね、だからこそ今があるんだ」とうなりつつ感心しきりのかくいうわたしも、絵日記とまではいかないし、あそこまで緻密ではないものの、土木屋見習いをはじめた当初には、彼同様に、あったこと教えてもらったこと気がついたことなどなどを絵入りで野帳に記録していたことがある。実行するしないは、多分に性格的なものが左右する部分があるだろうが、若い技術屋さん(がこれを読んでいればの話だが)たちには特にオススメしたい手法である。

実物はこれ

と紹介しようと考えたが、そしてそれは、Webでオープンにされているものなので非公開であるはずはないのだろうが、作成者のしんすけさんと、それを掲載しようと思いついたライターの大石さんに敬意を表し、実物はぜひサイトを訪れて、という紹介にとどめ置きたい。


『施工の神様』2018.11.08(インタビュー・記事:大石恭正)

現場監督の魅力は「ものづくり」に尽きる!土木一筋40年のベテランが語る


ザ・現場監督。

おもしろいよ。


 

 

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そういえば、、、と久しぶりにあったある読者がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

  

ということで、しばしのあいだ復活。

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「新3K」大いに結構、だけど今必要なことは、 正々堂々と「3K」を唱い、その上で誇れる産業にしていくことだと思う。( by ヒゲブチョー)

2018年10月31日 | 土木の仕事

杜の都から渾身の一稿が放たれた。

シンプルで修辞を凝らさない文章から想いがストレートに伝わってくる。

ズドンと受けとめたわたしは、その剛球にひっくり返りそうになりながら盟友のヒゲヅラを思い浮かべ、

「ええやないの」

とほくそ笑んだ。

以下、『テンよし、ナカよし、シマイよし!(2018.10.30)』より転載する。

 

・・・・・・・・・・・・・

(前略)

「新3K」とは即ち、「給料、休暇、希望」

建設業の魅力を高めて、就業者数を増やそうと考えられたスローガンである。

裏を返せば、いまの建設業は・・・・ということ。

はて?

こんなスローガンを掲げている業界に、若者は入りたいと思うのだろうか? 

遡ること約30年、

ワタシが建設業界に足を踏み入れたのは、バブルがはじける前の平成2年のこと。

(中略)

いっぽうで、当時建設業は「3K」産業と言われていた。

「3K」とは即ち、キケン、キツイ、キタナイの三拍子(?)揃った職業のこと。

最初の現場がシールド工事、毎日泥(ズリ)にまみれていたため、まさに「3K」ど真ん中!

しかし負い目や引け目は、微塵も感じてはいなかった。

・・・あれから30年、この業界は何か変わったのだろうか?

(中略)

そう、何年経とうとも3Kは3K、建設業とは本来そう言うものなのだ。

そういったところで日々、命を張って仕事をしているのだ。

「新3K」大いに結構、だけど今必要なことは、

正々堂々と「3K」を唱い、その上で誇れる産業にしていくことだと思う。

(後略)

・・・・・・・・・・・・・


ついでに、これに呼応したこれもわが盟友アミーゴはしべの、これまたケレン味がなくて小気味よい感想も紹介したい。

いわく、

「 ”きつい・きたない・きけん” だからこそ、ここに働く意味の本質があるのです。」


北と南、両者の意見に、高知県安芸郡北川村在住「辺境の土木屋」がハゲしくうなずいたのは言うまでもない。

 

 

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インフラメンテナンス写真展IN仙台

2018年10月24日 | 土木の仕事

7月末に福島市内で開催され大好評を博した(らしい)「インフラメンテナンス写真展」。わたしも招待を受けていたのだが、どうにも都合がつかず出席を断念。風のうわさによれば、写真を撮った山崎エリナさん(→オフィシャルサイトはこちら)が建設業関連のイベントに招かれるなどその余波はつづいているという。

先週末、それと同じ内容の写真展を「今度は杜の都仙台で開くぞ」との案内が主催者さんから届いた。

 

【インフラメンテナンス写真展IN仙台】

日時:平成30年10月22日(月)~11月16日(金)

   9:00~17:00(土日は休み、11月1日のみ14時まで)

会場:株式会社小野組東北支店 和合館ギャラリー

   仙台市青葉区柏木1-2-45 フォレスト仙台5F

主催:寿建設株式会社

   株式会社小野組

協力:インフラメンテナンス国民会議

   株式会社第一印刷

   山崎エリナ写真事務所

 

 

あゝ、今回もまた行けないのだよ・・・

切歯扼腕しつつ北東の方角をあおぐわたしの脳内に二葉百合子の歌声が鳴り響く。

 

♪ 港の名前は舞鶴なのに

  何故飛んできてはくれぬのじゃ ♪

と思えば今度は「五つの赤い風船」だ。

♪ この大空に翼を広げ

  飛んでいきたいな ♪

 

福島市で開催された折には、展示された山崎エリナさんの写真に涙を流して感激する参観者がたくさんいたという「インフラメンテナンス写真展」。遠くから足を運ぶ労をかけても一見の価値ありと、見たこともないくせしてわたしは確信している。

御用とお急ぎでない方は、いや、御用やお急ぎがある方も、ぜひ。

南国土佐の高知より、盛会を祈る。



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10月19日は「ゆうこさん」記念日

2018年10月20日 | 土木の仕事

きのう、10月19日は「ゆうこさん」記念日。「ゆうこさん」については何度も書いてきたし繰り返し話してきたのでご存知のかたも多いだろうが、せっかくの記念日だもの、4年半前の拙稿を引っ張り出して再確認しておくこととする。

いささか長いが、御用とお急ぎでない方はおつき合い願いたい。

 

……………………………

ゆうこさんを探せ』(2014.03.16)

 

 

今回の新潟遠征。私に与えられた時間は、14・15日の両日とも各90分。毎度のことではあるがスライドを少しくマイナーチェンジしてみた。

その目玉は、ゆうこさんを探せ。そこから、「沈黙の螺旋」を逆に回そうではないか、という企てである。

 

感謝(ゆうこ)ー2011.10.19

 北川村道路工事、本当にありがとうございました。

 仕事とはいえ、過酷な作業、残酷な雨・・・ほんとに大変だったと思います。

 (中略)

 北川村のじいじとばあば達は、皆さんのこと拝んでますよ。

 その子供の私たちも・・・ありがとうございます。


何度か紹介しているのでご存知の方も多いと思うが、2011年10月19日、国道493号の応急復旧完成時に、当ブログにいただいたこのコメント。「ゆうこさん」とはコメントの主さんの名前である。そして「沈黙の螺旋」とはノエル・ノイマンが提唱した次のような理論のことを言う。

 

マスメディアを通じ、個人が多数派と認識する世論が形成され、そのような世論が同調への圧力を持つという理論。

人々は自分の意見が世の中で多数派か少数派かを判断する直接的統計能力を持ち、

少数派だと思う人々は孤立を恐れて沈黙を保ちたがる。

そのため多数派の声が、螺旋が収束するようにますます増大するというものである。

(Weblio辞書より)


現代日本でこの理論がピタリと当てはまるのが、公共事業悪玉論とそれを取り巻く情況である。藤井聡さんは、その著書『強靭化の思想』(扶桑社)でこう書いている。


世論と呼ばれるものは、人々の冷静な意見の集積というよりはむしろ、こうした「こわばった風潮」にしか過ぎない、と考えるのが沈黙の螺旋理論である。(P.101)

伝統に裏打ちされた良識を携えた庶民が残されていることを信じ、彼らに向かって正当な論理を発言し続けること以外に、沈黙の螺旋を逆に回す術はない(P.104)

 

「ゆうこさん」を探すために、私たちがしなくてはいけないことは情報を発信すること。具体的に言うとそれはデジタルとアナログの双方を使った情報発信、つまりWebと生身との両面作戦である。

情報を発信しなければ、(たぶん)日本全国どこにでもいるはずの「ゆうこさん」は、その姿を表わすことすらなく沈黙するしかない。そのため、私たち公共建設産業の構成員一人ひとりは、それぞれの持ち場でそれぞれの「ゆうこさん」を掘り起こす必要性がある。何より自らの存在価値をつくりだす、あるいは再構築するために、それが求められるのである。

そうは言いつつかといって、沈黙の螺旋を逆に回すなどという大それたことを成すには、私はちっぽけな存在に過ぎないし、私(たち)が置かれている情況を考えれば、あまりにも悠長な話しに過ぎるのかもしれない。だとしても私は、「ゆうこさんを探せ」というメッセージを、送りつづけたいと思う。そして、それを見聞きしたなかに「このメッセージはオレ(アタシ)に向けて発信された?」と感じた奇特な方がいたとしたら、こう告げたい。

それは単なる勘違いではなく、自覚という名の勘違いである。

大いに「勘違い」してアクションを起こしてほしい。

そして、あなたの周りの人に、勧めてみてほしい。

キーワードは、「ゆうこさんを探せ」である。

…………………………


………………………… 

(現場人的)情報発信のすすめ』(2014.03.17) 

 


情報を発信せよ。

今回の遠征もまたいつものように、それが私の大きなテーマだった。何ゆえそれが必要なのか、ということについては、きのう「ゆうこさんを探せ」で書いたとおりだし、折にふれて繰り返し、口に出しかつ書いてきた。とはいえ、たとえば「沈黙の螺旋を逆に回す」などと大上段に構えてしまうことに若干の気恥ずかしさや戸惑いがないこともない。そしてそうすることで、「そりゃあたしかにそうかもしれませんがね」と、私が勝手に同じ地平に立っていると思い込んでいる人たちから敬遠されそうな気がしないでもない。もちろん、だとしても続けないという選択肢があるはずもなく、そこは単に私個人の気分的なものにしか過ぎない。

いささか回りくどい。じつは、それほど大それてはない別の理由があった。そのことを書いてみようと思う。もやもやとして言語化できず(ちゃんと向きあおうとしていなかっただけ、かもしれない)、たぶん誰にも言ってなかったそのことが、今回の雪国行でやっと形をなしてきた。そろそろ陽の目を見せてやることにしたい。

現場の人間が現場のことを現場から発信する。

それこそが、すなわち情報発信なのである。うん、ここまでは繰り返し書いてきたことだ。では、「ゆうこさんを探す」こと以外に、何ゆえそれが必要なのか。誰であれ彼であれ現場にリスペクトを持たない人間が、君やアナタや私の現場のことを、ああでもないこうでもないと論評するのを看過する日々に、そろそろクサビを打ち込みましょうや、と私は言いたいのである。

現場の人間(たる自分)が(自分の)現場のことを(生身の自分が存在する)現場から発信する。

「工事だより」にしても「現場情報ブログ」にしても「完成検査プレゼンテーション」にしても、結局は、やってきたことやろうとしたことを伝える場所であり、その想いを発露する場所であり、その反復訓練の場所なのである。自ら物語を紡ぐ。

と言えばエエカッコしいが過ぎるのかもしれないし、「物語を紡ぐ」が「虚構をつくる」につながるのだとしたら、それは私の本意ではない。だが私はそれでもあえて、「自らの物語」を紡いでみましょうやと言う。なぜか。

現場の人間(たる自分)にも、(生身の自分が存在する)現場にも、そこに関わった人間の数だけの物語がある。

たしかに、「物語を紡ぐ」ことなど誰でも彼でもが出来得ることではない。「あなたのような発信できる人がオレたちの想いを伝えてくださいよ」と何年か前に私に訴えた北の国のベテラン技術者の気持ちは、痛いほどわかる。そして、それを受けて私がその任にあたるのやぶさかではない。だが、自ら語らないものは好き勝手に解釈されてもしかたがない、のが今という時代の基本であることを忘れてはならない。

 

「おぼんのような世界」は自ら情報を発信(物語=プレゼンテーション)できないことで、好き勝手に解釈されている。つまり自ら情報を発信しない限り「なんだかわからないもの」は「なんだかわからないもの」のままなのであり、それは好き勝手に解釈されるものでしかないのである。(『桃知利男の浅草的ブログ』より)

http://www.momoti.com/blog2/2008/06/post_251.php

 
 
という桃知さんの言葉を、繰り返し引用してきた私はこれを、桃知さんの教えどおり(面向かってご教示いただいたことは一度もないが ^_^;)公共建設工事という業界の構成員に対して使ってきた。そしてこれからもたぶん使っていくのだろうが、これからは対象をさらに限定し、この受け売りのメッセージを発していきたいと思っている。

つまりそれは、 

現場の人間(たる自分)が(自分の)現場のことを(生身の自分が存在する)現場から発信しない限り、それは好き勝手に解釈されるものでしかないのである。 

という言い換えで、対象を現場に生きるアナタや君や彼や彼女に限定することで「(現場人的)情報発信のすすめ」という私からのメッセージである。

そのメッセージを受けたアナタがもし、「そんな余計なものを」と拒絶してしまうのだとしたら、アナタや君や彼や彼女の「現場」が浮かばれないではないか。何より、現場を語れない(あるいは現場を語る言葉を持たない)ことが、現場に対するリスペクトを持たずして公共建設業の周辺で利益を上げようとする人たちのなすがままになっているかもしれない現実の、ひとつの要因だとしたら、

現場の人間(たる自分)が(自分の)現場のことを(生身の自分が存在する)現場から発信する

ことを行わずに他責の念をのみ抱いて日々の業務をこなしていくのに汲々とすることが、よかろうはずはないのである。




 

公共建設工事の情報発信については、何より経営者が、そしてたとえば建設業協会が、もっとも真剣かつ戦略的に考えなければならないことだと常々私は思っているし、切にそれを願っている。だが、だからといって、一人ひとりの現場の人がそれをやらない理由にはならないし、経営者や建設業協会が動かないからという事実は、現場人が情報発信をしないことの免罪符とはなり得ない。拠って立つ現場があるくせに語る現場がない、または、現場に拠って立つ自分がいるくせして現場を語れない、そういう現場人の不幸にそろそろ気づいてほしいのである。

だから、皆んなが何気なしにいつも通る道や渡る橋は、オレやあたしがこうしてああしてつくったのだと、そう発信してほしい。たとえ発信したとして、受信者側の思い込みで如何ようにも解釈され得ることではあるだろう。しかし、「男は黙ってサッポロビール」とカッコつけて沈黙する前に、「誰もわかっちゃくれねえか〜♪」と焼酎をあおってくだを巻くまえに、せめて、自らが拠って立つところの現場を「好き勝手に解釈され」ないためのアクションは起こすべきである。

そうでなければ、アナタや君や彼や彼女の、何より私の「現場」に申し訳ないではないか。

(いろいろ難しいことがあるのは承知のうえ、ですけどネ ^_-)

…………………………
 
 
「風向きは変わった」あるいは、「我々を取り巻く状況は好転した」と言う人は少なくない。そんななかで、4年半前の拙稿のような言説は意味をなさないだろうか。わたしは、じゅうぶん意味深いと思っている。本質的な状況は何も変わってないどころか、やれアイコンストラクションだなんだと上すべりの空気に覆われてきた分、むしろそれが隠れてきたような気がするからだ。それゆえに、せっかくの「ゆうこさん」記念日だもの、加筆修正のうえ再掲した。何より、自らに喝を入れるのが第一の目的ではあったのだけれど。
  
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対話

2018年10月03日 | 土木の仕事

帰宅するなりため息をついたわたしに、

「なかなか思いどおりにはならんな」

と別のわたしが話しかけてきた。

「いやいや」

とかぶりをふって答えるわたし。

「思いどおりになることもあるし、思いどおりにならんこともある。悪いことばっかりじゃない」

「・・・・・・」

「けど、肝心なところで思いどおりにならん」

「ほら、思いどおりになってないということじゃないか」

「思いどおりの”思い”というのは自分が思うところの”思い”であって、とすると、そうそう思いどおりにならんのがあたり前や」

「じゃあ嘆くなよ」

「それでも・・・」

「なによ」

「ドカタっていうやつは、思いどおりにならない最たるもの(地球や自然)を、思いどおりにはならないことをわかったうえで思いどおりにしたがるもんよ」

「因果な商売やなあ」

「うん、因果な商売や」

「で、たいていは負けいくさとなる」

「うん、で、たまに勝つ」

「そりゃ局地戦ではね」

「人間なんぞちっぽけなもんや。それでじゅうぶん」

「うんうんそれでいい。がんばれよ」

 

という言葉を最後にして、モノローグともダイアローグともつかないいっときの会話が終わった。

「オマエもな」

あばら家の頭上斜め60度あたりに向かって声をかける辺境の土木屋。

 

 

 

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その後の「切実な思い」

2018年09月13日 | 土木の仕事

ライターの大石さんから「例の記事、掲載されました。」というメッセージが届く。載ったメディアは『施工の神様』。さっそく、教えてもらったアドレスをのぞいてみたら、こんなタイトルが目に飛び込んできた。


俺ら点数取りたいんですわ!」「よっしゃ、教えましょう!」県境を越えた建設会社の不思議な関係



あいかわらずキャッチーなタイトルやなあ(悪い意味で)、と気恥ずかしくなったが、いい記事だ。紹介する。

記事中、こんな箇所がある。わたしと高木建設さんとの出会いを描いた文章だ。


・・・・・・・・・

ついに礒部組にたどり着いた高木軍団一行。重苦しい緊張感に包まれていた。「とにかく緊張していた」(高木社長)。そんな高木軍団に対する宮内部長の第一印象は「こいつら、ギラギラしちゅう(笑)」。その緊迫した感じにむしろ好感を持ったと言う。県外から訪ねてくる同業者はこれまでにも何社かあった。はるばる来ているのにもかかわらず、「エイカッコ」する人間が多かったからだ。高木軍団の醸し出す正直さと覚悟に心を打たれたことが、宮内部長の心を動かした。

・・・・・・・・・


このことについては、実名は伏せてだが、『切実な思い』と題して当ブログで書いたことがある。こんなふうにだ。


・・・・・・・・・

(『切実な思い』2018.06.25)

20日ほど前、県外からお客さんが来た。初見の方たちではない。あちら側が来社するのは3度目で、1回だけだが、こちらから訪問をしたこともある。行ったり来たりの始まりは、あちらさん側のアクションからだった。1年半ほど前のことだ。

とあるところでわたしの話を聴いたという若い経営者さんが、「これが僕らの目指す方向だと確信した」という。それから半年後、つてを頼って訪ねてきてくれた。

ただでさえ熱量が他人さまより少しばかり多いわたしだもの、そんな熱い想いを告白されてうれしくないはずがない。「三方良しの公共事業」の真髄を伝授して差しあげようと、肩肘張って待ち構えたが、先方さんのリクエストは「どうすれば工事成績がアップできるか」、ひらたく言えば「工事評定点をあげる方法を教えてくれ」だった。

「そっちかよ」

そのストレート過ぎる要望に、心中思わず腰砕けになったわたしだったが、それも一瞬のこと。すぐに思い直し、わたしが伝えられることはでき得る限り伝えることにした。「そんな入り口があってもいい」からだ。はじめの一歩は各人各様。なんとなれば、今でこそエラそうに理念を説くわたしにしてからが、スタートはまぎれもなく「点数アップ」だったのだし、今でも、公共建設工事を生業とする地場建設業の番頭たるわたしにとってそれは、相変わらず至上命令のひとつとしてある。

二つ返事で引き受けたもうひとつの理由は、彼らが発散させていた「切実さ」だ。「切実な思い」は人を動かす。渡る世間は生易しいものではなく、多くの場合、「思い」だけで人は動かないのが現実だとはいえ、ときとして「切実な思い」が人を動かす。わたしのようなおせっかい者ならなおさらだ。

この10年のあいだ、「何かをつかもう」とこの地を訪れてくれた人々はたくさんいる。袖触れ合うも他生の縁、でき得る限りオープンな態度で接してきたつもりだ。なんとなれば、かつてのわたし(たち)がそうやって、厚かましくも他人さまのところへ押しかけては何かを学びとり、それを自らの環境向けに翻訳し土着化を図るという行為を繰り返してきたのだもの(もちろん現在進行形です)、わざわざ赴いてくれる他人さまを邪険に扱うことなどできるはずがない。

だとしてもだ。

こちらが披瀝する情報量とそれを伝えるときの熱量は、まことに申しわけないが、相手によってそれ相応に変化してしまう。そうなる要因は何か。「切実さ」は、そのなかでも大きなひとつだ。「困っている」という現実を赤裸々に吐露できる開き直り、「何とかしたい」という身を焦がすような願望、そして「わからないけどやる」「何とかするのだ」という覚悟。それらをごちゃまぜにした「切実な思い」が人を動かす。余人はいざ知らず。少なくともわたしは、その思いに動かされる類の人間だ。

・・・・・・・・・


この文章とセットで大石さんが書いた『施工の神様』の記事を読んでもらうと、なおおもしろい。と、まことに手前味噌ながらそう思った。

えーい、毒くらわば皿までだ。ということで『施工の神様』に3度目の登場、御用とお急ぎでない方はぜひ、ご笑覧あれ。




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BROTHER  〜 『技術屋の本分』

2018年09月12日 | 土木の仕事

北の大地で生まれ育ち杜の都で暮らす土木技術者ヒゲブチョーは、もちろんのこと東日本大震災とその後を当事者として体験し、平成30年北海道胆振東部地震を他人事としてではなく体感している。

その彼は、北海道で今後進むであろう復旧の計画や施工にあたって、東日本大震災とその後を体験した土木技術者として、もっとも重要だと考えるのは「真の意味での合意形成」だと言う。

以下、ヒゲブチョーのブログからの引用。

 

・・・・・・・・・・・

それは、スピード至上や一方的に結論ありきの説明会などで得るものではなく。

行政と住民が、膝を突き合わせて意見を交わす行為から生まれるものと考える。

そして、我々技術者に求められるのは、専門分野に固執せず、現場を歩き、

双方の思い、地域の文化や歴史を踏まえた上で、”技術”でそれに応える事だと思う。

・・・・・・・・・・・

 

わが盟友ヒゲブチョーいわく、「これが技術屋の本分」。

その心意気やよし。

「そのじつヘタレなのでございますが」と自身を揶揄する彼に竹原ピストルのこの歌を贈る。

 

♪ BROTHER 肩を組んで歩こうぜ

ほどけてしまわないように

そして BROTHER 教えてやろうぜ

ヘタレにしか歌えない

応援歌があるってことを ♪

(竹原ピストル『BROTHER』より)


おのれのヘタレっぷりと現実の困難さを十分に認識しつつの言ゆえにそれは尊いと、まちがいなく彼以上のヘタレであるわたしは思う。

ヒゲブチョーのブログ『テンよしナカよしシマイよし』より『技術屋の本分』、土木技術者のみならず、少しでも多くの人の目に届けと、

拡散

なのである。

→ https://ameblo.jp/higecivilpe/entry-12404064620.html




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Aさん

2018年09月11日 | 土木の仕事

日曜日、わたしは休みをもらったが、緊急工事現場は稼働中。

「写真を送ったんでちょっと見てもらえませんか?」

小崩落発生の報が画像データとともにスマホに送られてきた。

現状を聴き、「とりあえずどうするのか」と訊ねたら、悪天候でもありいったん作業を中止して、「またあした仕切り直す」と言う。「それがいい、そうしよう」と返事をして電話を切った翌日、本社でデスクワーク中、また画像データとともに崩落の報。

「で、どうする?」

「・・・ってみます」

「それでいこう。たのむわ」

とりあえず結論が出たと思うまもなく、また一報。今度は電話のみだ。

「ちょっと見に来れませんか?」

「よっしゃ了解」

40分ほどクルマを走らせ、そこから徒歩で約20分、山の上の現場へとたどり着く。あがった息を悟られないよう、皆の前に出るまでしばし休憩。息をととのえ、涼しい顔をして現状を確認する。

「こりゃチト厄介だな」

内心そう思ったが、こんなときに感情をたかぶらせてみてもよいことは何もない。感情を落ち着かせ、善後策を考え、

「・・・ってみないか?」

数人としばしやり取りをしたあと、

「ところで・・・」

とおもむろに問いかけてみた。

「こんなとき、Aさんだったらどうしたと思う?」

今は亡きAさんはわが社のレジェンド。誰が呼んだか「ゴッド・オブ・ドカタ」。特に、この手の仕事となれば、他の追随を許さなかった。幾多の修羅場をいっしょにくぐらせてもらいさまざまなことを身をもってレクチャーしてくれた師匠だ。このとき現場にいたメンバーのうち、彼の現役時代を知っているのは2名。その両名ともが口をそろえて、

「やっぱり、・・・ってみたでしょうね」と返答する。

「笑って?」

とわたしが問い返すと、

「そうそう」

と一同顔を見合わせ、往時を思い浮かべて大笑い。

「よし、・・・ってみよう。今日はとりあえず中止してあしたからの準備や」


一夜明けた今朝、『寿建設社長のブログ』にこんな言葉が載っているのを発見。

・・・・・・・・・・・・・

「道路は安全で、雪が降っても除雪されているのが当たり前だと思っていた。どこかの誰かがつくり、補修してくれていることは何となくわかっていたが、実際にどのように陰で支えてくれているかということは想像もつかなかった。
(略)
 どの現場でも、1つとして欠かせない大事な作業を怠ることなく、しっかり向き合っている。体力、精神力、頭脳のすべてが必要な仕事だと思う。」

・・・・・・・・・・・・・ 

当ブログでも何度か紹介した写真家山崎エリナさんが日刊建設通信新聞のインタビューに応えて、建設業について語ったものだ。→ 『【アウトサイドeyes】業界外の人たちにはどう見える? 写真家・山崎 エリナさんから

読むなり思わず笑顔があふれてきたわたし。

そういえば・・・今回のような場面に遭遇した場合、数年前までなら、必要以上に肩にチカラを入れ、いたずらにヒロイックになり、むやみに悲愴感を漂わせ、事にあたっていたわたしだった。それでは、「体力、精神力、頭脳」をフル動員させることはできないにもかかわらず。ヘタをするとそれがカッコいいと考えていた気配すらある。

それに比べ、Aさんはちがった。思い起こせば、Aさんが悲愴感を漂わせているのを見たことがない。それは、ことが大ごとになっても修羅場になっても変わることがなかった。当時、周りの皆が彼に寄せた信頼、その第一は実績と能力に対するものだったのだろうが、その信頼の根源は、あのポジティブな言動と構え、そしてそれを端的にあらわす「笑顔」にあったのだと、わたし自身の齢(よわい)が耳順(じじゅん)を過ぎた今、そう思う。

今も、これから先も、ことドカタに関することであれば、彼の技能と技術には足元もおよばないヘタレなわたしだが、さあ、「体力(には?がつくが、そこは若い衆に補ってもらうとして)、精神力、頭脳」(プラス「経験と勘」)をフル動員させ、笑顔でたたかってみるとしよう。

でわ (^_^) 




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ノズルマンふたたび

2018年09月05日 | 土木の仕事

 

『施工の神様』の聞き書きにいつも仕事を手伝ってもらっているサクセス工業さんが登場。インタビューを受けたのは篠崎さんと前田さん、わたしも何度かいっしょに仕事をしたことがある人たちだ。

→『法面工事30年のベテランが語る「法面作業の魅力」とは?

特に、前田さんのような法面工にスポットライトを当ててもらったことは、幾度も同じ現場に身を置いたものとして、とてもうれしくありがたい。

 

 

 

↑ この画像は、平成26年度高知県優良建設工事施工者表彰発表会でわたしが事例発表をしたときの冒頭スライド。

当日、『ノズルマン』と題したブログでその理由(わけ)を書いた。

あらためて再掲する。

 

・・・・・・・・・・・・

本日、1月14日は、平成26年度高知県優良建設工事施工者表彰発表会。

あらためて案内となるリーフレットを見てみると、

本年度の高知県優良建設工事施工者表彰において、「高知県知事賞」を受賞された企業の技術者の方が、将来の建設業を担う若い方々に建設業の魅力や興味をもってもらうことを目的に現場技術者としての模範となる取り組み事例を紹介します。

と書かれていて、「模範にはならんやろけど・・・」とボウズ頭を掻く朝、今一度PPTを見直してプレゼンの練習をしてみる。

そのプレゼンスライドのオープニングタイトルバック、それにはやはり完成写真を入れるのがオーソドックスなのだろうが、わたし(たち)のやり方はほとんどの場合そうではない。

今回その主役となってもらったのは、ひとりのノズルマン。

ノズルマン=モルタルやコンクリートを吹き付けするホースの先端を持つ人である。

なぜ、ノズルマンなのか?

理由は単純明快である。

今回の受賞工事にもっとも功労してくれたのが、このノズルマンMさんだと私が思っているからである。

私たち技術者には、困難で狭き門ではあるけれど、今日のような表舞台がないではない。

だが、たとえそんな晴れ舞台が現実のものとなったとしても、現場で汗水たらして働く人たちには無縁である。

だからこのタイトルバックは、Mさんへのささやかな贈りもの。

私の敬意の表れなのである。

・・・・・・・・・・・・


今回『施工の神様』で記事を書いたのは大石恭正さん。

ぐっじょぶ!」だ。

これからも、こういった対象にどんどん取材をして、どしどし記事にしてほしい。




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