答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

ハゲアタマ沈む ~ モネの庭から(その340)

2019年01月19日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

落陽。

空が燃える。

まるでわたしが沈んでいくようで

他人ごとのような気にはならない。

モネの庭から見る

土佐湾の夕景。

 

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夕陽の丘 ~ モネの庭から(その339)

2019年01月18日 | 北川村モネの庭マルモッタン

モネの庭で階段の改修工事をやらせてもらっているおかげで、日々堂々の庭通いだ。

毎日モネの庭へ来ることができる悦びをかみしめながら、ああ、この仕事が、睡蓮やその他に見どころが満載な時季ならなんとよいのだろうと思った直後、「日本一のモネの庭ウォッチャー(自称)ともあろうものがなんというさもしい根性だ」、と自嘲する。いつもいつでもどんなところにでも、そのよさを見い出し庭を愛でるのが日本一のモネの庭ウォッチャー(自称)たるものの務めだろう。それなのに・・・

いっときだけとはいえ、らしからぬ考えを抱いてしまったおのれを反省しつつ、仕事帰りに池のまわりを歩く。

夕陽にゆらぐ水の庭。

 

 

この季節、西日に染まる庭が美しい。

さしずめここは、夕陽の丘というところだろうか。

 

 

土佐湾に沈む夕陽と、丘の上の紅葉葉楓(もみじばふう)。

風のしわざだろうか。

キャンチレバーの先っぽが折れてなくなってしまっている。

あの張り出した枝を折った風荷重はいかほどのものだったか。

あのキャンチレバーはどれほどの荷重に耐えられるものか。

その計算方法は。

いつになく、そしてがらにもなく、技術屋めいたことを考えながら、夕陽の丘を独りゆく。



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村の成人式 〜 モネの庭から(その338)

2019年01月03日 | 北川村モネの庭マルモッタン

村の成人式。
わたしにとっては、太鼓の教え子たちの成長をたしかめることができる貴重な機会だ。
とりわけ今年の新成人6名たちは、けっしてそのパフォーマンスが優れていたわけではないけれど、その後につながるエポックメイカーとして、いろんな意味で、もっとも思い出深い人たちだ。
そんな彼彼女らの成人式が終わり、いったんはそそくさと帰ろうとしたが、いや待てよせっかくきたんだものと思いとどまって、池へと向かう坂をあがる。





驚いたことに睡蓮が咲いている。

 




水の庭に白蓮が咲く花の春。

ぐるりとまわると、青い水面(みなも)に楓(ふう)の木が揺れている。



池に映ったこの木のように、曲がりくねってゆらぎながら生きるもよし。

季節はずれの白い睡蓮のように孤高に咲くもよし。

それらを映してひきたてる、みなものようになるもよし。

はたまた、メインロードからはずれた路傍にひっそりと咲く花もよし。


踏みだせばそのひと足が道となる

そのひと足が道である

わからなくても歩いていけ

いけばわかるよ

 

彼彼女らに心の中でそんな声がけをしながら山を降りる 、平成の31年正月3日。

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名残り花 ~ モネの庭から(その337)

2018年12月21日 | 北川村モネの庭マルモッタン

水の庭に名残り花が三つ。

 

 

 

 

ポケットには「光の庭」でもらったレモンが五つ。

 

 

見ていると、寂寥感を出そうと小賢しい選択で写真を撮った自分が恥ずかしくなった。

そう、「なによりも、いつも、いつも花を!」(クロード・モネ)、だ。

 

 

水の庭に名残り花咲く。

 

 

 

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光のフェスタ ~ モネの庭から(その336)

2018年12月03日 | 北川村モネの庭マルモッタン

(モネの庭ホームページから”光のフェスタ2018”の紹介文)

・・・・・・・・・・

水の庭に木々と水と光が織り成す、美しく幻想的な風景が広がります。

紅葉した木々を黄色や青色の光でライトアップ。

光に照らされた木々や水辺が織り成す美しい風景の中、ご散策をお楽しみください。

頭上に輝く星空も必見です!

・・・・・・・・・・

 

きのう、「池の面(も)に紅葉(もみじ)燃え立つ」と題して当ブログに掲載した画像と同じものをフェイスブックにアップすると、北海道の「友達」からこんなコメントが飛んできた。

 

本当に綺麗です。

撮る方の腕がいいからかな。

 

うむ、そう言われて嬉しくないはずはないが、そこはソレ謙譲の美徳というやつだ。素直に受け入れたい気持ちをぐっと抑えて返信する。

 

いいえウデではありません。

愛です。

愛。

(たぶん)

 

そこでふと、自問自答してみる。

ホントに「愛」があるならば、アレから目をそらしていていいのか?と。

アレとは、そのときまさに眼前にあったライトアップ用の機器。

写真に映りこまないようにと注意を払い、その存在をあえて無視してきた。なぜならば、わたしにとっては邪魔極まりない物であるからだ。もちろん、そんなわたしのことだもの、ライトアップされた庭など見たいとも思わず、見ようともしなかった。

だが・・・

それでいいのか?

少なくとも「食わず嫌い」がよろしくないことはマチガイない。

よし!

と決意したその夜、女房殿と連れ以て、いざ”光のフェスタ”へ初見参。

精一杯の「愛」をこめて数々のショットを撮ってはみたが、どれもこれもが気に入らない。

いかんではないか。

愛があるならアバタもエクボ。そこはそれなりに、良いところを見いだして撮ってあげなくては。

いやいやアバタは失礼だ。あれは、もともとが自然にできた笑窪であるはずのものを、人為的に厚化粧で塗り固めて、「どうですとってもキレイでしょ」と見せているだけのことだもの。

だとすれば・・・

本質は変わらずそこにあるはず。それを切り撮れないのは、単に感性とウデと、そして「愛」が足りないだけのことではないか。

ということで行き着いた先は、昼間と同じスポット、昼間と同じ木。

南無三!

どうか吾に「愛」を与え給え。

 

 




ようは好き嫌いなのだろう。そしてわたしは好きではない。

しかし、ひねくれ者のこのオジさんの評価はともかく、来場の皆さんの反応を見れば概ね好評。どうやら堪能してくれているようだ。

モネの庭 ”光のフェスタinモネの庭2018” は12月24日まで絶賛開催中。まだまだ時間はたっぷりある。百聞は一見にしかず。御用とお急ぎでない方は、そしてアノ手の催しが嫌いでない方は、ぜひ、いちど来て見て感じてほしい。

わたしも、たぶんまた行く。

変わらずそこにあるはずの「本質」を切り撮れないかと、も少しあがいてみようと思う。

 

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池の面(も)に紅葉(もみじ)燃え立つ ~ モネの庭から(その335)

2018年12月02日 | 北川村モネの庭マルモッタン

娘がインスタグラムにアップした写真で「お気に入り」のスポットが紅く色づいたのを知る。

モネの庭の紅葉は短い。

すわとばかりに駆けつけた。

 

 

 

 

池の面(も)に

紅葉(もみじ)燃え立つ。

 

年に一度の楽しみ。

これなくして、(わたしの)秋は暮れない。



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色は匂えど 〜 モネの庭から(その334)

2018年11月25日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 


空の青に雲の白、、、

この季節の絵柄としては思いもかけないコントラストに目を見張りながら、

「赤がほしいな、赤が」

と、いつもなら右手方向にある赤い睡蓮を探す。

あるはずもないことを知りながら。

そして、色づいてきた紅葉がここには及んでないのを恨めしげに見上げる。

そりゃ欲ばりだと承知はしつつ。

モネの庭、晩秋。

色は匂えど散りぬるを....

 

 

 

 

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美しいと思わんかね? ~ モネの庭から(その333)

2018年11月23日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

 

秋深しだ。

今年イチバンの冷え込みに季節を実感する朝。

今日から始まるライトアップの配線その他もろもろに興ざめしつつ庭を歩く。

とはいえ、池に目を移すと、そんなことは頭のなかから飛んでしまう。

さざ波にゆれるもみじと

葉っぱだけになってしまった睡蓮のバランス。

 

「美しいと思わんかね?」

 

傍らにいる2人の若者に声をかけるが、

「き、キレイですよ」

と、無理やり言わされ感を満載した返事。

どうやらわたしとは感性がチト異なるようだ。

 

ま、よい。

人それぞれだ。

 

そんな若者たちと

年明けからかかるリニューアル工事の打ち合わせ。

 

 

 

 

来年のことを言っても

もう鬼も笑わないだろう。


わたしはといえば、

思いついては池の写真を撮りながらの作戦会議参加。


「美しいと思わんかね?」


懲りずに何度も何度もたずねるのだった。

 

 

 

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秋は暮れ ~ モネの庭から(その332)

2018年11月05日 | 北川村モネの庭マルモッタン

小春日和と表現するにはあまりに暖かすぎて、汗をかきかき登ったその先には名残り惜しげに咲く睡蓮が待っていた。

 

 

いやいや名残り惜しいのは睡蓮を愛でるわたしであって睡蓮自体が名残り惜しげに咲いているわけではないぞと屁理屈をひとつ、自分で自分にツッコミを入れたが、わたしにはどうも、咲く主体としての睡蓮が名残り惜しげに咲いているのだとしか思えない。

とはいえ秋も暮れである。

シーズンオフが近いこの季節になると、盛期にはヒューッとその茎を伸ばし咲き誇っていた熱帯性睡蓮たちも、この時季まで生き残っている花たちはみな一様に水面すれすれで咲くか咲かぬかというぐらいひっそりと花をつけている。

そんななかにいて、かろうじて首を伸ばした睡蓮ひとつ。

だが、つぼみのままでその花はない。

 

 

「あいつはもう咲かないんでしょうな」

ムッシュ・シュバリエ・川上にそう確認すると、意外や意外、あれだけは遅い時間に咲くのだそうな。

そのしぶとさに敬意を払いつつ、池を離れて帰路につく。

ともあれ秋は暮れである。




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明鏡止水 ~ モネの庭から(その331)

2018年10月19日 | 北川村モネの庭マルモッタン

 

 

秋日和の池に水鏡が映る。

刹那、汚れちまったオジさんのココロがほんの少しだけれど洗われたようなそんな気がする朝の庭。

あれはなんだっけ?とある言葉を探す。

ほどなくしてその言葉は脳内に浮かんできた。

明鏡止水。

あらためて意味を引いてみると、「邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容」とgoo辞書にあった。同じ場所にあった用例はこうだ。

・・・・・・・・・

ただただ一切の思慮を捨ててしまって妄想や邪念が、霊智をくもらすことのないようにしておくばかりだ。すなわちいわゆる明鏡止水のように、心を磨き澄ましておくばかりだ。<勝海舟・氷川清話>

・・・・・・・・・


う~ん。。。

近ごろどうもナイモノネダリが多すぎるような。。。

んなことできるわきゃないだろうが、と内心で独りごちながら池のほとりを歩く。

池のさらに奥にある目的地へは、池の脇を通らなければたどり着くことができない。

せめて、水鏡に心癒されるいっときぐらいは、明鏡止水になった気分だけでも味わおうと心に誓う辺境の土木屋なのだ。

 

 

 

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