答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

夏の酒

2018年07月18日 | 食う(もしくは)呑む

日中、外気温が36℃ほどあったと思ってほしい。

思う貴方は酒呑みだ。

いやいや、そうでなくてもいいから想像してみてほしい。

熱風がごとき空気を身にまといつつ、たどり着いたわが家、もしくは居酒屋で、まず最初に何を呑むのか。

わたしならご多分にもれず冷たいビールを一杯、そしてもう一杯。

そのあとにつづくのは、冷やした酒か、それとも・・・・

いずれにしても冷たいものにはちがいない。

Aさんはちがう。

昨夜、彼がフェイスブックにアップした画像に写るのは、正面に酒肴としての焼き鳥(タレだ)、その右脇に銀色のタンポと透明の液体が入ったコップ。

燗酒だ。

茹だった身体の五臓六腑にあったかい日本酒が染み渡るという(推測するにそれは本醸造八海山だ、たぶん)

う~ん。

と唸り、生唾をごくんと飲みこむ。

酒呑みたるものかくあらん。

毎夜毎夜、キンキンに冷やしたビールをあおっては、「うんめえなあ~」と愉悦に浸っているわたしなぞは、足元にもおよばない。

 

うん、今宵は熱燗だべ。

固く心に誓うオジさんなのだった。

(とかナントカ言いつつも、結局落ち着く先は・・・・)

 

 

 

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酒の旨さ

2018年06月04日 | 食う(もしくは)呑む

 

石垣島の泡盛「請福(せいふく)」。

沖縄では多くの店でボトルの持ち帰りが可能だという。

今回の沖縄行でアテンダントを勤めてくれたMさんの「持って帰れ」という勧めに素直に従い、2人では呑みきれなかった分を持ち帰った。ホテルの部屋で呑む、という手もないではなかったのだが、毎夜毎夜、たっぷり呑んだうえでの帰還なのだから、さしもの呑んべえもそのあと泡盛を、という気にはならない(ビールを呑む気にはなりますが)。必然的に、高知までの持ち帰りとなった。おおよそ1週間ほどが経ち、「請福」があることを思い出す。思い出しただけで、気分はふたたび南の島だ。

「うまかったなあ」

ということで水割りにしていただく。

だが・・・・・

それほどでもない。

いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。

だが・・・・・

あきらかにあの味ではない。

ということで、薄い水割りを一杯だけ呑んで止めにした。

予想されたことではあった。振り返ってみればいつもそうなのだ。新潟の清酒しかり、鹿児島の焼酎しかり、そして沖縄の泡盛しかり。旅から帰還するたびに、現地の酒を当地の酒屋で求めるが、たいていの場合はがっかりするのがオチなのだ。「いやいやけっして不味くはない。旨いことにちがいはない。だが、あきらかにあの味ではない」と。

やはり現地で呑むから旨いのか。

現地で呑まないからそれほどでもないのか。

それはたしかに言えなくもないのだろうが、たぶんそこではない。

その地の人(たち)と語りその地の人(たち)と酌み交わすからその地の酒が美味いのだ。ついでに肴が美味いのだ。その地の人が知己であればなおさらのことである。

もちろん、「酒の旨さ」というやつにはその場そのとき人それぞれに幾とおりもの種類があって、「これでなければ」などという呑み方はないのだが、そういう「酒」が上位にランクされるのは、マチガイない。独り酒を好むわたしが言うのだから、なおさらのことマチガイない。


あゝ、こうやって書いていると、無性に新潟の酒が呑みたくなってきた。

本醸造「八海山」をぬる燗で。

もちろん、知己と語り合いながらである。

 



 

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バスセンターのカレー

2018年02月17日 | 食う(もしくは)呑む

カレーのことなどを書いてみたいと思う。

新潟万代シティバスセンターのカレーのことである。

 

「昼メシどうします?」

三方良しの公共事業推進研究会の研修会および理事会出席のため新潟へと向かう往路、伊丹空港でいっしょになった友人にそう訊かれたわたしは、ちゅうちょなく「カレー」と答え、そのあとすぐ「バスセンターの」とつけ足した。

その彼には若年の同行者が二人。

「おい、君ら、もうしわけないけど初めての新潟メシは立ち食いや」

こと「食う」ということに関して、少なくとも他人さまと同行するときは、まっ先にアレを食いたいだのコレを食うだのと自己主張をすることがほとんどないわたしは、その言葉を聞いて「なんと自己中心的な発言だったのだろう」と少しばかり反省したがまあいい。それはそれだ。わたしは未だ食したことがないにせよ名にし負う新潟名物だ。「初めての新潟メシ」にして何の不足があるだろう、と気を取り直しタクシーに乗り込む。バスセンターのカレーを食べにタクシーで行く。なんという贅沢だろう。

途中、思いついたようにくだんの友人が言った。

「あ、もうしわけないけどひとりで行ってもらってかまいません?コイツらにはへぎ蕎麦でも食わしたりますわ」

「あ、ええよ。そうやね、初めての新潟メシが立ち食いカレーっていうのはどうもね。へぎ蕎麦なら会場の近くに須坂屋っていう店があるからそこがいい。」

ということで万代シティ前で彼らと別れタクシーを降りたわたし。融けかけた雪を踏みしめドアを開けると、「万代そば」という看板がかかった一角があった。時間は12時半過ぎ。食券自動販売機の前には4人ほどが並んでいた。

二人連れの片割れのオジさんが若者に訊く。

「なんにする?」

「ぼくはカレー、大盛り」

「じゃあオレはミニカレーと〇〇蕎麦だな」

ざっと店内(といっても立ち食いのオープンスペースだが)を見わたすと、半分以上の人がカレーを食べている。若年のころより、「アレを食おう」と決めて食い物屋に行くとついつい別のものを食べてしまうという奇妙な癖があるわたしだが、今回はちゅうちょなく一点買い。カレーの食券を買いふたたび行列に並んだあと店員さんにわたすとすぐさま品物が出てきた。

 

 

そのヴィジュアル、匂い、・・・

「完璧じゃないか」と独りごち少し離れたカウンターに陣取った。隣りにはわたしより少しだけ若そうな女性の2人づれ。会話から推察すると観光客らしい。「オイシいね、うんオイシいね」と会話をはずませながらご満悦の体だ。期待で胸がふくらむ。待て待て落ち着けと水を一杯。そのあとおもむろにカレーを口に運ぶ。

「?」

ひと口目で生じた少しばかりの違和感を打ち消そうとたてつづけにスプーンを口に運んだ。だが、違和感はますます増大し、すぐに確信に変わった。

「コノカレーハウマクナイデハナイカ」

そう、うまくないのである。そうなると、誰それという芸能人が絶賛したとか、なんというTVプログラムで放映されたとかいう貼り紙がやたらと空疎なものに見えてしまう。そんななか、ゆっくりとそして黙々と、スプーンを口に運んでは周りを見回すという動作を繰り返しながら、初めてのバスセンターカレーを食べ終えると、「ごちそうさま」と返却口のおニイサンに言いながら、内心では「もう来ることはないだろうな」と思う。

もちろんのこと、味は好みである。そして、人の好みをとやかく言うほどわたしの舌が上等にできているわけではない。だがアレは・・・。いったいどういうことなのだろう。ドアを開け、歩道に残る雪を踏みしめながら考えた。答えは出ない。聞いてみるしかない。夕餉の会食で幾人かの地元民に問うてみた。

「アレってどうなの?」

驚いたことに「なに言ってんの、うまいでしょ?」という反応はひとつもない。皆おしなべて「アレはあんなもんなのだ」というような応え方をする。思い切って、さらに一歩踏み込んだ問いをぶつけてみた。

「うまくないでしょ?」

誰も否定しないなか、こんな答えをくれた人がいた。

「ウマいとかマズいとか、そんな次元のもんじゃなく郷愁の味。四国でたとえると”連絡船うどん”みたいなもんですよ」

「そうかパトリ(※)か」と膝を打ち、「な~るほどネ」と得心するわたし。

そういえば、今はなき”連絡船うどん”もうまくなかった。だが、宇高連絡船に乗るたびに食べていた。しかも毎回のように行列に並んでである。そして思い浮かべたのは、中高生時代に大好きだった”豚太郎の味噌ラーメン”。今となってはけっして「美味い」とは思わないアレもそうだ。都会に出て、初めて本物の味噌ラーメンを食ったときのうまさと衝撃と、それでもなお捨てきれなかった”豚太郎の味噌ラーメン”への愛着。たしかに、ウマいとかマズいとかで価値を云々してはいけない食べ物がある。そのような存在に対して、好悪の判断はともかく、ウマいとかマズいとかで評価してしまうという態度は不遜以外の何物でもないのではないか。そう思いはじめると、自分がやたらと恥ずかしくてたまらなくなってしまった。

 

帰路に着いた翌日、いつものように妻への土産「柿の種」を買おうと空港の売店に行く。すると、今までは気づくことがなかった「当店売り上げNo.1」というポップが目に飛びこんできた。そのワゴンにはレトルトの「バスセンターのカレー」が山積みにされていた。ふたたびむくむくと頭をもたげてくる疑念。

「郷愁の味ならわかる。パトリならわかる。だがなぜ土産なのだ。どうしてナンバーワンなのだ。どんだけの人がウマいウマいと言って食うのだコレを。。。」

いやいやだから、「ウマいとかマズいとかで価値を云々してはいけない食べ物なのだよアレは」と自分で自分に言い聞かせながらも釈然としないわたし。

バスセンターのカレー、それもこれもやあれやこれやの総てをひっくるめ、忘れられない味になった。そして、たぶんもう食べることはないだろうと確信し、おおぜいの人にそれを広言したにもかかわらず、なぜだかまたいつか食べたくなりそうな気がしてたまらない今なのである。

 

 

※パトリ

パトリとは、〈私〉が他ならぬ〈私〉であることの理由、つまり私が〈世界〉につながるための依って立つ地面のことである。パトリを足場にすることで 「〈世界〉に感染するための通路」(つまり第3象限のことである)は開かれる。

それは〈私〉が生まれ育った環境(育成環境)のことでもある。それは多くの場合、郷土や地域社会や学校や職業といった共同体性=種・中景のことであり、パトリとはパトリオティズム(愛郷主義)のことではあるが――それは国を愛するということを強要してはいない――。

(桃知利男『ももちどぶろぐ』2006年9月20日、より)

 

 

 

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南、純米吟醸無濾過生酒。

2018年01月26日 | 食う(もしくは)呑む

 

安田町ラポールでの宴。

土佐湾に沈む夕陽に茜色の「南」という文字が映える。

純米吟醸無濾過生酒。

しかも歩いて5分のところにある酒蔵から直に持ち込みだ。

よき酒

よき肴

そしてよき朋

 

酒あり飲むべし 吾酔ふべし

快なる哉 痛飲放恣を極む

(山内容堂)


な、夜。



南(みなみ) 純米吟醸 無濾過本生酒 1.8L

南酒造

 

 

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サケニモウシワケナイデハナイカ

2018年01月12日 | 食う(もしくは)呑む

大相撲をめぐる一連の問題についてここで触れるつもりはなかった。

だが、某行司や某親方の、「泥酔していた(から)」とか「酒癖が悪い(から)」とか、あたかも「酒のせい」だと言わんばかりの言い訳を聞くにおよんではそうもいかなくなってきたので、ひとこと記しておくことにした。ひょっとしたら、「酒のせい」にしておけばナントカ逃げおおせるのではないか、という計算が個人的にも組織的にもはたらいているのかもしれない。

キチガイミズを呑んだからキチガイになってしまった。ボクが悪いのではない。キチガイミズが悪いのだ。

てなもんである。

だが、そうだとしたら尚さらのことナニヲカイワンヤではないか。

事象そのものは、取り立てて大騒ぎするほどのことではない。ソッチのほうの趣味がなくても、大酔いすると男女関係なく接吻をしようとする奴はときどきいるし、酔うと誰かれかまわず抱きつきたくなる酒癖の持ち主もいる。事ほど左様に、酒というやつは理性を破壊してしまうものだ。(よくないことだが)よくあることだ。

そういうわたしとて、「酒に身を委ねるな」とか「酒は呑んでも呑まれるな」などとエラそうなことを言ってはいるが、酒席あるいは酒席の果てで起こした失敗は数数え切れないほどある。今でこそ大きな失敗はなくなったが、今でも些細なことを数え上げればキリがない。

だったらいっそのこと呑むのを止めればどうだ、という声が聞こえてきそうだが、将来はいざ知らず、今のところ止めるつもりはさらさらない。

だから尚さら思うのだ。 

「酒のせい」にしてはいけないと。

そんな奴は酒呑みの風上に置けないと。

なんとなればわたしは、酒によって世の中を広げてもらった。

いうなれば、酒はわたしの友だちだ。

もひとつ言うとわたしは、酒に救われたことがいく度もある。

いうなれば、酒はわたしの恩人だ。

言わずもがなのことではあるけれど、無粋を承知で付け足しておく。この場合の酒は、酒とともにあるもろもろをすべて包括して「酒」である。

だからわたしは、何があっても酒のせいにはしたくない。


だいいち、そんなことを言ってしまったら、

サケニモウシワケナイデハナイカ。

ねえ (^_-)

 

 

 

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『スナック研究序説 日本の夜の公共圏』外伝

2017年12月05日 | 食う(もしくは)呑む

11月22日の稿、『わが奈半利町が「市区町村ごとの人口あたりのスナック軒数」で栄えある全国第5位だったこと』に、そのネタ元である『スナック研究序説 日本の夜の公共圏』の編著者谷口功一さんからコメントをいただいたのは、2日後の24日だ。

 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説
谷口功一、スナック研究会
白水社

 

このブログを開設してから10年近く、そのあいだ数々の本を紹介してきたが、著者さんからコメントが来るのはこれで2度目(1度目は昨年、『非常識な読書のすすめ』の著者清水克衛さんからいただいた)。清水さんの場合は、森崎さんという知人があいだに入ってくれていたが、今回はまっさらの状態から。インターネットでこのブログを見つけたであろう谷口さんが拙稿に「ご感想ありがとうございます」と感謝のコメントを寄せてくれた。いやいやどうしてどうして。こちらこそ「奇特な人もいるもんだ」と感謝しきりなのである。

そのとき、谷口功一さんが「奈半利町については、既にNHKでも、このスナック関連で取材が入っており、以下のような記事にもなっているので、ご参考までに」と教えてくれたのがこの記事。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/mirai/tokushu/2017_1101.html

そこで紹介されていたのは、見覚えのあるカウンターとこれまた見覚えのある諸先輩方。とある呑み会があった土曜日、その会がはねたあとの三次会、全国第5位の奈半利町スナック群のなかで老舗の中の老舗スナック「まや」に行く。年に何度しか行かない店だが(わたしの場合、奈半利町で呑むこと自体がそれほど多くない)、せっかくつながった縁だもの、労作を世に出した谷口先生に敬意を表す意味もある、行かねばならない。

ということで、先輩諸兄が記事中ですわっていた、その同じカウンターにすわった。

 

「ママ、NHKのインターネットニュースで紹介されちゅうやんか」

「え?見た?そんなことゆうてくれたがショウヘイちゃんが初めてや」

(わたしはこの店では”ショウヘイちゃん”と呼ばれている。名字はもちろん”ひの”。姓は”ひの”名は”ショウヘイ”だ)

「へ~そうながや」

「なんでわかったが?」

「あの記事のキッカケになった本を書いた大学の先生とひょんなことから知り合いになってね。教えてもろうたがよ」

(谷口さんは首都大学東京の教授である)

「けんどウチの名前は出てなかったろ?」

「出てなくてもわかるやろ、カウンターで」

「さすがやなあ」

「あたりまえやんか」

「横顔がちょっと写っちょったし」

「ちょっとだけね」

「けんど、店の名前が出てなかったねえ」

「そうながよ」

「NHKやきしゃあないか。代わりにワシがインターネットで宣伝しちょくわ」

「頼むわ」

 

と、そんな他愛もない会話のあと久々にカラオケ三昧。人口一人あたりのスナック軒数全国第5位高知県安芸郡奈半利町、わたしと同い年のママさんは、「インターネットで宣伝しちょくわ」と軽口をたたく眼前の「ひのもどき」が、まさか本当にこうやってWebで宣伝するなどとは夢にも思ってないだろうなとほくそ笑みつつ、スナック「まや」の夜はふけていった。

 

以上、『スナック研究序説 日本の夜の公共圏』外伝。

山と山とは会えないけれど、人と人とはまた会える。袖触れ合うも他生の縁、人生なんだかんだ言いますが、やっぱり縁(えにし)なんでございますよ。(桃知利男)

 

日本の夜の公共圏:スナック研究序説
谷口功一、スナック研究会
白水社




 

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酒は呑んでも呑まれるな(というつもり)

2017年11月08日 | 食う(もしくは)呑む

「(呑んでも)クルワナイですよね」と言われたことは数え切れない。

「秘訣ってあるんですか?」とも。

数え切れないほど「(呑んで)クルッタ」ことがあるわたしであるにもかかわらずだ。

たしかに、「(呑んでも)クルワナイ」ほうだと自分自身でも思う。「数え切れないほど(呑んで)クルッタ」と言っておきながら、「たしかに、(呑んでも)クルワナイほうだ」とは明らかな自己撞着ではあるけれど、めったなことでは「クルワナイ」。いやいや、「めった」という形容動詞を使うのもまた、「数え切れないほど(呑んで)クルッタ」と言う自白の前では無力に等しいが、どちらにせよ、確率的にどちらが高いかといえば「(呑んでも)クルワナイ」ことのほうが多い。

おいおい、「(呑んで)クルウ」ほうの確率が高い人間なんてのは、それこそごくごくごくごく一部だろうが」と別のわたしが問いかけるのに対し、「そうでもないぜ」と返すわたし。「なにせ、酒ってやつはキチガイ水だから基本的にはクルウ。程度の大小こそあれ、普通ではいられなくなるという意味で、クルウ」と補足する。

そうであれば、「(呑んでも)クルワナイ」ための秘訣などないだろうが、と訝るそこのアナタ。それがそうでもない。

では、それは何か。45年に及ぶわが酒呑み史で、「これだ」とわたしが確信するものは、じつはひとつしかなく、それもじつにあっけなく、当たり前すぎておもしろくもなんともない。


「酒は呑んでも呑まれるな」


誰でもが知っているこの言葉を、わたしが初めて耳にしたのは高校三年生のとき。卒業を間近に控えた春。夢と希望と青雲の志を抱いて瀬戸内海を渡ろうとウキウキしていたわたしに、とある法事の席で、親族の長老が教えてくれた。

「酒はなんぼでも呑め。けんど呑まれたらいかんぞ」

「へ~、うまいことゆうもんやな」と感心したが、なんのことはない。知らぬはわたしばかりで、それは、陳腐と表現してもよいような、誰でもが知っている言葉だったと知ったのはかなり経ってからだ。だがそれはそれとして、爾来、酒席でのわたしにとって座右の銘、いや呪文となった。

「酒は呑んでも呑まれるな」

「酒は呑んでも呑まれるな」

「酒は呑んでも呑まれるな」

と、呪文を三度唱えると、あ~ら不思議。いくら呑んでも酔わないしクルワナイ。


なんてことが世の中にあるはずもなく、若いころは呑んでは吐き吐いては呑みの繰り返しのなかで、幾度となくクルイ、数え切れないほど失敗を積み重ねて今、還暦のわたしがここに居るのだが、振り返ってみると、けっしてあの呪文はムダではなかったと断言できる。

特に若い人にはオススメ。


「酒は呑んでも呑まれるな」

 

「というつもり」という括弧つきであっても、十分に有用なのである。



 

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じょーおん

2017年11月01日 | 食う(もしくは)呑む

近ごろとても気になる言葉づかいがある。

 

「酒、ひやで」

といえば、燗をしてない日本酒を指す。

冷やした酒は、「ひや」ではない。

あれは、冷酒あるいは文字どおり「冷やした酒」だ。

「ひや酒」とは、いわゆる常温の酒のことをいう。

以下、そういう前提に立っている。

 

先日も、とある宴で、「じょーおん」「じょーおん」とアチラコチラから聞こえてきて、半島のアノ独裁者のことでも言ってるのかと、耳をダンボにして聞いてみると、どうも「常温」と言ってるらしい。

いわく、

「この酒は常温がうまいのだ」

とか、

「ぼくは常温が好きなんです」

とか。

いやいやそれは違うだろう、と10年も前のわたしなら間髪をいれずツッコんで、「犬が利口か猫が利口か」ですさまじい議論をする「土佐のおきゃく」の真っただ中に辺りの人間を巻き込みながら突入していったのだろうが、今はそうではない。ニコニコと笑いながら聞いていた。「とはいえしゃあないか」と思わぬでもなかったからだ。燗酒と「ひや酒」とどちらかしかなかった昔ならいざ知らず、冷やして呑む酒がポピュラーになった今では、燗酒と冷酒の中間として「常温」という呼称が一般的になるのも致しかたないような気もしないではない。

 

いずれにしても、これだけは自信を持って言える。

「じょーおん」

という言葉の響きは美しくない。 

それゆえ、わたしから積極的に使うことはないだろう。

とはいえ、それがいわゆる「ひや酒」を表す言葉として一般的になれば使ってしまうんだろな、とかナントカ思いつつ、それまでは、

「じょーおん」

などという言葉は、なるだけ使わないでおこうと、ごくごく軽く心に誓う。

 

 

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利き手で呑む

2017年10月30日 | 食う(もしくは)呑む

『吉田類の酒場放浪記』、今はかつてほど観なくはなったが、たまに思いつくと観ている。

そのなかでずっと気になっていることがひとつだけある。吉田類さんの酒の呑み方だ。右手で箸を使い酒肴を食いながら、左の手で盃(もしくはグラス)を持ち酒を呑むという流儀だ。あれは感心しない。

わたしの作法はといえば、右手で肴を食ったあと箸を置き、右手で酒杯を持って呑む。もちろん、意識的にそうしている。一度箸を置くことで、肴と酒のあいだにひと呼吸が入る。

では、右手(利き手)で肴をつまんだあとで箸を置けば、左手(利き手以外)で酒杯を持ってもよいのかというと、それはちがう。箸も盃も利き手で扱う。もちろん独酌をするのも利き手たる右手だ。そうするほうが、落ち着いて酒が呑めるし、振る舞いが汚くない。

ときおり、左手を使ってものを食うことがある。太鼓の稽古の一環として始めたことだ。そんなときはどうするか。箸を置いたあと、やはり同じ左手で酒を呑む。箸を左手で持った以上、暫定的ではあるが利き手は左になっているという解釈だ。

いやいや、ことさら自慢をするほどの作法ではない。というより、どちらかといえば常識の範疇だろう。ではなぜ、ことさらに書いているかというと、ごくごく若いころ、アレと同じことをわたしもしていたことがあるからだ。あるとき、ある本で、「酒は利き手で呑むべし」というのを読んで以降、意識して直した。丸まっていた背中が、シュッと伸びたような気になったのを覚えている。

だから、もしアレと同じことをしている人がいたとしたら、悪いことはいわないからやめたほうがいい。

(ひょっとしたら類さんは確信犯かもしれないし)


以上、「ふと思いつき、余計なお世話だろうが書きとめてみた



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ヘチマみそ

2017年06月15日 | 食う(もしくは)呑む

「呑む」ことについて書くことはあっても、「食」について書くことはめったにない。ブログ開設当時は書いていた。何より、ネタに困ったときに手っ取り早かったし、なんとはなしに、ブログというのはそういうもんだと思っていたからだ。だが、そういう類の投稿は徐々に少なくなっていき、いつの間にかめったに書くことがなくなった。

という、いささかしつこい前置きをして今日は書いてみる。鹿児島入りして3日目、旅の恥はかき捨てだ。


初日(つまり、おとといの夜)、今回のセミナーの主催者さんが天文館にとってくれた宿の近くにある小料理屋に入る。じつは、こんな場合のわたし、見かけによらず迷う人である。ココはどうだろイヤ待てよ、とさまよい歩いて飲み食いするところを探す人なのだ。しかしその夜は、躊躇しないぞと決めていたのが良かったのか、それとも「御食事処清吉」というその店のたたずまいがよかったのか、いつになくすんなりと暖簾をくぐり、カウンターに座った。

「どこかで紹介されて、来てくれたんですか?」

座るなり女将にそう訊かれたのは、わたしの挙動に落ち着きがなかったからか、すぐに旅人と見破られてしまった。そうなりゃ逆に好都合だ。質問には答えずに、こう言った。

「ついさっき高知から来たばかりなんです」

「どちらへお泊りですか?」

「すぐそこの」

「ああ、じゃあフロントの方がここを紹介してくれたんですね」

「いや、感じがよさそうな店だったから、ふらっと」

板場と女将の顔がふっとほころぶ。

とりあえずビールを所望したあと、

「何がおススメですか?」

と言いつつ、差し出されたメニューは開かずに黒板に書かれた「おすすめ」を見ながら問うと、店主(板場)がいくつかの魚の名をあげる。

「じゃあ、キビナゴとサバ、刺身で」

いつもどこでも雑魚と青魚が大好きなオジさんだ。

「お醤油は甘い醤油と・・」

と言いかけた女将の言葉にかぶせて、

「甘いやつで。鹿児島の醤油をお願いします」

観光客用にだろうか。どうやら二種類の醤油をおいてあるようだが、ここは鹿児島、甘い醤油をやらなければ来た甲斐がない。

などと大仰に決意したあとすぐに出てきた刺身を見るなり、「あ、今日は当たりやな」と確信する。雰囲気、応対、に加えて肝心要の味も良さそうなことが、サバとキビナゴの姿を見ただけでわかった。

刹那、迷ったがキビナゴからいく。

想像どおり、刺身の味は申し分ない。

が、醤油が甘い。

いやいやけっして悪くはない。

「また、鹿児島へ来たんだな」と実感する味だ。

あれは何年前のことだったろう。最初に「甘い醤油」を口に入れたとき、思わず笑ってしまったのを思い出す。ひと口食べて笑い、ウマイウマイと刺身を食す現地の人たちの顔を見て、また笑ってしまった。

「ホントに美味いですか?」

ついついそう尋ねてしまい、怪訝な顔をされてしまった。ことほど左様、鹿児島の醤油は甘い。

あっという間に飲み干したビールのかわりに焼酎のお湯割りを頼むと、前割り(つまりお湯と焼酎を調合済み)が徳利で出てきた。「吹上」という銘柄だという。刺身が二切れほどになった頃合いで、黒板のなかに書かれてあるメニューのなかで気になって仕方がなかったものについて尋ねてみる。

「ヘチマみそ、ってどんなんですか?」

それに答えて店主。

「ヘチマ、食べたことないですか?」

「うん、ないですねえ」

「じゃあ、ぜひ。豚肉とヘチマを炒めたものです」

ほどなくして出てきた初見のソイツを見るなり、「これも当たりやな」とピンと来た。もちろんヘチマから食す。想像していたより甘い。だが美味い。味噌の味が舌の上に残っているうちに、「吹上」のお湯割りをちびり。

「あ、この甘さ、焼酎に合いますねえ。イケる」

ニッコリ笑った板さん(この店は夫婦ともに笑顔がいい)。

「そうでしょう。鹿児島の食べ物が甘いのは焼酎文化だから、というのもあるんですよね」

ナルホドそうだったのか、と独り得心して残りの刺身を口にすると、醤油の味が心なしか先程とは違ったような気が。

「焼酎とセットにするとこの甘さが旨さに変わるのだ」

などと、またまた都合のいい解釈で納得。相も変わらずオヤジ、単純だ。

ヘチマ

お湯割り

お湯割り

ヘチマ

お湯割り

を繰り返す合間に「こんなんどうやろ」と思いつき、味噌をチビリと舐めては焼酎をぐびり。

ヘチマ

焼酎

味噌

焼酎

焼酎

ヘチマ

焼酎

「これをして酒肴渾然一体と言う」

などと独りごちつつ、「こいつは幸先がいいや」と都合のいい解釈で今回の遠征の前途を祝して、また「吹上」のお湯割りを呑む。

郷に入りては郷に従え。「甘い」のもまた一興だ。

 

ということでちょっとピンボケ。

結局、「食」レポが「呑み」レポになったのはご愛嬌 ^^;

 

 

吹上焼酎 吹上(芋) パック 1800ml [鹿児島県]
 
吹上焼酎

 

吹上 颯爽(芋) 25度 900ml [鹿児島県]
 
吹上焼酎

 

吹上焼酎 吹上 小松帯刀(芋) 瓶 1800ml [鹿児島県]
 
吹上焼酎

 

 

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