答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

鯨海酔候

2018年11月16日 | 食う(もしくは)呑む

朝から鼻が痛い頭が痛い喉が痛い、という三重苦ではじまったきのう11月15日は、わが青春のアイドルツートップである坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋で襲われ、龍馬が死んだ日。

そしてその坂本龍馬が生まれた日。

ついでにボジョレー・ヌーヴォーの解禁日。

とくれば、ボジョレーの新酒で乾杯だ、となりそうなものなのだが、わたしが選んだのは遠く幕末に思いを馳せて「酔鯨」の特別純米酒。

おっともひとつ理由があった。

鯨を見たからだ。

昼間、会社を休んで参加したとある会合で鯨を見たのだ。

その会の初っ端、アトラクションに登場したのは、よさこい踊りにおけるトップチーム”とらっくよさこい”。





鯨が彼女たちとともに跳ねていた。

「よ~し今宵は酔鯨だべ」

三重苦を身体に抱えたままではあるが、わたしの心はそう決まった。

しかし・・・・

なんてこった。いざ呑みはじめたはいいが、「鯨のごとく酒をのむ」、すなわち鯨海酔候と自らを称した容堂公には遠く及ぶことなく、わずか2杯の酒で風邪気味の身体はとろけてしまい、9時過ぎには寝床に入ってしてしまうという体たらく。

だが、かえってそれがよかったのだろう。今朝起きてみると、声は変わり身体のふしぶしは痛いが、回復のきざしで満ちあふれていた。

「あらあら、完全に風邪ひいてしもたね」

女房殿はそう言うが、なんのなんのどうしてどうして、体感としてすでに危機を脱したわたしはこう答える。

「風邪は治った」

「じゃあその声はなによ」

「風邪よ」

「・・・」

相変わらずわけのわからないことを言う連れ合いだとでもいうように軽く息を吐いて、まな板に向かい直す彼女には目をやらず、黙々と飯を食いながら思う。

明日は慎太郎さんの命日だな。

では今日は・・・

特別なんの日でもない。しかし、酒を呑むのに何の日かなど必要なものか。

 

昨は橋南に酔ひ 今日は橋北に酔ふ

酒あり飲むべし 吾酔ふべし

(山内容堂『二州楼閣に飲す』より)

 

たった2杯の酒で寝てしまうくせして、気分だけは、朝から鯨海酔候なオジさんなのだった。

 

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 720ml [高知県]
 
酔鯨酒造

 

酔鯨 特別純米酒 瓶 1800ml [高知県]
 
酔鯨酒造
コメント

泡にはじける柚の香の誘惑

2018年11月14日 | 食う(もしくは)呑む

「ほ~イケるぢゃないか」

ひとくち口に入れたあと目前までグラスをかかげ、うすにごりの液体を見る。そしてぐびりと飲る。一口ひと口、またひとくち。。。

グラスの中身はご存知下町のナポレオン”いいちこ”だ。

といっても、ただの”いいちこ”ではない。

実生ゆず生搾り果汁入りの”いいちこ”だ。

いつのころからだろう。収穫の季節になると、夜ごと特製”いいちこ”を飲りながら、「あゝ、ゆず農家の至福われにあり」などと悦に入るのがささやかなたのしみだ。

飲るのはロック。

水割りでもお湯割りでもなく断固としてロック。

「実生(みしょう)ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ロック」。

と、おとといの晩まではそう思っていたが、そのとき酒の神が降臨してきた。

「ソーダじゃよソーダ」

次の日、女房殿に買ってきてもらった炭酸水を入れて試してみた。それが「ほ~イケるぢゃないか」の正体だ。

一合の焼酎を3回に分けて飲んだ。おおぶりの柚子玉を水平方向に二分割し、3回に分けてしぼり入れた。いずれの場合もソーダを注ぎ込むのは工程の最後だ。強炭酸水がグラスのなかで弾けるのに合わせてゆずの種が踊る。「実生ゆず生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」だ。

ふむ、なんだかもひとつアピール不足のネーミングだな。

ここはもうひと押し、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」、なんていうのはどうだろう。

「長いな。クドイし」

別のわたしが言下に否定する。

「ま、お飲りよ、そんなことはどうでもイイぢゃないか」

いつもは手厳しいアヤツめが、つづけてそう勧めてくれたのに甘え、「北川村の柚子農家がつくった実生ゆずの生搾り果汁入り”いいちこ”ソーダ割り」をまたぐびり。

ソーダの泡にはじける柚の香の誘惑に抗いきれず、一杯一杯またいっぱい。






そんな夕餉を思い起こしつつ、

さてさて夜も更けてきた。

では今宵も、

一杯一杯、

またいっぱい。

いざ。




 

・・・・・・・・・・

 

そういえば、、、と久しぶりに会った”とある読者さん”がひと言。

「あのブログランキング、どうしてやめたんですか?」

「んんん・・・・覚えてない」

「ポチッとしてたんですよ、わたし」

(そういやたしかにそんなのあったなあと遠い目)

 

ということで、長いあいだお付き合いいただいている”とある読者さん”に敬意を表してしばしのあいだ復活。

 

 ←高知県人気ブログランキング

 

↑↑ ハゲ頭をクリックするとランクがあがります。

 

 

 

 

 

 

  ↑↑ クリックすると(有)礒部組現場情報ブログにジャンプします

 

 

 

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う


 

コメント

食う、について。

2018年10月27日 | 食う(もしくは)呑む

先日、高松へ行ったときのこと。同行者と、さあメシでも食うかとなった。高松といえばうどんである。われながらベタな連想をどうかと思いつつ、うどん屋に入った。さて・・・メニューをながめ、さほど考えるまもなく釜揚げうどんに決めた。

高松で釜揚げうどんを食う。

オヤジふたりで食う。

わたしはふつう(ひと玉)。眼前にすわる痩身のオジさんは三玉。その体躯はといえば、両者ともに細身である。比べると、わたしのほうが少し小さいとはいうものの、互いの目の前に置かれたうどんの量ほどにはちがわない。いきおいよくズルズルっとすすり込む彼。わたしも負けじと猫舌のくせに敢然とすすってみるが、ペースは向こうのほうが断然速い。とはいえ、なんといっても3倍だ。わたしがすべて食い終わったとき、彼の器(たらいです)にはまだ半分ほどが残っていた。「どうです?」と薦めてくれる。少食のわたしでもうどん一杯で腹いっぱいにはならず、やや軽めではあるが、それで十分だ。「いいから食べて」と答える。

「足りないでしょ?」

「腹八分目」

「スイマセンね(笑)」

「いやいや、あくまでアタシのやり方やから。どうぞ腹いっぱい食べて(笑)」

肉体を使った労働が減ったことまたは飲酒によるカロリー摂取をふまえた体重調整のための意識的な少食と、数年におよぶピロリ菌由来の胃弱ゆえのやむを得ない少食、卵が先かニワトリが先か、どちらもが混ざり合って正真正銘の少食になってしまったが、慣れてしまえばどうということもなく、「人間っていうのはそれほど食わなくても生きていけるのだよ」または「そもそも現代人っていうのは食い過ぎ」などとうそぶいていた。その様子が少し変わってきたのは一年ほど前から。長年悩まされていた胃弱からは卒業していないものの、ずいぶん調子がよくなってきてみると、これまた久しくアタマをもたげることがあまりなかった食欲という基本的な欲が、折につけむくむくと起き上がってきて、「腹減った」あるいは「食いたい」とわたしに訴えかける。よいことだ。ごくごく当たり前で正常なことだ。その当たり前を受けて、さあ食うぞ、とばかりに食べ始めるがしかし、長年かかって慣れ親しんだ少食がじゃまをする。量を食べれないのだ。特に宴のときなぞは、あれも美味そうだこれも旨そうだと、少食は少食なりに舌なめずりをするのだが、目論んだ品数に到達する前に満腹中枢がギブアップする。

少食になったのと関係しているのかどうか、時期をほとんど同じくして食べる速度がゆっくりになった。意識的にそうしたきたような記憶がある。よく噛む、そう意識づけてきたからだ。してみると、少食になったことと因果関係はあるのだろう。昔と比べるとずいぶんゆったりとメシを食う。

先日、現場で若い人といっしょに昼メシを食った。いつ以来だろう。その健啖ぶりと食べる速さが好ましかった。

「オレもなあ、昔はよく食ったし、食うのも早かった」

遠い目をしてそんなことを言うオジさんなどはロクなものではない。若いころのわたしならそう思っただろう。ざまあない。いつのまにかそんなオヤジになってしまっている。どんなことはあろうとメシはしっかり食う、そして早メシ早グソ。これが現場人の鉄則だ。いざとなれば今のオレだって・・・。

「未練であるぞ」

別のわたしがアタマの後ろで笑った。

 

 

コメント

大人舌

2018年09月26日 | 食う(もしくは)呑む

桃知さんが本日投稿したブログのタイトルは『大人舌。秋刀魚が届いたので即焼いて食べたのだが、今年初めて息子がワタがうまいと云ったこと。(前川さんからの贈与:蒲田水産:大船渡市赤崎町)』。ひときわわたしの目を引いたのは、「大人舌」というフレーズだった。

大人舌?

そんな言葉があるのか?

浅学にしてわたしは初見初耳だ。

さっそく検索してみる。まず、Google日本語入力で漢字変換できない。「おとなじた」と打っても「おとなした」でも「大人舌」という熟語は出てこない。仕方なしに「おとな」と「した」とに分けて変換。

さあ大人舌だ。

ヒットしたそのほとんどが、女優の石原さとみさんが出演するCM関連。つまり、こういうものだ。

 

女優石原さとみ(31)が25日、都内で「明治 ザ・チョコレート」の新CM発表会に出席した。

「昔の私」と「今の私」が会話を交わすCMで、「ちょうだいよ!」とチョコレートをおねだりする昔の石原に、今の石原が「大人舌になったらね」と“おあずけ”するもの。

「大人舌」という言葉は、舌が肥えて酸味や苦みなどの違い、おいしさが分かるようになった人を示すもの。「大人舌というフレーズは使ったことなかったです。このCMをきっかけに、『大人舌な人が喜びそうだね』みたいなフレーズができたらうれしい」と話した。(日刊スポーツより)

 

ふむふむナルホド。それにしても・・・「大人舌」か・・・たしかにあるな・・・しかし上手いこと言うもんだな。と感心したのにはわけがある。かくいうわが家の夕餉の食卓に今週は秋刀魚が二度上がったからだ。

じつを言うと、わが女房殿は秋刀魚のワタを食さない。反してわたしはそれが大好きだ。酒肴(藤田正児の『酒の肴』によれば、「サカ」は酒であり、「ナ」は魚や菜のこと、それだけで酒の肴の意は足りているらしいので、読んだばかりの本の受け売りでそれらしくウンチクをふりかざして、今日は酒肴と表現せずに肴と書いてみよう)、もとい、肴、特に日本酒のそれとして、秋刀魚のワタは最上級のもののひとつだと信じている。ひっきょう、わたしは二人前のワタをちびちびやりながら酒を楽しむこととなる。娘息子が家にいた時代なら全員分がわたしの皿に放り込まれそうになって、さすがに5人分となるといかなワタ好きなわたしでも、食い過ぎプラス呑み過ぎで翌朝の胃のもたれが確実なものとなるため、最大三人前ぐらいにとどめていたが、ことほど左様に秋刀魚のワタが大好きなのである。しかし、そういうわたしとて、小さい子どものころはそうでもなかった。目の前でなんの躊躇もなくワタをぱくつく親父殿を見ながら、何を好き好んでこんな苦いものを、と不思議でならなかった記憶がある。秋刀魚のワタに限らず、苦さは大人舌の代表的なものだろうが、やはり、酒を愛してやまない大人が好むマイルドな苦さとなると魚のワタ系、なかでも秋刀魚か鮎のワタに純米酒を冷やで飲る。

秋刀魚は三陸の産がいい。

秋刀魚の相手には横手で買った酒「まんさくの花」を指名しよう。

脳内を流れるBGMは斉藤哲夫の『さんま焼けたか』だ。

一杯一杯復一杯。

う~ん、「大人舌」これに極まれりだ。

夜の帳が下りるころ、そんな妄想をふくらませる辺境の土木屋。

帰ろうか、うん、もう帰ろうよ。 



  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う


コメント

及時当勉励 歳月不待人

2018年09月08日 | 食う(もしくは)呑む

酔っぱらって思いついたことのメモ帳がわりにこのブログの「下書き」を使うことがよくある。そのたいがいは、短い文章か箇条書きで内容が記されていて、あとからそれなりのテクストとなってアップロードできるできないはさておき、何を書き留めたかったかぐらいはわかるようになっているのだが、たまに「なんじゃこりゃ?」というものがある。なぜメモを残したのか?何に触発されて何を考えたのか?さっぱりわからぬことがある。

「及時当勉励 歳月不待人」

という漢詩が記されていた日時は、8月30日22時51分52秒。

タイトルは「及時当勉励 歳月不待人」。本文も「及時当勉励 歳月不待人」(gooブログは、本文とタイトルを記入しなければ草稿として保存してくれないという仕組みになっている)。

さて・・・?

と首を傾げ思案してみるが、なにが言いたかったのか、サッパリ思い出せない。

「ま、いいか。とりあえず意味だ」と検索してみる。


故事ことわざ辞典』より

・・・・・・・・・・・・

時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどない。
転じて、人はすぐに老いてしまうものだから、二度と戻らない時間をむだにしないで、努力に励めよという戒めを含む。

・・・・・・・・・・・・

 

読んで字の如しだ。それぐらいのことなら、この辺境の土木屋とて読み解ける。だが・・・、そういった類の言葉に酔っぱらったわたしの脳がビビッとくるはずはない。別の意味があるはずだ。検索をつづけてみる。

と、すぐに、別の解釈が見つかった。

 

漢詩の朗読~「歳月人を待たず」(「雑詩」)陶淵明』より

・・・・・・・・・・・・

人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風轉
此已非常身
落地爲兄弟
何必骨肉親
得歡當作樂
斗酒聚比鄰
盛年不重來
一日難再晨
及時當勉勵
歳月不待人

 

人生は根蒂無く
飄として陌上の塵の如し
分散し風を追って転じ
此れ已に常の身に非ず
地に落ちて兄弟と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならん
歓を得ては当に楽しみを作すべし
斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年 重ねて来たらず
一日 再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
歳月 人を待たず

 

[現代語訳]

人生には木の根や果実のヘタのような、
しっかりした拠り所が無い。

まるであてもなく舞い上がる
路上の塵のようなものだ。

風のまにまに吹き散らされて、
もとの身を保つこともおぼつかない。

そんな人生だ。みんな兄弟のようなもの。
骨肉にのみこだわる必要はないのだ。

嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。
酒をたっぷり用意して、近所の仲間と飲みまくるのだ。

血気盛んな時期は、二度とは戻ってこないのだぞ。
一日に二度目の朝はないのだ。

楽しめる時はトコトン楽しもう!
歳月は人を待ってはくれないのだから!!

 

[解説]

(略)

「時に及んで当に勉励すべし 歳月人を待たず」ここが、日本ではずっと「過ぎた時間は二度ともどってこないんだから一生懸命勉強しなさい」というツマンナイ意味にとられてきました。

確かにこの部分だけ取れば「勉励すべし=努め励め」と取れますが、詩全体の文脈を見ると、「何に努め励むのか?」ハッキリしてます。

酒を飲んで、おおいに楽しむことに「努め励め」とすすめているのです。

(略)

・・・・・・・・・・・・


「ははあ~ナルホドね」

これで解けた。

「及時当勉励 歳月不待人」とだけ書き記して寝床についたくだんの日、お城下での懇親会をことわって帰村したわたしが向かった先は、ここ。




村に一軒だけある料理屋が25年の歴史に幕を閉じるその前日に開かれた呑み会だった。

といっても、とりたてて感傷的になるでなく、大いに呑み、かつ語った宴。

努めよ。

励めよ。

歳月は人を待ってはくれない。


及時当勉励 歳月不待人。

そういうことである。


 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 

 

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント (2)

「たちばな原酒」をのむ

2018年08月23日 | 食う(もしくは)呑む

 

九州からの贈与、「たちばな原酒」。

「百年の孤独」で有名な宮崎県黒木本店の混ぜもの、割り水、ブレンドなしの100%原酒の芋焼酎だ。

(じつは「百年の孤独」もいただいた。ありがとうございます。)

ラベルを見るとその度数は37度~37.9度。めっきり強い酒を呑むことがなくなったわたしゆえ、その度数にじゃっかん怯え、封を切らずにとって置いていた。

しかし・・・・

強い酒に酔い痴れたい夜もある。

とばかりに昨夜、意を決して開栓。

カンパーイ。

 

 

結局、水で割ってしまったヘタレなオジさん。

たいへん、旨うございました ^^;

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う

 

 

コメント

夏の酒

2018年07月18日 | 食う(もしくは)呑む

日中、外気温が36℃ほどあったと思ってほしい。

思う貴方は酒呑みだ。

いやいや、そうでなくてもいいから想像してみてほしい。

熱風がごとき空気を身にまといつつ、たどり着いたわが家、もしくは居酒屋で、まず最初に何を呑むのか。

わたしならご多分にもれず冷たいビールを一杯、そしてもう一杯。

そのあとにつづくのは、冷やした酒か、それとも・・・・

いずれにしても冷たいものにはちがいない。

Aさんはちがう。

昨夜、彼がフェイスブックにアップした画像に写るのは、正面に酒肴としての焼き鳥(タレだ)、その右脇に銀色のタンポと透明の液体が入ったコップ。

燗酒だ。

茹だった身体の五臓六腑にあったかい日本酒が染み渡るという(推測するにそれは本醸造八海山だ、たぶん)

う~ん。

と唸り、生唾をごくんと飲みこむ。

酒呑みたるものかくあらん。

毎夜毎夜、キンキンに冷やしたビールをあおっては、「うんめえなあ~」と愉悦に浸っているわたしなぞは、足元にもおよばない。

 

うん、今宵は熱燗だべ。

固く心に誓うオジさんなのだった。

(とかナントカ言いつつも、結局落ち着く先は・・・・)

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う

コメント (4)

酒の旨さ

2018年06月04日 | 食う(もしくは)呑む

 

石垣島の泡盛「請福(せいふく)」。

沖縄では多くの店でボトルの持ち帰りが可能だという。

今回の沖縄行でアテンダントを勤めてくれたMさんの「持って帰れ」という勧めに素直に従い、2人では呑みきれなかった分を持ち帰った。ホテルの部屋で呑む、という手もないではなかったのだが、毎夜毎夜、たっぷり呑んだうえでの帰還なのだから、さしもの呑んべえもそのあと泡盛を、という気にはならない(ビールを呑む気にはなりますが)。必然的に、高知までの持ち帰りとなった。おおよそ1週間ほどが経ち、「請福」があることを思い出す。思い出しただけで、気分はふたたび南の島だ。

「うまかったなあ」

ということで水割りにしていただく。

だが・・・・・

それほどでもない。

いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。

だが・・・・・

あきらかにあの味ではない。

ということで、薄い水割りを一杯だけ呑んで止めにした。

予想されたことではあった。振り返ってみればいつもそうなのだ。新潟の清酒しかり、鹿児島の焼酎しかり、そして沖縄の泡盛しかり。旅から帰還するたびに、現地の酒を当地の酒屋で求めるが、たいていの場合はがっかりするのがオチなのだ。「いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。だが、あきらかにあの味ではない」と。

やはり現地で呑むから旨いのか。

現地で呑まないからそれほどでもないのか。

それはたしかに言えなくもないのだろうが、たぶんそこではない。

その地の人(たち)と語りその地の人(たち)と酌み交わすからその地の酒が美味いのだ。ついでに肴が美味いのだ。その地の人が知己であればなおさらのことである。

もちろん、「酒の旨さ」というやつにはその場そのとき人それぞれに幾とおりもの種類があって、「これでなければ」などという呑み方はないのだが、そういう「酒」が上位にランクされるのは、マチガイない。独り酒を好むわたしが言うのだから、なおさらのことマチガイない。


あゝ、こうやって書いていると、無性に新潟の酒が呑みたくなってきた。

本醸造「八海山」をぬる燗で。

もちろん、知己と語り合いながらである。

 



 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う

 

コメント

バスセンターのカレー

2018年02月17日 | 食う(もしくは)呑む

カレーのことなどを書いてみたいと思う。

新潟万代シティバスセンターのカレーのことである。

 

「昼メシどうします?」

三方良しの公共事業推進研究会の研修会および理事会出席のため新潟へと向かう往路、伊丹空港でいっしょになった友人にそう訊かれたわたしは、ちゅうちょなく「カレー」と答え、そのあとすぐ「バスセンターの」とつけ足した。

その彼には若年の同行者が二人。

「おい、君ら、もうしわけないけど初めての新潟メシは立ち食いや」

こと「食う」ということに関して、少なくとも他人さまと同行するときは、まっ先にアレを食いたいだのコレを食うだのと自己主張をすることがほとんどないわたしは、その言葉を聞いて「なんと自己中心的な発言だったのだろう」と少しばかり反省したがまあいい。それはそれだ。わたしは未だ食したことがないにせよ名にし負う新潟名物だ。「初めての新潟メシ」にして何の不足があるだろう、と気を取り直しタクシーに乗り込む。バスセンターのカレーを食べにタクシーで行く。なんという贅沢だろう。

途中、思いついたようにくだんの友人が言った。

「あ、もうしわけないけどひとりで行ってもらってかまいません?コイツらにはへぎ蕎麦でも食わしたりますわ」

「あ、ええよ。そうやね、初めての新潟メシが立ち食いカレーっていうのはどうもね。へぎ蕎麦なら会場の近くに須坂屋っていう店があるからそこがいい。」

ということで万代シティ前で彼らと別れタクシーを降りたわたし。融けかけた雪を踏みしめドアを開けると、「万代そば」という看板がかかった一角があった。時間は12時半過ぎ。食券自動販売機の前には4人ほどが並んでいた。

二人連れの片割れのオジさんが若者に訊く。

「なんにする?」

「ぼくはカレー、大盛り」

「じゃあオレはミニカレーと〇〇蕎麦だな」

ざっと店内(といっても立ち食いのオープンスペースだが)を見わたすと、半分以上の人がカレーを食べている。若年のころより、「アレを食おう」と決めて食い物屋に行くとついつい別のものを食べてしまうという奇妙な癖があるわたしだが、今回はちゅうちょなく一点買い。カレーの食券を買いふたたび行列に並んだあと店員さんにわたすとすぐさま品物が出てきた。

 

 

そのヴィジュアル、匂い、・・・

「完璧じゃないか」と独りごち少し離れたカウンターに陣取った。隣りにはわたしより少しだけ若そうな女性の2人づれ。会話から推察すると観光客らしい。「オイシいね、うんオイシいね」と会話をはずませながらご満悦の体だ。期待で胸がふくらむ。待て待て落ち着けと水を一杯。そのあとおもむろにカレーを口に運ぶ。

「?」

ひと口目で生じた少しばかりの違和感を打ち消そうとたてつづけにスプーンを口に運んだ。だが、違和感はますます増大し、すぐに確信に変わった。

「コノカレーハウマクナイデハナイカ」

そう、うまくないのである。そうなると、誰それという芸能人が絶賛したとか、なんというTVプログラムで放映されたとかいう貼り紙がやたらと空疎なものに見えてしまう。そんななか、ゆっくりとそして黙々と、スプーンを口に運んでは周りを見回すという動作を繰り返しながら、初めてのバスセンターカレーを食べ終えると、「ごちそうさま」と返却口のおニイサンに言いながら、内心では「もう来ることはないだろうな」と思う。

もちろんのこと、味は好みである。そして、人の好みをとやかく言うほどわたしの舌が上等にできているわけではない。だがアレは・・・。いったいどういうことなのだろう。ドアを開け、歩道に残る雪を踏みしめながら考えた。答えは出ない。聞いてみるしかない。夕餉の会食で幾人かの地元民に問うてみた。

「アレってどうなの?」

驚いたことに「なに言ってんの、うまいでしょ?」という反応はひとつもない。皆おしなべて「アレはあんなもんなのだ」というような応え方をする。思い切って、さらに一歩踏み込んだ問いをぶつけてみた。

「うまくないでしょ?」

誰も否定しないなか、こんな答えをくれた人がいた。

「ウマいとかマズいとか、そんな次元のもんじゃなく郷愁の味。四国でたとえると”連絡船うどん”みたいなもんですよ」

「そうかパトリ(※)か」と膝を打ち、「な~るほどネ」と得心するわたし。

そういえば、今はなき”連絡船うどん”もうまくなかった。だが、宇高連絡船に乗るたびに食べていた。しかも毎回のように行列に並んでである。そして思い浮かべたのは、中高生時代に大好きだった”豚太郎の味噌ラーメン”。今となってはけっして「美味い」とは思わないアレもそうだ。都会に出て、初めて本物の味噌ラーメンを食ったときのうまさと衝撃と、それでもなお捨てきれなかった”豚太郎の味噌ラーメン”への愛着。たしかに、ウマいとかマズいとかで価値を云々してはいけない食べ物がある。そのような存在に対して、好悪の判断はともかく、ウマいとかマズいとかで評価してしまうという態度は不遜以外の何物でもないのではないか。そう思いはじめると、自分がやたらと恥ずかしくてたまらなくなってしまった。

 

帰路に着いた翌日、いつものように妻への土産「柿の種」を買おうと空港の売店に行く。すると、今までは気づくことがなかった「当店売り上げNo.1」というポップが目に飛びこんできた。そのワゴンにはレトルトの「バスセンターのカレー」が山積みにされていた。ふたたびむくむくと頭をもたげてくる疑念。

「郷愁の味ならわかる。パトリならわかる。だがなぜ土産なのだ。どうしてナンバーワンなのだ。どんだけの人がウマいウマいと言って食うのだコレを。。。」

いやいやだから、「ウマいとかマズいとかで価値を云々してはいけない食べ物なのだよアレは」と自分で自分に言い聞かせながらも釈然としないわたし。

バスセンターのカレー、それもこれもやあれやこれやの総てをひっくるめ、忘れられない味になった。そして、たぶんもう食べることはないだろうと確信し、おおぜいの人にそれを広言したにもかかわらず、なぜだかまたいつか食べたくなりそうな気がしてたまらない今なのである。

 

 

※パトリ

パトリとは、〈私〉が他ならぬ〈私〉であることの理由、つまり私が〈世界〉につながるための依って立つ地面のことである。パトリを足場にすることで 「〈世界〉に感染するための通路」(つまり第3象限のことである)は開かれる。

それは〈私〉が生まれ育った環境(育成環境)のことでもある。それは多くの場合、郷土や地域社会や学校や職業といった共同体性=種・中景のことであり、パトリとはパトリオティズム(愛郷主義)のことではあるが――それは国を愛するということを強要してはいない――。

(桃知利男『ももちどぶろぐ』2006年9月20日、より)

 

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント

南、純米吟醸無濾過生酒。

2018年01月26日 | 食う(もしくは)呑む

 

安田町ラポールでの宴。

土佐湾に沈む夕陽に茜色の「南」という文字が映える。

純米吟醸無濾過生酒。

しかも歩いて5分のところにある酒蔵から直に持ち込みだ。

よき酒

よき肴

そしてよき朋

 

酒あり飲むべし 吾酔ふべし

快なる哉 痛飲放恣を極む

(山内容堂)


な、夜。



南(みなみ) 純米吟醸 無濾過本生酒 1.8L

南酒造

 

 

  ↑↑ クリックすると現場情報ブログにジャンプします

 

 

     

 発注者(行政)と受注者(企業)がチームワークで、住民のために工事を行う。

コメント