答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

マスト

2018年11月17日 | ちょっと考えたこと

「マストですよ、マスト」

そういう相手の言葉を奇異に感じながら、言葉の意味が飲み込めないわたし。

わからない。だが聞けない。ならば笑ってごまかすしかない。

軽くうなずきあいまいな笑いを返してその場をやり過ごした。

会社までの帰路、「マストとはなんだ?どういう意味だ?」、ハンドルを握りながら考えた。

まず真っ先に浮かんだのはマスト登りのマストだ。

マスト登り・・・不肖みやうち、アレができなかった。嫌いだった。当時の田舎の子どもにしては珍しく、バリバリのインドア派だったのが原因なのか、圧倒的な筋力不足だったわたしは、かけっこをすれば必ずビリから2番め、知力には自信があったが体力的分野はからきしなダメな小学生だった。それでもそれは、他人よりできないという事実があるだけでけっして嫌いではなく、体育の授業も、その集大成としての運動会も大好きだったのだが、いかんせん見事なぐらいできなかった。その象徴が「マスト登り」だった。

いつも途中で力が足りなくなって登れなくなり、竹(マスト)に抱きついたまま皆の笑い声を聞く。その様を他人に見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくて、すぐにでもそこから走り去りどこかへ消えてしまいたくなっていた。いつもいつでも、である。

大嫌いだった。若いころは振り返りたくもなかった。わが人生の汚点だと思っていた。しかし、久々に思い出し、あの体感がよみがえってみると、なんだかやけに可笑しすぎて、当の本人たる今の自分が、竹の途中に抱きついて泣きそうになっている少年を指さして笑ってしまった。

と、

「マストですよ、マスト」

運動会の記憶をさえぎるように、さっき打ち合わせで聞いた言葉が耳の奥で鳴る。

ああ、マストか。

解けた。

なんのことはない。マスト(必要)なのだ。

だったらマストじゃなく必要と言ってくれよ。そう独りごちながらクルマを運転する。

ま、いいか。

胸の奥にしまっていた遠い日の恥ずかしくてたまらない記憶を思い出させてくれたのだもの。

 

「マストですよ、マスト」

 

うん、たまには、振り返ることもマストなのである。



・・・・・・・・

と、何を気に留めることもなく、マスト、マストと連呼しましたが、ふと思いたち調べてみると、わたしたちにとっては運動会の必須競技だった「マスト登り」は、高知(四国?)ローカルな競技だったということが判明しました。

ということで、他県の皆さまに説明用の画像をひとつ。

こんな競技です。


四万十田舎暮らし』さんから借用


あゝ、また恥ずかしさが込み上げてきた (^_^;)


コメント

鯨海酔候

2018年11月16日 | 食う(もしくは)呑む

朝から鼻が痛い頭が痛い喉が痛い、という三重苦ではじまったきのう11月15日は、わが青春のアイドルツートップである坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で襲われ、龍馬が死んだ日。

そしてその坂本龍馬が生まれた日。

ついでにボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。

とくれば、ボジョレーの新酒で乾杯だ、となりそうなものなのだが、わたしが選んだのは遠く幕末に思いを馳せて「酔鯨」の特別純米酒。

おっともひとつ理由があった。

鯨を見たからだ。

昼間、会社を休んで参加したとある会合で鯨を見たのだ。

その会の初っ端、アトラクションに登場したのは、よさこい踊りにおけるトップチーム”とらっくよさこい”。





鯨が彼女たちとともに跳ねていた。

「よ~し今宵は酔鯨だべ」

三重苦を身体に抱えたままではあるが、わたしの心はそう決まった。

しかし・・・・

なんてこった。いざ呑みはじめたはいいが、「鯨のごとく酒をのむ」、すなわち鯨海酔候と自らを称した容堂公には遠く及ぶことなく、わずか2杯の酒で風邪気味の身体はとろけてしまい、9時過ぎには寝床に入ってしてしまうという体たらく。

だが、かえってそれがよかったのだろう。今朝起きてみると、声は変わり身体のふしぶしは痛いが、回復のきざしで満ちあふれていた。

「あらあら、完全に風邪ひいてしもたね」

女房殿はそう言うが、なんのなんのどうしてどうして、体感としてすでに危機を脱したわたしはこう答える。

「風邪は治った」

「じゃあその声はなによ」

「風邪よ」

「・・・」

相変わらずわけのわからないことを言う連れ合いだとでもいうように軽く息を吐いて、まな板に向かい直す彼女には目をやらず、黙々と飯を食いながら思う。

明日は慎太郎さんの命日だな。

では今日は・・・

特別なんの日でもない。しかし、酒を呑むのに何の日かなど必要なものか。

 

昨は橋南に酔ひ 今日は橋北に酔ふ

酒あり飲むべし 吾酔ふべし

(山内容堂『二州楼閣に飲す』より)

 

たった2杯の酒で寝てしまうくせして、気分だけは、朝から鯨海酔候なオジさんなのだった。

 

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 720ml [高知県]
 
酔鯨酒造

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 1800ml [高知県]
 
酔鯨酒造
コメント

思うところあり

2018年11月15日 | 土木の仕事

 

一般社団法人空知建設業協会主催の「地域創生フォーラム」に参加していた桃知さんが、建設戦士ツクルンダーについて書いていた。

近ごろ思うところあって色々さまざまと思考を巡らせているわたしの「思うところ」とピタリと符号が合ったので紹介したい。

ま、「思うところあって」「思考を巡らせている」といえば、なにも近ごろに限ったことではなく、一年三百六十五日いつもいつでもといえばそうなのだが、きのう考えていたわたしの「思うところ」に今日の桃知師匠のテクストが重なった。ということで、掟破りの全文転載。

 

・・・・・・・・・・・・・

『モモログ4』(2018年11月15日)より


建設戦士ツクルンダー

午前4時20分起床。浅草は晴れ。今回の「域創生フォーラムⅩⅢ」で驚かされたことの一つに「戦隊者のキャラクター」がいたのだ。その名は「建設戦士ツクルンダー」という。これは空知建協のオリジナルマスコットであり、「戦隊者のキャラクター」というようりも、所謂「ゆるキャラ」と云ってよいだろう。

式典が始まる前に「建設戦士ツクルンダー」の「ビデオ」が流れていた。そうちゃんと「動画」があるのだ。やるな、と思う。

こういう発想は年寄りには出来きるものじゃない。やっぱり若い人達でなければだめなのだ(たぶん)。年寄りのやることは、若い人達のやりたいことを邪魔しないことと確りやらせてあげることだろう。そう、空知建協には「葉月会」がある。この「ビデオ」でも、作詞、作曲、編曲、演奏、ボーカル等全てを「葉月会」を中心としたメンバー行ったと聞いた。

それも思い切り手造り感を漂わせているわけで、なかなかいいものを作ったなと(腹の中で)笑っていた。

空知でも建設業は担い手不足である。特に地場の中小建設業ではその思いは強いだろう。若い人達が欲しいのは何処も同じなのだ。そんな中、建設業について関心を持ってもらうきっかけとしてこの「ビデオ」がある(だから見る必要がある)。安全安心な街を作るために建設業は必要だ。日々の安全安心な暮らし、幸せのために欠かせないのも建設業である。そんなことを今更ながらに思うのだ。

・・・・・・・・・・・・・

 

 

建設戦士ツクルンダー

 

 

さて、このテクストのどこが近ごろのわたしの「思うところ」とピタリ符号が合ったのか。

今日は明かさない。

と、もったいをつけようかとも考えたが、それではあまりにも卑怯千万。どちらに転んでも他人の褌で相撲を取ることに変わりはないにしても、せめてどこに同意したかの表明だけはしておかなければならない。

もいちど戻る。

さて、このテクストのどこが近ごろのわたしの「思うところ」とピタリ符号が合ったのか。

締めの部分だろうか。

もちろん、この締めくくりには深く同意するわたしだが、近ごろの「思うところ」とはそこではない。

 

こういう発想は年寄りには出来きるものじゃない。やっぱり若い人達でなければだめなのだ(たぶん)。年寄りのやることは、若い人達のやりたいことを邪魔しないことと確りやらせてあげることだろう。

 

ここである。

もちろん、だからといって「オイライチ抜けた」と高速道路を降りるつもりはないし、眼の前の大渋滞にひるんで踵を返して逃げ出すことなどはしないしするつもりもないが、少なくとも、自分の発想の古臭さに思いを至らせ(悪いとは思ってないが古いとは思う)、「年寄りの発想」であることを認識(悪いと卑下はしなくてもよいが、古いと自覚はしなければならない)する必要はある。そのうえで、「若い人たちのやりたいこと」を邪魔せずにしっかりやらせてあげることと、ときには相当な力技を駆使してでも若い人たちのスキルやレベルを引っぱり上げてやることとが共存できればよいがな。

それが、近ごろわたしが「思うところ」(ちょうどきのうも思っていたこと)だ。

かつてのわたしなら「引かない」のはたやすい。今のわたしなら「引く」のも出来そうだ。しかし、「引く」と「引かない」の狭間でゆらぎながら平衡を保ち着地点を見つける手法を選択した今となっては、どちらかに偏ることは、それがどちらであっても困難だ。どちらにも偏向せず、後退させずに前進するのはさらに難しいたとえ漸進でよいのだと言い聞かせてはみても)

そんなこんなやアレヤコレヤに ♪ どうすりゃいいのさ思案橋 ♪ 。そんな「思うところ」の日常で、”建設戦士ツクルンダー”について書いた桃知さんのテクストを読んで得たりと膝を打った。

たとえていえば、海と空との青以外の何もないなかをひとり漂流していたら、そこに島があった。そんな心持ちだといえば少々大げさか(大げさです)。

それが、「掟破りの全文転載」の理由(わけ)である。

 

 

・・・・・・・・・・

そういえば、、、と久しぶりに会った”とある読者さん”がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

ということで、長いあいだお付き合いいただいている”とある読者さん”に敬意を表してしばしのあいだ復活。

 

 ←高知県人気ブログランキング

↑↑ ハゲ頭をクリックするとランクがあがります。

 

コメント

泡にはじける柚の香の誘惑

2018年11月14日 | 食う(もしくは)呑む

「ほ~イケるぢゃないか」

ひとくち口に入れたあと目前までグラスをかかげ、うすにごりの液体を見る。そしてぐびりと飲る。一口ひと口、またひとくち。。。

グラスの中身はご存知下町のナポレオン”いいちこ”だ。

といっても、ただの”いいちこ”ではない。

実生ゆず生搾り果汁入りの”いいちこ”だ。

いつのころからだろう。収穫の季節になると、夜ごと特製”いいちこ”を飲りながら、「あゝ、ゆず農家の至福われにあり」などと悦に入るのがささやかなたのしみだ。

飲るのはロック。

水割りでもお湯割りでもなく断固としてロック。

「実生(みしょう)ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ロック」。

と、おとといの晩まではそう思っていたが、そのとき酒の神が降臨してきた。

「ソーダじゃよソーダ」

次の日、女房殿に買ってきてもらった炭酸水を入れて試してみた。それが「ほ~イケるぢゃないか」の正体だ。

一合の焼酎を3回に分けて飲んだ。おおぶりの柚子玉を水平方向に二分割し、3回に分けてしぼり入れた。いずれの場合もソーダを注ぎ込むのは工程の最後だ。強炭酸水がグラスのなかで弾けるのに合わせてゆずの種が踊る。「実生ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」だ。

ふむ、なんだかもひとつアピール不足のネーミングだな。

ここはもうひと押し、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」、なんていうのはどうだろう。

「長いな。クドイし」

別のわたしが言下に否定する。

「ま、お飲りよ、そんなことはどうでもイイぢゃないか」

いつもは手厳しいアヤツめが、つづけてそう勧めてくれたのに甘え、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」をまたぐびり。

ソーダの泡にはじける柚の香の誘惑に抗いきれず、一杯一杯またいっぱい。






そんな夕餉を思い起こしつつ、

さてさて夜も更けてきた。

では今宵も、

一杯一杯、

またいっぱい。

いざ。




 

・・・・・・・・・・

 

そういえば、、、と久しぶりに会った”とある読者さん”がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

 

ということで、長いあいだお付き合いいただいている”とある読者さん”に敬意を表してしばしのあいだ復活。

 

 ←高知県人気ブログランキング

 

↑↑ ハゲ頭をクリックするとランクがあがります。

 

 

 

 

 

 

  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします

 

 

 

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う


 

コメント

口癖

2018年11月13日 | ちょっと考えたこと

玄侑宗久和尚が『まわりみち極楽論』にこんなことを書いていた。

・・・・・・・・・

 世の中には不思議なことを研究してる人がいるものですが、ある人が、太っている人に共通の口癖を発見したっていうんですね。それはどんなものかと言いますと、「これを食べなきゃ太らないのに、この一口が我慢できないのよね」とか、「寝る前の、この一口が太るもとなのよね」とか、「私って、水飲んでも太るのよ」って言いながら水を飲む。お菓子を食べる。そうやって期待をかけられると、寝る前の体も、おそらく期待に応えようとするんじゃないでしょうか? 

(略)

 口癖の力って大きいですよ。だから、どうせなんかの口癖を言うなら、自分を「楽」の方へ連れていく口癖にしなくちゃいけないんです。

(『まわりみち極楽論』玄侑宗久、Kindleの位置No.484~499)

・・・・・・・・・

 

はて、オレの口癖はなんだろう?と考えてみる。

数秒後浮かんだ言葉は、

「なんで(どうして)?」

「なんでよ(どうしてよ)!」

「なぜ?」という問いかけは一般的には悪い言葉とみなされてはいないような気がする。だが、そうでもないぜと「なんで」を口癖とするわたしは思う。疑問としての「なぜ」と詰問としての「なぜ」は、同じ言葉でもまったく異なった性格を持つからだ。ということは、必然的にその言葉がもたらす結果も、たいていの場合は大きくちがってくる。

前者はたとえば、有名な「トヨタの5つのなぜ」のように、問題解決に大きく寄与する前向きな「なぜ」であるのに対し、後者は、発した当人がどう思おうと、問い詰め方が執拗であればあるほど真の意味での問題解決に結びつくことはほとんどない。わたしの「なぜ」は、多くの場合後者だった。もちろん、当の本人はそんなつもりはない。意識としては善意である。だが、時として「善意の押しつけ」ほどタチが悪いものはない。たとえ悪意がまったくなかったとしても、意図しなかったことや気がつかなかったことを免罪符にすることは真っ当な大人のすることではない(と言いつつしょっちゅうしてる気がするんだけれど)。

「なぜを問う」という行為は、彼我の関係次第では凶器となる。もちろんこの場合の彼我とは、(立場として)「我が強く彼が弱い」場合であり、その逆、つまり「彼が強く我が弱い」場合は、「なぜ」を何度繰り返したところで凶器までにはならない。せいぜいが「しつこいやっちゃなコイツ」とうっとうしがられるぐらいのことだ。つまり、「我が強く彼が弱い」場合に「なぜ」を使う「われ」にはよほどの配慮と注意が必要なのだ。

ではどうすればよいのか。

「なんで?」をどのような言葉に替えればよいのか。

つらつら考えてみたが良案は出ない。

思いついては折りにふれ、そんなことを考えつづけていると、「なぜ?」「なんで?」「どうして?」という言葉を使う頻度が減ってきたような気がする。代わって使い始めたのが、

「ん?」

ほとんど言葉とはいえない音と、それと同時に小首をかしげる仕草だ。あれ?待てよ、とその時の自分自身をふりかえって俯瞰してみる。

いやはやまったくどうにもこうにも、、、とアタマを掻く。かえって悪くなったような気がしてならなくなってきたからだ。

苦笑いしつつまた考える。たぶんたいせつなのは、「なぜ?」という問いを「受容できない心」で発するか「寛容する心」で発するかというマインドセットの問題なのだろう。とはいえ、「要は気分の持ちよう、心がまえなのだ」という結論づけは安易で危険だ。

さてさてどうしたもんじゃろうかのう、、、と沈思黙考。ここで玄侑和尚の言葉をふりかえってみる。

 

口癖の力って大きいですよ。だから、どうせなんかの口癖を言うなら、自分を「楽」の方へ連れていく口癖にしなくちゃいけないんです。

 

たかが短い言葉じゃないか、とあなどるなかれ。古来より言霊というではないか。僻みや妬み、怨嗟や呪詛の言葉を繰り返していると確実に人は病んでいく。その反対に、ことさらでよいからポジティブワードを使うように心がけていると、なんとはなしに心が前向きになっていくのを実感することが確かにある。わたしがよく使うところの「なんで(どうして)?」「なんでよ(どうしてよ)!」もまた、「原因を究明しその後のカイゼンにつなげたい」という本人にとっての大義名分とは裏腹に、怒りをベースとし、また腹立ちが前提としてあるかぎり、ネガティブワードとなって相手に届いてしまうのだ。

 

そうか、、、

あることに気づいた。

 

「なぜ?」「なんで?」「どうして?」という言葉の使用を強制的に止めるのではなく、「なぜ?」「なんで?」「どうして?」を発する前に別の言葉、つまり、”自分を「楽」の方へ連れていく”言葉を置けばよいのではないか。たぶんそれは、「受容」系または「認め」系あるいは「許す」系の言葉のはずだ。

と、ひらめいた文句があった。

だが、今は書かずにおく。何年か先に、事態が改善されていたら披露するだろう(きっと)。

では改善されなかったら、、、

もちろん、そのときも書くけどね(たぶん)。

 

 

まわりみち極楽論 (朝日文庫)
玄侑宗久
朝日新聞出版

 

 

 

・・・・・・・・・・

そういえば、、、と久しぶりにあったある読者がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

  

ということで、しばしのあいだ復活。

 ←高知県人気ブログランキング

↑↑ ハゲ頭をクリックするとランクがあがります。

 

 

  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う

コメント