近ごろ桂二葉さんがお気に入りだ。ご存知ない方に説明しておくと、めきめき売出し中の若手落語家さんだ。ツイッター(どうも”X”と呼ぶのに拒否反応があるのです)でもフォローしている。
彼女のきのうのツイート(どうも「ポスト」と呼ぶのに抵抗があるのです)はこんなだった。
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あー、あそここない言うたらよかったのになぁと思うことばっかりで、嫌になるけど、あーあそここない言うたらよかったなぁと先週思ったことは今日ちょっとだけ言えたからよかったとする。来週もがんばろう。
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読むなり心中で、「がんばりや」とつぶやいた。
この発言でもっとも重要なのは、「先週思ったことが今日言えた」ではなく、その先、「ちょっとだけ言えたからよかったとする」だろう。「ちょっとだけ」を成功体験としてカウントするその思考だ。
こんなふうにしたらよかった。あんなふうにしたらよかった。それが明日への糧となるのはわかっていても、そう思うのはやはり、たのしくはない。反省と言えば聞こえがよいが、一歩まちがえば、鬱々としたネガティブシンキングループに陥ってしまう危険性もはらんでいる。
けれど、「先週思ったことは今日ちょっとだけ言えた」。だからヨシとする。そう考えるだけで明日への希望が湧いてくる。
そうなればコッチのものだ。あとは野となれ山となれ、いや、あとはなんとかなるだろう、いや、なんとかなるのではない、なんとかするのだ、なんともならないかもしれないけれど、なんとかしてみるのだ。それが「来週もがんばろう」という締めくくりにあらわれている。
ということで、ほっこりとしたおじさんは、ちょっとだけでも二葉さんにあやかろうと、何度も何度もそのツイートを読み返す。
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あー、あそここない言うたらよかったのになぁと思うことばっかりで、嫌になるけど、あーあそここない言うたらよかったなぁと先週思ったことは今日ちょっとだけ言えたからよかったとする。来週もがんばろう。
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たかが「ちょっとだけ」、されど「ちょっとだけ」。