答えは現場にあり!技術屋日記

「三方良しの公共事業」をモットーに、辺境の高知のそのまた辺境から、土木技術者のオジさんが泣き笑いの日々を届けます。

「辛抱ってのは、辛さを抱きしめるってことだからな」(石倉三郎)

2018年01月08日 | ちょっと考えたこと

「辛抱ってのは、辛さを抱きしめるってことだからな」

「辛抱ってなぁ我慢とは違うんだよ。分かるかい?」

『藝人春秋』(水道橋博士)のなかにある石倉三郎さんの言葉だ。

 

藝人春秋 (文春文庫)
水道橋博士
文藝春秋

 

これが、基本的に「我慢の人」だと自認しているわたしの胸にズドンと届いた。

もちろんこの場合の「我慢」とは仏教用語でいうところの「我慢」ではない。わたしやアナタがふだん何気なく使う、あの「ガマン」だ。今さらながらではあるが調べてみる。

まず我慢から。

我慢 ー 感情や欲望のままに行動するのを抑え堪え忍ぶこと。辛抱すること。

対して辛抱とは、

辛抱 ー たえしのぶこと。じっとがまんすること。

共に『大辞林』からだが、辞書的にはまったく同じだということらしい。

 

「辛抱ってなぁ我慢とは違うんだよ。分かるかい?」

 

なんだか言葉遊びのように聞こえなくもない。だが、なぜだかわたしには腑に落ちた。

なぜか。

「我慢の人」たらんと日々を生きていると、ときとして辛いのである。もちろんそれは、わたしの「我慢」が身体に入ったものではなく、いつまでたっても付け焼き刃にしか過ぎないからではあろう。だが、そうだとしても、「我慢の人」を標榜していることに変わりはなく、「我慢」の所産としての辛さとどう向き合っていいのかわからなくなり、それがまた別の辛さを産み出すのもまた現実なのである。

だから、「辛さを抱きしめる」。

辛さを抱きしめて辛抱する。

わたしのなかの語彙でそれを言い換えれば、「認めて許す」のようなものか。

「おのれの無能を認めて許す」だ。

 

石倉三郎さんの言葉を繰り返す。

「辛抱ってのは、辛さを抱きしめるってことだからな」

「辛抱ってなぁ我慢とは違うんだよ。分かるかい?」

なんだか言葉遊びのように聞こえなくもない。

だが、自分自身を救うための方便になるとすれば、それでもいいではないか。

なんとなれば、♪ 男もつらいし 女もつらい ♪ からだ。

ならば、渡る世間を生き抜いていくには、「我慢する」より「辛さを抱きしめる」ほうがずっと人に優しい。

少なくとも今日これからのわたしは、「我慢の人」ではなく「辛抱の人」を標榜していこうと、そう思った。


藝人春秋 (文春文庫)
水道橋博士
文藝春秋




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