答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「女性脳の真理演算を推進するためには、共感してあげること、これに尽きる。」(黒川伊保子)

2018年08月18日 | 読む(たまに)観る
女の機嫌の直し方 (インターナショナル新書)
黒川伊保子
集英社インターナショナル

 

『女の機嫌の直し方』をボチボチと読んでいる。

現在位置は417/1582、28%程度のところだ。

ここまででもっとも重要なポイントと感じたのは「まず共感する」。

黒川さんいわく、

「女性脳の真理演算を推進するためには、共感してあげること、これに尽きる。」

そして、

「女性とともに生きる以上、共感上手になってもらわなければ、コミュニケーションが成立しないどころか、女たちの安全な暮らしが成り立たないのである。」

という。

その理由はこうだ。

 

・・・・・・・・・

 実は、女性脳は、「怖い」「ひどい」「つらい」などのストレスを伴う感情が起こるとき、そのストレス信号が男性脳の何十倍も強く働き、何百倍も長く残るのである。そして、共感してもらうと、その余剰な信号が沈静化するようにできている。(Kindleの位置No.242)

・・・・・・・・・

 

「余剰な信号を起こす理由」は、哺乳類のメスとして、「怖い」「ひどい」「つらい」など、自らの安全を脅かす危険な体験をこと細かに記憶して、同じ事態に自分を追い込まないための自衛手段だという。

まず聴く。聴いて受け止める。そのとき、自分の意見は言わない。

60年も生きてきた身なればそれぐらいのこと、アタマではわかっているし、そこはかとなく実践もしている(つもりだ)。だが、こうやって読んでみると、おのれの理解が浅かったことを実感する。理解が浅いがゆえに、そこから起動する実践はもっと浅い。そんなわたしだもの、次のような具体例を突きつけられた日には、ぐうの音も出ない

 

・・・・・・・・・

「なんだか、腰が痛くて」と妻に言われて、いきなり「医者に行ったのか」なんて返していないでしょうね?

 女性にとって、これはかなりつらい返しになる。

 もちろん、正解は「共感で返す」である。共感のコツは、相手のことばの反復だ。「腰が痛いのか。それはつらいね」と受けるのが正解。それだけで、不調が軽減することもある。気のせいではなく、本当に脳のストレス信号が減少するのである。(No.229)

・・・・・・・・・

 

嗚呼、なんてこったい、とアタマを掻きむしる。

まさにソレ、まさにソコ。

思い起こしてみれば、いくたび同じ轍を踏んできたか、数えきれない。

そうだ。

となればやることはひとつ。

 

いいことを知ったらすぐ実行。

今やっておいたほうがいいと思ったことはすぐ実行。

側聞即行、さっそく実践してみよう。

もちろん、その対象となるのはわが女房殿だけではないのだろうが、まず「隗より始めよ」だ。

そして、たとえこのブログをわが女房殿が読んでいて、わたしのささやかな実践のネタ元がバレたとしても、テヘヘ・・・とボウズアタマを掻けばそれでしまいだ。


たとえ棒読みになろうとも、心がこもってなくても、その繰り返しがいつかは習い性となる(たぶん)。

さあ、れっつびぎん。

 

 

 

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お気に入りの瞬間 ~ モネの庭から(その326)

2018年08月17日 | 北川村モネの庭マルモッタン

睡蓮が咲く「水の庭」は、駐車場からは見えない。坂道や階段をえっちらおっちら上がったところにそれはある。あまつさえ、その全貌はおろか一端さえもが、たどり着くまでは見えない。ということは、着くまでにはや、楽しみがあるということだ。

10年以上も通いつめているわたしのようなマニアともなれば、この季節、この天気、この時間、さまざまな事象をもとに想像をたくましくしながら上がる。

心がはやる。

わくわくもありどきどきもあり。

そして太鼓橋に着く。

残念だったこと。想像どおりだったこと。予想をはるかに超えていたこと。

いずれにせよ、まずそこまでが「水の庭」の楽しみだ。

 

そのあとがもっといい。

それはこんなだ。

太鼓橋に立っていると、お客さんが山をあがってくるのがわかる。

そろそろ来るぞ。

人の姿が見える。

池を見た初っぱなのリアクションは人それぞれだ。

思わず息をのむ人。

間髪入れず歓声をあげる人。

そのあとはといえば、次から次へと称賛の言葉が口をついて出る。

わあー!

きれい!

すごい!

これはいい!

・・・・・

「どんなもんだい」

と心の内でつぶやく。

 

もちろん、いつもというわけにはいかない。たまにはその逆もある。だからこそ、その瞬間に巡り会えたときの満足感たらない。

考えてみれば、庭師でも庭のスタッフでもなんでもないわたしだ。当然、いかに睡蓮がきれいに咲こうと、いかに池が美しかろうと、そのための何がしにも参加してるわけではない。

わが娘いわく、ただのオタクだ。

だが、きまって、

「どんなもんだい」

と心の内でつぶやいて、どうだとばかりに胸を張る(たぶん)。

わたしのお気に入りの瞬間。


でしょ?

でしょ?

と言いたい気持ちをぐっとこらえ、知らんふりして写真を撮るふり。


まったく、

困ったオヤジだ。

 

 

 

 

 

 

 

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『女の機嫌の直し方』を速攻ポチったこと

2018年08月16日 | 読む(たまに)観る

ヒゲブチョーに教えてもらった本。

 

女の機嫌の直し方 (インターナショナル新書)
黒川伊保子
集英社インターナショナル

 

知るなり速攻ポチった。

さわりを読んでみる。

 

 

見る見る間に蛍光ペンのマーキングで真っ黄っ黄になった。

 

・・・・・・・・・・

 男女の脳は、回路構成が違い、信号特性が違う。

 それは、まったく別の装置なのである。たとえば、炊飯器とオーブントースターのように違う。

 オーブントースターに水に浸した生米を入れて、「ふっくらご飯が炊けないじゃないか」と毒づく人はいないだろう。しかし仮にオーブントースターを炊飯器だと思い込む者がいれば、何度も同じことを繰り返したあげく、「一生の謎だな」と思ってあきらめるか、「悪いものをつかまされた。一生の不覚」と嘆くしかないのである。

 男と女のミゾは、この愚行と変わらない。相手の脳に間違った入力をして、期待どおりの結果が出ないからといって、嘆いているにすぎないのである。(Kindleの位置No.21あたり)

・・・・・・・・・・

 

が~ん、、、いくらなんでも、そ、そんな。。。

少しくショックだが、炊飯器とオーブントースターのこの喩え、なんだかちょっとわからなくもない。

『女の機嫌の直し方』、名著の予感。

 

 

 

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「しかし大事なのは、我々はもともと他人が喜ぶのを喜ぶ生き物だという認識だろう。変な言い方だが、我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである。」(玄侑宗久)

2018年08月15日 | 読む(たまに)観る

玄侑宗久さんの『私だけの仏教』を読んだ。

「不害の説法」という話があった。

パセーナディ王の悩みに対する釈尊の答えだ。

文中から引用する。

 

・・・・・・・・・

 釈尊の信者になっていたパセーナディ王妃は、あるときお城のバルコニーから領地を見下ろしながらふと思ったのだと云う。「この国土、いやこの世界じゅうに、自分より可愛い、自分より大切な存在は見いだせない」と。この思いに罪悪感を抱いた彼女はすぐさま王様に相談する。するとパセーナディ王も「自分にも同じように思える」と正直に答え、その考えは王や王妃として極めて不的確なのではないかと訝しんで、釈尊に相談に行くのである。

 一部始終を聞いた釈尊は答える。「その考えは全く間違っていない。誰もが自分ほど可愛い存在はもてないのだ。しかしあらゆる人間がそう思っていることを深く認識し、他人が己を可愛がりたい気持ちを害してはならない」(Kindleの位置No.1197あたり、太字みやうち)

・・・・・・・・・

 

玄侑和尚はこの前節でこう書いている。

 

・・・・・・・・・

 概して言えば、布施とは積極的に相手を喜ばせる行為と云えるだろう。本来この世でいちばん可愛いのは自分だと、認めてしまうのが仏教である(パセーナディ王に対する釈尊の「不害の説法」)。だとすれば他人を喜ばすことなど欺瞞だという人もいるだろう。しかし大概のことは、他人のためと考えなくても、それを見て喜ぶ自分のためと考えられる。それは例えば、無欲であろうとすることが「無欲でありたい」という欲求の充足を目指すのと同じ理屈である。

 しかし大事なのは、我々はもともと他人が喜ぶのを喜ぶ生き物だという認識だろう。変な言い方だが、我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである。(No.1174あたり、太字みやうち)

・・・・・・・・・

 

これを読んでるわたしは、「自分が可愛い人間」だ。可愛くて可愛くてたまらないといってしまうと気持ちが悪くなるのでそこまでは言わないが、相当な「自分可愛い人間」であることはまちがいない。

だからこそ玄侑和尚の言葉が身に染みる。

我々は自分のなかの己と同じように、他人のなかの己も可愛いのである

けっして「変な言い方」とは思わない。

ストンと腑に落ちた。

 

私だけの仏教 あなただけの仏教入門 (講談社+α新書)
玄侑宗久
講談社

 

 

 

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真っ黒な画面のまま起動しないPCをエアーダスターで治す、の巻。

2018年08月13日 | PCのトラブル(とか)

さて仕事するか、とPCのスイッチオン。

と、真っ黒な画面のままWindowsが起動しない。

パソコンの電源は入っているようだし、ハードディスクのアクセスランプは点いている。電源ボタンを長押しして強制終了。そしてまたスイッチオン。3度同じ動作を繰り返すが、もちろん症状はそのままだ。機械的には起ちあがったがOSがロードされないということはBIOSが起動していないということだ(たぶん)。

この手の症状は、今までに何度か体験している。

近ごろではあまりなくなったが、自作PCがラインアップのほとんどを占めていたころはけっこうあった。

さて・・・と記憶を紐解いてみる。

どんな方法で治してたか。まず真っ先に思いついたのは電源ユニットの交換。だが、電源ユニットがオシャカになっているとしたら、そうでもしないと治らないが、そいつぁチトやっかいだ。

とりあえず実行してみる手は・・・そうそうあれあれ、メモリの抜き差しだ。

ということで筐体のカバーを外し、中をのぞいてみる。

と、そのとき、かつて一度だけ成功したある方法を思いついた。

そうだ、あれで治れば簡単だ。

デスクの前にあるエアーダスターを手にとった。

コイツはあのときのPCほど埃だらけじゃないが、とりあえずやってみる手はある。

いざ、エアーダスター噴射実行。

こうなりゃついでだと、周りの迷惑顧みず、けっこうしつこく吹きまくった。この間、電源はオンのままだ。

よし、これぐらいにしといたら。

と、電源を強制オフ。

あまり期待をせずにスイッチオン。

すると、音がちがう。

起動したかな?と思うまもなくNECのロゴがあらわれWindows7が起動。

あらあら治っちゃった。

想像して見るに原因は、たぶん、メモリかビデオカード周りにたまった埃が帯電し、メモリやビデオカードが誤作動した。つまり、メモリの抜き差しでも正常に機能した可能性が大だが、エアーダスターだけで治ったというのがなんともはや哀しくて可笑しくて、苦笑いしつつさっそくネタにする辺境の土木屋。


 

 

 

 

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